聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(2)

イタリア モニカさん 3.PNG
ガンビーノさん(前列左から2人目)がイタリア
SGIのポッティチェリ・グループの友と共に


 世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(2)

人間と映像を結ぶ映像制作
 イタリアSGI モニカ・ガンビーノさん

国営放送のディレクターとして活躍

 不可能を可能にする信心


 ガンビーノさんは64年、ローマ生まれ、幼い頃からの悩みは、うつ病に
苦しむ母の存在だった。

 いつも落ち込み、泣いてばかりいた母から、優しさや愛情を感じられず、
常に”お母さんから逃げたい”と願い続けて育った。だがSGIに入会後、
題目を唱えながら自身と向き合うようになったガンビーノさんは、自分
にも母と同じ傾向性があることに気付いた。

 母も同じように苦しんでいる。苦しみたくて苦しんでいるわけじゃ
ない。そう思って、母の幸福を祈れるようになると、自身の態度も変わっ
ていった。学会活動を通し、親孝行の大切さや、不可能を可能にする信心
の実践を学んだ。
母と良好な関係を築くのは、まさに「不可能」を可能にする挑戦だった。

 信仰を始めて10年が過ぎた2003年には、けんかも少なくなっていた。
それでも、ガンビーノさんの心の底には、幼い頃からの母への怒りや
恨みがこびりついていた。

 ”もう宿命から逃げたくない!”……自分を支配してきた感情と今度
こそ最後まで向き合おうと決め、懸命に御本尊に祈り始めた2ヶ月後、
片頭痛で会社を休んでいたガンビーノさんのもとに母が見舞いに。
実家を離れてから自宅に母が来るのは20年間で2度目のことだった。

 「つらい思いをさせてごめんね。あなたが望むような母親じゃなくて
ごめん」

 娘の頭をなでながら語り掛ける母に、ガンビーノさんはずっと言いた
かった言葉を伝えた。「お母さんが望んでいたような娘じゃなくてごめん
でもお母さんのこと大好きだから」

「お母さんは、あなたのために何ができるかしら」
「一緒に題目を唱えてほしい。お母さんには、もっと幸せになってほしい」

 それから6ヶ月間、母は唱題の実践を通し、アルコールや向精神薬に
頼る生活を改善することができた。そして心臓発作で亡くなる前日まで、
それまでの生涯で見たことがないほど母は明るく穏やかだった。

亡くなった母の前で、信心に反対していた父もまた、題目を唱えてく
れた。もう一つの「不可能」が、可能になった瞬間だった。



 最高視聴率更新で専務賞

 放送ディレクターとして歩んできた日々は、決して順風満帆では
なかった。実力が全ての過酷な競争の世界。降格の憂き目に遭い、同僚
から嫌がらせを受けた時もあった。

 だが、どんな時も、イタリアSGIの先輩にアドバイスをもらいながら、
題目根本で一つ一つの課題に挑戦。「冬は必ず春となる」(御書1253
ページ)の一節を抱き締め、困難を乗り越えてきた。

 05年から「QB」がスタート。09年には、カンヌ国際映画祭のニュース
番組の制作も任せられ、最高視聴率を更新し、「専務賞」を受賞した。
そして、RAIとの期限付き雇用契約が無期限となり、ディレクターとして
の力量が高く評価されたのだ。

 「全てに信心で勝っていこうと決め、職場でも、SGIの座談会のような
暖かな雰囲気をつくれるように心掛けてきました。あらゆる障害を乗り
越えて、皆で成功を手にいれられるよう、そして皆が仕事で幸せを
感じられるよう、真剣に祈って臨んできました」

 ガンビーノさんの前進の原動力は、友人との仏法対話から湧き上がる
歓喜の力だ。毎朝、「私を必要とする地涌の菩薩に会わせてください」
と御本尊に祈念して出発する。
昨年と、一昨年も弘教を実らせ、これまでに15人を入会に導いている。

