聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(1)

大田和子1.PNG
「体調はどうですか? 優しく包み込むように
「脊柱靭帯骨化症友の会」のメンバーに語り掛ける大田さん(左)。
病を経験したからこそ友に寄り添うことができる」


信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え

悩んでいる人を放っておけない


【石川県金沢市】大田和子(69)=池田支部、地区副婦人部長
(総白ゆり長兼任)=が、体に異変を感じたのは、1998年
(平成10年)の暮れのこと。病院で「後縦靭帯骨化症(OPLL)」
と診断された。
厚生労働省の指定難病である。重い病と向き合いながらも、
太田さんには、つかんだものがある、、、。

いよいよ

いつものように、洗い物をしていた。だが鍋を洗おうと右手持った
たわしが、うまく動かせない。翌日も、手から力が抜けていくようで
、包丁をしっかり握ることができなかった。

”おかしい、、、”知り合いの脳神経外科医の元へ急いだ。
CT,MRIによる検査の結果、思いも寄らぬ病名が告げられた。
「大田さん、後縦靭帯骨化症ですね。この病気は放っておいたら
どんどん悪くなるよ、、、」

背骨の中を縦に走る靭帯が、何らかの原因で骨化するという病だった。
発症すると、脊髄の通っている脊柱管が狭くなり、神経根を圧迫。
感覚障害や運動障害などの神経症状を引き起こすことが、
医師から説明された。

突然の難病の診断。しかし、大田さんがひるむことはなかった。
むしろ、心が燃え上がっていくような感覚を覚えた。
”いよいよ、私にも宿命を乗り越えなけらばいけない時がきたんだ”

そう思えたのは、この信心と巡り合えたからだった。


幸せとは

人知れず、苦労を重ねた半生だった。30歳で離婚を経験。
3人の子を養うため、昼は車の営業、夜は飲食店で、働きづめの日々を
送った。1986年(昭和61年)11月、当時、経営を任されたレストラン
の従業員から、仏法の話を聞いた。

「大田さん、今、幸せですか?」。婦人の問いかけに、すぐに「幸せです」
とは言い切れなかった。答えに窮していると、確信に満ちた言葉が
返ってきた。

「この信心は、必ず、幸せになれる信心なんですよ」
母子家庭での3人の子育ては大変だったが、かといって、特に悩んでいた
わけでもない。ただ、日常生活に充実感はなかった。

「半年間だけやってみます」。それが大田さんの答えだった。
"幸せとは" お金があって、楽な生活ができて、、、。
「最初はそんなことしか思い浮かばなかった」。

しかし、信心に励んでいくうち、その考えが違っていたことに気が付く。
「友人が人間関係で悩んでいて。何とかしたいんです」「家族が病と
戦っています。でも一緒に祈って、乗り越えるから見ていてください」。

創価学会の会合に参加すると、皆が、悩んでいる人のために真剣だった。
目の前の友を救いたい、どうにかしてあげたいと、同苦する友の姿が、
大田さんの目には輝いて見えた。

これまで、そんなことは考えもしなかった。誰かの面倒を見るのは
できるなら避けたい。そう思うのは当然だと感じていた。
”学会の人たちは違う。私も皆さんのようになりたい”。
そんな思いが、自然と湧き上がった。

御書を学び、「一人を大切に」との池田SGI会長の指針を心に刻んだ。
そして、仏法対話に、聖教拡大にと、大田さんは挑戦を貫く。
そうして祈り、戦い切った心の充実は、何物にも代え難いものとなった、、。

 第二つづく (聖教新聞、2016/09/30、Fri)

まとめ
信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(1)
信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(2)


信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(2)

大田和子2.PNG
地域の同志と共に広布に歩む大田さん(中)。
「学会活動が元気の源です!」



信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(2)

悩んでいる人を放っておけない

県の「脊柱靭帯骨化症友の会」会長として希望送る


形となり

99年3月。大きな手術を前にしても、不思議と不安はなかった。
病を乗り越えてきた、同志の顔が思い浮かんでいたからだ。
それが、何よりの励ましとなり、背中を押されているような
気がした。

後縦靭帯骨化症の手術は、脊髄が収まっている脊柱管を形作っている
椎弓を開いて広げ、神経の圧迫を取り除く方法(椎弓形成術)
が用いられることが多い。

だが、大田さんの場合、前方固定術と呼ばれる、難易度の高い手術が
施されることになった。首の前側を切開し、頚椎を構成している椎体と、
骨化している後縦靭帯が切除された。

そして椎体があった部分に人口骨を移植。難手術は成功した。
とはいえ、骨化により圧迫され、傷ついた神経根は簡単には回復しない。
痛みが和らぐまでには、5,6年の歳月を要する。

特に、寒さの厳しい冬場は、右手がしびれ、苦痛に顔をゆがめた。
一日も早く、自由に体が動くようにと徹して祈り、学会活動に励む
日々が続いた。

手術から1年が過ぎたある日。何げなく新聞を開くと、「脊柱靭帯骨化症
友の会」発足の記事が目に入った。大田さんは、近所で開かれていた
その集いに駆け付け、訴えた。

「私でよければ、お役に立てるかもしれません」この出会いがきっかけとなり、
「友の会」発足に携わるように。幹事として活動を始めると、
同じ病に苦しむ、多くの人との出会いが待っていた。悩んでいる人を
放っておくことはできなかった

”少しでも、不安や苦悩を取り除いてあげたい”と、活動に力が入った。
信心を始めたばかりのころ、”私も悩んでいる人のために!”
と誓ったことが、形となって身を結んだ。


”心の炎”

2013年、友の会の会長に就任した。東京の大学病院で行われる、厚生省
難治性疾患克服研究班の会議にも参加。さらに、2か月に1度、
会のメンバーとの交流の機会を設けている。

