聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

信仰体験 平和の祈り 絵筆に込め 在日コリアンとして生きる(2)

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寛康さん(右)と妻の房子さんに、初夏の日差しが降り注ぐ


信仰体験

平和の祈り 絵筆に込め
在日コリアンとして生きる(2)


教員を辞め、リサイクルの商売を始めた。
「実証を示す。そこにこそ信頼は生まれる」。
大げさではなく、命懸けだった。

信心を根本にした商売は当たった。取引先も増え、78年には
3階建てのビルを建てた。オフィス家具・キッチン用品の
総合デパートとして、県内に展開した。

何よりうれしかったのは、苦労続きの祖国に母へ仕送りが出来たこと。
幸せに暮らせる、と連絡があった。韓国に対して「文化大恩の国」
と敬意を払った、池田SGI会長には「感謝しても感謝しきれない」。

94年11月1日付の本紙に載った写真が目に飛び込んできた。
そこには、パジ・チョゴリ(男性用)とチマ・チョゴリ(女性用)
を着用したSGI会長夫妻の姿があった。

胸を貫かれた。「とてつもなく勇気のいること」だと感服した。
その切り抜きを額に入れて、同胞に見せた。
「我々の過去を正しく認識している日本人がいたのか」
と涙する友がいた。北も南もない。

在日という民族的な偏見もない「妙法でしか世界平和は、なし得ない」
という哲学が、世紀の災禍を生き抜いた命に響いていた。
現在は仕事を息子に任せて、仏法を語り歩く。

時間をかけて、絵筆も握る。「絵は自分の歴史をとどめたもの」。
白いカンパスに描くのは戦争の色がにじむ景色から、
孫の笑顔に変わった。

九州国際部・無窮花(ムグンファ)友好グループの友と、
敢闘の前進を続けた日々。「池田先生に恩返しがしたい一心」
で、誠実を尽くした。その汗が、忌まわしい過去を、
平和への覚悟へ昇華させた。

そのことを伝えたい人がいた。母だった。
人生のはかなさを静かに見つめ、苦労の中に生きた母。
描いた肖像画は、硬い表情のようでもあり、
ものに動じない強さもにじむ。生きていれば伝えたかった。

「一緒に題目をあげよう」。きっと喜んでくれるだろう。
そう思い、”天の衣”を着た祖国の美しき母を描いた。
       (聖教新聞)

 おわり

平和の祈り 絵筆に込め、在日コリアンとして生きる まとめ
平和の祈り 絵筆に込め、在日コリアンとして生きる(1)
平和の祈り 絵筆に込め、在日コリアンとして生きる(2)


公明は「大衆と共に」の精神貫け

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公明は「大衆と共に」の精神貫け

永石 一つ目は「小さな声を聴く力」ですね。
国と地方の議員ネットワークは熊本地震でも発揮されました。
公明党議員は真っ先に被災地へ駆けつけ、復旧・復興に
尽力してきました。

長谷川 被災地の要望を受け止めて公明党のリードで、
熊本地震の義援金差し押さえ禁止法も、5月にスピード成立しました。

この法律により、被災者が住宅ローンなどの債務を抱えていても、
全国から被災者に届けられた真心の義援金を、金融機関が
差し押さえできなくなりました。

清水 ほかにも、街のバイアフリー化やストーカー規制の強化、
難病支援の拡充など、数多くの実績を残していますね。

永石 二つ目は、「生活実感に根差した政策を実現する力」です。
約半世紀前から訴えてきた、返済する必要がない「給付型奨学金」
の創設を政府方針に明記させたのも公明党です。

橋元 消費税の軽減税率導入や、医療費負担の上限を引き下げる
高額療養費制度の改善など、国民生活に直結した政策も、
数多く実現してきました。

永石 そして三つ目が、「平和外交を進める力」です。
公明党は「対話」で突破口を開き、独自の交流を重ねてきました。

橋元 民主党政権で日中・日韓関係が冷え込みましたが、
政権交代後、公明党の山口代表は、中国の習近平国家主席や
韓国の朴 槿恵大統領と直接会談し、日中・日韓の首脳会談の
実現につなげて関係改善をリードしました。

原田 こうした「三つの力」を、公明党が連立政権で発揮
することにより、国民のニーズを幅広く捉え、
安定した政治を進めることができたのです。

”日本政治の良心”

