聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

信仰体験 新生の道 東日本大震災

石巻・鈴木さん.PNG
鈴木造船所の新工場に立つ鈴木さん。
最大で総重量499トンの船を受け入れられる


信仰体験 新生の道 東日本大震災

 石巻の造船所 不屈の火ともす

 【宮城県石巻市】大船を引くウインチのきしむ音が曇天に響く。
先月18日、鈴木造船所の新工場が稼働した。上架した第一船は、船長
40メートル船幅18メートル。
復興に休みなく働いた約100トン吊りの大型クレーン台船だ。
社長の鈴木千代正(60)=湊福光支部、副県長=は、この日を待ち
焦がれていた。

 鈴木造船所は、伊達政宗に招かれた船大工を先祖に持つ。1927年
(昭和2年)の創業。オイルショックや200カイリ漁業水域を背景に
、2度の倒産を経験した。

 夜通し練った再建計画を手に、債権者を回った。力を尽くして
説明したが納得してもらえず、顔を朱にして怒鳴られた。地面に額を
こすりつける思いで何度もわびた。

 鈴木さんは修羅場を耐え忍びながら、力を蓄えた。石巻の造船の
火を消すものか。鋼(たがね)の意志で、2006年(平成18年)に負債を
完済した。
まさにこれからという時だった。東日本大震災の津波で、造船所は
全滅した。
         ◇
 被災4ヶ月後に工場の一部を稼働させ、翌年には全設備を復興して
みせた。だが河口部の堤防建設の話が持ち上がり、移転を迫られた。
廃業も考えられる事態だったが、鈴木さんは迷わず移転を決断した。
津波に奪われた2人の従業員の顔が浮んだからだ。

 震災直後、線香をあげに行くと、遺された家族から聞かされた。
「会社のこれからが楽しみだって言っていた」。
遺影の前で正座したまま泣いた。

 石巻で立ち上がってこそ意味がある。己にそう言い聞かせたものの、
手探りの土地探しは難航した。巨額の資金調達にも不安が募る。
船が上架できない夢を見た。

ようやく喉を通った食事は、味がしない。しおれる心を、題目で
奮い立たせる日々だった。
          
 不屈の祈りは、「母がくれた1年」の上に脈打つ。病弱の母は入退院
を繰り返し、やがて意識が戻らず寝たきりになった。
当時25歳の鈴木さんは、母のためを思って信心を始めた。

小説『人間革命』で師弟の真髄を学び、題目の威力を自力でつかんだ。
母を見舞い、耳元で題目を毎週聞かせた。

 結婚前夜、「俺、幸せになっから」と、人工呼吸器につながれた母に
妻を紹介した。母は息子の成長を見届けるかのように、春夏秋冬を
経て鼓動を止めた。

 母がいれば、会社再建に汗する今の自分はどう見えるだろう。
鈴木さんは退路を断ち、題目をひたすらに積み上げた。
           ◇
 工場移転の重圧にあえいだ苦闘は、極限の中に宿る「師弟の底力」
を教えてくれた。

 池田先生は被災地の友を、「苦楽を分かち合う共選の同志」と呼んだ。
言葉の奥をすくい取ると、弟子の痛みをわが痛みに変えるという慈愛が
あった。

それが逆境の扉を開け放つ力になった。だから全身で叫んだ。
 負けてたまるか……。

 おととし、約2万1000平方メートルの県有地を見つけた。
「池田先生に応える一念に、諸天が感応してくれた」。国と市の補助金
を活用した。

 落成式はこの6月、約180人が集った。新工場は船台3基を新設し、
大型クレーンを構える。船長70メートル級の対応が可能になった。
鈴木さんは「水産の街・石巻の復興に少しでも貢献したい」と皆に
誓った。
           ◇
 自分一人ではたどり着けなかった再出発。「運の良さと偶然が味方
した。人だったり、政策だったり」。かつて怒鳴られた取引先も力を
貸してくれた。

福運のある人生を歩むことがどれほど大切か。「夫(そ)れ運きはまり
ぬれば兵法もいらず・果報つきぬれば所従もしたがはず」(御書1192
ページ)。入会した日に教わった一節をかみしめる。

 石巻の造船の火は不屈であり、強靭だ。高揚感が漂う中、鈴木さんは
気を引き締める。「これからです。創業90年の節目。大きな使命を感じる」

   おわり 『聖教新聞・2017/08/01(火)』


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不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(2)

峯山さん 1.PNG
大阪市中央公会堂の前で、関西婦人部の代表が
師弟共戦を誓って(4日)。池田先生は「常勝の母」
たちへの万感の思いを詠んでいる。「常勝の 
大関西の 婦人部に 幸福 燦たれ 諸仏も護れと」


