聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

「核兵器なき世界への連帯」展 ノルウェーの名門ベルゲン大学で開催

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ノルウェーの名門ベルゲン大学で開催

「核兵器なき世界への連帯」展

北欧から平和求める民衆の声を


【ベルゲン8月30日】北欧ノルウェーの名門ベルゲン大学で8月29日
(現地時間)、「核兵器なき世界への連帯 勇気と希望の選択」
展が開幕した。SGI(創価学会インタナショナル)ICAN
(核兵器廃絶国際キャンペーン)の協力を得て制作したもの。
同国内での開催は、首都オスロ(2013年)に続き、2会場目。
開幕式は30日、ベンゲル市の同大学の展示会場で開かれ、
ノルウェー平和協会のアレクサンダーハラン会長ら来賓が出席した。
ベルゲン大学での同展は、あす2日まで行われる。
(記事・写真=巴大輔)


ノルウェーの教育機関の始業は8月。ベルゲン大学のキャンパスは、
新学期のオリエンテーションに参加する学生たちの活気にあふれていた。
あなたにとって”平和な社会”とは?

道行く学生に尋ねてみると、間髪を入れず意見が返ってきた。
考えは多様だ。「互いの差異を認め合うこと」「世界中に友人をつくること」
「戦争の脅威がなく、皆が笑顔に満ちた社会のこと」、、、、

今夏入学した、環境分野を専攻する男子学生はこう語った。
「ノルウェーの誇りの一つは、ノーベル平和賞の授賞式が行われること。
幼いころから、学校で人権問題や平和について学び、ごく自然に
友人と語り合ってきました」

(聖教新聞)

地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(1)

ペルー 1.PNG

世界の体験プラザ

地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(1)

25の診療所の管理責任者
ペルーSGIフェリシタ・ビバンコさん


慈愛の医師を目指して
 

私が暮らしているのは、首都リマ市の西隣、南太平洋に面した
ペルー最大の港湾都市カヤオです。
わが家は、母方の叔父が最初にペルーSGI(創価学会インタナショナル)
の信仰を始めました。

1968年のことです。やがて母も信心を継承し、学会3世、4人姉妹の
末っ子として生まれた私も、5歳から題目を唱えるようになりました。
未来部の活動にも参加し、ペルーSGIの鼓笛隊でも薫陶を受けました。

私が12歳の時、母が重い感染症にかかり、3週間、昏睡状態に
陥ってしまったことがありました。その間、私たち家族は懸命に
母の蘇生を祈りました。

母は無事に危機を脱して健康を取り戻し、今では、ペルーSGIの
カヤオの合唱団で元気に活躍しています。
私は幼いころから理系の勉強が好きで、将来は教師か医師になりたいと
思っていました。

最終的には医師になる道を選びました。仏法では衆生の苦悩を
救っていく方途を示す仏を「良医」に譬えています。
また、慈悲の意味を「抜苦与楽」(苦を抜き、楽を与える)と説いています。

さまざまな苦しみを抱えて病院を訪れた患者が、帰る時には安心した
表情になれるようにしたい。そういう思いで、地域医療に従事することに
決めたのです。

医師の仕事は、患者を診察することだけではありません。
健康管理対策、病気予防、公衆衛生について人々に意識啓発の活動を
することも、ペルーでは大切な役割なのです。


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ビバンコさんが担当するロス・オリボスの大型診療所

経営危機に立ち向かう

2007年に外科医になり、仏法者として、さらに社会に貢献したいと真剣に
祈り努力を重ねていきました。10年、医薬品や医療品、文具やワインの
製造・流通・販売などを展開するアルビス社が運営する、大小25ヵ所
もの診療所のマネジメントを任されることになったのです。

そこで、翌年からリカルド・パルマ大学で新たに公衆衛生学(病院管理、
保険医療サービス)の修士課程に入学し、2年後に修了。
14年には医療監査の資格も取得しました。

現在でも、リマ市、カヤオ市、イカ群、タルマ群などを含む、8地域の
スーパーバイザー(管理責任者)として、数多くの医師や医療関係者の
管理をし、社会への啓蒙活動をしています。

14年2月には、SGIの代表として念願の日本を訪問することができ、
広布に戦う日本の同志の息吹に触れることができました。
この前年、アルビス社が経営危機に直面しました。

リマ市や他の地域にあるいくつかの診療所を閉鎖し、そこの従業員も
解雇せざるを得なくなったのです。大きな試練でした。
私は解雇されてしまった人々が必ず再就職を勝ち取れるよう、
また地域のためにも、会社が絶対に倒産しないよう祈り抜きました。

私自身、毎日12時間以上働きながら、全てのスタッフを励まし続け、
学会活動でも一歩も引かずに戦いました。
その中で、親しい同僚や上司には、ペルーのSGIの機関誌を
贈呈し、仏法や池田先生について語る機会も生まれました。

2につづく (聖教新聞)

 まとめ
地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(1)
地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(2)

地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(2)

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 右から母・ドラさん、ビバンコさん、甥・ビセンソさん、
長姉・シャロンさん、父・アンヘルさん、三姉・ドラさん


世界の体験プラザ
地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(2)

25の診療所の管理責任者
ペルーSGIフェリシタ・ビバンコさん

「師弟の絆」に生き抜く


そして、ついに会社は危機を脱し、経営を好転させることが
できたのです。上司からその一報を聞いたご日、私は帰宅するや
御本尊の前に座り、感謝の唱題をしました。

昨年、南米各国にメンバーと一緒に、ブラジルSGIの教学研修会に
参加する機会がありました。そこで私はあらためて、
「師弟の精神」を学ぶことができたと思います。

ブラジルSGIの同志の一人一人が、池田先生との「師弟の絆」
を育んでいました。皆の心の中には、いつも池田先生がいるのです。
歓喜の信心で仏法を語り、師弟の夢を実現しようと
生きている姿に接して、心から感動を覚えました。

自分はペルーSGIの一員として、池田先生の弟子として、
どうすれば仏法の人間主義をペルー社会に実現していけるのか。
今いる職場で、どのように責任を果たし、貢献していけばよいのか。
それを常に自分自身に問いかけるようになりました。

医療従事者として心に刻んでいる御書の一節は「此の曼荼羅能く
能く信じさせ給うべし、南無妙法蓮華経は獅子吼の如し・
いかなる病さわりをなすべきや」(御書1124ページ)です。

わが家では、カヤオ市に広布の会場となる個人会館を建てようと
、家族全員で決意しています。女子部副本部長として、
どこまでも池田先生と共に、ペルーの平和と繁栄のため、
広宣流布に人生をささげてまいります。

