聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(3)

3林さん .PNG
昨年、電機工程学会「優秀青年電機技術者賞」を受賞した林さん


世界の体験プラザ
最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(3)
システム生物学と無線通信の2分野を研究

台湾SGI 林澤(リンザー)さん
名門・清華大学の電機情報学部准教授

国際学術誌に年5本の論文

「信心は一人前、研究は3人前」を心掛け、猛然と取り組むと、指導教授との
関係は改善。博士課程修了前には、世界トップクラスの半導体メーカー
「テキサス・インスツルメンツ」から好待遇で誘いを受け、応募していた清華
大学からも高評価で採用通知が届いた。

収入差は約3倍。進路に迷った時、よみがえってきたのが以前の経験だった。
自分が最高の価値を発揮し、人に尽くせるのはどちらか、、、。
収入より台湾の教育界に貢献したいと、帰国への心が決まった。

「ところが間もなく、リーマン・ショックに襲われました。もしアメリカに
残っていたら、間違いなく危機に直面していたでしょう。
この信心が羅針盤なのだと、あらためて実感しました」

08年から清華大学に奉職。学生の評価も高く、研究成果も上々。
ところが、6年以内に准教授に昇格しないと失職という条件が重くのしかかる。
国際的な学術機関誌への論文掲載という基準が満たせず、14年夏の期限が
迫っていた。

「その前年も、台湾SGI青年部長の任を受け、死に物狂いの努力を
したのですが、、、。」。林さんの対話で、11年の結婚を機に入会したばかりの
妻も一緒に祈ってくれたが、クリアできず。

失意の中、13年9月、日本でのSGI青年研修会に参加。
その最終日、SGI会長から「皆さんの勝利を待っています」との伝言で、
ぱっと心が晴れたという。

研究、SGIの活動、一家和楽、全てを実現しょうと奮闘した結果、1年間で
5本の論文が国際学術誌に掲載された。評価会も最高評価で合格し、14年8月、
晴れて准教授に昇格した。

11月には、ゲノム情報ワークショップ(GIW)国際染色体植物学会(ISCB)
アジア会議の「最優秀論文賞」を、15年12月には電機工程学会
「優秀青年電機技術者賞」を受賞した。

今、林さんの研究室では、全ての修士課程の学生に卒業までに1本、
国際学術誌への論文掲載を課している。

「マラソンのコーチのように、ゴールまで学生と並走し、そのつらさと
喜びを、経験を通じて伝えていきたい。それが私の使命です」

 おわり (聖教新聞2016/08/22)

 まとめ
世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(1)
世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(2)
世界の体験プラザ、最高の価値を発揮し人に尽くせる道を(3)

トップページヘ


posted by mity504 at 10:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

百歳迎える母に草創の信心学ぶ(聖教新聞 声 2016/09/25)

声.PNG

(聖教新聞 声 2016/09/25)

百歳迎える母に草創の信心学ぶ


菊池真知子(68) 札幌市厚別区

「敬老の日」に当たり、母のことを書きます。
来月12日で、母は満100歳を迎えます。母が入会したのは62年前。
子どもたちが道を踏み外さないために、何か心のよりどころはないか
求めていた母は、近所の学会員から信心の話を聞きました。

当時はまだ、学会のことはほとんど知られていませんでしたが、
信頼できる方だったので、入会を決意したそうです。
最近は耳も遠くなり、物忘れも増えてきましたが、勤行は欠かしません。

小グループの会合にも参加し、入会間もない草創期のことを話してくれます。
 戸田先生が札幌に来られた折、夫の帰りを待って、
会合に駆け付けたそうです。

すでに戸田先生のお話は始まっていましたが、先生はわざわざ母の席に近づいて、
あいさつされ、元の席に戻られたそうです。母たちには法華経に説かれる
「当起遠迎当如敬仏(当(まさ)に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが
如くすべし)」(御書781ページ)のようなお姿に感じられたそうです。

母は働きずめで、苦難はたくさんありましたが、いつも精一杯の活動をし、
人に尽くしてきました。その福運で、今は、兄夫婦と孫たちに囲まれ、
近くに私たち家族もいて、入院することもなく元気に過ごしています。

私たちきょうだいを、迷うことなく、御本尊に巡り合わせてくれた母、
草創期の信心を教えてくれた母に心から感謝しています。

 (聖教新聞 声 2016/09/25)