交流の場には大切なテーマがある。<話を聞いてくれる仲間がいる。
それだけで悩みは半減し、喜びは倍加。一人で悩まないで>。
病の症状や新たな治療薬について、貴重な情報交換の場ともなっている。

「元通りに体が動くかどうか、不安なんです」。メンバーから打ちあけられる
悩みを誠実に聞くことから始める。そしてその人の苦悩を心にとどめ、
共に病に立ち向かう思いで、日々の唱題に力を込める。

「私自身が一人一人のこと、真剣に祈らなきゃ!」一番の喜びは
「元気になった」「回復しました」というメンバーからの報告。
「この笑顔に出会えるから、困っている人がいれば、放つておけない。
力になりたいの」

入会から30年。病になり、経済苦に見舞われたこともあった。
だが、信心でともした、”励ましたい”という”心の炎”
が消えることはない。

「病気になったから、たくさんのことを学べました。人の痛みを、
少しでも分かろうとする自分に変われた。信心していなかったら、
こんな生き方はできなかったと思います。だから、燃え尽きるまで
頑張らなきゃ(笑い)」

悩める友のため、きょうも大田さんの全力の一日が始まる。

 おわり (聖教新聞、2016/09/30 Fri)

まとめ
信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(1)
信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(2)


世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(1)

ロボコップ1.PNG

世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(1)

映画「ロボコップ」に出演

アメリカSGI ジェシーゴーインズさん

人生を変えた信仰との出あい

自分が自由になれる場所

私は1952年ペンシルベニア州のピッツバーグで生まれました。
私の幼少期、すなわち50年代から60年代の米国は、公民権運動が
高まっている時代。社会はまだ、公然とアフリカ系アメリカ人への
強い偏見と差別があったのです。

当時はまた、家庭の中でも子どもは”子どもとしての振る舞い”
を厳しく求められる時代でもありました。父は郵便局で働きながら
牧師も務める厳格な人でした。

人一倍、感受性の強かった私は、自分らしくいられる居場所を常「」に
求めていたように思います。そんな私を虜にしたのが、学校で
出会った「劇」だったのです。それは私が思い切り自由に自分を表現できる
場でした。

小中高と劇にのめり込み、ニューヨーク州立大学・ブロックポート校で
演劇の学士を、ミシガン大学大学院で演劇の博士号を取得しました。
75年大学院を出ると、ニューヨークでアルバイトを掛け持ちしながら、
いくつかの劇団に所属しました。

やがて結婚し、さらなるキャリアアップのために夫婦でハリウッドのある
ロサンゼルスに移りました。苦労は多いながらも充実した日々でした。
ところが息子・アダムが生まれた翌年の82年、夫婦関係が破局して離婚。
妻だった女性は息子を連れてニューヨークに戻ってしまったのです。

経済的にも悪戦苦闘が続きました。息子に面会するためクリスマスなど
年に数回だけ無理をしてニューヨークを訪ね、そのたびに前妻と
大喧嘩をして、ロスに戻る時はいつも”一文無し”というありさまでした。

一人に無限の可能性が

転機が訪れたのは85年でした。当時交際していた女性がSGI(創価学会インタ
ナショナル)の信仰を始めたというのです。それまで悲観的だった
彼女の性格が見る見る明るく強くなっていく様子に私は驚きました。

誘われて座談会に行ってみると、そこでは多くのアフリカ系アメリカ人を
はじめ、多様な人種の人々が互いを尊敬し合い、励まし合っていました。
誰もが親切で誠実でした。信仰体験も素晴らしく、さらに研究発表にも
心を動かされました。

衆生と仏は別々のものではない。迷っている時が衆生であり、悟りの生命を
開けば仏なのだ、、、。一人一人に無限の可能性があること。
日蓮仏法の根底には万人への尊敬があること。私は、これこそ自分がずっと
探し求めていたものだと気づきました。

8月に入会。経済の悩みや前妻との問題など、自分の願いをありのままに
リストに書き出して、唱題に挑戦しました。すると、クリスマス休暇の
航空券を買う前に、映画俳優組合から過去数年に終えた仕事の再放送
出演料として、間違いではないかと確認するほど多くの金額が
振り込まれていました。

訪れたニューヨークでは、祈ったと通りに前妻との関係もがらりと変わりました。
この時以来、私たちは一度も喧嘩することなく、協力し合って息子に教育を
受けさせていけるようになったのです。

そして、私と前妻とは電話で何時間でも話せる”親友”へと変わっていきました。

 第2につづく (聖教新聞、2016/10/03、Mon)

まとめ
世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(1)
世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(2)

世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(2)

ロボコップ2.PNG
写真中央上=撮影当時、共演者と共に(右から2人目が)
ゴーインズさん


世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(2)

映画「ロボコップ」に出演

アメリカSGI ジェシーゴーインズさん


30年目の「一家和楽」

青年部では組織の第一線で活動し、男子部の人材グループである牙城会
や創価班の任務にも就きました。先輩からは常に「自身の夢を懸けて
日々の信仰に励んでいくこと」の大切さを教えられました。

そうした中、あるオーディションに合格したという通知が舞い込みました。
それが映画『ロボコップ』のジョー・コックス役だったのです。
私は、全キャストとスタッフの無事故、作品のヒット、そしてこの仕事が
私の代表作になり、広宣流布の役に立てることを懸命に祈りました。

撮影は無事に終わり、87年に公開されるや、その年のトップ10に
ランキングされる大ヒット作となりました。SF映画の名作として、
今もなお世界中で愛されています。

入会以来、100本を超すコマーシャル、「24」「ER」など100編近いテレビ
ドラマ、10本の映画に出演してきました。SGIの信仰は、私の仕事への
姿勢を大きく変えました。