  おわり  (聖教新聞)

 まとめ
地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(1)
地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(2)

SGI会長に「最高賓客」称号 南米パラグアイ

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SGI会長に「最高賓客」称号
南米パラグアイのナタリシオ・タラベラ市から

核兵器廃絶展の開幕式で授与
ンボカヤテイ市からSGI会長夫妻に感謝状

パラグアイ共和国のナタリシオ・タラベラ市から池田SGI(創価学会
インタナショナル)会長に、名誉市民に相当する「最高賓客」称号
が授与された。
対話を通した平和・文化・教育への功績をたたえたもの。
授与は同市庁舎で開かれた。「核兵器廃絶への挑戦」展の開幕式
(8月17日)の席上、行われ、同市のラディスラオ・ベニテス
市議会議長をはじめ、教育関係者、地元の中学・高校の生徒らが
祝福。
併せて「感謝状」も贈呈された。また12日には、ンボカヤテイ市庁舎
で同展が行われ、SGI会長夫妻に「感謝状」が贈られた。

写真上
ナタリシオ・タラベラ市から贈られた「最高賓客」の決議書と「感謝状」
を手に記念のカメラに。地元の高校生らも笑顔で(同市庁舎で)
写真下
ンボカヤテイ市からはSGI会長夫妻に「感謝状」が(同市庁舎で)

信仰体験 生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(1)

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同志と共に使命に生きる作田さん(右から2人目)。「新たな勝利を
池田先生に報告していきます!」と元気よく


【埼玉県狭山市】病室のベッドの上で、作田景代(51)=広瀬台支部、
地区婦人部長=は、頬ををつたう涙も拭わず、紙面に見入っていた。
2007年(平成19年)1月10日付の本紙3面。本部幹部会に出席した
池田SGI会長が両腕を伸ばし、Vサインを掲げている。
”先生は、勝つんだ!と励ましてくださっている”。5日前にメスを
入れた体には、管が残り痛みが走る。
肝臓とリンパ節に転移した大腸がん(ステージ4)。
掲載された指導の一言一言が、病魔に揺れていた心のかじを切らせた。
作田さんはこの日、自身の大勝利へと出発をする。

信仰体験
この人生は勝つためにある!

「ああ埼玉の勝利見む」を抱いて

生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(1)

宿命転換を


そのスピーチは冒頭、こう始まった。
〈どこかではない。いつかではない。大事なのは、「今、ここ」である。
「今、ここ」にいる人々である〉
(以下、太字部分はスピーチの引用)

前年10月に病が見つかった。当時42歳。胃がんで亡くなった母の顔が
浮かぶ。母には高校の卒業式も見てもらえなかった。
”私も同じなんだ”発病の時期も母と重なった。

自身も母親となり、2人の子はまだ小学生。「おなかの病気で入院するね」
。がんとは言えなかった。「いつてらしゃい」と見送るランドセルの
背中が見えなくなると、静かな部屋におえつが響いた。

祈りに誓いを込めた新年勤行会。同志の掛けてくれる言葉が、
不安で押しつぶされそうになる心を支えた。
それまで現実味のなかった「宿命転換」の文字が胸に迫る。

”今こそ、その時!”スピーチに鼓舞され、SGI会長と共に進むと決めた。
〈戸田先生は、よくおっしゃっておられた。 勝つことは、明るく楽しい。
笑顔が美しい。負けることは、暗く苦しい。ゆえに人生は、断じて
勝たなければならない


腫瘍は手術で完全に切除できたと医師。とはいえ、再発・転移はあり得る。
5年生存率が示す数字には、未来をかき消される思いがした。
抗がん剤治療の苦痛は想像を超えた。

顔や爪の色は黒ずみ、鏡を見るのが怖くなった。副作用を重くみた医師は
2クール目で中断を告げた。

涙ながらに読んだSGI会長のスピーチの紙面を経机に置いた。
何度も何度も手に取った。抗がん剤が駄目なら、題目で勝てばいい。
作田さんの決意は、祈るほどに固まっていく。

その後、体力が回復すると、死の恐怖と対峙するように、
学会活動に励み抜いた。


もう一人の母

戸田先生は、婦人部に対して言われた。「真剣に、御本尊に
願い切りなさい。この簡単な原理が、皆、分からない。これが一番、
遠いようで、確実な早道になっていくからである」


かっては、信仰と聞いてもピンとこなかった。もう一人の母が変えてくれた。
作田さんが21歳の秋、父が再婚し、継母・角屋ユキ子さん(71)=
埼玉県飯能市在住、副白ゆり長=が生活に加わる。

「おばさん」と呼んだ。周囲も冷ややかに接した。
”明日には、出ていくかな”そう思って翌朝を迎えると、「母は決まって、
ケロリとしていた」。学会活動に徹し、題目を唱える背中が、その理由に
思えた。

叔母の介護もあり、母は疲れているはずなのに、笑顔が輝いて見えた。
ジャズダンスが趣味の作田さんにと、夜なべして衣装も縫ってくれた。
人のために動き回る母。いつしか「お母さん」と自然に口にしている
自分がいた。

「題目はすごいんだよ。心がきれいになるよ」。そう話す母から
数珠を渡された。なぜか安心感があり、持ち歩いた。
”お母さんみたいになりたい”作田さんは25歳で入会する。

  (2)につづく  (聖教新聞)
 まとめ
生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(1)
生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(2)


信仰体験 生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(2)

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どんな時も支えてくれた父・角屋和久さん(左)母・
ユキ子さん(右)と共に。作田さんは、「日常の
何げないことに喜びを感じるようになりました」と


信仰体験
この人生は勝つためにある!

