聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

2016年11月01日

四季の励まし 池田SGI会長 挑戦し続ける人が勝利者

インド 1.PNG


四季の励まし

池田SGI会長

挑戦し続ける人が勝利者


「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。

人は、誰でも
未踏の原野をもっている。

それも、どこか遠い彼方ではなく、
ごく身近にあるものだ。

最も手強(てごわい)い壁は、
実は心の中にある。

ゆえに、勇気をもって
自分と向き合い

「自己拡大の戦い」
「人間革命の戦い」を起こすことだ!

その人こそ、
最も勇敢なる開拓者である。

 ◇ ◇ ◇

自分が太陽になることである。
太陽が一人いれば、
家庭も地域も、皆が照らされる。

広布のために
動きに動く行動の果てに、
生命は太陽と輝くのである。

 ◇ ◇ ◇

勝利を誇る姿 それも美しい。
しかし、それ以上に美しく、
気高いのは”さあ、戦うぞ!”

”いよいよ、これからだ”という、
挑戦の姿であろう。

尊いのは、「戦う」一念である。

ある意味で、勝っても負けても、
「戦う」こと自体が偉いのである。

何があろうと「戦い続ける」人は、
すでに人間として
「勝っている」といえる。

 ◇ ◇ ◇

”もう駄目だ”と思うような時に、
御書を開き、学会活動を学び、
また同志の励ましをうけて、

あらためて、
「信」を奮い起こしていくことだ。

御本尊に向かって
真剣に唱題行を貫いていけば、
必ず、わが胸中から変革が始まる。

自身の仏性が開かれて、
歓喜と確信が込み上げ、
挑戦する勇気が湧いてくる。

そこに絶対勝利への
仏の無限の智慧と力が現われるのだ。

インド 2.PNG
福運あれ!勝利あれ! 池田SGI会長が、地涌の使命に生きる
インドの同志をたたえて(1992年2月、インド・ニューデリーで)


彼方に続く緑の地平。大空を舞う鳥たち。1992年(平成4年)2月、
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長がインドのニューデリー
でカメラに収めた。

この訪印の折、池田SGI会長はインドの友に詩を贈った。
「人間を忘れて信仰はない/ゆえに智慧を磨き 人格を磨き/社会に人間性の
枝葉を茂らせていこう/その着実にして/確実な前進の中にこそ/希望の
明日が開かれていく」

悠久の大地に蒔かれた妙法の種子は今、見事な大樹と育ち、豊かな
”人材の森”が広がる。
広宣流布の旅路に、「もう、これでよい」という終わりはない。

絶えず挑戦し続ける人にこそ、勝利と栄光は輝く。
さあ、創立の月・11月へ、自分自身の”未踏の原野”を勇敢に
切り開いていこう。

(聖教新聞、2016/10/30 SUN)

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2016年11月04日

信仰体験 リオパラリンピック 苦難を超えて栄光を ボッチャ団体で日本初の銀メダル

藤井さん1.PNG
ボッチャ団体の準決勝で、球を投げる藤井さん
(写真:伊藤真吾/アフロ)


障がい者スポーツの最高峰であるパラリンピッ。先月、、ブラジル
リオデジャネイロの舞台で、創価のメンバーも活躍した。
汗と涙の先につかんだ栄冠。信仰によって、苦難を生きる力に
変えた2人の足跡を追った。

信仰体験
リオパラリンピック 苦難を超えて栄光を

ボッチャ団体で日本初の銀メダル

目標を現実にする唱題と努力


【富山市】9月12日(現地時間)、ボッチャ団体の決勝戦。
選手が放つ1球1球に注目が集まった 。日本は惜しくもタイに
敗れたが初のメダルを獲得。

藤井友里子さん(43)=東豊田支部、副白ゆり長=は、銀メダルを
手に笑顔を見せた。「今大会で初めて、”障がい者で良かった”
と思うことができました。”うれしさ”より”感謝”でいっぱい」

 生後10か月ではしかになり、脳性まひに。特別支援学校で
寄宿生活を送った。月2回、週末を自宅で過ごす。楽しみだったが
、つえを握って外出すると、周囲との違いを認識させられた。