トップページヘ


posted by mity504 at 14:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読者の投稿

サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(1)

ペルークスコ編 1.PNG
山上に浮かび上がる空中都市は、私たちの誇り!SGI会長のペルー初訪問
50周年を祝賀して、クスコ地区の友が「マチュピチュ」で記念のカメラに。
「失われた都市」とも呼ばれる石造りの”伝説の都”は、16世紀のインカ
帝国滅亡から400年近くになった1911年に発見されるまで、
長い眠りについていた。83年には、歴史保護区として、文化・自然の両方を
含む複合遺産に登録されている

ペルークスコ編 2.PNG


標高6000メートル級の山々が連なるアンデスの国・ペルー。
本年は、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の同国初訪問から
50周年の佳節。今や、アンデスの峰々にも、ジャングルの秘境にも、
古代遺跡の町にも、平和と幸福を広げるSGIの友がいる。今月、
現地を訪れ、アンデス高地で活動するメンバーを取材した。
(記事=西賢一、写真=上沢尚之)

サンデーリポート
 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(1)

インカの都に信仰勝利の輝き

 アンデスを訪ねて ペルークスコ編

南米の玄関口、首都リマのホルヘ・チャベス国際空港から、
さらに飛行機で1時間20分。眼下に広がるのは、
かってのインカ帝国の首都・クスコの景観である。

大勢の観光客でにぎわうアレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港に
到着すると驚いた。早足で歩くと、息が切れてしまうからだ。
それもそのはず。クスコの標高は3400メートル。

いきなり富士山の8合目に降り立ったようなものだからである。
呼吸を整えながら、空港の外へ出ると、ヘスス・エレラ地区部長ら、
クスコ地区の友が笑顔で歓迎してくれた。

クスコ、アプリマック、マドレ・デ・ディオスの3県にまたがる同地区。
その面積は、実に日本の本州の約80%にもなる。
ペルーで最も広大な地区の中には、インカ帝国の謎を秘めた標高2400メートル
の空中都市「マチュピチュ」がある。

その近郊の町にも、SGIメンバーがいるという。「わが地区は、クスコを
中心に、キャバンバやアカンバイなど、五つのグループで構成されています。
一番遠くだと、クスコから陸路で15時間かかるアマゾン地帯の
プエルトマルドナードにも、私が折伏した同志がいます。
そうした遠隔地にも、毎月必ず足を運び、激励を重ねています。」

そう語るエレラサンガ仏法と出会ったのは、7歳の時。
父の酒乱などに悩む母が入会したことがきっかけだった。
1974年3月には「世界平和ペルー文化祭」に出演。SGI会長と
初めての出会いを結んだ。

だが16歳になると、非行の道に。飲酒やけんかに明け暮れ、23歳で重度の
アルコール依存症に陥った。すでに家庭を持っていたが、妻に手を上げ、
家財を売り払ってまで飲み歩いた。

「もう息子は変われない。私たちと一緒に暮らそう」。心配した母が
家族を連れて行こうとしても、酒を断ちきれない。何も変わらないまま、
10年以上の歳月が流れていった。

 第2につづく (聖教新聞2016/09/25)

 まとめ
サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(1)
サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(2)
サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(3)

トップページヘ


posted by mity504 at 10:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験談

サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(2)

クスコ.PNG
市街が世界遺産に指定されているクスコの町並み。
ペルー最大の観光都市である


クスコ座談会.PNG
座談会をにぎやかに。民族衣装を身にまとった
未来部の演目が花を添えた(クスコ市内で)


サンデーリポート
 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(2)

インカの都に信仰勝利の輝き

 アンデスを訪ねて ペルークスコ編


周囲の祈りが、通じたのだろう。”ここから抜け出したい”
35歳のある日、いつものように友人と飲んでいたエレラさんは、
ついに正気を取り戻す。

真面目に信心に励んでいた未来部時代を思い起こし、カウンセリング
に通いながら、題目を唱え始めた。ペルーSGIの機関誌を読み深める中、
胸に湧き上がったのは、自他共の幸福を築く広宣流布のロマンだった。