長谷川 九州大学の薮野祐三名誉教授は、連立政権での
公明党の役割について、こう期待を寄せています。

「『地方創生』と『一億総活躍社会』の看板は自民党が
提示したわけですが、中身(政策)の具体案を提言
できるのは、自民党ではなく公明党なのです」

「今こそ公明党がどんどん具体案を出し、自民党に
足りないところをカバーしてほしい」

永石 また政治評論家の森田実氏はこう語っています。
「日本国民にとっての希望は、日本政治の良心である
公明党の躍進です。”公明党政治”の拡大が
最良の選択の道なのです」

原田 結党から半世紀。公明党が日本政治に不可欠な存在に
なっていることは間違いありません。「大衆とともに」
の立党精神は、いやまして強く光彩を放っています。

公明党は「希望が、ゆきわたる国」の実現へ立党精神を
貫き、日本の未来を開いてもらいたい。


2016/7/4(月)「大阪の戦い」から60年
新時代の「まさかが実現」を

  (聖教新聞)

公明は豊富な実績を語り抜け 2016/07/07

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公明は豊富な実績を語り抜け

選挙目当てな野合


竹岡 日本社会における公明党の重要性を、
各界の識者が称賛しています。
一方で、消費税などの基本政策の違いを棚上げにして、
選挙目当てに連携する民進党と共産党などの各党は、
無責任極まわりない”野合”と批判されています。

清水 両党は経済政策についても、与党批判ばかりで、
有効な対策がなく、こうした政党に、日本経済の
かじ取りを委ねれば、「混乱と停滞」を招くと指摘されます。

竹岡 防衛費を「人を殺す予算」と発言し、党役職を辞任した
共産党の最高幹部もいました。こんな政党にも、この政党と
共闘する政党にも、国民の安全と生活を任せられません。

原田 私たちが支援する公明党には、景気・経済、子育て・教育、
震災対策など、国民に誇れる豊富な実績があります。

清水 奨学金の拡充や、就職環境の改善、携帯電話を安く便利にした
公明党は、「若者の味方」です。

竹岡 公明党の主張によって、返さなくてもいい給付型奨学金の
創設も、現実味を帯びてきました。

永石 さらに、児童手当の拡大、幼児教育の無償化、妊婦・出産の
サポートなど、「子育て家庭」も強力に支援しています。

原田 育児休業給付金の引き上げ、女性管理職の割合を増やす
法律の施行など、「女性の活躍」の後押しもしています。

長谷川 白内障手術の保険適用、低所得者への給付金、
バイアフリーの拡大など、「高齢者に優しい社会」の建設にも
全力を挙げています。

原田 「希望」を地方や中小企業、個人や家計に行き渡らせるため、
年金の受給資格の条件緩和も検討しています。
今まで25年だったものを、10年以上払った方は、
年金が受給できるように提案しているのです。

永石 昨年、全国では発売され、大好評だったプレミアム付き
商品券のさらなる推進も訴えています。

原田 国民のために、真剣に汗を流しているのは誰なのか。
公明党は、その実績を大いに語り、今回の選挙戦、
絶対に勝ち抜いてもらいたい。

       (2016/07/07・聖教新聞)

世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(1)

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世界の体験プラーザ
差別・人種間紛争解決への教育を推進(1)

内なる変革が社会変革の力に
ロンドン大学ゴールドスミス校講師

イギリスSGI デイビッド・ウッジャーさん


いじめに苦しんだ少年時代

生まれ落ちた時から、母を知らない。出生証明書には、
父に関する記述もない。生後3カ月で、
白人のウッジャー家にもらわれた。

19歳まで、イングランド北西部に住んだ。ここで、
絶え間ない人種差別の苦しみを味わった。
同年代の学童たちから毎日のように受ける差別発言、
いじめ、暴力に、周囲の教師たちは気づかない。

誰にも言えない、助けてもらえない。
孤独と、恐怖と、自己卑下を抱えながら、思うのだった。
「周りの子たちのように、はくじんだったら、、、」。
毎晩、泣きながら寝入った。

インド人を生母とする、デイビッド・ウッジャーさんは、
そんな少年時代を送った。「子供のころのこの苦痛、
苦悩は、青春期には、祭殿ない不満と怒りになっていた」
とウッジャーさんは言う。

怒りは、政治批判へと向かう。暴力こそは使わなかったが、
「大学でも、社会に出ても、どこでも私は、混乱を組織し、
リードする存在でした。」

社会科学と、ソーシャルワークの学士、修士号を取得。
次いで、コミュニティーワーカー(地域援助の専門職)
として、自治体で働くことに。

自分の”怒り”のもとである社会を、変えたかった。
「地域社会の権利を守り、不正義と戦うコミュニティーワーカー
は私にはぴったりの職業でした」

西ロンドンの黒人・少数派が住む地区が、その最初の仕事の場。
だが、すぐに上司と衝突。裁判に。職員の間で、大騒動になった。
裁判には勝ち、補償を得たが、心はむなしく、寂しかった。