同世代の子が楽しそうに歩く姿に、”人が10できることが、私には
4しかできない。それならいっそゼロでいい、、、”。
そう思い、家に閉じこもったことも。18歳の春、生活の幅を
広げたいと運転免許取得を志す。適性検査を受ける前に担当者から
告げられた。

「あなたには難しい」。その場で泣き崩れた。自身の体を恨んだ。
2000年(平成12年)、障がい者スポーツのイベントに出かけた。
”自分にできることなんてない”と、半ば傍観していた藤井さんは、
見慣れない球技と出会う。

それがボッチャだった。重度の脳性まひや四肢機能障害がある競技者
向けに考案された。白い目標球に赤と青の球を6球ずつ投げ、
より近づけた方に得点が入る。障がいによって、手で球を
投げられない選手は、足で球をキック。

もしくは「ランプ」と呼ばれる滑り台のような投球補助具を使い、
「競技アシスタント」のサポートを受けて球を転がす。
藤井さんは、わずかな握力で球を握った。球は転がっていくと、
中央の白い球の方へ。

「人生で初めて、面白いと感じられた」
1年後、強化指定選手への道が開ける。以来、電動車いすに乗って、
全国大会や世界大会へ。失っていた自分への自信。

それを取り戻してくれたのがポッチャだった。創価学会との出あいは、
聖教新聞だった。09年に入会した弟・柴山泰輔さん(37)=富山県
魚津市在住、男子部本部長=の勧めで購読を始める。

最初は読まずにいたが、ある日、1面の「わが友に贈る」が目に入った。
「一つ一つの言葉が胸に残り、”頑張ろう”と思えたんです」
毎朝、読んでは切り抜くのが習慣に。

題目を唱えると、勇気が湧くのを感じ、10年2月に入会する。
「座談会に参加すると、誰も私を”かわいそうに”とはせず、
家族のように暖かくて。なんてすごいんだろうと感動しました。」

 大事な試合前には、切り抜きを貼ったノートを開くように。
〈限界とは自分が作り出したもの。師子王の祈りで己心の壁を破れ!
さあ勇気の一歩を!〉

藤井さん2.PNG
ブロック座談会で地域の同志と共に(右から、夫・潤さん、
藤井さん、義母の美奈子さん)


日本選手権で優勝するなど活躍し、12年のロンドンパラリンピックに
続き、日本代表となった本年。同志からの寄せ書きを携え、ブラジルへ。

チームは勝ち進み、メダルを懸けたポルトガルとの準決勝。
前回大会に比べ遠投の距離を伸ばした藤井さんは、「ずっと心の中で
題目を唱えていた」。「8−5」で勝利し、メダルを決めた。

「今まで、うまくいくかどうか不安に揺れた心に、勇気が湧き、
確信できる自分になれたんです。つらくても、唱題と努力があれば、
目標が達成できると感じられた。」

藤井さんは銀行で働きながら、土・日曜を中心に練習に励む。
「4年後の東京では、絶対に金メダルです。題目で勝ちます!」

 (聖教新聞、2016/10/29)

 まとめ
信仰体験 リオパラリンピック 苦難を超えて栄光を ボッチャ団体で日本初の銀メダル
信仰体験 リオパラリンピック 苦難を超えて栄光を 陸上競技3種目で入賞

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2016年11月07日

信仰体験 リオパラリンピック 苦難を超えて栄光を 陸上競技3種目で入賞

和田伸也1.PNG
リオパラリンピックの陸上男子1500メートル(視覚障害T11)
決勝で力走する和田さん(左)(写真:共同)


障がい者スポーツの最高峰であるパラリンピッ。先月、、ブラジル
リオデジャネイロの舞台で、創価のメンバーも活躍した。
汗と涙の先につかんだ栄冠。信仰によって、苦難を生きる力に
変えた2人の足跡を追った。

信仰体験
リオパラリンピック 苦難を超えて栄光を

"最高の走り"で恩に報いたい

陸上競技3種目で入賞


【大阪府茨木市】陸上男子1500メートルの最も重い視覚障害のクラス
(T11)決勝、、、。和田伸也さん(39)=稲葉支部、男子部員=
が、リオ・五輪スタジアムの最後の直線を駆け抜ける。