「ああ埼玉の勝利見む」を抱いて

生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(2)


〈(人生の浮き沈みなどに)いちいち紛動される必要はない。
根本は信心である。前に向かって、未来に向かって、勝利にむかって、
南無妙法蓮華経と唱える自身の胸中に、すべての勝利は入っているのである〉

手術から1年を経た冬。がんとの闘病を、子どもに初めて話した。
「乗り越える自分を見せるため」。生き抜く覚悟の表れだった。
定期検診は、2週間に1度から、月に1度へ。

頻度は減っても、独特の緊張感はかえって増した。腹部に痛みがあれば、
病院への足取りは重くなった。検査日に急用ができたと言って断った日もある。
09年10月、医師が示した肝臓の画像に二つの陰影が写っていた。

帰宅するや、御本尊の前で肩を震わせた。直後、婦人部の会合があった。
生きる力を振り絞り、会場へ。誰にも言い出せず、隠し通した。
帰宅すると電話が鳴った。「泣き腫らした目だったから」先輩の優しさが
胸に染みた。

全てを伝えると、一緒に題目を唱え、病院へ付き添ってくれた。
精密検査の結果、がんはなかった。廊下で待っていた先輩と手を取り合った。
強くなれたと思う一方、ささいなことで弱い命が顔を出す。

その繰り返し。弱気が差し込んだ時、信じてくれる同志がいれば負けなかった。


感謝と報恩

〈師匠こそが、人生の中核であり背骨である〉

手術から3年が近づいた10年10月。埼玉県歌「広布の旗」の歌詞に、SGI会長が
加筆したことが発表された。最後の繰り返しの「ああ埼玉の楽土見む」が
「ああ埼玉の勝利見む」に。

”「埼玉の勝利」というのは、私自身が勝つことなんだ。一人一人の勝利を
先生は待っていてくださるんだ”「いかなる病さわりをなすべきや」
(御書1124ページ)の一節を証明しようと完治を目指した。

〈表面上、一時的には、たとえ解決していないようであっても、全部、いい方向
、正しい方向、幸福の方向、永遠性の幸の方向へ向かっていけるのが、
妙法の力である〉

先月、埼玉文化会館で行われた。「婦人部の日」を記念する大会。体験発表で
登壇した作田さんは、「こんなに元気になりました!」と両腕を高く伸ばし、
Vサインをつくって見せた。

病の発覚から、間もなく10年。夫と一緒に勝利をつかんできたこと。

長女・志帆さん=大学3年、女子学生部員=が高校時代の不登校を越え、
保育士の夢へと歩んでいること。信心に反発していた長男・将希さん(20)
=大学2年、学生部員=が今、「創価大学」のユニホームを着て箱根駅伝
を目指していること。

そして、限られた命への意識と、大病を砕く決意。この絶え間ない葛藤の
中で、「私は勝つために生まれてきた」と、言い切れる自分になれたこと 。

幸せをつかんだ母のVサインは、家族、同志、そして師匠へ  感謝と
報恩の思いが詰まっている。

 おわり  (聖教新聞)

 まとめ
生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(1)
生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(2)


茅ケ崎市柳島海岸から見る伊豆大島

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茅ケ崎市柳島海岸から見る伊豆大島

伊豆大島は柳島海岸から約60キロありますが、
見えない時の方が多いです。
60キロは東京ー茅ケ崎間になります。

伊豆大島といえば、1986年11月21日に起こった。
三原山大噴火。この茅ケ崎からも夜は
三原山が火柱を立て、大噴火する様が見えました。

その後、再び噴火することなく。現在に
至っています。

噴火の翌年だったと思いますが家族で妻と小学生の
息子2人と伊豆大島に旅行に行きました。
茅ケ崎から日帰りは無理だから、熱海に一泊して、
翌日、熱海港から伊豆大島へ。そこで

観光バスに乗り、伊豆大島を一周、三原山の麓まで
行きました。

孔雀がいる飼育場では孔雀の抜けた羽を息子たちに
親切なおじさんからもらいました。

伊豆大島元町港では最後のお別れに大島で有名な
椿の苗木をもらいました。

その伊豆大島が柳島海岸から時たま、見えます。




戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(1)

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戦場の日々を振り返る鈴木さん。「暑い夏が訪れるたび、終戦前、
飢えと爆撃に耐えた日々が思い出されます。こんなに生きられるとは
考えもしなかった。これからも一日一日を大切に、広布のため、
平和のために語り続けます」と。

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パラオ本島のアイライ空港近くの草むらに残された日本軍の高射砲
(1976年10月1日撮影、朝日新聞社提供)

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パラオ


【東京都世田谷区】「白菊と/黄菊と咲いて/日本かな」(夏目漱石)
鈴木健さん(96)=野沢支部、副区長=が、青年時代に愛した句である。
自宅の軒先で鉢を育てて25年以上。毎年、花が咲く秋を楽しみに待つ。
「年を経て、菊への思いも変わってきた」と。
鈴木さんの人生にとって、菊の花がもつ意味とは何か。
その始まりは、太平洋戦争の激戦地・パラオでの日々にある。

信仰体験 いま想うB 戦後71年の歩み

戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(1)

太平洋の激戦地・パラオでの記憶


菊花紋章の付いた軍旗と共に太平洋を南下したのは、1944年(昭和19年)
春のことだった。”われ、日本の防波堤たらん”
動員に際し、満州(現・中国東北部)の駐屯地で受けた訓示が、
そのまま鈴木さんの決意だった。当時、24歳。陸軍第14師団歩兵第59連隊
に所属する主計将校であった。

本来の任務は現地での食糧の確保等であり、前線に出る可能性は低い。
しかし戦局は悪化していた。前年のガダルカナル島撤退以降は、
日本軍が全滅したという情報も洩れ聞いた。

訓示後、仲間と密室で語った。「我々は”玉砕”しに行くのだ」
同年7月、鈴木さんのいる大隊はパラオ本島へ。
上陸直後、乗ってきた輸送船4隻全てが米軍の艦載機に撃沈され、
間一髪でジャングルに逃げ延びた。

米軍は9月15日にぺりりュー島、17日にアンガウル島に上陸。
日米双方に、膨大な死者を出していく。
パラオ本島の日本軍は、ぺりりュー島へ、民間船を用いて夜襲をかけた。

だが無数の照明弾が空を照らし、島に入る水路で米軍の機銃掃射に遭う。
「2度の出撃で、戦況報告のため帰還者以外は、皆、死にました」
3度目の切り込みに、鈴木さんにも命令が下る。

ヤシの木で作った宿舎を、残らず解体した。”立つ鳥、跡を濁さず”
の行為であったという。「防波堤として喜んで死ぬ。たたき込まれた
軍人精神を、誇りと信じていた」

夜中、パラオ本島のアイライの港から船に乗り込もうとしたまさに
その時。連隊本部から、「切り込み中止」の命令を受けた。
中止の理由は分からない。

しかし、鈴木さんの命はつながった。中止命令伝達の瞬間、鈴木さんに
未知の感情が湧いた。”助かった、、、”
「全身の力が抜け、初めて自覚したんですね。”俺は、生きたいんだ!”と」
ジャングルに戻り、再び宿営の小屋を建て、米軍と対峙した。

アンガウル島の戦闘は44年10月中旬、ぺりりュー島は11月下旬に終結。
万を超える死者が出た。パラオ本島に米軍の上陸はなかったが、
終戦まで爆撃にさらされ続けた。