  師弟こそ仏法の真髄なり

 不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(2)

「関西の友の真心を一生涯、忘れない」



 「大阪大会」の公判は、逮捕から4年半、84回に及んだ。この間、
池田先生は23回、法廷の場に立った。

 先生は裁判に出廷する前日、当日、翌日と可能な限り、関西の友
に会い、励ましを送り続けた。手づくりで、関西広布を一段と伸展さ
せていったのである。

57年10月18日の初公判の日の夜には、神戸で友を激励。翌19日には、
京都の宇治方面を訪れている。

 61年(同36年)9月22日の午前には、第二室戸台風で被災した西淀
川区に足を運んだ。午後からは大阪地裁で、先生自らが検事への
証人尋問に臨んだ。

 検察が起訴した刑事事件の有罪率は当時、「99%」を超えた。
起訴されてしまえば、無罪は”不可能”といえた。

 さらに、「大阪事件」を担当した弁護士は、「有罪は覚悟してほしい
」という弱腰だった。その中で、62年(同37年)1月25日、先生に
「無罪」判決が出たのである。
峯山さん 2.PNG
峯山益子さん
峯山益子さん(関西婦人部総主事)は、この日のことが忘れられない。

 高校卒業後、図書館で働き始めた。53年(同28年)12月、「常勝の
母」と慕われた矢追久子さん(故人)の勧めで信心を始めた。

 翌年、先生が矢追さんの家を訪問。そこで、師との初めての出会いを
刻んだ。

 図書館で勤務していることを伝えると、先生から「御書は持っている?
と聞かれた。この時、まだ持っていなかった。

 「その場で、先生は御書を学ぶ大切さを教えて下さいました」

以来、御書の研さんに励んだ。職場には、学会を嫌う人がいた。週刊誌
などに学会の批判記事が掲載されると、その雑誌が必ず机の上に
置かれていた。

「でも、全く気になりませんでした。”すべて御書の通りだ”って思って
いましたから。『大阪事件』が起こった時、信心が揺らがなかったのも、
御書を研さんしていたおかげです」

 61年、峯山さんは結婚。その直後、肋膜炎を患った。「自宅療養を
していましたが、先生が無罪を勝ち取られた日、母と一緒に旧関西本部
へ向かいました」

 無罪判決が出た後、先生は旧関西本部へ。「大法興隆所願成就」の
関西常住のご本尊の前に端座し、感謝の祈りをささげた。

 そして、その場にいた峯山さんの病気平癒を祈り、「大丈夫たよ」と
励ましを送った。

 「先生の慈愛は、今も心から離れることはありません。生涯、師恩に
報いる人生を歩んでいきます」

 裁判を勝利で終えた直後も、先生は「一人の励まし」に徹した。
広宣流布は、この「一人の励まし」から始まることを、関西の友に
改めて示したのである。

       ◇

 「大阪事件」の本質とは、何であったか。

 それは、飛躍的な発展を遂げている学会に対して、自分たちを脅かす
勢力になると恐れた権力による卑劣な弾圧であった。

 池田先生は、小説『新・人間革命』第5巻「獅子」の章でつづっている。

 「社会の主役、国家の主役は民衆です。その民衆を虐げ、苦しめ、
人権を踏みにじる魔性の権力とは、断固戦わなければならない。それが
学会の使命であると、私は宣言しておきます」

 民衆の側に立ち、正義の旗を掲げ続ける……。

 そのことを、先生が自らの身をもって示した「大阪事件」とその勝利。
不滅の「正義の原点」に刻まれた師の精神は、世界広布の明日を
照らし続ける。


   取材後記

 取材の折、栗原さん、峯山さん、林さんが、同じ言葉を口にした。
「関西を『常勝関西』にしてくださったのは、池田先生です」
「関西が『世界のカンサイ』になったのは、池田先生のおかげです」
「関西に『凱歌の夜明け』を告げてくださったのは、池田先生です」

 あふれ出る師への感謝。今も燃える師への誓願。こうした無数の
「関西の母」たちありて、
 池田先生は、関西婦人部をたたえている。

「どんな深い闇も、底抜けに明るい笑顔で打ち破ってくれる関西の
母たちこそ、世界第一の『常勝の太陽』なのである」

  おわり 『聖教新聞 2017/07/17(月)』

創価学会の3代会長がいかに権力と戦ってきたのか、という
厳然たる事実の歴史です。
3代会長.PNG

動画・youtube
3代会長の権力との戦いと勝利の栄冠

 まとめ 
不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(1)
不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(2)