「和田、6位。4分15秒62。自己ベスト!日本記録を更新しました」
5000メートル、マラソンも力走し、出場した全3種目で入賞を果たした。
ロンドンパラリンピックでは、5000メートルで」銅メダルを獲得。

現在、800・1500・5000・10000メートル、マラソンの日本記録をもつ
トップアスリートである。和田さんは、光の強弱しか認識できないため、
一人で走ることはできない。そのため、輪にしたロープを伴走者と
共に握り、ぴったりと並走する。

伴走者の一人は、「粘り強さと向上心、目標達成への強い気持ちを
兼ね備えたランナーです」と語り、伴走の輪は、大阪、京都の
市民ランナーや学生を中心に100人に及ぶ。

 「息子さんの目は、網膜色素変性症です」。医師から、母親の悦子さん
(67)=東大阪市在住、地区副婦人部長=に告げられたのは、和田さんが
小学1年の時。悪化すると失明に至る進行性の難病だった。

父の光明さん(67)=壮年部員=も同じ病で55歳の時に失明している。
悦子さんは、一人息子の将来に心を痛めた。
ソフトボールやサッカーをして、服を汚しながら元気に帰宅する姿を
見ると、病気の事実を口に出せなかった。

和田伸也2.PNG
日々の練習を欠かさない和田さん(手前中央)は、地区の集いにも
勇んで足を運ぶ。リオでの活躍を皆がたたえた(大手地区の地区総会で)


高校2年になった和田さんはラグビーに没頭していた。だが、この頃すでに
視野は狭くなり、視力も低下。暗くなると見えづらく、夜道も歩けない。
ついにスポーツを断念せざるをえない状況になり、自身の病を知る。

今後の進学、就職、結婚、、、。不安は重くのしかかった。この時、
両親から学んだ信仰の力と、池田SGI会長の指導が和田さんを支えた。
「昨日の自分より今日の自分を、今日の自分より明日の自分を、一歩でも
磨き高めようと挑戦していくなかに、人間革命の道がある」

力強い言葉の数々に、どれほど勇気づけられたことであろう。
”そうだ。ともかく前に、、、”関西大学に進学後、先々の事態に備えて
点字を習得。3年次で失明したが、その後も点字で学び続けた。

同大学院の修士課程を修了し、現在は、大阪府盲人福祉センターの点字
図書館で働いている。白杖を用いて通勤する毎日。運動の機会など10年
以上なかったが、2006年(平成18年)に転機が訪れる。

知人の紹介で、京都の視覚障がい者ランニングチーム「賀茂川
パートナーズ」の練習会に参加することに。河川敷を伴走者の声に合わせ、
ゆっくりと走り出す。心地よい春風を受けるうち、再びスポーツへの
情熱が燃え上がった。

練習に励み、1年半後にはフルマラソンを完走。日本盲人マラソン協会の
強化指定選手にも選ばれた。08年には、伴走を務めた美企子さんと結婚。
早朝の練習後、本紙の小説『新・人間革命』を、音声で聞くことが日課だ。

「いつも支えてくれる妻や、思う存分スポーツをさせてくれた両親、伴走者
や支援の方々の恩に報いるためにも、”最高の走り”で絶対に勝ちたい」
目指すは、2020年東京パラリンピック。目前の課題への挑戦は
すでに始まっている。(関西支社編集部発)

 おわり(聖教新聞、2016/10/29)

 まとめ
信仰体験 リオパラリンピック 苦難を超えて栄光を ボッチャ団体で日本初の銀メダル
信仰体験 リオパラリンピック 苦難を超えて栄光を 陸上競技3種目で入賞

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2016年11月08日

ネットCM 「世界に広がる創価学会−アメリカ」篇 | 創価学会公式



世界に広がる創価学会
SOKAnetチャンネル (創価学会公式)
3:44
ネットCM 「世界に広がる創価学会−アメリカ」篇(日本語吹き替え版) | 創価学会公式
2:08
ネットCM 「世界に広がる創価学会−イタリア」篇(日本語吹き替え版) | 創価学会公式
再生リストをすべて見る(4 本の動画)