「連日、グラマン(戦闘機)が4機編隊で来て、機銃掃射されてね。
一度見つかったら、30分は続く。動かずに、死んだふりをして耐える
のみです。弾丸の1発は手の甲を貫通し、命拾いしました」

B29による爆撃で2メートル先に爆弾が落ちたことも。”これまでか”
と覚悟したが、幸い、不発弾だった。飢えにも苦しんだ。
主計将校として、サツマイモの栽培を試みるも、太平洋地域特有の
スコール(大雨)で流された。カタツムリやトカゲを、ヤシの実から
採った油で揚げて食した。

亡くなる者は一目で分かった。食べていないのにパンパンに
腹がふくれる。下痢が続く。”明日はもうだめだろう”と思うと、
間違いなく亡くなっていた。

「戦病死と記録されたうち、その多くは餓死でした」。
鈴木さん自身も衰弱した。軍刀を”つえ”にして歩くが、石につまずき、
容易には起き上がれなかった。

パラオ本島到着から1年後の45年7月、付近の防空壕に爆弾が直撃した。
間もなく、壕にいた陸軍経理学校同期の主計将校が戦死したことを知る。
母一人子一人で育ち、仲間の誰よりも優秀で、親思いの好青年であった。
自身の飢えと闘いながら、鈴木さんは感じた。

”戦場では、優秀なやつ、必要とされる男から死んでいくのか、、、”」
生と死が隣り合わせの中、殺し合うことの不条理を思った。
8月16日、連隊本部に集められ、前日の玉音放送の内容を聞く。
終戦を知った。

翌年の1月7日、米軍の船で神奈川県の浦賀に着いた。港で、
正月の晴れ着を身にまとった女性を目にした。街は戦火の爪痕を色濃く
残していたが、その中にも、新たな歩みが始まっていること感じた。

 (2)につづく (聖教新聞)

まとめ
戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(1)
戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(2)

戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(2)

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大切に育てる菊の鉢を前に、語らいのひととき。妻。禎子さん(右)が
「今年の秋も咲くかしら?」と問うと、鈴木さんは「きっときれいな
花をつけるさ」と笑顔で応える。


信仰体験 いま想うB 戦後71年の歩み

戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(2)


終戦から2年後の47年、妻、禎子さん(90)=支部副婦人部長=
と結婚した。「自分を必要としてくれる人がいる。そのことが、
本当にうれしかった。戦争で一度は死んだ命。喜んで尽くそうと
思った」

”望まれれば、何でも役に立たせてもらおう”
その考えは、万事に渡った。母校の商業高校で教壇に立った後、
義父のプレス工場で額に汗して働く。一方で、戦場で感じた葛藤が、
常に心の奥深くにあった。

”なぜ俺は生き残り、なぜ仲間は死んでいったのか”
鈴木さんが「がむしゃらなほど」懸命に働き、「頼まれたら断らない」
のは、その答えを模索していたからかもしれない。戦後10年の55年に、
親戚から信心の話を聞いた。

「御書の一節に出あったんです。弥三郎殿御返事でした。
『但偏(ただひとえ)に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干(そこばく)
の人の死ぬるに
今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』(1451ページ)。

全身に電流が走ったような感動を覚えました。”なぜ生きている?
そうか!”この仏法を弘め、平和な社会を築くためだ”と」
家族そろって入会。戸田第2代会長、若き日の池田SGI会長にも
励ましを受け、広布一筋に駆けた。

時は流れ、鈴木さんが70歳となった90年11月、学会創立60周年の佳節に、
SGI会長は世田谷区内にある東京池田記念講堂を訪問した。
SGI会長を迎えたのは、鈴木さんたち世田谷の同志が丹精込めて育て、
爛漫と咲き誇った菊の花々だった。

SGI会長は句を詠み贈った。「創立に/勝利の宴や/菊花城」
以来、四半世紀。その時の菊から株分けし、子、孫の株まで
育み続けている。

「平和のために世界の指導者と対話される池田先生と、私の絆が、
この菊なんです。私も体が動く限り、平和のために尽力しようと
菊を育てながら思う」

創価学会の姿を知ってもらおうと、対話に歩き、地域で友情を
広げてきた。3年前、小学校の校長から、ある依頼が。
「戦争の経験を、子供たちに話してくださいませんか」

93歳で、語り部として教壇に。今も語り続ける。児童からは、
「戦争がどんなに恐ろしいものかを知りました。同時に命の大切さも
あらためて知りました」

「これから私の下の世代にも教えていけたらいいなと思います」と。
感想の数々が、胸に迫った。生き残った意味を表現するのに
ふさわしい言葉を鈴木さんは探す。

「幸運か、福運か、宿命か、、、」。こう結んだ。「使命と確信し、
最後まで平和のために生き抜く」と。 (良)

  おわり  (聖教新聞)

まとめ
戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(1)
戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(2)

世界の体験プラザ 人生を再び輝かせた妙法の力(1)

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写真右上、シンポジュムで発表する辻さん
写真右下、ロックフェラー大学の校門で

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大学内の研究室で実験に取り組む


世界の体験プラザ 人生を再び輝かせた妙法の力(1)

免疫学研究で世界的な成果

アメリカSGI 辻守哉さん ロックフェラー大学教授


酒とケンカの荒んだ生活


1958年元日、辻守哉さんは、医学研究者の父と教育者の母のもと、
東京で生を受けた。父の仕事の関係から幼少期をフランスで過ごし、
小学6年の時、広島へ。

高校時代には父と同じ医学の道を志すようになり、東京慈恵会
医科大学に進学。卒業後、東京大学大学院に進み、免疫学の
世界的権威だった故・多田富雄氏の研究室で学んだ。

博士号を取得後、87年、ニューヨーク大学へ。大学では医分子
寄生虫学の研究に没頭。20代から30代にかけて、順調な研究生活を
送り、39歳で大学の終身在職権(テ二ア)を取得することもできた。

周囲の人々にもてはやされるようになったが、その頃から辻さんの
人生には暗い影が落ち始めていた。40半ばまでに2度の離婚を経験。
空しさや寂しさが心を覆い、研究活動への情熱も次第に薄れていく。

「当時、精神状態がいつも不安定でした。もともと(酒を)飲むのが
好きだったこともあり、毎晩、ひたすら飲んでいました。学生時代に
アメリカンフットボールと陸上で鍛え、体力にも自信があったので、
バーで飲んではケンカばかり、、、」

健康面は悪化。血圧は200近くに達し、肝機能の数値も極端に悪かった。
「アンガー、(怒り)・アローガンス(傲慢)・アルコールという”
トリプルA”の問題に直面していました(笑い)」