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不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(1)


大阪大会 1.PNG
赤レンガの壁と緑のドーム屋根が特徴的な
中之島の「大阪市中央公会堂」。
数々の関西広布の節目を飾る舞台となってきた。


 師弟こそ仏法の真髄なり
不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(1)

信心しきったものが必ず勝つ


大阪大会 2.PNG
「大阪大会」であいさつに立つ池田先生。”信心しきったもの
が必ず勝つ”との師子吼は、関西の不敗の誓いとなった。
(1957年7月17日、中之島の大阪市中央公会堂で)



きょう7月17日は、1957年(昭和32年)に中之島の大阪市中央公会堂で
「大阪大会」が行われた日である。この時の”戦いは負けたらあかん”
との「関西魂」は今、世界に輝き広がる。

ここでは、「不敗の原点『大阪大会』60周年記念特集」として、関西
婦人部の代表の証言を交え、その精神を確認する。

 大阪市の関西池田記念会館に「師弟常勝之碑」がある。碑文は、
「大阪大会」50周年の2007年(平成19年)7月、池田先生が関西の共に
贈ったものだ。

その冒頭は「師弟こそ 仏法の真髄にして 最極の魂の結合なり」と。
創価学会は、「師弟」という深い人間の絆で結ばれた団体である。
ここに、権力の不当な弾圧にも屈しない強さの源泉がある。

 60年前、権力に魔性が牙を向いた。「大阪事件」に、関西は負けな
かった。師と共に迫害を堂々と勝ち越えた。関西の友が満天下に示した
のは、「師弟」の底力にほかならない。

 1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は事実無根の冤罪で、不当逮捕
された。発端は、3ヶ月前の参院選(大阪地方区の補欠選挙)にさか
のぼる。一部の会員が起こした選挙違反を、池田先生に強引に結び付けた
のである。

 この逮捕までに、警察と検察は、学会員に威圧的な取り調べを行った。
 
 当時、女子部班長だった林智栄子さん(関西婦人部総主事)。参院選
から数日後、刑事が自宅に来た。戸別訪問の容疑だという。
3大阪大会 .PNG
林智栄子さん
 連日、朝から晩までの取り調べ。刑事は「誰の指示で動いた!」
問い詰めた。戸別訪問などしていない林さんは、否認し続けた。

 
 その後、取り調べは大阪地方検察庁へ移った。そこでは、複数の検事
に取り囲まれた。

ある時には、検事が池田先生の写真を手に、「知ってるやろ」と
恐ろしい剣幕で詰め寄ってきた。
 その激しさは、林さんの頭をもうろうとさせ、”私、悪いことしたん
やろか”と錯覚させるほどだった。

「罪もない人を陥れようとする。権力の怖さを心の底から感じまあした」
池田先生が不当逮捕されたのは、この取り調べから一ヶ月半ほど後の
こと。

「先生の逮捕を聞いた時は”私の取り調べでさえ、あれだけ問い詰められ
たのに、どれほど先生は責められてしまうのか”と不安で仕方ありません
でした」

池田先生は逮捕から5日後の1957年(昭和32年)7月8日、大阪拘置所に
移監された。

 この日、検事は2人がかりで夕食も取らせず、深夜まで取り調べを続
けた。

 9日、検事は「罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を
逮捕する」と恫喝した。

 すでに恩師の体は衰弱しており、逮捕は生命の危険にも結び付きか
ねない状況だった。

 獄中で一人、煩悶を続けた先生は、恩師の身を案じ、法廷で真実を
証明することを決断したのである。

      ◇

大阪大会 5 1.PNG
「大阪大会」60週年を記念して行われた「関西勝利大会」。
今再びの常勝の大行進を誓いあった。(10日、同公会堂で)


57年7月17日の正午過ぎ、池田先生は大阪拘置所から出所。多くの再びの
関西の同志が歓喜して出迎えた。先生はつづっている。
「私の投獄を、わがことのように心配し、悲しみ、憤った、関西の
同志たち。私は、その真心への感謝を、絶対に一生涯忘れることは
ないだろう」

 午後6時、場内と場外合わせて約2万人の友が集まり、中之島の
大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開会した。

 しばらくすると、空を厚い雲が覆い始めた。横暴な権力に対する
諸天の怒りであるかのごとく、豪雨が地面をたたき、空には雷鳴が
轟いた。

 場外のスピーカーの声は、雨の音でかき消された。だが、誰一人と
して、帰ろうとする人はいない。

 仕事を終えて駆け付けた林さん。ずぶ濡れになりながら、堂島川を
挟んで公会堂の対岸にあった大阪地検の建物を睨みながら、固く誓った。

 ”負けたから、こんな悔しい思いをした。戦いは負けたらあかん。
一生かけても、この仇は討つ”