11年、一緒に暮らしていた最愛のパートナーが病気で亡くなった際には、
「彼の分も幸せになってもらいたい」と、パートナーの元妻と娘2人に
仏法対話。入会した娘の一人は信心でパニック障害を乗り越え、ガンビー
ノさんと同じ本部の女子部副本部長として共に活動する。

 ガンビーノさんは現在、婦人部副本部長。昨年は本部で新たに43人の
友が入会した。拡大の上げ潮の中、今年のサンレモ音楽祭の特集番組で
過去最高の視聴率を記録するなど、職場でさらなる実証も勝ち取っている。

「番組制作を通して、人間と文化を結びつけるのが私の目標です。
不可能を可能にするこの信心に徹し抜き、プロとして、そして仏法者とし
て、平和と社会のための価値創造にさらに挑んでいきます!」

  おわり

まとめ
世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(1)
世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(2)

『聖教新聞 2017/04/17(月)』

 

世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(1)

イタリア モニカさん 1.PNG
国営放送rai(イタリア放送協会)の
社屋の前で


 世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(1)

人間と映像を結ぶ映像制作
 イタリアSGI モニカ・ガンビーノさん

国営放送のディレクターとして活躍

 人気料理番組を10年担当


 イタリアの国営放送「RAI(イタリア放送協会)」で10年間、愛され
続けた料理番組がある。「”食い倒れ”がテーマの食文化の拠点。
最近、日本一高いビル建ったこの街は、大阪です!」

 リポーターが世界各国の都市を訪ね、街角の声や料理人へのインタ
ビューを行い、食文化を紹介する番組「QB」。一昨年まで毎週日曜の
午前に放映され、毎回、160万人が視聴。シリーズ最終盤では、アジア
各国の都市を特集した。

 番組を成功させた敏腕女性ディレクターのモニカ・ガンビーノさんは、
イタリアSGIのメンバー。30年間、RAIで番組制作の最前線に立っていた。
 
 「『食』を通して他国の文化を知り、差異に対して心を開いてほしい。
そう願って一つ一つのシーンに工夫を重ねて撮影しました。これほど
長期間、大勢の市民に見てもらえる番組は、なかなかありません。

池田先生の弟子として、イタリア社会に少しでも貢献したいという決意を
形にできたことをうれしく思います」

 ガンビーノさんは1992年、SGIに入会。高校卒業後、21歳から放送局で
働く始めて、7年が過ぎた頃だった。

 先に信心を始めた同僚が、わずか一カ月で驚くほど明るく変わっていく
姿を目の当たりにし、自分も唱題を実践してみることに。
「初めて題目を唱えて感じたのは自分への『信頼』を取り戻すような
感覚でした。あっという間に時間が過ぎたのを覚えています」

 唱題を続けると、高校生の時から悩まされてきた慢性疲労症候群の症状が
好転。いくら治療しても回復の兆しが見えなかったが、学会活動を始めると
以前より元気になっていく自分に気付き、信心の確信を深めていった。

 94年に御本尊を受持。同年、ミラノでの世界青年平和文化祭に映像関係の
スタッフとして参加。池田先生と握手する機会があった。

 陰に徹する人に光を当てる池田先生の振る舞いに感動し、それから
池田先生の著作を真剣に研さんするように。女子部のリーダーとして活動し、
婦人部では地区・支部の責任者としてメンバーのために尽くしてきた。

 「ディレクターの仕事には『勇気』と『創造力』が必要です。さまざまな
タイプの人と人間関係を築かないといけません。どんな人に対しても感謝の
心を抱き、何があっても勇気と希望を持ち続けられたのは、学会活動で自分
を磨くことができたからです」

イタリア モニカさん2.PNG
世界の各都市を巡る人気料理番組
「QB」の撮影に臨むガンビーノさん(右)


 つぎにつづく

まとめ
世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(1)
世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(2)

 『聖教新聞 2017/04/17(月)』


ブラボーわが人生 第28回 米一粒に師弟あり(2)