1993年のこと。一人の先輩の仕事ぶりに目を見張った。
「白人なのに、黒人などへの差別問題に真剣に取り組み、しかも、
とても効率的、かつ持続的な方法で、感心しました」

その尊敬する先輩が、時折、イギリスSGI(創価学会
インタナショナアル)
の仏法の話をしてくれるようになった。

(聖教新聞 2016/06/27)

まとめ
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(1)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(2)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(3)


世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(2)

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上、制度的差別などを学ぶ学生たちと(左から2人目がウッジャーさん)
下、ロンドン大学ゴールドスミス校の校舎前で

世界の体験プラーザ

差別・人種間紛争解決への教育を推進(2)

内なる変革が社会変革の力に

宿命を使命に転換する仏法


会合に出席。「正直なところ、私の心を占めていた”怒り”のせいで
、なぜこんなにいい人ばかり集まっているのか、と反発を覚えました。
語り合う程に、皆の心に包み込まれていく感じがする。
それが、かえって嫌でした」

「題目は絶対にあげない」と決めながらも、まずは学んでみようと
読んだ仏法の生命哲学は、新しい発見に満ちていた。
「人間の不幸の根本原因は、政治的不公正、社会構造にある」と
言う考えが、根底から揺らいだ。
ふるえていた
「人間の内なる変革、個人の人格的変革が、社会変革に
つながるという仏法の視点に、眼を開かれたのです」

こうして、初めて題目を唱えた時、仏法に出会ってから、一年が
たっていた。
「その時のことを鮮明に覚えっています。涙があふれました。
喜びの涙と、生みの親への感謝でした」
94年、御本尊を受持。

小説『新・人間革命』のある箇所に、衝撃を受けた。
初訪米した池田SGI会長が、シカゴの公園で、仲間外れにされる
黒人少年を見かけた場面だ。

「伸一は、強い憤りを覚えた。彼の拳は震えていた。それは、
”黒人”の少年への非道な仕打ちが罷り通る社会に対する、
やり場のない怒りといってよかった」(第一巻「錦秋」の章)

「これを読んで、泣きました。私の経験が思い出されたのです。
池田先生は、私の気持ちを分かっている、真剣に信心していこうと
思いました」

もはや、逡巡はなかった。「100%、活動に全力投球していきました」。
それとともに、”怒り”が消えていった。
「自分の過去の体験から、価値を生み出す戦いを、自分の使命としよう。
この悲しみと怒りを変える、究極の責任は、誰でもない、自分自身にある。
これからは、自分も人も幸せにするSGIの活動に、私の人生を捧げよう」
、、、。

”宿命”を”使命”と捉えると、自身のアイデンティティーへの不安から
解放されていくのを感じた。

第3につづく (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(1)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(2)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(3)


世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(3)

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宗教間対話プロジェクトで発言するウッジャーさん(左から2人目)


世界の体験プラーザ
差別・人種間紛争解決への教育を推進(3)

宗教間の対話にも取り組む


生母の行方を探してもみたが、あと一歩で果たせなかった。
「でも、この頃の私は、自分の出自を前向きに捉えられるようになっていて、
母と会えなくとも、幸福になろうと思いきれたのです」

「自分の変革なくして、社会の変革はない」との思いは、自らの信仰活動を
促す力となった。「一人の人間における変革が何より大切」
との確信を励みとして、同志の激励へと向かった。

別の自治体に移った。制度的人種差別に関して、上級管理職への助言が、
主な仕事。これを通して、医療やユースサービス(青少年支援)
などの公共サービスで、白人と黒人や少数派との間にあった差別を
変えるなど、弱い立場の人々を力づけることに、多くの成果を挙げた。

ロンドン大学ゴールドスミス校の講師に就任したのは、支部の男子部
リーダーとして活動していた、95年のこと。以来、制度的差別や、
人種間紛争の解決、若者の犯罪、学校教育など、多彩な分野での
教育を展開してきた。

全国副男子部長などを歴任。今は、イギリスSGI壮年部長を務める。
イギリスSGIが推進する宗教間対話の取り組みの一つである。
「三大宗教コミュニティープロジェクト」では、同プロジェクトを
リードしてきた。