 その燃えるような気迫は、60年が過ぎた今も赤々と。林さんは
力を込めた。

 「”仇討ち”とは、個人的な復讐などではありません。”師と共に”
との心で、広布拡大に挑むこと。それが、関西の関西たるゆえんであり、
池田先生が教えてくださった精神です」。
大阪大会 4.PNG
栗原明子さん
 栗原明子さん(関西婦人部総主事)は当時、女子部部隊長を務めていた。

 ある日、いてもたってもいられず、警察署などを回った。すると、
偶然、署の前に一台のジープ型の車が止まった。その直後、先生の姿が
見えた。

 目が合った。「元気?」と先生から声が。「元気です!」と栗原さん。

 今から取り調べが待っているにもかかわらず、一人を大切にする、
いつもの「常勝将軍」の雄姿が、そこにはあった。

 「いついかなる時も、先生は変わらない。先生のお姿を拝見し、”権力
の魔性などに断じて負けてなるものか”と深く誓いました」

 もう一つ、栗原さんには忘れられないことがある。

 池田先生の逮捕以来、旧関西本部には、頻繁に戸田先生から電話が
かかってきた、ある時の電話の後、応対していた壮年が受話器を持った
まま、号泣する姿を、栗原さんは見かけた。

 壮年が涙したのは、戸田先生が「代われるものなら、わしが代わって
やりたい。あそこは入った者でないと分からないんだ」と語ったからで
ある。

 師の恩は山よりも高く、海よりも深い……どこまでも弟子を思う師の
慈愛を、栗原さんが深く知った瞬間だった。

 「大阪大会」には、場内で参加。終了後、池田先生は「一緒においで」
と栗原さんをはじめ、居合わせた友に声を掛けた。

 先生の後ろにつき、公会堂の階段を上がった。先生は窓を開けると、
場外の友に手を振った。

 沸き上がる歓声と拍手は、しばしの間、鳴りやまなかった。

「池田先生と関西の絆は、どのような障魔が競い起ころうとも、断ち切る
ことなどできない。そのことを確認した光景でした」

 「大阪大会」で、池田先生は師子吼した。

 ”最後は、信心しきったものが必ず勝つ”

 この宣言は今、人生を切り開き、人間革命の勝利劇をつづりゆく”
常勝の指針”として、関西の同志の心に受け継がれている。

 次回につづく 『聖教新聞 2017/07/17(月)』

創価学会の3代会長がいかに権力と戦ってきたのか、という
厳然たる事実の歴史です。
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3代会長の権力との戦いと勝利の栄冠

 まとめ 
不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(1)
不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(2)


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世界の体験プラザ 世界的監査法人の勤務経験生かす(2)

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台湾女子部のメンバーと(左から3人目が洪さん)


世界の体験プラザ 世界的監査法人の勤務経験生かす(2)

 大手総合商社の経理・税を担う

現地と日本を結ぶ架け橋に

  台湾SGI 洪 孟君(ホン モンジュン)さん

  師と新たな原点を


 現在の職場では、二つの業務を担当しています。

 一つは、決算の数字を東京本社の海外会計部に送り、連結決算書を
作成することです。台湾では、13年から、国際会計基準が導入され、
最新の知識に精通した人材が求められています。

 もう一つは、財務報告書の作成や、法人税の申告などをする上で必要な
、監査法人とのやりとりです。その窓口を担当しています。

 国際会計基準も、監査法人も、どちらも私の職歴が役に立ち、これほど
うれしいことはありません。

 池田先生はかつて、戸田先生の「経理」に関する指導を引かれつつ、
「どこの世界でも、金銭や人事に厳格なところが最後は勝っている。
あいまいなところは敗北している」とスピーチされました。

 この指針を胸に、現地支社と東京本社の発展のために、また台湾と
日本の架け橋となって活躍していこうと決意しています。

 一昨年の9月4日には、新たな信心の原点を刻むことができました。
日本でSGI青年研修会に参加し、池田先生にお会い出来たのです。

 この日は、くしくも私の誕生日。涙の向こうに三色旗を振る先生の
姿を見て、”私も共に希望を送る存在になる。社会に貢献できる人材に
成長しよう”と深く誓いました。

 「私にやらせてください」と手を挙げた時から、一念が変わったことを
実感します。これからも青年らしく、いかなる困難も前進の糧に変え、
報恩の人生を歩んでいきます。

  おわり 【聖教新聞 2017/07/17(月)】



posted by mity504 at 12:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 世界的監査法人の勤務経験生かす(1)