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2016年11月10日

世界の体験プラザ ノーベル賞教授のもとで『認知症』を研究(1)

黄 郁文(ファン ユーウェン)さん 1.PNG
「認知症の原因と新しい治療法」の研究に取り組む
黄 郁文(ファン ユーウェン)さん


世界の体験プラザ
ノーベル賞教授のもとで『認知症』を研究(1)

臨床医の経験生かし治療法探る

スタンフォード大学 博士研究員
アメリカSGI 黄 郁文(ファン ユーウェン)さん

「心」は必ず伝わる


全米屈指の名門ジョンズ・ホプキンスの博士課程を修了し、現在は、
スタンフォード大学医学大学院のポストドクター(博士研究員)です。
2013年に「ノーベル生理学・医学賞」を共同受賞したトーマス・スードフ
博士のもと、「認知症その原因と新しい治療法」の研究に取り組んでいます。

認知症をテーマに選んだのは、以前、台湾で臨床医として働く中で、自らの
無力さを嫌というほど感じたからです。患者は、医師を100%信頼し、
命を預けてくれます。

医師は、その期待に応えるため、最新の医療を学び、技術を磨かなくては
なりません。しかし、アルツハイマー病など、多くの認知症は、現代に
おいても有効な治療法がないのが現状です。

病状が徐々に悪化する患者を前に、”本当に全力で治療しているのか、
他にもっとできることはないか”と自問自答。日々、悩む中で、池田大作
先生の指導を何度も読み返しました。

「脳が病んでも、『心』の働きは生きている。『心』に向かって語り掛け
るのです。『心』は必ず伝わっていきます」(「第3の人生」を語る)、、、
この指導がどれほど支えになったかわかりません。

臨床現場で格闘していたさなかの06年、幸運にも留学の機会をいただき
ました。「これはまたとないチャンスだ。臨床の経験を生かし、
脳の研究に取り組もう」と決意し、渡米したのです。

黄 郁文(ファン ユーウェン)さん 2.PNG


病と経済苦乗り越え

1977年、私は高雄市で生まれ、子どもの頃から、母と共に台湾SGI
(創価学会インターナショナル)の活動に参加。創価家族の温かい雰囲気
の中で育ちました。幼い頃からピアノを習い、中学は音楽のエリートクラス
に進学。

また理数系の教科も好きで、高校は進学校の「自然科学系」コースを
選択しました。

高校2年の時、思いもよらない危機が私たち一家を襲いました。
父が投資をしていた銀行が経営不振に陥り、株価が暴落。銀行が倒産した
あおりを受けて、父も自己破産に追い込まれたのです。

さらに追い打ちをかけるように、私が大学の統一試験を数か月後に控えた時、
父に大腸がん(ステージ2)が発覚。看病の心労から、母も高血圧と糖尿病
に悩まされました。

そんな絶望な状況の中で、台湾SGIのメンバーは私たち家族を励まし続け
てくれました。一家で団結し、真剣に唱題。2か月後に受けた父の手術は
大成功しました。ここから事態は好転し、父はやがて社会復帰。
多国籍企業の経理部長を務めるまでになったのです。

進路に迷っていた私は、この父の闘病の経験を通し、”医師になりたい”
と決意しました。勉学と題目に挑戦し、95年、第一志望の台湾大学医学部
に合格。学生部の大学会にも積極的に参加し、2年時には中心者に
任命されました。

音楽活動も、台湾大学の管弦楽団、学外の学生管弦楽団、また台湾SGIの
天鼓楽団に参加。時には、どれか一つを諦めようかと思いましたが、
先輩の励ましを受け、信心根本に、勉学とSGI活動、音楽活動に全力投球。

各学部の上位5%の学生に贈られる「書巻賞」を3度受けることができました。

 第2につづく (聖教新聞、2016/11/07)

 まとめ
世界の体験プラザ ノーベル賞教授のもとで『認知症』を研究(1)
世界の体験プラザ ノーベル賞教授のもとで『認知症』を研究(2)

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2016年11月11日

世界の体験プラザ ノーベル賞教授のもとで『認知症』を研究(2)