治療も順調に進み、2001年に御本尊を受持。SGI会長の闘争に学び、
「地涌の同志よ、いでよ!」と大地に題目を染み込ませるように、
行く先々で、まだ見ぬ友の幸せを祈った。

以来、地区内で実らせた弘教は7世帯。地区部長となった3年前から
世帯数は倍増し、新たに四つのグループが誕生した。
自然食品を販売する仕事では、発心直後に小さいながらも店を構える
ことができ、このほど新たな店舗の購入契約を済ませた。

現在は、地元のテレビ局とラジオ局で健康に関するレギュラー番組を
持つなど、昔を知る誰もが驚くほどの経済革命を果たした。
「何もなかった私が勝利の実証を示すことができたのは、信心を
教えてくれた師匠とSGIのおかげです。

この間、支えてくれた妻(フランシスカ・オヤチカさん=婦人部
グループ責任者)や4人の子どもたちへの感謝は尽きません」
そんなエレラさんの最大の喜びは、青年部の成長だという。

会合の参加者は、昨年から5倍以上に。日本の旅行会社の現地
駐在員であるマサヒコ・ウエノさん(男子部グループ責任者)や、
観光業を営むダイサク・モンテロッソさん(同)らが
地区を盛り上げている。

彼らを見守る壮年・婦人も意気軒昂だ。クスコ広布の一粒種である
アドルフォ・アバロスさん(グループ責任者)は、1972年の入会。
原点は74年3月、リマに滞在していたSGI会長との忘れ得ぬ
出会いである。

ペルーは国民の約9割がカトリック教徒の国。クスコなどの
山岳地帯には、土着の信仰が深く根付いている。

 第3につづく (聖教新聞2016/09/25)

 まとめ
サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(1)
サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(2)
サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(3)

トップページヘ


posted by mity504 at 12:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験談

サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(3)

ペルーメンバー.PNG
写真上、ミリアン・ノリエガさん(左)、メダリー・べラルタさん親子
写真中、(右)地区部長のヘスス・エレラさん
写真中、(左)一粒種のアドルフォ・アバロスさん
写真下、銀細工職人のシリロ・ヌニェスさん


サンデーリポート
 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(3)

インカの都に信仰勝利の輝き


 アンデスを訪ねて ペルークスコ編

その中の一人、弘教に奔走したアバロスさん。当時、彼の紹介で
会合に参加したのが、婦人部員のミリアン・ノリエガさんだ。
女手一つで6人きょうだいを育ててくれた母と共に新人を始め、
経済苦や原因不明の病を克服。

娘のメダリー・ペラルタさんは、女子地区リーダーとして、
後継の道を歩む。地区壮年部長のシリコ・ヌニェスさんは、世界を
舞台に活躍する銀細工職人。

91年に起こった宗門事件では、妻のカシミラ・チュチュヨさん
(地区婦人部長)と一緒に、同氏を励まし続けた。
ヌニェスさんは言う。「信心で打ち破れない壁はありません。
貧乏を乗り越え、一家和楽も実現しました。
『冬は必ず春となる』ですから」
  ◇
今月の11日の午後7時半(現地時間)から開催された地区座談会。
満座の会場がひときわ沸いたのは、席上行われた、5人の友への
ご本尊授与だった。

その一人、アバンカイから遠路集ったアレックス・バスケスさんは、
大学の副総長。「亡き両親が大切にしていた信心を受け継ぐことが
でき、感無量です。仏法の実践を貫き、少しずつ恩返しして
いきたい」と、かみしめるように語っていた。

 かってSGI会長は、インカ帝国に思いをはせながら、つづった。
「マチュピチュの高き峰。天に一番近い都で、´天を見つめ、
天と語らって生きた人々。そにように君よ、だれが知ろうと
知るまいと、烈風にそびえる精神の都を築け!」と。

おわり (聖教新聞2016/09/25)

 まとめ
サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(1)
サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(2)
サンデーリポート 空中都市マチュピチュを擁する広大な地区(3)