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世界の体験プラザ 世界的監査法人の勤務経験生かす(1)

 大手総合商社の経理・税務を担う

現地と日本を結ぶ架け橋に

  台湾SGI 洪 孟君(ホン モンジュン)さん

  仏法に無駄はない

 「はい!私にやらせてください」。気付いた時には手を挙げていま
した。

 2011年に大学を卒業し、世界四大監査法人の台湾法人に就職。この時、
入社2年目を迎えた私は、本来は3年以上の経験が必要な仕事に自ら志願。
常々、心に刻んでいた”若い時の苦労は、買ってでもする”との信念を
実行に移しました。

 ところが、重圧は想像をはるかに超えていました。顧客は、オセアニア
を代表する銀行の台湾支社。その税務監査の案件で、副グループ長に
任命されました。

私は、顧客と上司の間にはさまれ、一人で百数十万台湾ドルに及ぶ責任を
負い、心労と睡眠不足で、逃げ出したい気持ちになりました。

 台湾SGI女子部副書記長に、との話があったのは、そんな時です。
悩みましたが、「ここで役職の話をいただいたのは意味がある」
「今こそ人間革命のチャンスだ」と、再び決意し、全てをやりきる一心
で受けました。

 朝は同僚より早く出勤し、仕事に全力投球。SGIの活動も妥協しません
でした。黙々と奮闘する私の姿を見て、同僚も深夜まで手伝ってくれ、
案件は無事に成功。最高の経験を積むことができたのです。

 もちろん、うまくいくことばかりではありません。ある中国大陸の
商社が台湾証券取引所に上場する案件では、法律上の不備が見つかり、
9ヶ月かけてまとめた資料が水の泡に。

また、ある台湾企業の海外取引先の確認のため、上司と2人で中国大陸
に渡り、タクシーで走り回ったことも忘れがたい思い出です。

14年には、縁あって日本の大手総合商社が100%出資する台湾法人に
転職し、現在は経理、税務等のコンサルティングを担当しています。
前職の経験を存分に生かすことができ、「仏法には無駄がない」ことを
心から実感しています。


ホンさん 2.PNG
現在の職場である大手総合商社・
台湾法人前で


  大学不合格が転機

 私は1988年、3人きょうだいの長女として台湾中部の南投県で生まれ
ました。

 父は金型加工の工場を経営していましたが、仕事は不安定。そのこと
を悩んでいた母は、パートと掛け持ちをしていた新聞配達の集金先で、
題目の声を耳にし、なぜかとても心引かれたそうです。

「宿命を転換する仏法です」との話に、すぐに入会。父の反対で、御本尊
は安置できませんでしたが、私たちきょうだいも未来部の活動に参加する
ようになりました。

 私は、幼い頃から、決めた目標は最後までやり遂げる性格でした。
小学校では学業と陸上部を両立。中学・高校6年間は、英語ラジオ放送を
欠かさず聞き、大の得意科目になりました。

 成績はずっとトップクラス。しかし、大学受験ではまさかの第1志望
不合格。初めて味わう挫折でした。

 いらいらし、家族に八つ当たりしましたが、母は、「一緒に信心で
乗り越えましょう」と励ましてくれました。私は初めて真剣に祈り、見事
、台湾大学管理学部・会計学科に合格できたのです。

 今思うと、あの”不合格”に本当に感謝してます。競争率が高いと
いう理由で第一志望の学部に入っても、将来は見えなかったでしょう。
また自身過剰で、人の痛みが分からない人間になったかもしれません。

会計士への道は、一歩一歩積み上げる性格の私にぴったりだったと
実感します。

 大学では学業だけでなく、台湾SGI学生部の代表も務めました。
大学卒業直前には、会計士試験を目指して、猛勉強に挑戦。試験は7科目
あり、4年間で合格すればいいのですが、思い切って「1回で全科目合格」
を決意。2011年、合格者600人のうち、一発合格者は12人で、私は
その一人になることができました。

  つぎにつづく 【聖教新聞 2017/07/17(月)】

posted by mity504 at 17:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

聖教新聞トップページ 2017/07/23(日)

 聖教新聞トップページ 2017/07/23(日)
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 兵庫 一万人の勇者が一堂に