 信仰体験 ブラボーわが人生

第28回 米一粒に師弟あり(2)

 「題目あげでみろ。たまげるほどの幸せ感じっど」



 学会活動で福運も積まねばなんねべえ。みんなのうちさ行って、「題目
あげてみろ」と教えっけんども、石ぶん投げられるしよお。

 米沢とか山形とかの会合さ行ったもんだ。いい服着てんと陰で言われっ
から、洋服の上にジャンパー引っかけて、汽車さ乗んだ。

 帰りは汽車もバスも走んねえ夜中だからよお。真冬の猛吹雪に、50メー
トルおきの電柱を頼りに、歩いたっち。戦いだ。命懸けの戦いだ。
そうやって米一粒を作ってきたんだ。

 何事も御本尊様が先だんべ。新米お供えしてよお。「この一年、無事に
取らせていただいて、おしょうしなあ(ありがとうございます)」。
おれの田んぼは、題目の法味が詰まってっからよ。いい米がたくさん
取れたんだ。

 5年過ぎてからだな。「今までのこと、水に流してけろ」と村の人が
うちさ来たのはよ。

伊藤さん 2.PNG
50年前の伊藤さん(手前右)一家。
実りの秋に感謝


 山形の米は、ツヤっつうか、違うすね。どこの田んぼも青々と伸びた
年があったんだ。豊作でせわしなく働いた。もうすぐ刈り取りって時、
昭和42年の羽越豪雨に遭ったんだ。

 堤防を越えて、農道が川になってよお。田んぼが土砂で埋まったっす
めえ。「家が流されたってよかった。稲さえ無事でいてくれたらよお
……」。田んぼさ見て泣く老人がいたったもんなあ。

 おれの田んぼは脇に用水路があったから、無事だったんだ。刈り取りも
できたけんど、みんな早く御本尊様を持たせにゃ、かわいそうでよお。
信心さ聞かせて、「村が豊作になるようにお願いします」と題目あげた
んだ。

 昭和47年だな。池田先生が山形県隊体育館に来てくださってよお。
一緒に写真さ撮ってけだったなあ。その頃も庄内・最上地方で、河川の
被害が田畑に出たんだ。池田先生は御書を引かれたんだな。

「災来るとも変じて幸いと為らん」(979ページ)。すごい確信だこって。
おれは、生きてるうちにどこまでも題目あげるべ、と誓ったんだ。

 先生の話さ聞いてっと、土地改良した村のみんなが浮かんでよお。
ちゃっこい田んぼを大きくして、用水路も広げたんだ。変毒為薬だんべ。
おれは池田先生と米さ作ったど。うまい米になってけろや、って題目し
ながら田植えたんだ。

 米一粒に、農家の人生が詰まってんのよ。おれには見えんだ。だから、
ぶさたにしては(無駄にしては)なんねえの。米は命をつなぐものだべ。
「白米は白米にあらず・すなわち命なり」(御書1597ページ)。
米さ粗末にする人に、いい人いねえべっちゃ。

 父ちゃん亡くなって、昭和の終わりごろに田んぼをやめたんだ。
農家を引退しても、使命に定年はねえべ。ずっと題目。おれは題目切ら
さねえよ。題目ばあさんだ。
題目ながったら、別の人生になってたなあと思ってよお。

 今は近くの農家から米さ買ってる。その人は、おれの田んぼで作っ
てんの。あいや、おいしくてよお。まだ田んぼに題目の法味が詰まって
んだな。まんず、いがったな。

伊藤さん 3.PNG
家訓は「米一粒なげたり(粗末に)するな」。
ひ孫までしっかりと行き届く


 池田先生と記念撮影した折、「生きて生きて生き抜いてください」
と激励され、「百歳会」の結成があった。ちゑさんは責任の重さを感じる。
「自分だけ生きるのではなく、村の人みんなが100歳まで生きるように
祈らねば」。そこに「百歳会」の使命があると言う。