どんな仕事でも、作品を通して観客の心に深く長く居続けられるよう、
朗々たる唱題で生命力を強くして臨み、全てのスタッフや関係者を
大切にすることを心掛けてきました。

訪米された池田先生にも、行事の役員として何度も出会いを刻むことが
できました。先生が北米の友に贈られたスピーチには、こうあります。
「何があっても、いい方向へ、いい方向へと受けとめ、喜んでいける
余裕が大切である。そうした強く、大きな自身の境涯のなかに、
幸福が生まれ、功徳が花咲いていく」

うれしいことに、2004年には息子のアダムがSGIの信仰を始めました。
そして、12年にはアダムの対話で彼の義父も入会し、
さらに15年にはアダムの母親である私の前妻も御本尊を受持したのです。
30年間、祈り続けたことが、ついに実現しました。

昨年、自分が卒業した大学の卒業式に招かれ、学生とその保護者ら
5千人を前にスピーチをしました。私は、信奉してきた仏法のこと、
SGIのことも、率直に語りました。

戦火と対立、人権侵害など、今なお多くの困難を抱えた21世紀にあって、
青年こそが一切を打開していく希望の存在なのだと力説しました。
このほど西部方面の芸術部壮年部長の任命をいただきました。

芸術部として、地涌の自覚も新たに、ロサンゼルスの、さらに全米、
全世界の広宣流布拡大にまい進していく決心です。

 おわり (聖教新聞、2016/10/03、Mon)

まとめ
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アニメ人間革命 第01話 「黎明」と第2話 「地湧」




牧口常三郎先生は獄死され、生きて出獄された戸田先生が戦後の荒廃した日本から
学会を再建されていきます。

もっと知りたい方は単行本「人間革命」がありますのでお勧めです。
こちら ↓

人間革命〈第1巻〉 (聖教ワイド文庫)

「創価の哲学」を全世界が希求、不滅の妙法を学ぶ感激に燃えて前進!(1)

永遠たれ.PNG


池田SGI会長 随筆 永遠なれ 創価の大城(12)

「創価の哲学」を全世界が希求

不滅の妙法を学ぶ感激に燃えて前進!(1)

広がる地涌の確信

冴え光る 

宇宙の英知か

名月を

心に抱けや

御書とともに


ひときわ月光の美しい季節となった。「法華経は闇夜の月のごとし」
(1501ページ)と、日蓮大聖人は仰せである。
ことに、「深く信じる者は満月の闇夜を照らすが如し」(同ページ)
と示されている。

妙法を持つ我らは、皓々たる満月のように、末法悪世の闇を勇気と希望の
光で照らし、友を励ましながら生きるのだ。
御聖訓には、「秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く
実成熟して一切の有情を養育し寿命続き長養し終に成仏の徳用を顕す」
(同574ページ)とも説かれている。

秋の名月という縁に触れ、草木が豊かな実を結び、万物を育んでいく。
それと同じように、この妙法の真髄を学ぶ我らもまた、
妙法に則って、「一生成仏」という実を結びながら、自他共の
幸福を築き、平和の道を広げていくのだ。

教学研鑽の喜び

今、世界中から、教学研鑽の報告が絶え間なく届く時代となった。
欧州でも、北米・オセアニアでも、中南米、アジアでも、
教学研修会や教学試験が行われ、御書を拝し、仏法の人間主義を学ぶ喜びが
広がっている。

二十一世紀の希望大陸アフリカでも、待望の第一回の教学実力試験が
行われる運びである。さらに日本では、青年部が先日、教学試験二級で
「開目抄」等の重書に取り組み、立派な成果を示してくれた。

合否を超えて、尊い求道の努力を讃えたい。先輩から情熱を込めて勧められ、
多忙な中、受験に挑戦した青年が笑顔で語っていたという。
「父母たちが、なぜ学会活動に一生懸命に励むのか。その意義があらためて
深く分かりました。

創価家族のエールに包まれて、教学を研鑽する成長と歓喜のドラマは、
今や日本中、世界中で織りなされているのだ。十一月には伝統の教学部
任用試験(仏法入門)も行われる。

世の中には多くの試験がある。しかし、皆が人類最高峰の生命哲学の
門に入り、幸福と平和の博士となっていく試験はわが学会にしかない。
そしてまた、学会の教学試験ほど、学歴や肩書や年齢など、あれゆる違いを
超えて、万人に開かれた「学びのチャンス」はあるまい。

大聖人は、仏法の質問をした女性に、「三千大千世界(大宇宙)を
鞠のように蹴り上げる人よりも有り難く、尊い大善根である」(同1402ページ
、趣意)とまで讃えられた。

どうか、受験それ自体が、誇り高く福徳を広げゆく大善根であることを、
挑戦される方も、応援される方も、共々に確信していただきたい。

なぜ学会は発展

「人生とは自己を向上させる不断の努力です」とは、世界的バイオリニスト
、メニューイン氏の言葉であった。氏は、イギリスSGIの一婦人から教わった
「南無妙法蓮華経」の音律に深く感動され、晩年、散歩の折などに
口ずさんでおられたそうだ。

四半世紀ほど前にお会いした際、氏は、真摯に問われた。「なぜ、創価学会は
、これほどまでに、驚嘆すべき大発展をしたのでしょうか」と。
私は、その理由に、学会は「人間のための宗教」であり、「法を厳格に守り、
教えの通りに行動してきた」こと等を挙げた。

自己を向上させるために、何を為すべきか。世界を平和へと導くには、
どうすればよいのか、、、。全人類が切実に求め続けてきた問いに対して、
我らには、明確な指標があり、実践の規範があり、則るべき大法がある!
学会は、この「法」を厳格に守り、「御書根本」を貫いてきたのである。