 歓喜の青年大海 ワールド記念ホールで開催

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 兵庫創価青年大会が22日午後、2回にわたって、兵庫・神戸市の
ワールド記念ホールで開かれ、代表1万人が集い合った。これには
池田大作先生がメッセージを贈り、兵庫は阪神・淡路大震災から大復興
を遂げた、世界の希望の港であると強調。
「兵庫から、平和と人道と正義のスクラムを一段と強く大きく広げゆく、
新航路を開いていっていただきたい」と、次代を担う青年たちに期待を
寄せた。
兵庫県の井戸敏三知事、神戸市の久元喜造市長をはじめ各界の識者ら
来賓約2000人が出席し、歓喜あふれる演奏・演技に惜しみない拍手を
送った。



九州でインド青年部研修会
 200人が来日、福岡各地で交流交歓会

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九州・菜の花少年少女合唱団の歓迎パフォーマンスに
インドの友も大喝采(九州池田講堂で)

 インド青年部研修会で来日した200人のメンバーが22日、福岡市の
九州池田講堂を訪れた。
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筑紫野平和講堂で行われた交流交歓会。先の豪雨
災害で被災した甘木圏朝倉本部の友も参加した


高校野球 5.PNG

 高校野球 夏の大会

 西東京・創価大熱闘・延長15回、再試合

 第99回全国高校野球選手権大会の西東京大会5回戦が22日、府中市民
球場で開催され、創価高校が、昨夏の準決勝で惜敗した第5シードの
八王子高校と、延長15回死闘を演じ、5対5の同点で再試合となった。

 大阪関西創価4回戦へ

 大阪大会の3回戦は同日、万博球場で行われ、関西創価高校が大阪学院
大高校に3対0で勝利し、4回戦へ進出した。


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いま想う・戦後71年の歩み まとめ 1


いま想う・戦後71年の歩み まとめ 1

通信兵として 1.PNG
磯村さんは、「戦争とは破壊。全てを破壊することじゃ。
いいことは一つもない」と戦時を振り返る。戦後は、
価値を創造する創価の哲学を一心に広めてきた
信仰体験 いま想う 戦後71年の歩み 信心で無力感は使命感へ(1)

鈴木さん1.PNG
戦場の日々を振り返る鈴木さん。「暑い夏が訪れるたび、終戦前、
飢えと爆撃に耐えた日々が思い出されます。こんなに生きられるとは
考えもしなかった。これからも一日一日を大切に、広布のため、
平和のために語り続けます」と。
戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(1)

体験談、中澤さん1.PNG
ひ孫を抱いて、笑みをこぼす中澤さん。「信心という宝を
一人一人に伝えていかなきゃね」と(左から、孫の拓海さん
、長女・純子さん、中澤さんとひ孫の早川真珠ちゃん、
孫の早川瑠美さん)
戦後71年の歩み・悲しくても立ち上がる「全てに感謝できる自分に」(1)

1戦後の樺太.PNG
写真上 思い出したくもない、つらく悲惨な体験も、
「平和のために語り継いでいかねば」と栗田さん。
「私たちが経験した苦しみや悲しみは、子や孫、
そして子々孫々まで、絶対に味わわせたくないから」と
写真下 栗田さんが電話交換手として、勤めていた樺太・
豊原逓信局の建物。にぎやかな駅前通りにあった
(1939年撮影、写真:近現代PL/アフロ)
戦後71年の歩み 人の幸せを祈れる自分に変わった

植野さんの体験談1.PNG
1944年(昭和19年)7月8日、
植野さんのいた第49師団歩兵第106連隊は、
戦艦大和で広島の呉を出発。タイを経由し、
鉄道でビルマ(現・ミャンマー)へと向かった。
戦後71年の歩み・人を幸せにしてなんぼ、その信念で生きてきた(1)


世界の体験プラザ「人間革命」の思想を広げたい(2)


ボリビアSGI女性平和会議.PNG
「ボリビアSGI女性平和会議」の一員として登壇する
モヒカさん(左)


世界の体験プラザ「人間革命」の思想を広げたい(2)

先住民の福祉に取り組む社会学者 
 ボリビアSGI ロクサナ・モヒカさん

誰もが幸福に生きられる世界に

 私から変わること


 先住民たちの福祉に関わりながらも、以前のモヒカさんは”彼ら”の
行動や習慣を変えなければと考えていた。母子の死亡率を減らすこと等ぼりびあ
についても、あくまでも数字の結果に固執していた。

「私は世界を変えなければならないと考えていました。けれども池田先生
の思想に触れて気が付いたのです。大事なことは、まず私自身の人間革命
から始めることだと。一人一人を尊重し、彼ら自身の”人間”に光を当てて
いくことを、この信仰で学びました」