「題目の王者」と評される。東北の春の到来を物語るような不屈の歩み。
「あの時、勝ったから、こうしてられる」と、四面楚歌だった日々
を思う。

「題目あげてみろ。たまげるほどの幸せ感じっど」。友に語る言葉は、
今も昔も変わらない。

 ちゑさんの手を握った。日本の食卓を支え、気高い人生を築いてみせた
手は、
節くれ立った厚みのある手だった。山の残雪が解ける5月、飯豊の里に
田植えが始まる。(天)

おわり 『聖教新聞 2017/05/02(火)』

 まとめ
ブラボーわが人生 第28回 米一粒に師弟あり(1)
ブラボーわが人生 第28回 米一粒に師弟あり(2)


ブラボーわが人生 第28回 米一粒に師弟あり(1)

伊藤さん 1.PNG


 信仰体験 ブラボーわが人生
第28回 米一粒に師弟あり(1)

 「題目あげでみろ。たまげるほどの幸せ感じっど」


【山形県・飯豊町】暦は桜薫る4月でも、遠くの山はまだ白い。東北の
春は、雪解け水に感謝し、花咲く風を喜ぶ。ぬるむ田んぼに囲まれた
家を訪ねた。あるじは、米農家だった伊藤ちゑさん(97)=飯豊支部、
婦人部副本部長。凍てつく冬の厳しさにあらがうことなく、暮らしを
つないできた。その歩みに人間凱歌の輝きがある。


 まんず、御本尊様のおかげだと思ってる。いい時に信心したった
もんでよ。いろいろあっけんども、三障四魔から逃げらんねえもんだ
すな。

 おれは米さ作ってたんだ。田んぼは1町歩(約1ヘクタール)ぐれえ
あったなあ。米作りは土との戦いだ。土がよくねえと駄目だ。あんまり、
肥料やりすぎると枯れてしまう。そこらへんはほれ、熟練のさじ加減
だんべ。

 春に牛で耕して水かけてよお。そこのところさ種まくの。洗っても
爪の間の泥がとれねえ手は、働き者の手だ。夏には青々と伸びて、
秋には黄金色の穂が実るべ。そいつを鎌で刈ったら、指の拳(第二関節)
が太くなるわけ。

汗水垂らして作る米は、農家の人生が詰まってんのよ。
 やっぱり、飯豊山からくる雪解けの水がいんだべなあ。けんどよお、
そいつさ止められた時は、まいったべ。

 昭和35年(1960年)だ。東京の杉並から、信心した人が近くに来てご
ざった。座談会があるから行ったの。20人ぐれえ、いたったなあ。
おれ肝臓が悪かったっす。病気克服の体験を聞いてよお。

ああこれ以上の話はねえと思ったんだ。「信心する人と聞かれて、
おれ一人が手あげた。「この信心を貫けば、三障四魔が必ず起こる。
それでもいいか」。おれは「何言われても負げない」って話したば。

 集落長のうちさ行って、「信心した」と言ったのよ。そしたら、
「このバカ」と怒鳴られてよお。目つり上げて「集落さおかねえ」
んだと。

 そこへ、神社に寄付する話さ断ったもんだから、朝の4時まで公民館で
村のみんなに詰め寄られてよお。改宗を迫られたんだ。親友まで
そっぽ向かれてしまった。

 村八分にされたのさ。塩まかれんのはいいけんど、何よりつらかった
のは、田んぼの水さ止められたことだな。土が割れたんだ。そいつ見て、
「こんなことで負げでらんね」と父ちゃんと話したっけ。

 信心に憎しみはよくねえよ。それより題目だ。題目あげんだ。おれは
御本尊様に「相手の命を変えてけろ」と祈ったんだ。仏法は勝負ださけえ。
自分たちの姿をもって、実証を示していく以外にないのさ。