「互いの”違い”を乗り越えて、どう地域内の融和を図っていくか、
を考えていくためのものです」イギリス内務所の支援のもと、
2008年に発足したこのプロジェクト。

南ロンドンのキリスト教、イスラム、SGIの若者たちの代表が、
会議やワークショップ(研修)による対話と共同作業を展開。

多くの参加者から、「自分の形にはまった相手への見方が、変わった」
などの声が寄せられた。

52歳。イザベル・メイ夫人は地区婦人部長。幼い2人の娘がいる。
ウッジャーさんは、力強く語る。

「もう、私は、破壊的な”怒り”に縛られた犠牲者ではありません。
仏法により、怒りをはじめとする私の資質の全てが、建設的な方向へと
生かされました。
これからも、真実に人種間の平等に基づいた、より思いやりのある
社会を実現していくこと。それが、私のビジョンです」

おわり (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(1)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(2)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(3)

(br)

信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(1)ひらめき

信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く
1平田さん .PNG

80歳の凄腕技師

さいたま市桜区 真夏を思わせる6月のある日。
平田誠之さん(80)=白鍬支部、副本部長=
が勤務する(株)アクティブでは、高速道路の補修工事で使用する
「完全無水ワイヤーソー」の組み立てを行っていた。
若手社員が、ワイヤーをセットし、電源を入れる。

その動作を確認しながら、目を輝かせる平田さん。
「やっぱり新品は軽快で、音がいいね」。機械をなでる姿から、
自身の開発した製品への誇りがあふれる。信仰と出会い、
”もう一歩、あと一歩”と挑戦に次ぐ挑戦の歩みを繰り返してきた。

ひらめき

高速道路や線路の橋脚の補修工事で、鉄筋コンクリートの
構造物を切断する。その際、使用されるのが、ダイヤモンドチップ
が埋め込まれたワイヤーを高速回転させる機械。

従来は、ワイヤーソーの摩擦熱を冷却し、飛散する粉塵を
抑えるために、水をかけることが一般的だった。

だが、2008年(平成20年)に、平田さんが開発した
「完全無水ワイヤーソー」が、業界に改革をもたらした。
水を使用しないことで、汚泥の処理作業を不要にし、
工期の短縮を実現。発注元の工事費削減にもつながった。

「業界の常識では、水を使わないでコンクリを切るなんて不可能。
ワイヤーメーカーと何度も打ち合わせをして、試行錯誤の繰り返し。
何よりも、現場で働く職人の声に耳を傾け続けました」


開発までに要した期間は10年。無水が実現したことにより、
電気系統のトラブルが命取りになる鉄道施設や、水処理が
困難とされてきた室内の現場でも、安全かつ迅速に工事を
行えるようになった。

「私の場合、発明というのは、考えて考えて、四六時中考え抜いて、
それでも思いつくことは、ほとんどない。ひらめく瞬間は
題目を唱えている時です」

常に自分に言い聞かせてきたのは、「湿(しめ)れる木より火を
出(い)だし乾(かわ)ける土より水を儲(もう)けんが如く
強盛に申すなり」(1132ページ)との御書の一節。

「この御文が、どれほど真剣に祈れるかという姿勢を教えて
下さっているかと思うと、”まだまだ”と身が引き締まる思いです」

第2回へつづく (聖教新聞)

まとめ
信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(1)
信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(2)
信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(3)

信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(2)

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信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(2)

”不可能を可能にした新工法”で
発明大賞 文部科学大臣賞

かがやき


先に信心を始めたのは、妻・鈴恵さん(77)=支部副婦人部長=
だった。平田さんは、”鬼のように”反対してきたが、内心では、
信仰の力を実感していた。

「引っ込み思案だった妻が、どんどん前向きな性格になっていくのを
目の当たりにしてましたから」当時、自分の工場を持つことが 
夢だった。しかし、条件に合う物件に出会えずにいた。

職場の部下から「オヤジさんも、ぼつぼつやる時が来た」と。
何度も信心を勧められた。妻に遅れること13年、1977年(昭和52年)
に入会する。その後、念願の工場を手に入れ、鉄工所の社長として、
仕事、学会活動に励むようになり、埼玉の天地を駆けた。

池田SGI会長との初めての出会いは、85年9月。
川口市内で開催された埼玉青年平和文化祭の終了後だった。
別の会場に移動したSGI会長と一瞬の出会い。

「あの瞬間、社会で実証を示す人生を生き抜くと誓いました」
そのためには、”学会活動が根本”と、支部長も13年にわたり務めた。
”いつか、現場仕事だけでなく製品開発にも携わりたい”。
胸に秘めていた思いがかなったのは、90年(平成2年)。