トップページヘ


posted by mity504 at 18:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験談

信仰体験、見てごらん!伸び伸び育つ子どもたちを、奄美の子

奄美大島.PNG
子どもと遊ぶ時も、本気で遊ぶのが”ヨリ姉”(中)
のスタイル。島の大自然を思い切り楽しむ


信仰体験、見てごらん!伸び伸び育つ子どもたちを

人の子も わが子も同じ 奄美の子

【鹿児島県・宇検村】鹿児島市から南へ約380キロの奄美大島。
島の最西端で「親子山村留学制度(メモ)」の導入に踏み切った
地域がある。中心の一人となって奔走する中島頼子さん(62)
=戸田支部、婦人部副本部長。
通称”ヨリ姉(ねえ)”。学校存続の危機から一転、地域に子供たちの
元気な声が戻ってきた、、、。

メモ 「山村留学」とは、都市部の小中学生が地元を離れ、自然豊かな
農産漁村で暮らしながら、そこの学校に通学する「体験型」の教育制度。
1976年(昭和51年)に長野県八坂村(現・大町市)で始まり、過疎地を
抱える自治体など全国各地に広がった。阿室小中学校の「親子山村留学」
は、親子での移住が条件。


”ヨリ姉”の「山村留学」奮闘記

母校を守ろう

キーンコーン、カーンコーン、、、。
阿室小中学校の授業の開始を知らせるチャイムが、家にいても、
はっきり聞こえてくる。

ヨリ姉の自宅は、学校の正門前にある。鐘の音も、子供たちの
元気な声も、生活の一部。自宅の隣で30年以上、美容室を
営みながら、登下校する子供たちの安全と成長を、来る日も来る日も
見守り続けてきた。

そんなヨリ姉に付けられた、もう一つの呼び名は「門番」、、、。
「誰が言い始めたんだかね(笑)」。その明るい表情は、まんざらでも
なさそう。
かって、500人ほどが通っていた阿室小中学校の児童生徒数は、
過疎化や少子化などの影響により、年々減少し、同校は存続の危機に
直面した。

「母校を守ろう!」実情を知った住民たちは2009年(平成21年)
児童生徒の増加を目的とした「活性化対策委員会」を設置。
打開策の一つが「親子山村留学制度」である。

少人数学習による学力向上、自然との触れ合いを通じた豊かな
人間形成などを特色に掲げ、翌年、導入した。

そして  同委員会の事務局長に、ヨリ姉が推薦された。
長年、学校で読み聞かせを推進する「親子読書会」代表を始め、
PTA会長、民生委員、地域行事の運営や近隣清掃など、
数々の役回りを引き受けてきた信頼と経験を買われてのことだった。

「山村留学」の言葉すら知らなかったヨリ姉が、”人のために尽くすのが
学会精神。愛する島のために、何が何でも軌道にのせよう”と、
挑戦を始めた。


頼られる子に

”頼られる子に育ってほしい”。ヨリ姉の名前は、両親の願いが込められ、
「頼子」と名付けられた。だが青春時代は、「クラスでもそんな存在
ではなかった」という。信心に出会うまでは、、、。

奄美大島を離れ、高校卒業後、美容師になるため、単身上京。
理想と現実の違いに悩みながら、東京や神奈川の美容室で働いた。
ある日、客から信心の話をされた。

”自分を変えたい”と、1980年(昭和55年)、26歳で創価学会に
入会する。2年後、埼玉で開催された第2回「世界平和文化祭」に、
華冠グループ(美容関係に携わる女子部の集い)の一員として、衣裳製作
に携わることに。

池田SGI会長出席のもと、大成功で終えた感動は、何物にも
代え難かった。”人の役に立てることが、こんなにもうれしいなんて!”
その後、自分を育ててくれた島のため、留守の間、両親を支えてくれた
村のために、少しでも恩返しがしたいと、86年に帰郷。

奄美大島に戻ってからは、美容室を開き、3人の子育てに奮闘した。
9年前、最愛の夫に先立たれたが、涙を拭い、懸命に題目を唱えながら、
支部婦人部長の使命を果たし抜いた。

どんな時でも人のために尽くしてきた人生。それは”一人を大切にする心”
を育んでくれたと思い感謝する。だからこそ、、、。
「きゅら(美しい)島へ、ようこそ!」

はるばる体験留学で来島した親子を、ヨリ姉は満面の笑みで迎える。
空港から片道約3時間。緊張を和らげようと、車中、楽しい話で盛り上げる。
親子で移り住むのは並大抵の決断ではない。