黄 郁文(ファン ユーウェン)さん 3.PNG
全米大学ランキングでもトップクラスのスタンフォード大学
医科大学院


世界の体験プラザ
ノーベル賞教授のもとで『認知症』を研究(2)

臨床医の経験生かし治療法探る

スタンフォード大学 博士研究員
アメリカSGI 黄 郁文(ファン ユーウェン)さん

「何のため」忘れず


2001年、米国の伝統校ペンシルベニア大学に1セメスターの短期留学へ。
ここで脳神経内科に配属されたことが、脳に興味を持つきっかけに
なりました。

台湾大学卒業後、同大学医学部付属病院で神経科医に。
2年連続で「優秀論文賞」を受けることもできました。そして、
大きな転機になったのが05年です。

大阪で国際医学セミナーがあり、私は論文を発表する予定でした。
ところが同時期に、私が技術部員を務める台湾SGI太平洋合唱団の
北京大学交流が重なったのです。どちらを選ぶべきか、祈って
決めるしかないと唱題に挑戦。

すると、不思議なことにセミナーが延期になり、結果的にどちらにも
参加できたのです。

晴れ晴れとした気持ちで大阪から台湾に戻ると、行政院国家科学委員会
「青英留学計画奨学金」審査の合格通知が。合格率2%の口頭試験も
通過し、留学4年間の学費と生活費の全額を奨学金でいただくことに
なったのです。

06年から6年間、ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程で、学び、
その後、スタンフォード大学医科大学院のポストドクターになりました。
憧れだったトーマス・スードフ博士の研究室に晴れて合格を勝ち取ると、
翌年、スードフ博士がノーベル賞を受賞し、本当に驚きました。

さらに驚いたのは、受賞後もそれまでの日々と変わらず、研究に情熱を
注ぐ博士の姿を目の当たりにした時です。周囲の評価とは無関係に、
自身の研究を貫く姿勢に頭が下がる思いでした。

私自身も本年9月、国際アルツハイマー病協会(北カリフォルニア・
北ネバダ地域)から、研究に対して、「優秀賞」いただきましたが、
何が大事か、何のための研究か、その根本の一点を決して忘れては
ならないと誓っています。

臨床から離れ、研究に没頭すると、時に、現場とのつながりを
なくした気になります。しかし、決してそうではありません。
認知症の原因を解明し、治療法を確立することが、現場の患者の喜びに
つながります。

”心”は必ず伝わる。そう確信し、日々の研究に挑戦していく決意です。

黄 郁文(ファン ユーウェン)さん 4.PNG
ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程修了式で
(右端が黄 郁文(ファン ユーウェン)さん)


 おわり (聖教新聞、2016/11/07)

 まとめ
世界の体験プラザ ノーベル賞教授のもとで『認知症』を研究(1)
世界の体験プラザ ノーベル賞教授のもとで『認知症』を研究(2)

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2016年11月12日

茅ケ崎柳島海岸から伊豆大島まで約60q、陸路は東京まで



茅ケ崎柳島海岸から伊豆大島まで約60q、陸路は東京まで。

東京駅行き電車が通過します。そして、その後踏切の脇に設置された標識に

「鳥居戸踏切
60K030M
茅ケ崎市南湖1−3」

とあります。つまり 東京駅からこの鳥居戸踏切が60K030M地点です。

電車で茅ヶ崎駅から東京駅まで、約1時間。

伊豆大島 茅ヶ崎、柳島海岸からの眺望.PNG
伊豆大島 茅ヶ崎、柳島海岸からの眺望


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2016年11月13日

東海道五十三次の茅ケ崎の一里塚(元町)の石碑



東海道五十三次の茅ケ崎の一里塚(元町)の石碑

私が住んでる茅ケ崎は【東海道五十三次】の宿場ではなく、
藤沢・平塚の間に位置し、藤沢・(茅ケ崎)・平塚となり、東海道五十三次
の宿場ではありませんが、東海道に違いはありません。