土木・建築工事を専門とする会社から、「技術研究所に迎えたい」
と声を掛けられたのだ。54歳の時だった。

「スムーズな施工のための技術を研究する部署でした。
でも、実質、私一人。培ってきた技術はあるけど、どうやって
開発すればいいか。教えてくれる人もいない。まずは機械を分解して
構造を調べるところから始めました。それこそ休日返上でね」 
           
コンクリートの強度を増すアンカーボルトやワイヤーソーなど、
工事現場に合わせて、これまで発明した製品は、役50点に上る。
「開発し、世に出たといっても、完成品ではない。

もっと改善すべき点はないか。もっと喜ばれる製品に出来ないか。
考えるのは、常にそこです」と語る平田さん。

「完全無水ワイヤーソー」が、不可能を可能にした新工法として、
第34回「発明大賞」や文部科学大臣賞を受賞した後も、改良を重ねてきた。
そうした堅実な取り組みが業界発展に寄与したとして、2011年、
黄綬褒章にも輝いた。

第三回へつづく (聖教新聞)

まとめ
信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(1)
信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(2)
信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(3)

信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(3)

3平田さん .PNG


信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(3)

”不可能を可能にした新工法”で
発明大賞 文部科学大臣賞

よろこび


3年前に一度、現役を引退した平田さん。
それでも”まだまだ自分にやれることをやろう”と、
かつての仲間と(株)アクティブを立ち上げ、取締役本部長として
奮闘している。

土木・建築業界に広く知れ渡る平田さんの存在。
凄腕技師の名を頼って、大手建設会社などから製品開発や工事の依頼が
途切れることはない。

現在担っている主要な業務の一つが、建物の保護・耐震強化。
1926年(大正15年)に建設された北海道札幌市内にある歴史的建造物を
、有名菓子店として改装オープンさせるというプロジェクトの
一翼も担った。

建物の壁に高く積み上げられたレンガの中央部分に、直径3センチほどの
穴をあけ、上から下までワイヤーで縛り上げることで
建物の強度を増す工法。

「歴史的建造物や文化財の保護というのも、私たちの役割の一つ。
目に見えない部分だからこそ、使命は大きいのです」
こうした所で活用できる機械も、現在、考案中という。

難題のプロジェクトを前に、”本当に実現できるのか”と、
不安で眠れない時もある。その分、成功した喜びは大きいとも。

「祈り抜き、あらゆる手を尽くして、あと一歩の挑戦を重ねる。
その姿勢を貫く先に必ず勝利はある!」年齢を感じさせない話しぶりと
目の輝きに、一つに道に徹し抜いた者の力強さがにじんでいる。

おわり (聖教新聞)

まとめ
信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(1)
信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(2)
信仰体験 あと一歩の挑戦が勝利を開く(3)


体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!(1)

魚谷尚代さん.PNG

体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!(1)

番長、落語家、子豚・・・・。さまざまな役柄になりきり、
エネルギッシュな演技で観客を魅了する舞台役者・魚谷尚代。
所属している大阪の劇団では一般公開のほか、
全国の小・中・高校での学校公演や実践指導などを通し、
演劇の普及・発展にも努める。
19歳で創価学会に入会した彼女が見つけた”最高の幸せ”とは。
さあ、”魚谷尚代の青春劇場”の始まり始まりー。


舞台役者 魚谷尚代さん
「私、『顔がうるさい!』って、よく言われます(笑い)」。
目の前の一人の笑顔のために、全力投球で稽古に励む魚谷さん。

プロフィル
うおたに ひさよ 和歌山県生まれ、大阪府河南町在住。
大阪芸術大学大学院を修了し、舞台役者に。
劇団の倒産から再起し、今では新たな劇団で役者や
講師として活躍。
介護施設での音楽療法や、演奏、作曲活動にも力を注ぐ。
総県女子部主任部長。河南支部。


体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!(1)

〈和歌山県のある町に、”魚ちゃん”と呼ばれる女の子が
おりました。ちょっぴり天然でお人よし。
小学生のころ、ずつと考えていたことがありました〉

何で世界中で争い事が絶えないんやろ。ニュースを見ても、
暗い話ばっかりや。お坊さんや牧師さんに話も聞いたけど、
”きれい事”にしか聞こえへん。
もうお笑い番組は見られへんわ。悲惨な思いをしている人が
いるのに、私が笑っていたらアカン。

〈そんな思いを聞いた習い事のピアノの先生が、創価学会の
話をしてくれました。”魚ちゃん”は、とても衝撃を受けたようです〉

池田先生の行動力って、半端なっ! 平和のために、海外の指導者や
著名人とも、めっちゃ対話しとるやん。世界の大学から、
いろんな称号も受け取るし。これこそ、ほんまもんや。