縁もゆかりもない地では、どんなに心細いだろう。
ヨリ姉は頻繁に食事会を開いては、”家族の一員”として振る舞った。
心もフル回転させながら、一組一組、誠実に受け入れていった。


農水省の「絆づくり」優良事例に選定

「母は太陽」

「人の子も わが子も同じ 奄美の子」。代々受け継がれてきた教育精神が
島の人々の生活に深く根付いている。ある年、留学生の中に、わんぱくな
男の子がいた。暴れだすと手が付けられない。

母親の腕には複数の歯形が、、、。東京にいた頃は、学校になじめず
不登校だったという。

ヨリ姉は母親に語り掛けた。「大丈夫、大丈夫。子どもは世の中に交ざって
、人と触れ合って成長するの。みんなで関わっていけば、あの子は
あの子らしく、真っすぐに育つから」みんなで育てよう、、、。

その優しさに母親の心は軽くなり、救われる思いがしたという。不安だった
表情に少しずつ笑顔が戻ってきた。「そう、母親がニコニコしていれば、
子どもはそれだけで幸せを感じるものよ」

ヨリ姉の胸には、SGI会長の「母は太陽」との指針が深く刻まれている。
だから、”お母さんがいつも明るく元気でいられる”ことに、
最大に心を砕く。

皆で温かく見守る中で、男の子は徐々に落ち着きを取り戻し、登校し始めた。
以来、無遅刻・無欠席の皆勤賞。

阿室小中学校の鎌田卓生校長は語る。「ここは、”地域の教育力”
がとても強い校区です。校庭の石拾いや木々の剪定などの奉仕作業に、
校区に住む約8割もの住民の方が来てくださいます。

中でも、ヨリ姉は、何をするにも本当に丁寧で熱意があって、人に尽くす
手本のような存在です」

家庭、学校、地域 三位一体の取り組みが功を奏し、活性化対策委員会の
「親子山村留学」活動は、農林水産省の2011年度「食と地域の『絆』
づくり」の優良事例に、選定された。

制度導入から7年がたった今、7人だった児童生徒は約3倍の20人に
(9月1日現在)。そのうち半数以上が留学生だ。
ヨリ姉は昨年、事務局長を後進にバトンタッチした。
サポートに回りながら、きょうも学校の前で、子供たちの姿を見守る。

「見てごらん、伸び伸び育つあの子たちの姿を」。そう語るヨリ姉の
笑顔は、南国の太陽のようにまぶしく輝いていた。
 (九州支社編集部発)

     (聖教新聞、2016/09/28)

トップページヘ


posted by mity504 at 11:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰体験

声、不登校の息子が信心の実証を示し(聖教新聞)

不登校児.PNG


不登校の息子が信心の実証を示し

 堺市南区 前田真理子(主婦 62歳)

私の息子は中学2年のころから不登校になりました。
十分な睡眠や食事を取ることもできず、4年間、悩み苦しむ日々が。
私は御本尊に祈り、学会活動をするしかありません。

それでも、地区や支部の先輩や同志から、「大丈夫よ。
『冬は必ず春となる』(御書1253ページ)のだから」
と励ましていただきました。

何度も激励を受けて私は、”どんなことがあっても、
必ず大勝利してみせる”と固く決意。

誓いを込めた手紙を地域の方や師匠に送り、真剣に祈りました。
男子部の方が熱心に家庭訪問を重ねてくださるうちに、息子は
少しずつ元気を取り戻し、信心にも前向きになりました。

地域でアルバイトを始めて、通信制の高校を卒業。大手通信会社の
正社員として就職を勝ち取ることができたのです。
さらに、社内で成績も上げ、表彰されるまでになりました。

この8月21日、息子は結婚式を挙げました。これまで祈り、
支えてくださった皆さんが出席。これ以上ない、明るく素晴らしい
式になりました。まさに、祈り続けてきた大勝利の姿を、
地域の皆さんにご報告することができたのです。

今回の婦人部総会では、4人の友人を迎え、信心の実証を
語ることができました。これからも、地域広布に一段と励み、
同志の皆さんの恩に応えていきたいと思います。

  (聖教新聞、声 2016/09/30)

トップページヘ


posted by mity504 at 17:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰体験
Copyright © 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事 All Rights Reserved.
当サイトのテキストや画像等すべての転載転用・商用販売を固く禁じます
<