そんな荒んだ生活だった2006年、あるレストランで一人の女性に出会う。
のちに妻となる由紀子さんだった。「彼女は店の従業員なのに、客の私に
飲ませてくれなかった。後で聞いた話では、私の身体を心配してくれたん
ですね」

このことが人生の転機になるとは、もちろん、当時は知る由もなかった。


妻に導かれ、信仰の道へ

”学会2世”だった由紀子さんは、創価女子短期大学を卒業後、渡米。
歌を教えるかたわら、両親の知り合いが経営するニューヨークの店で
働いていた。

彼女とは18歳の年齢差だったが、出会った時に人生を共にするように感じた。
07年6月、三重県にある彼女に実家を訪問。由紀子さんの両親、姉とその夫が
温かく迎えてくれ、和やかに語り合う中、話は日蓮仏法に及んだ。

辻さんは、信仰への抵抗感を拭えなかった。しかし「時がたつにつれ、
信仰への関心が自然と高まっていったんです」。7月8日、入会。
その日は、由紀子さんの誕生日でもあった。

アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の活動に取り組み始めると、
信仰への認識は根底から覆されていった。さまざまな人種のメンバーが集い合う、
にぎやかなザダンカイに新鮮な感動を覚えた。弘教、一念三千、、、
初めて耳にする言葉に戸惑っていると、ニューヨークのメンバーの一人から
「本当に日本人なの?と言われました(笑い)」。

人生の伴侶となった由紀子さんの支えもあり、健康は回復。
それまでは荒れた生活で、顔はむくみ、目は充血、常に疲労感が漂っていたが、
それが嘘のように今は若々しい。
何よりうれしかっのは研究に再び輝きを取り戻せたことだ。

「題目を唱えると、アイデアが、どんどん浮かんでくる。私にとって唱題は
、研究のエネルギーであり、”知恵の泉”であると実感する日々です」

 第(2)につづく (聖教新聞)

 まとめ 
世界の体験プラザ 人生を再び輝かせた妙法の力(1)
世界の体験プラザ 人生を再び輝かせた妙法の力(2)

世界の体験プラザ 人生を再び輝かせた妙法の力(2)

辻さん2.PNG
写真右、妻の由紀子さんと共に
写真左、アメリカSGIのメンバーと。最後列でガッツポーズ
をとる辻さん


世界の体験プラザ 人生を再び輝かせた妙法の力(2)

免疫学研究で世界的な成果

アメリカSGI 辻守哉さん ロックフェラー大学教授

人類に役立つ開発めざす

12年、辻さんは、ノーベル賞学者を多数輩出している名門ロックフェラー
大学のアーロン・ダイヤモンド・エイズ研究所教授に就任。
これまで、マヤリアやエイズなどへのワクチンの開発で、三つの目覚ましい
実績を上げ続けた。

一つは、ワクチンの効果を一段と高める物質「アジュバント」を発見したこと。
また、ヒトとほぼ同じ免疫系の「ヒト化マウス」を確立し、医学界で
高い評価を受けている。

さらに、免疫細胞「Tリンパ球」の研究でも、ハーバード大学との共同研究で
画期的なワクチン開発への道を開いた。アジュバントへの関心は一際高く、
辻さんは近年、ノーベル医学生理学賞の候補としてメディアから
注目されている。

かっては研究助成金を思うように取得できず、日本に帰ることすら考えていたが
今は米政府から潤沢な研究費を得て、自身の研究室には常に約10人のスタッフ
が働いている。

「共同研究中心の時代にチームワークは不可欠。人類に役立つ研究・開発を
勧めるためにも、自身が人間革命し続けるしかないと肝に銘じています」
昨年9月から、ヒト化マウスの交配・増殖などの仕事に、妻の由紀子さんが
携わってくれている。

今では、研究活動でも「妻の協力は欠かせない」。「SGIに入会して、人生が
大きく変わりました。酒に逃げていた昔と違い、どんな困難にも
負けない自分になりました。そうしたネバー・ギブアップの精神が
人生の勝利をつかむ、と確信してやみません」

数年前、ある会議に出席した折、著名な研究者から語り掛けられた言葉が、
ずっと忘れられない。「君は勝者だね!」
58歳。一研究者として、アメリカSGIの支部長として、日々全力で
挑戦する今が、人生で最も充実しているという。

 おわり (聖教新聞)

 まとめ 
世界の体験プラザ 人生を再び輝かせた妙法の力(1)
世界の体験プラザ 人生を再び輝かせた妙法の力(2)

勝利の人生を歩む米寿の母に感謝 声欄(聖教)

米寿の母.PNG
写真、海風と潮騒が心地よい奄美群島の加計呂麻島。
オカヤドカリが見られるなど自然が豊か(鹿児島県
瀬戸内町)=九州支社


声 

勝利の人生を歩む米寿の母に感謝

東京都江東区 加藤信子(主婦 61歳)


今月、母は米寿を迎えました。1928年(昭和3年)生まれの母は、
「私は池田先生と同じ年」と、そのことを何よりの励みに、
入会以来、信心一筋で頑張ったきました。

元来、病弱だった母は健康になり、がんさえも克服しました。
私は娘として、感謝の思いを込め、姉と共に米寿の祝いの席を
用意し、親戚など多くの方に集まっていただきました。

昨年、父が亡くなり、少しでも母に元気になってもらおうと、
孫やひ孫による歌やプレゼントなどを企画し、大いに盛り上がる中、
最後に母が挨拶をすることになりました。

母は、自身の生い立ちから、入会の経緯などを順々に
語り始めました。そして「先生や学会との出会いがあったからこそ、
今の自分がある!」と、胸を張って宣言しました。

未入会の親戚などもいる中で、米寿の母が原稿もなしに堂々と語る
その姿に、私は涙があふれました。
”お母さん、まだまだ長生きしてくださいね。最高の仏法を
教えてくれて、本当にありがとうございました”。

私は心の中で感謝しました。

  (聖教新聞 声 2016/09/14)

インドに広がる地涌の連帯 信心で悩みを越え和楽の一家に(1)

あなみか 1.PNG
本人アナミカ・グブタ女子部長

あなみか 2.PNG
人間主義の哲理を朗らかに語り広げるインド女子部の友


世界広布新時代 第19回 本部幹部会 SGI青年部総会から(要旨)

 インドに広がる地涌の連帯 信心で悩みを越え和楽の一家に(1)