御本仏の大境涯

任用試験では「日蓮大聖人の御生涯」を学ぶ。大聖人は、あの竜の口の法難で
命を賭してお供した四条金吾へ、流刑の地となった佐渡から、お手紙を送られた。
「法華経の行者として・かかる大難にあひ候は・くやしくおもひ候はず、
いかほど生をうけ死にあひ候とも是ほどの果報の生死は候はじ」
(御書1116ページ)

死を覚悟する大難も、極寒の流罪地の境遇も、「これほどの生死はない」と、
喜ばれておられる。これが、死魔や天子魔(権力の魔性)に断固として
打ち勝たれた、究極の「仏界の生死」の大境涯であられる。

この絶対に崩れぬ三世の幸福の大道を、私たちは学び進んでいるのだ。
御書には、病苦や生活苦、家族の看病や介護、愛する人と別れる悲しみ、
親子の葛藤、仕事・職場の圧迫等々、千差万別の試練に直面した門下への
励ましが満ち溢れている。

 第2につづく (聖教新聞、2016/10/13)

 まとめ
「創価の哲学」を全世界が希求、不滅の妙法を学ぶ感激に燃えて前進!(1)
「創価の哲学」を全世界が希求、不滅の妙法を学ぶ感激に燃えて前進!(2)

「創価の哲学」を全世界が希求、不滅の妙法を学ぶ感激に燃えて前進!(2)

浅間山、長野.PNG
浅間山を仰ぎ、一本の道が真っすぐに延びる。我らは、
「行学二道」の幸福と平和の道を堂々と!
(池田SGI会長撮影、本年8月、長野で)


インド、研修会1.PNG
教学研修会に集ったインドの友。「地涌」の誓いと
感動の連鎖は、仏教発祥の天地にも(ニューデリーで)


池田SGI会長 随筆 永遠なれ 創価の大城(12)

「創価の哲学」を全世界が希求

不滅の妙法を学ぶ感激に燃えて前進!(2)


御書を開けば、御本仏の大生命の赫々たる陽光を浴びることができる。
どんな不幸も、どんな宿命も勝ち越えていける勇気が智慧が、
希望が限りなく湧いてくるのだ。

人類の宿命転換

戸田先生は常々、「真の永遠の生命が分かれば、人類の境涯を高める
ことができる」と鋭く語られていた。
永遠の生命観に立って「生老病死」の苦悩を打開し、「立正安国」
の平和世界を築きゆく人類の宿命転換の鍵が、御書には明かされている。

大聖人は「実に己心と仏心と一心なりと悟れば臨終を礎(さ)わる
可(べ)き悪業も有らず生死に留まる可き妄念も有らず」(同569ページ)
とも仰せである。

要するに、自分の心と仏の心が一体であると悟り切れば、臨終を妨げる
悪業にも負けないのだ。苦悩の人々を救わずにおくものかという仏と同じ
誓いに立ち、「人間革命」即「広宣流布」の大願に生き抜いていく。
この我が一念の変革から、厳しき現実も一つ一つ変えていけるのだ。

民衆救済の誓い

広宣流布の拡大とは、「地涌の菩薩」としての使命を自覚する人材の拡大
にほかならない。全ての菩薩が立てる誓いの第一は、全人類を
幸福にしていくとの「衆生無辺誓願度」である。

今、自他共の幸福のため、題目を唱え、学会活動に励む世界中の同志も、
信心を始めた時は、それぞれの苦悩の打開を願ってのスタートだったかも
しれない。だが、弘教や励ましに歩く中で、信心の喜びを覚え、使命を
自覚して、誓いに生きる最極の充実感を知る。

SGIの教学部リーダーがインドの教学研修会を担当した際に、とても感動
した光景があった。それは「人類の幸福に尽くしたいとの思いで
信心されている方は?」と質問した時、会場を埋めた四千人の受講者が
勢いよく挙手したことだった。

一人ひとりが「私こそ地涌の菩薩である」との大確信に漲っていたと
いうのである。

師弟して未来へ

仏法を学ぶ中で、自分が地涌の闘志だと確信し、命の底から我が使命に
向き合う。この自覚こそ「実践の教学」だ。苦難に挑む師子王の心を
奮い起こして「地涌の誓願に生きる」と決めた時、人間は最も偉大に、
その生を燃焼させることができる。

この歓喜の中の大歓喜の伝播こそ、世界広布の実相であろう。
法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊を根本として、”全民衆を幸福に!
”との地涌の誓願を現代に蘇らせたのは、まぎれもなく我ら学会だ。

「地涌の義」(同1360ページ)を厳然と証明しながら、創価の師弟は進む。
民衆の凱歌の未来へ!さあ、我らの思想を、勇気の行動を、人類が
待っている。

永遠不滅の妙法を学び実践する感激に燃え、希望の大哲学を、
一人また一人と伝え弘めていこうではないか!
若人を先頭に、求道の息吹で、「世界広布新時代 青年拡大の年」へ、
威風も堂々と!