 三障四魔に負げねえよ。種をよ、御本尊様にあげて唱題すんだ。
おれの家はササニシキを作ってやった。人より早く田んぼさ出てよ。
昼休みなんて、ねがったっす。題目っつうのは、どこさ行ってもできる
もんな。一本一本苗植えながら、唱題したんだ。

 次につづく 『聖教新聞 2017/05/02(火)』

 まとめ
ブラボーわが人生 第28回 米一粒に師弟あり(1)
ブラボーわが人生 第28回 米一粒に師弟あり(2)


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世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)

パンジュワニさん 4.PNG
人種や平等をテーマに、インドの高校生たちを
啓発するワークショップで(パンジュワニさんは右端)


世界の体験プラザ
 子供の人権守る・教育コンサルタントとして活躍

 
 インド創価学会 マンシ・アルン・パンジュワニ

 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)

 「競争」よりも「共感」を育む

 池田先生は、創価大学を創立された当時から今日まで一貫して、「人格
を形成」し、「平和への知性」を与え、「社会への貢献」を教える
「人間愛の教育」こそが最も必要だということを訴えてこられました。

 12年、私は中米コスタリカにある国連平和大学の「平和教育」修士課程
に進学することができました。しかも、インド人としては同大学史上
初めて、全学費免除の奨学生に選ばれたのです。

 帰国後は、インドの複数の州やアフリカのウガンダにある教育機関で、
平和構築のためにフリーランスのコンサルタントとして働き始めました。
取り組んだのは、「競争」よりも「共感」という視点で学生のリーダー
シップを育む訓練です。

 15年、日本を訪れて念願だった広宣流布大聖堂での誓願勤行会に参加
しました。池田先生はお一人で、世界中の何百万という人々を励まして
こられたのだと実感し、一人の人間が持つ無限の可能性に、あらためて
、気付かされました。

 また、この折に広島平和記念資料館も訪問し、核兵器の悲惨さに平和へ
の決意をさらに深くしました。

 16年、再び訪日するに当たり、池田先生に勝利のご報告をしょうと決意。
安定した長期プロジェクトに参画できるよう、祈りながら努力しました。

 すると、日本に出発する前日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)から、
インドの五つの州の教育カリキュラムを再構築する仕事を引き受けてもら
えないかと依頼されたのです。

 本年、そのプロジェクトを無事に終え、現在は、ノーベル平和賞を受賞
したカイラシュ・サティアーティ氏のNGOで子どもの人権を守る教育
カリキュラムを構築しています。

 勝利の結果は、これだけではありません。

 弟の入院をきっかけに、姉弟の温かい愛情を取り戻すこともできました。
さらに母もうつを乗り越え、自分の人生を力強く歩みだしました。

 思えば、私は父の病気によって仏法に巡り会い、母の病気によって信心
を強めることができたのです。難と戦い、宿命転換することができました。

 明年の大聖堂完成5周年を次の目標に、平和・文化・教育のためにさらに
力を尽くしていくとともに、女子部のリーダーとして、担当する全同志の
幸福と成長を祈り、走り抜いていく決意です。

パンジュワニさん 5.PNG
インド「value creation」誌


 おわり 『聖教新聞 2017/04/24(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)
 

世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)

パンジュワニさん 1.PNG
フリーランスの教育コンサルタントとして数
多くの機関や団体と平和教育を推進している


世界の体験プラザ
 子供の人権守る・教育コンサルタントとして活躍

 
 インド創価学会 マンシ・アルン・パンジュワニ

 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)

創価の世界の真心の暖かさ

 
 幼い頃の私は、両親や友達と衝突を繰り返し、成績も最悪で、
追試を受けなければ進級すらおぼつかない劣等生でした。
将来の夢を尋ねられると、悪びれもせず「世界を変えること」と大見え
切りながら、勉強は後回しにしていたのです。