〈それからは座談会などの会合へ積極的に参加。
会う人会う人、元気でパワフル。
唱題するのも、大好きになりました〉

題目をあげると、めっちゃトロピカル(?)な感じになんねんな!
前に会合で「地涌の菩薩」の話を聞いた。広宣流布を誓って、
大歓喜で地から湧き出してくるって。
「実はそれ、君なんやで」と言われた時は信じられへんかったけど、
祈ってみて、ちょっと実感できたわ。

〈他の人の喜びを、自分の喜びとする学会員の生き方に感動した
”魚ちゃん”は、自らもそういう芸術家になりたいと、
音楽を習い始めました。でも、周りからは反対の声も〉

確かにピアノの練習もよくサボっとったし、「あんたが?」
と言われてもしゃーない。でも”青春対話”に、
「青春の失敗は、失敗を恐れて挑戦しないこと」とあって、
めっちゃ背中を押された。
池田先生って、ほんまに”希望の太陽”やな。

〈その後、大阪芸術大学に進学し、2000年(平成12年)に
入会。やがて舞台の魅力に引かれ、大学院を経て希望の劇団へ。
信心に励みながら順調に役者人生をスタートさせました。
けれど、試練は11年に起こりました〉

「経営悪化のため給料が出せない」って、はんまかいなー。
6人も劇団員が辞めてしまうし、公演も立て続けに中止。
一日中、アルバイトして、身も心もズタボロやで。
正直、学会活動もしんどい。

2につづく (2016/07/17 聖教新聞)

体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!まとめ
体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!(1)
体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!(2)


体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!(2)

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南大阪総県の女子部の友と語らう魚谷さん(中央)


体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!(2)

舞台役者 魚谷尚代さん


〈翌年一月、ついに劇団は倒産。「もう役者を諦めよう」
と気落ちする”魚ちゃん”に、女子部の先輩が
励ましてくれました〉

先輩 「魚ちゃん、池田先生に何か誓ってきたことある?」
魚谷 「入会したころは、”人を喜ばせる芸術家”になって
報告したいと、祈っていました」

先輩 「今は?」
魚谷 「・・・・・」
先輩 「じゃあ、その誓いをどうやったら果たしていけるかを
真剣に祈っていこうよ」
魚谷 「な、なるほど・・・」

〈先輩の言う通りに祈り始めると、30分で腹がきまった”魚ちゃん”
。そのころ、聖教新聞に掲載された小説『新・人間革命』の
「世の中には、倒産は数多くあります。大事なのは、
人間が倒産しないことだ。自分に負けないことだ」との言葉に、
大感激したようです。〉

祈り始めた途端、劇場の子供たちの歓声がワーツと聞こえて涙が出た。
池田先生の言葉が、ほんま胸に刺さる。
環境やない。自分がどうしたいか。もう一度、舞台に立って、
誓いを果たせる自分になったろう!

〈その後、新たな劇団で再スタート。当時は圏女子部長としても
メンバーのために奔走しました。友人たちと対話し
七人目の弘教を実らせた後、未払い分の給料が全額出たり、
作曲や演奏の仕事が舞い込んだりと、たくさん功徳を受けました。〉

勝つと決めて広布に走れば、必ず諸天は動く。
役者って、舞台に上がったら”丸裸”になるから、”自分磨き”を
サボると、一瞬でお客さんに見抜かれる。

だからやっぱ、折伏は大事。自分の弱点に気づかせてくれるんやから。
私も臆病で諦めやすい性格やったけど、かなり折伏で鍛えてもらった。
友人の幸せを真っすぐに素直に祈り抜けた時、相手も素直な心で
受け止めてくれる。

相手は自分の鏡。舞台も同じやわ。

〈”魚ちゃん”は稽古の合間に、介護施設での音楽療法にも
携わっています。事故などで障害がある方の心を癒せるよう、一緒に歌や
楽器演奏をして、利用者さんにも希望を送り届ける日々です。〉

事故の後遺症で話せなくなった○○さん(40代女性)。
歌手の松田聖子さんが大好きらしい。だからこの前、「赤いスイートピー」
を歌ってあげたら、初めて笑顔で口ずさんでくれた!