 混迷する現実社会の中で、苦しむ人々のためにどう行動していくか。
法華経の思想は、自ら誓願して悪世に躍り出た「地涌の菩薩」としての
自覚を促している。

それは、泥水の中で、しかも泥に染まらず、美しく咲く百蓮華のごとき
生き方だ。

 御書を学び、池田先生のスピーチや提言を学ぶたびに、モヒカさんは、
ボリビア社会に創価の希望の哲学を広げていく使命の自覚を新たにして
きた。

 広布の第一線では、地区婦人部長として、同志の励ましに走る日々。
また「ボリビアSGI女性平和会議」の一員として、毎年、教育委員会など
と連携し、女性の教育や人権啓発の取り組みに尽力する。

親交のある各界の要人たちにも折あるごとに対話を重ね、池田先生の
書作などを贈呈。ボリビア社会にSGIへの理解と共感を大きく
広げてきた。

 昨年まで、ボリビア自治体協会連合会で行政顧問を務めた。
現在は独立し、NPOと協力しながら、先住民の地方自治体の運営管理を
サポートする。

 さらに、サンフランシスコ・ハビエル大学で、先住民の言語・ケチュア
語を学んでいる。

「池田先生が教えてくださった”人間は幸福になるために生まれてきた”
という『衆生所遊楽』の社会をボリビアに築きたい。この人間革命の
思想を広め、最も虐げられ苦労している先住民の人々に、人生を捧げよ
うと決意しています」

兄弟姉妹 2.PNG
前列左からモヒカさん、兄・ロランドさん、後列
左から姉・メルビーさん、妹・マリクルスさん


 おわり 【聖教新聞 2017/07/10(月)】


posted by mity504 at 17:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ「人間革命」の思想を広げたい(1)

もひかさん 1.PNG
先住民の暮らしをより良くするために最善を尽くす


もひかさん 2.PNG
ボリビア


世界の体験プラザ「人間革命」の思想を広げたい(1)

先住民の福祉に取り組む社会学者 
 ボリビアSGI ロクサナ・モヒカさん

誰もが幸福に生きられる世界に


 心にあった虚無感


 南米大陸のほぼ中部に位置するボリビア。正式名称は「ボリビア
多民族国」で、南米の国々の中でも、先住民人口の比率が高い。

 國家の中枢機関がある事実上の首都はラパスだが、憲法上では
19世紀の古都・スクレが首都になっている。

 ロクサナ・モヒカさんは、そのスクレで生まれた。父親は早くに
妻子を置いて家を去り、モヒカさんら4人の子どもは母親の実家で
育てられた。

「母は教育を重んじていました。教育は未来へのパスポートであり、
得た知識は誰にも奪われない、というのが母の口癖でした」

 大学では社会学を専攻。学費などを賄うため、國家統計局で
働きながら学んだ。卒業後、社会学者としてチュキサカ県自自体や
NGO(非政府組織)などで重責を担ってきた。

「福祉も足りず、極貧状態にあったチュキサカの先住民たちの
実情を知り、この人たちの幸福のために働こうと思ったのです」

 42歳で公衆衛生の修士号も取得。自分が望んだ分野の仕事であり、
いくつもの重要な機関で実績も重ねた。ただ一方で、心のどこかに、
言葉では説明できない虚無感が拭い切れずにいた。

 2007年、最南部のタリハ県に転勤し、EU(欧州連合)が支援する
衛生・保健プログラムの地域コーディネーターに就いた。

 だが、職場の人間関係などで強いストレスを抱え、不眠に悩まさ
れるようになる。


もひかさん 3.PNG
チュキサカ県の先住民グアラニー族が集
まるイベントで(右端がモヒカさん)


 渡された一枚のメモ


 そんな中、やはり社会学者として同じプログラムに加わっていた女性と
親しくなった。

「彼女がよく眠れる方法を教えてあげると言うので、てっきり薬の
名前かと思ったら、メモに南無妙法蓮華経と書いてくれたのです。
”朝晩この言葉を繰り返すのよ。そうしたら眠れるから”と」

 言われた通り実践してみると、心が落ち着いて眠れるようになり、
自信と安らぎが生まれた。彼女に誘われてSGIの座談会に参加する
たびに、メンバーの友情や励まし、体験談に心を打たれた。