 そんな時、父にすい臓がんが見つかり、「余命3ヶ月」の宣告を
受けました。父の病苦を乗り越えようと、一家でインド創価学会に入会
しました。2002年のことでした。

 SGIの同志たちは、それこそ父と面識のない人までが、時間をこじ開け
るようにして、懸命に題目を送ってくれました。創価の世界のあまりの
暖かさに、私は感動で胸がいっぱいになりました。

 私は、せめて両親の喜ぶ姿が見たいと願っていました。すると、未来部
の担当者が「そのためには勉学でベストを尽くそう」と励ましてくれま
した。

 日々、勤行・唱題を重ね、池田先生が未来部の友に贈った『青春対話』
を同志と研さんしつつ、勉学に猛然と挑戦しました。両親は、娘が大きく
変わったことをとても喜び、私を誇りに思ってくれるようになりました。

 アメリカ創価大学(SUA)が「貢献的人生を生きゆく世界市民の確固た
る潮流を築く」との理念を掲げていることを知り、私は受験を決意して
さらに勉強に打ち込みました。

 父は、宣告された余命を1年半も延ばし、仕事を続けながら日々に
目標を持って、朗らかに人生を楽しみ切りました。自身の病によって、
私たち家族をSGIの仏法へと導き、翌03年に霊山へと旅立ったのです。


パンジュワニさん 2.PNG
ウガンダで教員の指導に当たるパンジュワニさん
(左から2人目)

パンジュワニさん 3.PNG
最愛の家族と共に。
左端がパンジュワニさん


一家和楽”勝利”の笑顔

 唱題で開いた「使命の道」

 その後も、試練の波は次々 と押し寄せました。

 父の死後、母は悲しみからうつの傾向が強くなり、弟は態度が粗暴
になって、家族に完全に心を閉ざしてしまいました。私はSUAへの
合格を勝ち取ったものの、家庭の経済状況を考えて進学を断念せざるを
得なくなったのです。

 すっかり自信を無くし沈み込んでいる私に対し、SGIの同志は”
自身の使命の道が開けるよう、いや増して唱題しょう”と励まして
くれました。

 ニューデリーの大学で学びながら、学会活動にも全力で取り組みま
した。唱題に唱題を重ねていくうちに、歓喜あふれる自分になっていく
のが分かりました。

 大学院では「紛争解決と平和構築」をテーマに修士号を取得。
卒業後は、インドの恵まれない子どもたちに教育支援するNPO「ティーチ
・フォー・インディア」に就職することができました。

 私は感謝の思いを込め、初任給の中からSUAに寄付することにしました。
自分はSUAに行けなかったけれども、そこで学ぶ学生のために、何か
お役に立ちたいという思いからでした。

 ここでは、3年間の経験を積みました。挑発を受ければすぐに暴力に
頼っていた子どもたちが、対話によって問題解決を図っていく姿に、
人は変わっていけるという事実を目の当たりにしました。

 幼い頃に、私自身が経験した劣等感は全て必要なことだったのです。

 2につづく 『聖教新聞 2017/04/24(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)

青年大会から歴史動かせ 北海道の若人が総立ち

青年大会 北海道 1.PNG

青年大会 北海道 2.PNG

「一人の力が世界を変える」をテーマに行われた北海道・三代城創価
青年大会のフィナーレの演目。集いの最後には、戸田北海道青年部長
を中心に、師に届けとばかりに全員で万歳三唱を。
竹岡青年部長、清水総合女子部長らが激励に駆け付けた
(札幌市の真駒内セキスイハイムアイスアリーナで)

 青年大会から歴史動かせ

 北海道の若人が総立ち

 札幌・真駒内で1万人が一堂に

 北の大地に新生の春を告げる北海道の「三代城創価青年大会」が4月30日
、札幌市の真駒内セキスイハイムアイスアリーナで盛大に開催され、
全道から1万人超える友が一堂に集い合った。