 おわり (聖教新聞、2016/10/13)

 まとめ
「創価の哲学」を全世界が希求、不滅の妙法を学ぶ感激に燃えて前進!(1)
「創価の哲学」を全世界が希求、不滅の妙法を学ぶ感激に燃えて前進!(2)

創価大学、2年ぶり2度目の箱根駅伝へ

箱根駅伝、出、創大.PNG


創価大学、2年ぶり2度目の箱根駅伝へ

抜群のチームワークが結実

予選会を合計タイム 3位で通過


第93回「東京箱根間往復大学駅伝競走」(箱根駅伝=来年1月2,3日)
の予選会が15日午前、東京・立川市の陸上自衛隊立川駐屯地から
国営昭和記念公園までの20キロコースで行われた。

創価大学(東京・八王子市)は堂々の3位に入り、2年ぶり2度目の箱根駅伝
本選への切符を手にした。伝統校をはじめ昨年を上回る50校が参加した
今年のレースで、創大の最終合計タイムは10時間10分09秒。

創大の歴代ベストタイムを4分更新した。創立者の池田名誉会長は、
選手たちの大健闘をたたえ、「うれしい。本当におめでとう」
との伝言を贈った。


創価大学の赤と青のタスキが再び、新春の箱根路に戻ってくる。
「3位、創価大学」その瞬間、選手、スタッフ、応援団の喜びは爆発した。
瀬上雄然監督、主将のセルナルド祐慈選手(4年)の体が何度も宙を舞う。

「創立者をはじめ全国の応援してくださった皆様に、感謝申し上げます。
選手が本当に頑張りました。つらい時もあったが、チーム一丸で
乗り越えてきた。皆でつかんで切符です」と瀬上監督。

、、、以下省略。(聖教新聞、2016/10/16、Sun)


山本伸一の入信前後の状況は「人間革命、第二巻、地涌」に登場

森ケ崎海岸.PNG

詩「森ヶ崎海岸」作詞山本伸一(池田大作)作曲本田隆美

森ヶ崎海岸はこのアニメ「人間革命 第01話「黎明」」のおわりの
ほうに出てきます。しかし、調べたのですが単行本「人間革命」
にはありません。
山本伸一の入信前後の状況は「人間革命、第二巻、地涌」に登場
します。

「人間革命、第二巻、地涌」山本伸一が天皇についての質問に
戸田会長が答える場面。

「、、、。いま問題なのは、天皇をも含めて、わが日本民族が、
この敗北の苦悩より、一日も早く立ち上がり、いかにして安穏な、
平和な文化国家を建設するかということではなかろうか。

姑息な考えでは、日本民族の興隆はできない。
世界人類のために貢献する国には、なれなくなってしまう。
どうだろう!」

簡明直截な回答である。あっけないともいえる。彼の所論には、
理論をもてあそぶような影は、さらさらなかった。
山本伸一は、戸田の顔をじっと見つめていた。

彼に、決定的瞬間がやってきたのは、この時である。
、、、なんと、話の早い人であろう。しかも、少しの迷いもない。
この人の指導なら、自分は信じられそうだ。
 以下略、、、。

母(HD)合唱歌、動画



母(HD)合唱歌、動画

1.
母よ あなたは なんと不思議な 豊富(ゆたか)な力を 
もっているのか
もしも この世に あなたがいなければ 還るべき大地を
失い かれらは 永遠(とわ)に 放浪(さすら)う
2.
母よ わが母 風雪に耐え 悲しみの合掌(いのり)を 
繰り返した 母よ
あなたの願いが 翼となって 天空(おおぞら)に 
舞いくる日まで
達者にと 祈る
3.
母よ あなたの 思想と聡明(かしこ)さで 春を願う
地球の上に 平安の楽符(しらべ)を 奏でてほしい
その時 あなたは 人間世紀の母として 生きる
その時 あなたは 人間世紀の母として 生きる.

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信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(1)

河村さん家族.PNG
家族と過ごす幸せな時(右から義母・組子さん、妻・正子さん、
河村さんと孫・瑛太ちゃん、長男・英徳さん、孫・彩希ちゃん、
長男の妻・満希子さん)

長女・山田さん.PNG
父の闘病中、付きっきりで看病に徹した長女・山田智江さん(右)。
「”題目第一”で広布に駆ける父を尊敬します」と。夫・拓哉さん
(左)、長男・広輝ちゃんと共に


信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(1)

蘇生の力証明したい

この命で恩返しの人生を


【山口県下関市】黄金色に輝く稲穂が一面に広がる実りの秋。
農業を営む、川村進さん(57)=清末支部、支部長=にとって、
幸せな瞬間だ。今年は例年以上の豊作だった。
5年前に患った「急性心筋梗塞」を乗り越えてからは、以前にも増して
、収穫の喜びをかみしめている、、、。


厳しい現実

2011年(平成23年)4月17日。その日、川村さんは親戚の家の近くまで、
ワカメ採りに出かけた。いつもは一人で行くのだが、この時は妻・
正子さん(55)=支部副婦人部長=も一緒だった。

時計の針が午後3時半を回る。帰宅しようと、車を走らせ、十数分が
過ぎた頃だった。突然、締め付けられるような胸の痛みに襲われた。
正子さんと運転を交代し、助手席に倒れ込んだ。

「お父さん!お父さん!」。妻がいくら呼び掛けても返事がない。
意識を失っていた。正子さんは、すぐさま病院へ車を走らせた。
約10分後、到着。「急性心筋梗塞」と告げられた。

心臓の左冠動脈の前下行枝に血栓ができ、血液が流れない状態に。
一刻を争った。直ちに心臓に電気ショックの処置が。
一回目。反応がない。二回目。それでも心臓は動かない。

”とにかく、生きていてほしい、、、”。正子さんは処置のため
脱がされた、夫のシャツを両手で握り締め、懸命に題目を送った。
三回目の電気ショック。心臓が再び、動き出した。

処置は続く。足の付け根にある動脈から、カテーテルが入れられ、
詰まった血管がステント(網状の金属)で押し広げられた。
手術は成功したが、医師から語られたのは厳しい現実だった。

「心停止により、脳に酸素が行き渡らない状態が長く続いていました。
後遺症が残ることを覚悟してください」
脳に損傷の進行が懸念され、すぐに脳低温療法(低体温に保つことで、
脳の代謝を抑制し、酸素消費量を減らす。その結果、神経細胞を
保護する)が行われた。