目の前の一人と笑顔を共有できるって、ほんまに幸せ。
笑顔の連鎖の中に、”幸福の瞬間”が訪れるんやな。私、決めた。
どんな時も、どんな相手とも、”笑顔の橋渡し役”になるって。

その瞬間を届けるために舞台に立ち続ける。
そう思えたことが、一番の功徳や。

〈”魚ちゃん”の周りには、いつも笑顔があふれています。
今では家族も会合に参加してくれるほど良き理解者です。
これから先も、”魚ちゃん”はどんな”幸福の瞬間”を
届けてくれるんでしょうか。楽しみ、楽しみ〉

おわり (聖教新聞 2016/07/17)


今や聖教新聞、大新聞、日本全国の購読者が読む、
全国に知れ渡る”すごい”と思いませんか。
広告でこれだけ宣伝したら、すごい広告料になる。

すごい功徳ですよね!、魚谷尚代さん。
女子部の友と語らう魚谷さん」の笑顔がいい!

体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!まとめ
体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!(1)
体験談、ターニング・ポイント 皆に笑顔を届けんでー!(2)


世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(1)

ゆくひろ 2.PNG

世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(1)
「スター・ウォーズ」最新作でVFX(視覚効果の技術)の最高賞

映像制作会社の背景総括責任者
アメリカSGI 行弘 進さん

観客の想像超える表現力

映画「スター・ウォーズ」は、1977年に製作された「新たなる希望」
以来、多くの人々を魅了し続けている。
昨年12月に公開された最新3部作の第1弾「フォースの覚醒」
(J・J・エイブラムス監督)は、全米の歴代興行収入で第1位
を記録。世界中で大ヒットとなった。

「スター・ウォーズ」の魅力の一つは、その圧倒的な映像の力。
90年代以降、CG(コンピューターグラフィックス)
技術が飛躍的に発展するとともに、それをふんだんに活用。

壮大な世界観を躍動感たっぷりに表現し、観客をスクリーンに
釘づけにしてきた。
こうした視覚効果は全て制作会社ILM(インダストリアル・
ライト・アンド・マジック)で生み出されてきた。
同社は、いわばVFX(視覚効果を作る技術)の一大拠点。

そこで「フォースの覚醒」の背景部門の総括責任者を任されたのが、
行弘進さんだ。これまで「ジェラシック・パーク3」「パイレーツ・
オブ・カリビアン」「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」など
数々のヒット作を手掛け、いくつもの賞に輝いてきた。

「スター・ウォーズ ファントム・メナス」でも背景部門のスタッフ
として活躍したが、「フォースの覚醒」では、
米国サンフランシスコを中心に、英国ロンドン、カナダ・バンクーバー、
シンガポールの四つの拠点にまたがる約40人のスタッフをまとめ、
実写と見まがうほどの映像に仕上げた。

今でこそ、VFXのアーテイストとして華々しく活躍する行弘さんだが、
その歩みは困難と苦労の日々だった。

2回につづく  (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(1)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(2)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(3)

世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(2)

ゆくひろ 2.PNG

世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(2)
「スター・ウォーズ」最新作でVFX(視覚効果の技術)の最高賞

映像制作会社の背景総括責任者
アメリカSGI 行弘 進さん

苦境と挫折重ねた青春期


行弘さんは74年、木工所を営む父と母のもと、福岡県に生まれた。
毎朝、父の唱題の声で目を覚ます、、、そんな信心強盛な一家で育った。
83年、「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」との出会いが、
その後の人生を大きく変えていく。

とりわけ強く関心を抱いたのは、圧倒的な映像力だった。
「中学1年の時、書店に行くと、一冊の本が目に留まりました。
ジョージ・ルーカス監督が設立したILMを特集しており、
映画の製作過程や社内の風景が詳細に描かれていました。

『将来、ここで働きたい』と強く思ったんです」
時を経ても、その情熱はさめなかった。高校卒業後に渡米を決意。
周囲から反対の声も上がったが、両親が背中を押してくれた。

”やらずに後悔するよりやるだけやってみなさい”と、、、。
夢を抱き、海を渡った。だが、現実はそう甘くはなかった。
2年間、田舎町の語学学校に通った後、「雑用でいいから雇ってほしい」
とILMに申し込むも、門前払い。

経験も学歴もない若者を受け入れてくれるはずはなかった。
「ILMの関係者に出会えるかも」と会社のあるサンフランシスコに
居を移した。

美術学校に入り、技術を磨くことにしたが、経済的な苦労が
重くのしかかる。
家賃が払えず、友人・知人宅を転々としたことも。

「でも両親を思うと、決して諦めることはできなかった。
そんな時に励ましてくれたのが、米国SGI(創価学会インタナショナル)
の」婦人部や青年部の皆さん。
物心両面にわたり支えてくれました」