 これには池田先生が祝福のメッセージを贈り、広布開拓に励む友の奮闘
に心からの称賛を寄せた。

 また、大会には、北海道の各界から多数の来賓が列席した。席上、来賓
を代表して高橋はるみ道知事、札幌市の秋元克広市長があいさつ。
青年と熱と力がほとばしるステージに喝采を送った。(3面に詳報)

青年大会 北海道 3.PNG


島津亜矢 岸壁の母 youtube



島津亜矢 岸壁の母.PNG
島津亜矢 岸壁の母 youtube

母は来ました 今日も来た
この岸壁に今日も来た
おどかぬ願いと知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて
………。

島津亜矢さんはこの「岸壁の母」を歌う前に二葉百合子さんに
伺い、許しを得て、了承され、指導も受けたそうです。


アフリカに広がる地涌の連帯 仏法の人間主義を社会へ

アフリカの友 1.PNG


5.3「創価学会の日」「創価学会 母の日」記念
世界広布新時代 第25回 本部幹部会
SGI春季研修会 聖教新聞配達員大会 から(要旨)

 アフリカに広がる地涌の連帯
仏法の人間主義を社会へ

 活動報告
トーゴSGI イダ・ボドス・アジェビ議長

 一、トーゴ共和国は、かつて池田先生が長編詩で「西アフリカの真珠」
と讃えてくださった通り、広大な自然に囲まれた、とても美しい国です。

 女性は皆、働き者で、気さくで親切です。男性は、そんな女性の
おかげで少しのんびりしてます。私は、23人きょうだいの大家族の中で
育ちました。姉の一人が看護師だったこともあり、幼い頃から医療に
関心を持ちました。

 中でも出産後、満足に治療を受けられず、時には命まで落としてしまう、
お母さんたちの存在を知ったことは心に深く突き刺さりました。
大きくなったら、こうした人たちの力になりたいと、懸命に勉学に
励みました。

 高校を卒業後、1968年に国の奨学金を得て、セネガル共和国のダカール
大学医学部に進学。その後、さらにフランスの大学院でも学びました。
 
 そんな78年に、一人目の男の子を授かりました。しかし、相手の男性
とは未来を共有することができず、一人で子育てする道を選びました。
生計のために医療施設で働き、やがて博士論文の執筆も手付かずに
なりました。

 午前6時に息子を託児所に預け、午後8時に迎えに行く毎日を過ごして
いたある日、託児所の所長が私をSGIの座談会に誘ってくれました。

 メンバーの暖かな雰囲気、力強い題目の音声に心から感動し、私は
すぐに実践することを決意しました。80年6月に御本尊を受持。
題目を唱え抜く中で論文の執筆も順調に進み、夢であった医学博士となる
ことができました(拍手)。

 一緒の時期に信心を始めた夫と出会えたことも、私の最高の功徳です。
81年10月に結婚し、82年には共にトーゴに帰国。私は産婦人科医として、
首都・ロメの大学病院に勤務しながら、トーゴ広布への第一歩を
踏み出しました。

当時、国内に同士は一人もいませんでしたが、一人また一人と仏法を
語り抜きました。


アフリカの友 2.PNG
アジェビさんが開設した「ミョウレンクリ
ニック」。今も院長として、出産前の診断、
分娩、婦人科の手術などに携わる(ロメで)


 良き市民として

 一、少しずつ、題目を実践する人が増えてきた頃、ロンドンから
2人のメンバーが移住し、84年4月1日、初めて座談会を開くことが
できました。

この時に集った20人からトーゴ広布の歯車は、ゆっこりと回転を始め
ました。

 もっと座談会を充実させたい。もっと御書を学びたい。この情熱の
ままに、車で国境を越え、隣国のガーナSGIの同志のもとに向かった
こともありました。

 そして85年8月、トーゴにも待望の地区が結成されました。(拍手)
私は地区部長として、同志の激励に奔走しました。伝統宗教の信仰者、
キリスト教徒、イスラム教徒が大多数の中、私たちは良き市民として
の行動を貫き、団結して、あらゆる困難に挑みました。