この石碑は日本橋から14番目にあたるとありますので、ということは14X4=56q
地点ですね。この動画は東海道(現在国道一号線)とその周辺と石碑。

東海道五十三次の一里塚の石碑は現在では藤沢・平塚では見かけません。

参考までに東海道五十三次の宿場を載せておきます。


【東海道五十三次】
江戸時代、江戸日本橋から東海道を経て京都三条大橋に至る間にあった53の宿場。

品川・川崎・神奈川・程(保土)ヶ谷・戸塚・藤沢・平塚・大磯・小田原・箱根・
三島・沼津・原・吉原・蒲原(かんばら)・由比・興津(おきつ)・江尻・府中・
鞠子(まりこ)・岡部・藤枝・島田・金谷・日坂(にっさか)・掛川・袋井・見付・
浜松・舞坂・新居・白須賀・二川(ふたがわ)・吉田・御油(ごゆ)・赤坂・藤川・
岡崎・池鯉鮒(ちりゅう)・鳴海・宮・桑名・四日市・石薬師・庄野・亀山・関・
坂下・土山・水口(みなくち)・石部・草津・大津。五十三次。
(デジタル大辞泉の解説、引用)

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2016年11月14日

「世界一貧しい国」を「世界一裕福な国」に変えた伝説の日本人

「世界一貧しい国」を「世界一裕福な国」に変えた伝説の日本人.PNG

「世界一貧しい国」を「世界一裕福な国」に変えた伝説の日本人>

ここに真理があります。人に何かを望むなら、まず与えよ、「何でも先に「くれくれ」じゃ
うまくいきません」

御書に「善根をほどこせば、必ず栄える」と。相手に何かを望むなら、
まず、相手に尽くすことです。尽くした度合いによって、見返りがあります。

【感動実話】
「世界一貧しい国」を「世界一裕福な国」に変えた伝説の日本人 
日本とブルネイの「歴史的な絆」そして親日国となった…

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2016年11月16日

この動画は茅ヶ崎駅北口の街並みです。撮影場所はラスカ

茅ヶ崎駅北口.PNG

この動画は茅ヶ崎駅北口の街並みです。撮影場所はラスカ

この動画は茅ヶ崎駅北口の街並みです。撮影場所はラスカ(駅ビル)
6階から撮影したもの。丹沢山系から左にターンして、
最後に富士山が見えますが、夏のため雪はありません。

橋上通路を歩く人も日よけに日傘をさした人が見えます。
やはり、富士山は雪があったほうが似合いますね。

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2016年11月18日

総本部の新名称 広宣流布大誓堂 創価学会

大誓堂2.PNG
絢爛(けんらん)と世界広布新時代が開幕! 地上7階建ての
威風堂々たる広宣流布大誓堂。晴れの式典を慶祝するかのように、
大晴天に包まれた。尊き求道の心で来日した海外の友らが、
接遇センター側の「創価門」の前で和やかに

大聖堂1.PNG
ここから、全世界へ人間主義の光を!
師弟の大城「広宣流布大誓堂」の前で、85か国・地域から集った
世界広布のリーダーが誓いのカメラに(8日、東京・信濃町で)


総本部の新名称 広宣流布大誓堂

池田名誉会長が祝福のメッセージ

創価の師弟の大城燦たり 落慶記念勤行会を晴れやかに

原田会長、正木理事長が全世界の代表と出席



東京・信濃町に完成した。総本部の落慶記念勤行会が8日、諸天も寿ぐ
秋晴れのもと、晴れやかに行われた。席上、総本部の新名称
「広宣流布大誓堂」が発表された。

総本部の呼称は今後、広宣流布大誓堂を中心とした、信濃町周辺の
学会施設の総称として用いる。
記念勤行会には、池田名誉会長が万感のメッセージを贈り、祝福。

原田会長、正木理事長が全世界の代表と共に、創価学会常住の御本尊に
世界広宣流布を誓い、深く祈念した。

 (聖教新聞 2013/11/09)

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2016年11月19日

世界の体験プラザ 障がい乗り越え励まし送る人生へ(1)

ディ・ブーニョさん1.PNG
仕事で日々実証を示すディ・ブーニョさん
(職場である金融機関の前で)


世界の体験プラザ 愛する天地の平和と発展を

多国籍企業で信頼を勝ち得る
 スペインSGI マテオ・ディ・ブーニョさん

障がい乗り越え励まし送る人生へ(1)