友のエール

治療から三日目、川村さんが意識を取り戻した。だが、その瞳は
一点を見つめたまま、言葉を発することもできない。
4月23日。川村さんの元へ、長女・山田智江さん(31)=さいたま市
岩槻区在住、副白ゆり長=が駆け込んできた。
「お父さん、これ見て!」

智江さんがデジタルカメラの再生ボタンを押す。
「支部長、頑張れ_!病魔に負けるな_!」
画面に映し出された動画には、こぶしを高く掲げ、エールを送る
支部の同志の姿が。

しかし、川村さんに反応はない。その後、回復を信じる家族の願いを
打ち砕くように、病状は悪化する。ベッドの上で突然、大声を上げ、
物を投げつけるように。

つなでいた数本の点滴を無理やり外してしまう。低酸素脳症による、
意識障害、記憶障害の症状が現われていた。
正子さんは、車中で苦しんでいた夫を思い起こした。

あの日、夫は無意識に「悔しい」と叫んでいた。毎日、1時間の
唱題を欠かさず、広布に駆けてきた夫のことを思った。
”お父さんは、元気になって、もう一度、広宣流布のために、
池田先生のために、戦いたいと思っている”

寝息を立てる川村さんの耳元で、家族は何度も題目を唱えた。
長男・英徳さん(29)=男子部副部長=は、「真実一切衆生・
色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(御書1170ページ)
の一節を繰り返し、父に聞かせた。

それは、「困難の壁を打ち破る”秘術”はこの題目しかない」と、
信心の先輩が教え、励ましてくれた一節だった。

 第二につづく (聖教新聞、2016/10/20)

 まとめ
信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(1)
信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(2)


信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(2)

河村さんと仲間.PNG
「たくさんの同志の祈りのおかげで、今があります」
と河村さん(中央)


信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(2)

蘇生の力証明したい

この命で恩返しの人生を


もう一度!


5月3日。大きな変化が。見舞いに訪れた兄弟たちを前に、川村さんが
声を発した。「何であんたたちが、ここにおるん?」

「お父さん、しゃべれた!」。喜びが家族を包む。この日を境に
劇的な回復を見せ始めた。
1週間後。こぶしを突き上げた、自らの姿を動画に収めた。

”元気になって帰ります!”との決意を込めて。
同志への、精いっぱいの”返事だった。”リハビリは続いた。
「100引く7は?」「この動物の名前は?」

記憶障害により、簡単な計算ができなくなり、物の名前も
思い出せなかった。倒れる前の日から、川村さんの記憶は途絶えていた。
それでも、「南無妙法蓮華経」は忘れなかった。

振り絞るような声で題目を唱え続けた。あの日から、皆が懸命に回復を
祈ってくれたことを知った。池田SGI会長からの真心の伝言に
胸が熱くなった。師の指導を何度も読み返した。

<病によって、仏法を求める気持ちが強くなる。発心できる。
そして、宿命を転換していくことができる>
”もう一度、同志の皆さんと、先生と戦いたい”そう思うと、
力がみなぎった。

たぐり寄せるように記憶を取り戻し、読み書きや会話も少しずつ、
できるように。「妙とは蘇生の義なり」(947ページ)
の御聖訓を証明しようと、リハビりに熱が入った。

6月17日。たくさんの病院スタッフに見送られ、退院。
医師は「ここまで回復できたことは奇跡です」と舌を巻いた。

帰宅すると真っ先に田んぼへ向かった。緑色の苗が一面に広がる光景に
目を疑った。「河村さんのためなら」と、近所の農家が快く田植えを
買って出てくれたのだ。感謝しかなかった。

9月。稲刈りの日は河村家にとって、一年で最も大切なイベント。
病と闘ったこの年も、稲穂はしっかりと育ってくれた。
後遺症のため手足が震え、時間はかかったが、家族に支えられ、
収穫を終えることができた。

感謝の証し

”恩返しの人生を生きよう”と、地域で奮闘した。河村家は義母・
組子さん(83)=婦人部員=の代から続く畜産農家でもある。
かっては、「創価学会に入っとるんやったら、この地域から
出て行ってくれ」と心無い言葉を浴びたこともあった。

だが河村さんは、「地域の友を大切に」との師の言葉を胸に、地道な
交流を続けた。それが実を結び、自治会の会長として選出されるなど、
なくてはならない存在に。

11年から4年間、自治会役員として地域の友のために尽力した。
人に尽くす人生を、もう一度歩める喜びが、河村さんの心に溢れた。
自宅にある30畳の仏間、あの時、支部の同志がエールを送ってくれた
会場の一角に、毎日の聖教新聞が、きれいに整頓されていった。

「これね、病気をしてからの日課なんです。隅から隅までしっかり
読んだ後、一日の唱題の目標が完遂できたら、置くように
しているんです。妻にはあきれられとるんじゃけどね(笑い)。

”今日も明日も、先生のため、学会のために生きる人生を送ります”
って、誓いをこめて」と。「もう一度、頂いた命じゃから。
もっと恩返しをしないと。まだまだ人間革命の途中だからね」。

河村さんの背丈を超えるほど積み重なった新聞は、自身の”感謝と
決意の証し”だった。

 おわり (聖教新聞、2016/10/20)

 まとめ
信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(1)
信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(2)


韓国SGIの核兵器廃絶運動に共感、広島での被爆者が多く住む地

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写真上、慶尚南道ハプチョン群の「名誉群民証」が河群守(右から5人目)
から託された(ハプチョン群内で)
写真下、授与式には、人間主義の哲学を胸に地域のために尽力する、
慶南第2方面の400人の友が祝福に駆け付けた(同)