 3ヶ月後、SGIに入会しご本尊を受持した日、タリハの婦人部長が
モヒカさんに語り掛けてくれた。

「もうこれからは生涯、独りではないからね。あなたには御本尊がある。
この地にも、そして世界中にも、新たな家族がいる。何より池田先生と
いう人生の師匠がいるのよ」

 何という温かな世界だろうと思った。そして、日蓮仏法が説く深遠な
生命感に、心からの安心を覚えた。

 モヒカさんの確信あふれる姿と、地元SGIの同志の誠実な態度に触れて、
年が明けると、母や姉妹も相次いで入会した。

 看護師でもある姉のメルビーさんは、現在ではコチャバンバ市内の
自宅を個人会場に提供して、子や孫も広布後継の人材に育っている。
同じく入会した妹のマリクルスさんは細胞学を専門とする大学教授。
先住民
ボリビア最大の国立病院で整形外科医を務める兄のロランドさんは、
SGIの良き理解者だ。

 つぎにつづく 【聖教新聞 2017/07/10(月)】


posted by mity504 at 10:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

仏法は”希望の生命哲学”子育て中の母親に安心と笑顔を(2)

助産師.PNG

紙上セミナー  生活に生きる仏教

 助産師・看護師 中村康子


仏法は”希望の生命哲学”子育て中の母親に安心と笑顔を(2)

命を育み輝かせる”励まし合いの社会”に

生死の苦悩を乗り越える信仰


 私が、この仏法と巡り合ったのは、19歳の看護学生の時です。
治療法のない病気、生まれながらの疾患、そして必ず訪れる死……。
入会する前は、厳しい現実に直面して、自らの使命を見出せずに
いました。

 参加した座談会で、仏法は宿命の転換を可能にし、「生老病死」
の苦悩を乗り越える”希望の生命哲学”であることを知り、感動し
ました。そして、「あなたにしか果たせない使命がありますよ」
との温かい励ましに、入会を決意したのです。

 さまざまな世代が地域に根差しながら、励まし合って進む
創価学会は、生命を守る”慈愛のセーフティ・ネット”であると
感じます。

、      ◇

 2年前、私自身が父の見取りの体験をした時のことです。母と
共に、感謝の言葉をシャワーのように語り掛け、優しくマッサージ
をし、父の呼吸の速度に合わせて題目を唱え、一緒に呼吸しました。

 この時、私は、手を握り、目を合わせて波を乗り越える感覚が、
産婦さんと呼吸を合わせて陣痛の波を乗り越える時と全く同じ感覚で
あることに驚きました。

 産みの苦しみを越えて新たな生命が誕生するように、生命は、また
引き潮の波に乗って”生命の大海”へと戻っていくのだと実感したの
です。

 この経験をしてから、日々、赤ちゃんに合うたび、両親を選んで
生まれてきた生命に、より深い感動と畏敬の念を感じるようになり
ました。

 一人一人に、かけがえのない使命

 日蓮大聖人は、女性門下の懐妊の報を聞かれて、「玉の子出で生れ
ん目出度覚え候ぞ」(1109ページ)と喜ばれています。

 池田先生は、この御文を拝して「日蓮仏法では、すべての人間は、
『仏』の生命を具え、偉大な使命をもって、この世に出現したと
とらえる。

つまり、子どもは、未来を担い立つ、崇高な人格をもった
、使命深き鳳雛と見る。ゆえに、仏法からは、決して、親の所有物
などというとらえ方は生まれない」(『新・人間革命』第24巻)
とつづられています。

 仏法は、「桜梅桃李」と説き、一切の生命がそれぞれの特質を
改めることなく、ありのままで輝いていけると教えています。
どんな人も、かけがえのない使命をもち、幸せになるために生まれて
きたのです。

 縁する全ての人との深いつながりを感じながら、母子の笑顔を
輝かせる”励ましのネットワーク”を広げていく決意です。

 

 「人身は受けがたし」

 仏法は「三世の生命」、すなわち”永遠の生命”を説いています。
この仏法の視座から見る時、私たちが人として生まれ合わせることは、
まれなことだといえます。

 仏典では、「人として生まれることは、三千年に一度しか咲かない
優曇華(うどんげ)の花にあうように難しい」(涅槃経、趣意)と
説かれています。

 また、日蓮大聖人も、「人身をうくる事はまれなるなり」(御書
902ページ)、「人身は受けがたし爪の上の土」(同1173ページ)と
仰せになっています。「爪の上の土」とは、数や量が、ごくわずかである
ことを譬(たと)えた言葉ですが、同じように人として生まれることは
まれであることを教えられているのです。

 まさに、私たちは”受けがたい人身を”を得た、尊い一人一人です。
「子宝」「授かりもの」といわれるように、生まれてくる命は、尊く、
かけがえのない存在なのです。

 おわり 【聖教新聞 2017/06/27(火)】



posted by mity504 at 17:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て
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