インド創価学会 アナミカ・グブタ女子部長

一、私はインドの首都ニューデリーで、厳格で教育熱心な父のもと、
3人きょうだいの長女として生まれました。
大学では商学を専攻。就職後も、さらに別の大学で法律を学び、
弁護士資格を取得しました。

その後は、世界的に有名な多国籍企業の法務部門に勤務しました。
世間的には順風満帆に見える暮らしでしたが、さまざまな悩みに
直面していました。

家族思いだった父が脳梗塞で倒れ、左半身には、まひが残りました。
父は思うように動けないいら立ちを母にぶつけるようになり、
わが家には常に暗い空気が立ち込めていました。

”人間にとって本当の幸せとは何か”
 私は、いつも思いふけるようになりました。そんな私を変えたのが
仏法との出会いです。2003年、仕事の関係で転居したムンバイで
友人の誘いを受け、初めて学会の座談会に参加しました。

皆の幸せいっぱいの笑顔を見て、直感しました。
ここに私が求めていた本物の幸せがある、と。私はその場で入会を
決意し、SGIの一員になることができました。

学会活動に取り組む中で、私の直感は確信に変わりました。
家族に感動をありのままに伝えると、父やきょうだいも次々に入会しました。
やがて父は元気を取り戻して、組織ではブロック長を務めるまでに。
妹はニューデリーの女子部で活躍。

現在は結婚して、アメリカで地区婦人部長として元気に活動しています。
弟も男子部員として奮闘しています。私が初めてリーダーを務めたブロック
も、女子部員が7人から40人に拡大。地区へと発展させることができました。
(拍手)


師弟の誓い胸に常勝の天地築く

一、自身の使命を、さらに深く自覚したのは、6年前のSGI青年研修会で
訪日した時です。この研修会で私たちは、大阪・中之島にある中央公会堂
を訪れることができました。

1957年の大阪事件の際、池田先生が”最後は信心しきった者が必ず勝つ”
と師子吼され、権力との壮絶な闘争を開始された公会堂で、弁護士として
生涯、学会と師弟を守り抜くこと、必ずやインドを”世界広布のカンサイ”
にすることを深く心に誓いました。

さらに昨年、参加したSGI青年研修会では、生涯の原点を築くことが
できました。9月4日、池田先生が世界中から集った青年部員を総本部で
直接、激励してくださったのです。

”先生、私は、この生涯を広宣流布のためにささげます。必ずやインドに
常勝の天地を築きます”あふれる涙とともに、こう心の中で叫びました。
インドではこの時、学会創立85周年の「11・18」を圧倒的な拡大で
荘厳しょうと10万のスクラム拡大を目指して前進していました。

帰国後は、この取り組みに、さらに拍車が掛かりました。
メンバーと共に何度も小説『人間革命』第10巻を学び合い、勇んで
拡大に挑戦。

目標だった10万をはるかに超え、「11・18」当日に、11万1111人の
陣列を築くことができたのです。(拍手)。

 (2)につづく (聖教新聞)

まとめ
インドに広がる地涌の連帯 信心で悩みを越え和楽の一家に(1)
インドに広がる地涌の連帯 信心で悩みを越え和楽の一家に(2)


インドに広がる地涌の連帯 信心で悩みを越え和楽の一家に(2)

アナミカ・3.PNG
15万人の地湧の連帯を築き上げ、歓喜に沸くインド創価学会の同志
(本年8月、ニューデリーで)。新入会者の半数以上が
青年部の紹介である。

アナミカ・4.PNG
グブタ女子部長(左から3人目)が、父のディネーシュ・クマール
さん(右から3人目)、母のシャルダさん(左から4人目)
らと共に


世界広布新時代 第19回 本部幹部会 SGI青年部総会から(要旨)

 インドに広がる地涌の連帯 信心で悩みを越え和楽の一家に(2)

インド創価学会 アナミカ・グブタ女子部長


ー、本年1月にインド創価学会の女子部長の任命を受けました。
次は、15万の陣列を目指そう。 インドの同志と決意していた矢先、
魔が競いました。父が心不全を起こし、危篤状態になったのです。

病院へ見舞う日々の中で、徹して、「池田華陽会御書30編」を
学びました。「賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)。
この御聖訓を胸に、いよいよ戦いを起こす時が来たと心を定め、
唱題と女子部員の激励に全力で取り組みました。

家族でただ一人、入会していなかった母も、毎日2時間の題目をあげ、
家族全員で父の回復を祈り抜きました。父も獅子のような生命力で、
奇跡的に意識を回復しました。

病室の父には、女子部長としての日々の活動、インド創価学会の
前進の模様を報告しました。父は笑顔で何度もうなずきながら、
私の話を聞いていました。「3・16」を目指した取り組みでは、
私が担当した総合本部の全地区が目標を達成できました。

こうした私の姿を全て見守り、父は安詳として霊山へと
旅立っていきました。思えば13年前、父の病をきっかけに
冷えきっていた家族は、信心によって、どこよりも温かい一家和楽の
家族へと変わりました。

そして、最後まで決して病に負けなかった父を、心から誇りに思います。

ー、報恩感謝の思いで、さらに勇んで前進しました。女子部の同志
一人一人に取り組みの意義を語って語って語り抜き、広布の陣列は日々、
水かさを増していきました。

そして7月、インド創価学会はついに壁を破り、一カ月で2万1000の拡大
を実現。目標だった15万の陣列を達成することができたのです。
(拍手)

先生! 私たちインドは、先生が60年前、関西の同志と「まさかが実現」
の金字塔を打ち立てられた7月に、不可能の壁を打ち破ることができました。

先生! インド青年部は、世界広布の先駆を切ります。
そして必ずや、世界広布の常勝の天地をインドに築いていきます(拍手)。

 おわり (聖教新聞 2016/09/13)

まとめ
インドに広がる地涌の連帯 信心で悩みを越え和楽の一家に(1)
インドに広がる地涌の連帯 信心で悩みを越え和楽の一家に(2)

世界広布新時代 第19回 本部幹部会 SGI青年部総会
インド創価学会 アナミカ・グブタ女子部長

この総会をDVDで見ました。彼女ははつらつと
元気いっぱいに英語で体験発表されていました。
それを女子部が同時通訳しています。

学会はすごいですね!