転機になったとっさの一言

毎日、真剣な唱題を重ねた。今できることは何でもやった。
会う人、会う人に「ILMで働きたい」と夢を語り続けた。
熱意と努力は裏切らない、、、そう信じ抜いた。

ある時、ILMから独立した背景制作の会社に「無給でいい。
掃除でも何でもするから雇ってほしい」と頼み込んだ。
「君のように訪問してくる人は、たくさんいる」と断られたが、
引き下がれなかった。

「一日20ドル払うから働かせてほしい!」、、、と。
とっさに出てしまったのですが、『米国には働くのに金を払うような
クレイジーな人はいない』と逆に興味をもたれ、
採ってもらえました(笑い)」

これが人生を開く契機になる。働きながら美術大学に通う。
多忙を極めたが、充実していた。著名なマットペインター(実写映像と
背景画を合成する技術者)キャロリーン・グリーン
氏から技術を学ぶ幸運にも恵まれ、毎週日曜日の午前、
一から基礎を教わり直した。

出会いの一つ一つを大切にし、経験を重ね、98年、ILMのインターン
に応募した時には、オーバークォリファイド(経験や知識が要望以上)
と評価されるほど成長を遂げていた。

翌年、念願のILMに入社。折よく、すぐに「スター・ウォーズ」の
製作に関わることができた。

3回につづく  (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(1)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(2)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(3)

世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(3)

ゆくひろ 3.PNG
家族と共に。上から、行弘さん、長女・美桜ちゃん、
妻・映里さん、次女・希和ちゃん


世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(3)
「スター・ウォーズ」最新作でVFX(視覚効果の技術)の最高賞

映像制作会社の背景総括責任者
アメリカSGI 行弘 進さん

リスク恐れず日々挑戦


「フォースの覚醒」で、行弘さんは最新のVFXを導入し、
これまでにないリアルな映像づくりに取り組んだ。
社内では、リスクを危ぶむ意見も出た。

しかし「技術の世界は日進月歩。新しい技術でなければ、同業他社を
しのぐような映像は生まれない」と判断し、果敢に挑んだ。
重い責任。悩みは尽きない。真剣に題目を唱える日々が続いた。

「リスクを恐れず、新しいことに常に挑む、、、ILM創業時からの
伝統です。
その企業理念に憧れて入社したので、私自身、ずっと貫きたと
思いました」

そのかいあって、新作は高く評価された。最新の3部作への数々の
オマージュ(敬意)がちりばめられたことも、うれしかった。
今年2月、「フォースの覚醒」は、ビジュアルエフェクトの”最高賞”
である「VESアワード」に輝いた。

行弘さん自身としては2003年、06年に続き、3度目の受賞だ。

「過去2回の受賞と比べても、今回の喜びはひとしお。苦労を共にした
スタッフには心から感謝したい」
「渡米した時には無謀とも思える挑戦でしたが、およそ7年でILM
に入社し『スター・ウォーズ』の製作で納得のいく成果も出せました。
努力し続け、諦めない限り、祈りは必ずかなうと確信しています」

家族の支えも、大きな力となった。04年に結婚。妻・映里さんは、
それを機に入会。長女・美桜ちゃん、次女・希和ちゃんの2人の娘と
”一家和楽の信心”を実践している。

ILMで成功を収めた行弘さんのもとには、しばしば、同じ志を抱く
若者たちが相談に訪れる。その時はいつも、自身の経験を語るという。
「私が米国に来た時と現在では、状況が違います。

同じことをやれば成功するというわけてはない。しかし
”夢は諦めない限り、続く”ということは変わりません」

  おわり  (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(1)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(2)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(3)

イタリア共和国とイタリアSGIの宗教協約が正式に発効

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イタリア共和国とイタリアSGIの宗教協約(インテーサ)が正式に発効

上下両院が満場一致で承認
大統領により発布 今月15日付官報に掲載


イタリア共和国政府とイタリアSGI(正式名称=
イタリア創価学会仏教協会)との間で昨年6月に
調印されたインテーサ(宗教協約)が、このほど同国の
上下両院の満場一致で可決・承認され、セルジオ・マッタレラ
大統領により発布された。

インテーサとは、イタリア共和国憲法の第8条に基ずく制度で、
国家と宗教団体が結ぶ法的な取り組みのこと。
今月15日付の官報(164号)に同SGIと締結した
協約の法令が記載され、現地時間の30日から発行となる。

これにより同SGIには、学校など教育機関を自由に設立する
権利や、会員が宗教的祭日を遵守する権利が認められるなど、
一定の権利と特典が与えられる。

2016/07/30(土)(聖教新聞)

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