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SGIの核兵器廃絶運動に共感

広島での被爆者が多く住む地

韓国・慶尚南道ハプチョン群から
池田SGI会長に名誉群民証


韓国・慶尚南道ハプチョン群から池田SGI(創価学会インタ
ナショナル)会長に「名誉群民証」が贈られた。
世界平和と地域社会の発展への多大な尽力をたたえるもの。
授与式は10月14はハプチョン群内で行われ、ハアチャンファン
群守をはじめ多くの来賓が出席。
韓国SGIの慶南第2方面の同志が祝福した。


慶尚南道の西北部に位置するハプチョン群。北には国立公園に
指定されている名山・カヤ山がそびえ、南には洛東江の支流
である黄江が大地を潤す。

古来、鉄を生産・加工する主要な産業地帯として栄えてきた。
世界文化遺産の「八万大蔵経の収められたカヤ海印寺」
が立つ地としても知られており、文化と自然豊かな憧れの天地である。

また、かつて同郡から多くの人が広島に渡っており、この地には
原爆の被害を受けて、戦後に帰郷した被爆者が多く住んでいる。
SGIの友は、韓国原爆被害者協会のハプチョン支部が主催する
慰霊式典の支援や、SGIの展示会の開催など、平和の心を地域社会に
広げようと取り組んできた。

こうした地道な活動に共感が広がり、今回の名誉群民証の授与に
結実したのである。

晴れの授与式では、婦人部の代表が「ハプチョン群歌」などを
爽やかに合唱。河群守から韓国sgi金インス理事長に「名誉群民証」
が託されると、会場に拍手が高鳴った。

穏やかな笑顔を浮かべ、河群守は祝辞を述べた。「池田SGI会長が
世界平和と学術・文化・芸術交流に尽力されていることを、SGIの
皆さんの献身的な社会貢献の姿を通して知り、深く感銘を受けました。
名誉群民証をSGI会長にお贈りすることは、私どもにとって最高の栄誉です」

授与式に出席した韓国原爆被害者協会ハプチョン支部長の沈鎮泰氏は
「SGI会長のリーダーシップのもと、SGIが核兵器廃絶運動を世界中で
展開していることに深く感謝します。これからもSGIと手を携え、
核兵器なき世界を目指していきたい」と語った。

 (聖教新聞、2016/10/22)

ブラジル南マットグロッソ州、池田SGI会長に州議会立法栄誉賞

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ブラジル南マットグロッソ州
池田SGI会長に州議会立法栄誉賞

州議員 博士の平和思想を宣揚したい!
人類の未来のために


ブラジル・南マットグロッソ州議会から池田SGI
(創価学会インタナショナル)会長に同州議会の最高栄誉である
「立法栄誉賞」が贈られた。

同州ならびに世界における平和・文化・教育への貢献を
たたえたもの。授与式は19日、州都カンポグランデの同州議会議場
で行われ、同州の発展に顕著な功績を残した各界の代表と共に
授与された。


「ブラジルSGIの日(10・19)」に授与式

ブラジル南西部に位置する南マットグロッソ州。世界自然遺産に
登録されている世界最大級の大湿原・パンタナールを抱き、大自然と
の共生の天地として知られる。

授与式の10月19日は、「ブラジルSGIの日」でもあった。
1960年のこの日、池田SGI会長が同国を初訪問。その際、海外初となる
「支部」が結成された。

SGI会長は友に呼びかけた。”自分が花となり、実となろうと
するのではなく、後に続く同志のために、ブラジルの土になろう”と。
この師の指針を胸に、今日まで歩んできたブラジルの友。
決して平たんな道ばかりではなかった。

軍事政権下、学会への無理解と中傷が渦巻き、SGI会長の訪伯が
延期されたこともあった。
しかし、友は屈しなかった。”自分たちの姿で創価の正義を証明したい”
と、「良き市民」として地域の安穏と繁栄のために大誠実を尽くした。

近年には、幅広い平和・文化・教育の運動を積極的に展開。
同州にあっては、「共生と希望 アマゾン 環境と開発展」や
「生命への語らい」展など、環境や人権の尊さを訴える展示会を開催し、
人間主義の思想を語り広げてきた。

(聖教新聞、2016/10/26)

 ベルギーで仏法教学初級試験、2016/10/26
ベルギーで教学初級試験.PNG


写真の新聞をそのまま読めるかと思いましたが、ちょっと難しいですね。



信仰体験、運送会社を設立し36年 74歳の現役女性社長(1)

近棟さん.PNG
「おかえり。えらかった(大変だった)じゃろ」
「がんばっちょるね」。ドライバーが帰ってくると、声を
掛けていく近棟さん。1台からスタートしたトラックは
17台に。敷地も3倍の3300平方メートルに発展


【山口県防府市】青紫が特徴の10トントラックが敷地内にずらり。
ピカピカに磨き上げられたフロントガラス。アルミ製の荷台の
側面には、「有限会社近棟運送」の文字。ここで働く誇りを胸に、
ドライバーたちは、配達を終えるとすぐに洗車を始める。
近棟道子さん(74)=牟礼支部、支部副婦人部長=が亡き夫と、
トラック1台から立ち上げた運送会社は今、10トントラック17台、
従業員20人を抱えるまでに。夫婦の夢を載せ、トラックはひた走る。


信仰体験

走りゆけ!
広布開拓の旗をなびかせて

運送会社を設立し36年 74歳の現役女性社長(1)
白ゆりの詩

トラック1台


〈同社の会長である近棟さんは、年齢を感じさせない若々しさで、
今も毎日、出勤する〉

といっても、私の仕事は、毎日の銀行回りと帳簿のチェックくらい。
社長を長男が、専務を次男が務めてくれています。
私の一番大事な仕事は、ドライバーの無事故を祈ること。