彼女の体験の以下の部分「友人の誘いを受け、
初めて学会の座談会に参加しました。

皆の幸せいっぱいの笑顔を見て、直感しました。
ここに私が求めていた本物の幸せがある、と。私はその場で入会を
決意し、SGIの一員になることができました。

学会活動に取り組む中で、私の直感は確信に変わりました。
家族に感動をありのままに伝えると、父やきょうだいも
次々に入会しました」。


初めての座談会に参加してで入会を決意され、いいと思ったら、家族に
話して入会させる。

この決断力と行動力はすごいです!さすがです。

子育てぷらざ みんなの投稿、うれしいびっくり 子どもからの贈り物(上)

子育てぷらざ.PNG

子育てぷらざ みんなの投稿
うれしいびっくり 子どもからの贈り物(上)

 ひな祭りに桃の鉢植え

神奈川県横須賀市 高橋惠子(主婦 74歳)

随分前の事ですが、帰宅すると玄関に大きな鉢植えの桃の花が
置かれていました。3月3日、ひな祭りのころでした。
私は「これどうしたの?誰かみえたの?」と、矢継ぎ早に
子どもに問いかけました。

すると、園児だった息子が「お母さんが『女の子の祭りなのに、
誰も祝ってくれない』と言っていたから、僕が、、、」
と言うではありませんか。

わずかばかりのお年玉を握り締めて、近くのホームセンターに
一人で行き、「これで買えるお花をください」と言うと、
事情を聞いた店員が「偉いね」と褒めてくれ、桃の木を
選んでくれたそうです。

母の愚痴が純粋な子どもの心にどう映ったかを深く反省し、
大きな鉢を抱えて帰った子どもに、涙が出る思いでわびながら、
ギュゥと抱き締めました。

思い起こせば、3人の息子たちは、「御書の入るバックが欲しい」
と漏らした私にショルダーバッグをプレゼントしてくれたり、
「お母さんにお年玉をくれる人はいないんだよね。はいお年玉!」
と、自分のお年玉を分けてくれたりしました。

いずれも、子どもたちが小学生だったころの思い出です。
今思い出しても、胸が熱くなります。

留守番が多く、さみしい思いをさせて育った子どもたちですが、
温かい”創価家族”に励まされて今があります。
心から感謝してます。

 (聖教新聞 子育てぷらざ みんなの投稿 2016/09/15)

世界に広がる仏法研鑽の潮流、北米・オセアニア・中南米・教学研修会

1教学研修会.PNG
写真・上= 御書根本に、友に尽くす生命の輝きは、平和の光となって
全地球を照らす! 北米・オセアニア教学研修会の模様は、アメリカ、
カナダの125会場に同時中継された(フロリダ自然文化センターで)

写真・下= 北米・オセアニア教学研修会の参加者からは「どんな困難も
乗り越えられる信心であることを学びました」
「池田先生と心一つに、友の幸福を祈っていきます」などの声が


教学研修会2.PNG
写真・上= 中南米各国から集った友が、広宣流布大聖堂の完成5周年の2018年へ
向け、さらなる広布拡大を約し合った

写真・下= 中南米教学研修会では、コスタリカ、コロンビア、ドミニカ共和国、
ニカラグア、パナマ、ベネズエラ、ペルー、メキシコなどから
代表300人が集い、教学研鑽に励んだ(パナマ文化会館で)


世界に広がる仏法研鑽の潮流
北米・オセアニア・中南米・教学研修会


世界各国に広がる仏法研鑽の潮流!北米・オセアニア教学研修会が
8月27日から29日の3日間にわたり、フロリダ自然文化センターで
行われ、アメリカ、カナダ、ニュージーランドの代表198人が意気軒昂に
集った。アメリカのSGIでは2010年から毎年、日本の任用試験に当たる
基礎教学試験を開催。

これまで4万9000人以上が合格し、確信を深めた友が対話拡大の原動力に
。本年も6000人を超える新入会者が誕生するなど、地涌の菩薩の連帯は
勢いを増している。

研修会では、森中SGI教学部長の担当で「聖人御難事」等を研鑽。
いかなる障魔にも屈しない「師子王の心」を学び合った。
29日にはテキサス州のダラス会館でも研修会が開かれ、テキサス・
オクラホマ圏の代表323人が参加した。

一方、中南米教学研修会は8月19日から21日まで、パナマ文化会館で
開催された。、、、以下省略。

 (聖教新聞一面掲載 2016/09/16)

アフリカテレビ会議、来日メンバーと現地の友をインターネットで結び開催

ア、テレビ会議.PNG
(上)日本とアフリカを結んで行われたテレビ会議。
「アフリカの同志と共に、必ず勝利の人生を歩みます!」と
参加者(3日、戸田記念国際会館で)
(下)世界広布新時代第19回本部幹部会・SGI青年部総会に参加した
アフリカ7カ国の友が、ほとばしる情熱を表現(3日、創価大学で)


アフリカテレビ会議

来日メンバーと現地の友をインターネットで結び開催


今月行われたSGI青年研修会には、55カ国・地域から250人の
友が来日。アフリカ大陸からは、7カ国18人が参加した。

研修会の息吹をいち早くアフリカに伝えようと、アフリカの友は
研修さなかの3日、東京・新宿区の戸田記念国際会館に集い、
ケニア、コートジボワール、カメルーン、ベナン、ザンビアの
5カ国と日本をスカイプ(インターネットを利用したテレビ電話)
で結び、初のアフリカ・テレビ会議を行った。

「ハロー!」「ボンジュール!」テレビ画面に現地のメンバーが
映ると、会場に歓声が起こり、拍手が送られる。
自己紹介からスタートし、研修会の参加者が、あふれる歓喜を
伝えていった。

「大感動のSGI青年部総会でした。世界の友と一緒に、
21世紀の広布の山を必ず登っていきます!」
(ガボンのセルジュ・エバマさん)

「センセイの平和行動を学ぶとともに、各国の勢いを感じることが
できました。センセイの心をわが心とし実践していきたい」
(ケニアのクリスティーン・オグナさん)

現地のりーダーらは画面越しに研修会参加者を温かく見つめる。
その瞳には「私たちの手でアフリカ広布を成し遂げる!」
との誓いが輝いていた。

ミナイ・アフリカ総合長は、池田SGI会長がかって語った
”仏法を求めて多くのアフリカの人々が来日する時代が必ず来る”
との言葉が、今、現実のものとなったと強調。

「アフリカは日本と距離は遠く離れていますが、仏法の師弟に
距離は関係ありません。大切なのは心です。
地涌の菩薩の深き使命を自覚し、師と共に世界広布へ前進しょう」
と呼び掛けた。

アフリカの友は心一つに、世界広布新時代の大海原を
怒涛の勢いで進む!