 この頃、私にも宿業の嵐が襲ってきました。3人目の息子を死産で
失ったのです。

 医師として、広布のリーダーとして、皆の前では毅然と振る舞おうと
心掛けました。しかし、家に帰ると毎晩、悲しみに押しつぶされそう
でした。

 ただただ御本尊の前に座り、時間を忘れて唱題しました。その中で、
医師である前に、広布のリーダーである前に、一人の人間として、
この悲しみを乗り越えることが、私と亡き息子の宿命転換だと
気付きました。

徹して御書を学び、一日一日を懸命に戦い抜きました。92年、トーゴに
支部が誕生した時の喜びは生涯、忘れられません。


アフリカの友 3.PNG
「トーゴ平和会館」開館式の参加者が喜びのカメラに。
同式典には、各界の来賓も参加し、「トーゴSGIによる
平和のためのあらゆる運動を、私は支援します」などの
声が寄せられた(昨年3月、首都ロメ郊外で)


 医療で祖国に貢献

一、さらに99年、私の仕事にも転機が訪れました。母と子の幸福を
目指す私の医療に賛同してくれる人が現われ、ロメに産婦人科病院を
開設することができたのです(拍手)。

 病院の名前は、皆が妙法蓮華の当体であるとの意義を込め、「ミョウ
レンクリニック」と名付けました。診察では、私自身が深い悲しみを
経験した分、どんなささいな兆候も決して見逃すことなく、常に不安な
お母さんに寄り添う医療を心掛けました。

 そうした積み重ねが評判を呼び、国内全土から妊婦が集まるように
なりました。

 今では助産師の研修の受け入れ、国立病院との提携などを通して、
私の培ってきた経験が、わが国の医療技術の向上に役立っています。

 さらに、病院の評判を聞き付けた国営テレビ局から、番組の
医療相談コーナーへの出演を依頼されました。
視聴者からの相談に、診察室と同じように真心を込めて答えていた
ところ、これが好評を得てレギュラー番組になりました。

今では毎週水曜日と金曜日の朝の30分、司会者と2人で出演。
視聴者からは、”イダお母さん”の愛称で呼ばれています。

 現在、この番組は、コートジボワール、カメルーン、ブルキナファソ
、等々、アフリカのフランス語圏の7ヵ国をはじめ、ヨーロッパや
アメリカ、アジアでも衛星放送されるようになりました。(拍手)

 私の知識が世界中のお母さんの安心に生かせることに、大きな喜びと
功徳を感じています。

 一、トーゴSGIも発展を続け、現在は1総合本部・13本部の陣容となり
ました。

 昨年3月には、待望の「トーゴ平和会館」が完成(拍手)。
政府関係者など多くの来賓や隣国の同志を招き、盛大に開館式を
行いました。

 近隣の方々は当初、なじみの薄い仏教の施設を不審げに眺めていま
したが、喜々として集う幸福そうなメンバーの姿に理解を深め、
今では会館があることを町の誇りにしてくださっています。

 開館から1年、今までの倍以上の勢いで折伏も実り、35年前、一人に
語ることから始まった広布の拡大は、2700人を超える地涌の陣列へと
広がりました(拍手)。

 池田先生が呼び掛けてくださった「アフリカの世紀」は今、厳然と
幕が開きました。

 アフリカの幸福のために、正義のために、人々は日蓮大聖人の仏法を
待ち望んでいると確信しています。池田先生の人間主義の哲学のもとに、
さらに多くの青年を糾合し、必ずや私たちの手で、幸福と平和の新時代
を築いていきます(拍手)。

  『聖教新聞 2017/04/24(月)』


 いちから組織を作っていく、すごいな!こんなすごい人でも
誰かが折伏しなければ、仏法に縁することはなかった。
人の人生は縁することによって、変わっていく。
彼女はまさに「地涌の菩薩」だ。

 この「(愛称)イダお母さん」に「あっぱれ!」で賞


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