青年の心に昇った太陽


スペインの首都マドリードで、壮年部の本部長を務めるマテオ・ディ・
ブーニョさん。もともとはイタリア・トスカーナ州で生まれ育った
ディ・ブーニョさんが、SGI(創価学会インターナショナル)の仏法に
出会ったのは1998年のことだった。

「叔父から仏法の話を聞いた母がSGIの信仰を始めたのです。
母は私に言いました。”この信仰には人生を変える力がある”と。
そして悲しみでいっぱいだった私に、SGIの座談会に一緒に行こうと
促してくれたのです」

当時、20代になったばかりのディ・ブーニョさんは、心を許し合える
友もなく、孤独にさいなまれていた。ディ・ブーニョさんには、生まれつき
右の前腕がなかった。

こんなに多くの人が生きている中で、なぜ自分はこのような体で生まれて
こなければならなかったのだろうか。自分はいったい何のために
生まれてきたのか。自問しても答えは見いだせず、人生がうまく
いかないのは、全て障がいのせいなのだという、暗い気持ちに
とらわれていた。

その生命の深い暗闇に、仏法への信仰が希望の太陽を昇らせてくれた。
「学会活動をするようになって、私の中から愚痴が消えました。
今度は自分が誰かを励まし、誰かの幸福を祈る側になって、初めて勇気が
湧き、自分の可能性を信じられるようになったのです。

池田先生もまた若い日から病魔と格闘し、一切の試練を勝ち越えて偉大な
歴史をつくってこられた。私もこの信心で、全てを乗り越えていこうと
決意しました」

ディ・ブーニョさん2.PNG
スペイン文化会館の前で男子部員のメンバーと
(最前列の赤いシャツがディ・ブーニョさん)


今いる場所で全力を尽くす

心が変わると、人生が劇的に動き始めた。大学で奨学金を勝ち取り、
マドリードに留学することを決める。
ディ・ブーニョさんにとって、初めての、しかも外国での一人暮らし。

だがスペインの地にもSGIの同志がいた。
「学業に励むと同時に、スペインSGIの活動にも勇んで参加しました」
スペインにすっかり魅了され、いったんの帰国後、2005年にマドリードに
移住。

働きながら、マドリード自治大学大学院の修士課程に進んだ。
専攻したのは、美術史学だった。「もともと芸術は大好きな分野でした。
ただ周囲の誰もが、この道に進んで知識を得られたとしても、仕事には
ならないだろうと言うのです。そこに飛び込むのは
勇気のいることでした」

学業と仕事と学会活動の三つに、全力で挑戦していった。
大学院では修士号を取得。仕事は、フランス系の自動車大手プジョー・
シトロエン・グループ(PSAグループ)の金融機関で働く。

ディ・ブーニョさんの胸に常にあったのは「今いる場所で全力を尽くせ」
との学会指導だった。最初は、コールセンターのイタリア語担当
オペレーター。やがてスーパーバイザー(管理責任者)に抜擢される。
今ではイタリア語とスペイン語の二つの顧客管理部署を統括する立場に。

広布の舞台では、スペインSGIの未来部長、男子部長として活躍。
かつて孤独感と絶望の淵にいた若者は多くの青少年に慕われるリーダーと
なって、スペインの大地に地涌の陣列を拡大してきた。

 2につづく(聖教新聞 2016/10/31)

まとめ
世界の体験プラザ 障がい乗り越え励まし送る人生へ(1)
世界の体験プラザ 障がい乗り越え励まし送る人生へ(2)

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2016年11月20日

世界の体験プラザ 障がい乗り越え励まし送る人生へ(2)

ディ・ブーニョさん2.PNG
妻・アルムデナさん、長女・クラウディアさんと一緒に


世界の体験プラザ 愛する天地の平和と発展を

多国籍企業で信頼を勝ち得る
 スペインSGI マテオ・ディ・ブーニョさん

障がい乗り越え励まし送る人生へ(2)