 (聖教新聞、2016/09/16)

世界の体験プラザ 一括まとめ

世界の体験プラザ 一括まとめ

一人一人の患者に心を込めて 仏法で学んだ生命観で診療に全力
フランクフルト郊外で開業する内科医、ドイツSGI
ビザーネ・ゲアラッハ・リューデケさん(2015/06/29付)


仏法の実践で”本当の自分”輝かす
プロのバレエダンサーとして活躍 クロアチアSGI
ダニエレ・ロメオさん(2016/04/04付)


失意の青春から社会貢献の人生へ、省エネと環境技術で脚光を浴びる
香港理工大学准教授として活躍香港SGI張宙(チョン・チャウ)さん
(2016/04/26付)


ブルースの殿堂に迎えられる 音楽のために、人々のために
仏法にめぐり合った伝説のシンガー アメリカSGIトミーブラウンさん
(2016/05/02付)


差別・人種間紛争解決への教育を推進。
内なる変革が社会変革の力に ロンドン大学ゴールドスミス校講師
イギリスSGI デイビッド・ウッジャーさん(2016/06/27付)


夢の扉ひらく諦めない心 「スターウォーズ」最新作でVFX
(視覚効果の技術)の最高賞 映像制作会社の背景総括責任者
アメリカSGI 行弘 進さん(2016/07/04付)


地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力
25の診療所の管理責任者(スーパーバイザー)ペルーSGI 
フェリシタ・ビバンコさん(2016/08/29付)


人生を再び輝かせた妙法の力 免疫学研究で世界的な成果
アメリカSGI辻守哉さん ロックフェラー大学教授
(2016/09/05付)


世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(1)

林さん 1.PNG
左写真、清華大学・電機情報学部の研究室
右写真、国際学術誌への論文掲載を目指す林さんの授業


世界の体験プラザ
最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(1)
システム生物学と無線通信の2分野を研究

台湾SGI 林澤(リンザー)さん
名門・清華大学の電機情報学部准教授


弱気な自分との戦いに勝つ

携帯電話は、1980年代に肩掛けタイプが誕生して以来、携帯性の
向上、価格の低下、機能の充実はもちろん、通信面でも飛躍的な
進化を遂げてきた。

台湾きっての名門・清華大学の電機情報学部電機工程学科・准教授
として、林澤さんが研究を進めるのは、次世代のモバイル通信技術
5G(第5世代)の仕様策定だ。

2020年の商用化を目指し、通信速度は現在の約10倍になることが
見込まれている。「8年前に私が博士論文を出した時のテーマは、
現在の4Gについてでした。さらに複雑化しているプログラミング
をできるだけ単純化し、信頼度を上げることに貢献していきたいです」

実は、林さんの専門分野は、この「無線通信だけではない。
09年からは他の教授とも協力しつつ、「システム生物学」の研究にも
取り組んでいる。システム工学の解析方法を生物学に応用し、
生命現象をシステムとして理解する分野だ。

「幼いころは、通信関係と生物学のどちらも好きだったのですが、
大学で通信に絞りました。それが再び、生物も研究できるようになるとは。
当時の夢を実現できたと感謝してます」

今、林さんが進めるのは、カンジダ・アルビカンスという真菌(カビ)
の研究。体長4〜5センチの小型魚ゼブラフィッシュをモデル生物に使い、
その感染経路を探している。

「菌が魚の細胞の表面に付着した第1段階では鉄分を奪おうとするが、
細胞の中に入り込んだ第2段階ではグルコース(ブドウ糖)を奪う。
そして菌が魚の細胞を破壊する第3段階では再び鉄分を奪うことが
分かりました。

このような基礎研究を積み重ね、臨床の分野に生かしてもらうのが
目的です」また林さんの優れた教育の実績に対して、12年に大学から
「電機情報学部傑出教学賞」が、12,14,15年には「学術卓越教員賞」が
贈られた。

「はた目には順調に見えるかもしれませんが、いつも自分の弱気との
戦いの連続でした。ここまで勝利してこられたのは、この信仰の
おかげです」

 第2につづく (聖教新聞2016/08/22)

 まとめ
世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(1)
世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(2)
世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(3)


世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(2)

林さん 2.PNG
イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校大学院の博士号授与式
(中央が林さん)


世界の体験プラザ
最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(2)
システム生物学と無線通信の2分野を研究

台湾SGI 林澤(リンザー)さん
名門・清華大学の電機情報学部准教授


大学時代に信仰の基礎築く

父が台湾SGI(創価学会インタナショナル)のリーダーだったこともあり、
未来部のころからSGIの活動に参加してきた林さん。
学業が忙しくなる高校時代から、あまり会合に出席できなくなり、
台湾大学に入ってからも、大学会に顔を出す程度だった。

一方、自身の夢を探すため、さまざまな部活やサークルを経験。
特に「農村服務隊」に熱中した。奥地に赴き、子どもたちに勉強を教え、
一緒に遊ぶボランティア。「自分が役に立てているという充実感が
心地よかったです」

大学2年の終わりごろ、翌年の大学会の中心者と、農村服務隊の責任者の、
二者拓一を迫られた。父に相談すると、「誰も君に代わって人生を決められない。
自分が最高の価値を発揮できるのはどこか、しっかり考えるんだよ」
とアドバイスを。

その時は農村服務隊に参加したものの、重い風邪を患い、隊の活動は
休まざるを得なくなった。現地で看病してくれたのは、SGIメンバーだった。
毎日一緒に勤行し、さまざまな話を。御書と池田SGI会長の指導を胸に、
人に尽くせる人生を歩んできたと語る、彼の歓喜が深く心に残った。

「おかげで私の迷いは消え、大学会の代表を全うすることができました」
大学卒業後は、アメリカ留学を決意。01年、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン
校大学院修士課程に全額奨学金で進学。世界的な電磁学の権威の教授のもと、
研究に没頭した。

03年には博士課程に。しかし、次第に指導教授との関係が悪化し、精神的にも
肉体的にも疲弊。追い打ちをかけたのが、母方の叔父の胆のうがんだった。
「父が多忙な分、叔父との関係は、とても特別でした」。

諸子百家はじめ、東洋哲学について手ほどきを受け、青年期の価値観の確立に、
最も大きな影響を受けた。意識が混濁する叔父に林さんは誓った。
「叔母と母は、僕が面倒をみるから、安心してください」

また同じころ、林さんはSGI会長の詩「正義のために戦え!汝の勇気は
無限なり」を目にした。「君には/高貴な/永遠に破ることのできない/深い/
そして強い/約束があるのだ」

林さんは「叔父の死と、この先生の詩が、私の目を覚ましてくれた。
自分の使命は何かを思い起こさせてくれました」と語る。

 第3につづく (聖教新聞2016/08/22)

 まとめ
世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(1)
世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(2)
世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(3)


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