17人の運転手の名前と車のナンバーを紙に書いて、御本尊に祈ります。
午前4時半に起きて、食事を挟みながら10時半まで。
それから事務所へ出社。従業員は、みんな真面目でいい子たち。
一所懸命働いてくれ、「お母さん、お母さん」と慕ってくれます。

〈創価学会に入会する前は、貧乏のどん底だった。夫は「飲む・打つ・
買う」の道楽ざんまい。そんな時、雑貨店を営む夫の実家で
「聖教グラフ」(「グラフSGI」の前身)を目にした。

店の常連客が置いていったものだった。近棟さんは、信心で一家和楽を
実現した体験や誌面に写る人たちの充実した表情に、「これだ!」
と思った。1963年(昭和38年)、信心を始める〉

けど、夫は信心に猛反対。よく言われたんは、「拝んでワシを
食べさせてみい」という言葉。私も負けじと、”夫が真面目に働いて
ほしい”と祈りに祈りました。


当時は、実家の離れに親子4人暮らし。”いつかは一軒家に”とも
思いながら、昼は道路工事に汗しました。
オート三輪が砂ぼこりを上げて駆け抜ける道を、つるはしを手に、
もんぺと長靴を履いてね。

そんな私の姿に、夫は感じるところがあったんでしょう。2年後に入会。
題目を唱えるようになると、打って変わったように真面目に働くように
なってね。信心というのは本当にすごい!絶対に変われるんよ。

〈コンクリート製品の加工会社で夫婦一緒に働き始める。だが数年後、
会社が倒産。
その後、岡山の製紙会社が、段ボールを配送する仕事の従業員を募集
していると聞き、意を決して4トントラック1台を購入。
75年、運送業を始めた〉

経営が徐々に安定してくると、今度は10トントラックに買い換えました。
夫と段ボールを積んでは、フェリーに乗って愛媛県へ。
段ボールを降ろすと、帰りは、広島の工場でれんがを積んで戻ってくる日々。

4個1束のレンガが500束を、手で積み降ろすんです。それが終わると、
ペンを持つ手が震えて伝票に字が書けないほどパンパンになってねえ。
それでも若かったし、必死だったから、つらいなんて全く思わんかった。

けど、会合に出たくても出られんかったことは、つらかったね。
池田先生が防府に来られた時(77年)もお会いできんかった。だからよく、
夫が運転する横で、私が「大百蓮華」を声に出しながら、”夫婦座談会”
をやったもんです。

先生の指導を命に染込ませる思いで、何度も読みました。

 (聖教新聞、2016/10/08)

 第2につづく

 まとめ
運送会社を設立し36年 74歳の現役女性社長(1)
運送会社を設立し36年 74歳の現役女性社長(2)


信仰体験、運送会社を設立し36年 74歳の現役女性社長(2)

2近棟さん.PNG
池田SGI会長は「防府は、山口創価学会の原点。山口広布の
原動力」と。”今いる場所を福徳あふれる地に、、、”。
近棟さん(右から3人目)は、婦人部の同志と対話に励む


信仰体験 白ゆりの詩

走りゆけ!
広布開拓の旗をなびかせて

運送会社を設立し36年 74歳の現役女性社長(2)

心のガソリン


〈80年、「近棟運送」を創業した。近棟さんには、入会以来、心に期して
きたことがある〉池田先生が防府に来られた時の指導に、こうあるんです。
「信仰も、20年間の弛まざる精進があれば、想像もできないほどの
境涯になります」

「『何があっても20年』 これを一つの合言葉として、勇敢に前進して
いこうではありませんか」

私が入会する時も、”20年後には、見違える境涯になっているから”と、
紹介者から言われて。

そのことを信じて、無我夢中で働いてきました。20年後が、創業から
2年後でした。

〈その頃には、従業員やトラックも増え、経営も軌道に乗り、
子どもたちと暮らす一軒家も建てることができた。
84年、SGI会長が再び山口を訪れた時、近棟さんは、心の中で叫んだ。”
先生の指導のおかげで、ここまで来ることができました”と〉

この仕事は、事故が最大の敵。深夜に自宅の電話が鳴ると「ぴくっ」と
するんよ。ドライバーから「荷崩れを起こしました!」
なんて電話が来ると、飛んでいきます。

事故処理、警察への連絡、積み荷の補償。命が縮む思い。従業員は
私の家族じゃけえ、どんなことがあっても守ってあげんと。

〈長年酷使した近棟さんの体に病の影が迫る。6年前、乳がんを発症。
すぐに手術が決まった。〉

私の支えは、「山口開拓指導」で、若き日の池田先生が身命を賭して
築いてくださった、この防府で使命を果たすという思いだけ。
”病魔に絶対負けない”と、真剣に題目を唱えました。

がんは、リンパにも転移していました。手術後は、20日に1回のペース
で抗がん剤治療。それが約1年間続いてね。多くの同志に励まして
もろうた。

夫ががんで亡くなった時も、そうじゃった。あれから再発は
ありません。人とのつながり、絆は、本当に大事じゃね。
私は、年1回、従業員の家を全て訪問しています。従業員の家族にも
、「元気でやってくれとるよ」
「これからも頼むね」ってあいさつしながら。

「会って、語る」「会って、励ます」。池田先生が山口開拓指導で
教えてくださったことです。先生の指導通りにやってきて、
思いもかけない境涯になることができました。

これからも、心のガソリンを満タンにして走り抜きます。
広布開拓の旗をなびかせながらね、、、。

 (聖教新聞、2016/10/08)

 おわり

 まとめ
運送会社を設立し36年 74歳の現役女性社長(1)
運送会社を設立し36年 74歳の現役女性社長(2)


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