「07年、SGI研修会で日本を訪れ、池田先生との出会いを刻むことが
できました。生涯、何があろうと負けない。先生と共に戦い抜くと
誓いました」

妻であるアルムデナさんと出会ったのもこの頃。愛するスペインの
広宣流布のために、一緒に和楽の家庭を築こうと決めた。
08年、スペインの同志と共に、再び日本でSGI会長から激励を受ける。

1990年代初めの宗門事件で悪侶らの暗躍に直面したスペインSGIは、
今や当時の約60倍の陣容に大発展を遂げていた。
晴れやかな表情で師匠の前に立つ同志の姿が、ディ・ブーニョさんには
誇らしかった。

2010年のSGI研修会では初めて関西の地を訪ね、「常勝」の精神を学んだ。
翌11年3月、長女クラウディアさんが誕生。だが分娩が長時間に及び、
ようやく取り出されたわが子は仮死状態で、医師たちによる救命処置が
とられた。

「私は、自身の最も深い宿命と立ち向かう思いで、妻と一緒に娘の健康を
祈り続けてきました。死産の寸前だった娘が、全ての機能を回復し、
健康そのものになりました。医師からも奇跡だと言われました」

13年に壮年部に移行。地元の本部長と会館警備グループのリーダーを
兼務する。
「入会から今年で18年。スペインは長らく深刻な経済危機が続いています。
自身の試練の壁にぶつかるたび、題目を唱え抜くとともに、スペインの
同志が一人残らず守られるよう、祈り抜いてきました。

広布のためには何も惜しまないという覚悟で、全てに立ち向かってきました。
今年の訪日では、広宣流布大誓堂での記念勤行会にも参加できました。
スペインの広宣流布は私自身の師匠への誓いです。さらに盤石な創価家族の
連帯を築いていく決心です」

 おわり(聖教新聞 2016/10/31)

まとめ
世界の体験プラザ 障がい乗り越え励まし送る人生へ(1)
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2016年11月22日

四季の励まし 世界へ!人間のための宗教を

シンガポール1.PNG
競うように天空へ伸びる高層ビル群。その向こうに美しい虹がかかった。
2000年(平成12年)11月、シンガポールのマリーナ湾を望みつつ、
池田大作先生が撮影した一葉である。
邪宗門の鉄鎖を断ち切った「魂の独立記念日」から25年。
学会は池田先生のもと、いかなる悪の陰謀にも微動だにせず、日蓮仏法
の人間主義を語り広げた。
平和を希求する民衆のスクラムは今や、世界192ヵ国・地域へと
拡大し、あの地にも、この地にも、新たな人材が踊り出ている。
雨が降らなければ、虹はかからない。障魔の嵐を乗り越え、晴れ晴れと
進む我らの頭上には、”勝利の虹”が燦然と輝いている。


池田大作先生 四季の励まし

世界へ!人間のための宗教を


創価学会の使命は、
世界広宣流布にある。

日蓮大聖人の仏法を、
人々の胸中に打ち立て、
崩れざる世界の平和と、
万人の幸福を実現することにある。

大聖人は、末法にあって、
全人類の救済のために、
妙法流布の戦いを起こされ、
全世界への
大法弘通を誓願された。

学会は、御本仏のその大誓願を
果たすために出現した。
人間主義の世界宗教である。

  ◇ ◇ ◇

「人間のための宗教」こそ仏法の帰結だ。

それゆえ、反対に
「宗教のための人間」
「宗教のための宗教」
というような
転倒した権威主義とは、
どこまでも戦わざるを得ない。

希望へ、幸福へ
安穏へ、平和へと、
大悪を常に
大善の方向へ転じていくのが、
現実変革の宗教の証である。

  ◇ ◇ ◇

目の前の一人を
親身になって蘇生させていく。

一人の宿命転換の劇に、
最高の善知識として関わっていく。

「一人」を励まし育てることが、
世界の広宣流布を築く一歩だ。

否、世界広布といっても、
「一人」が、
幸福になるかどうかで決まる。

  ◇ ◇ ◇

創価学会には、いかなる大難も
私と共に勝ち越えてきた、
勇気と誠実と忍耐の
英雄が無数にいる。

「仏法は勝負」である。

ゆえに、戦い勝たねばならない。

戦うことが「後継」だ。

勝つことが「報恩」である。


シンガポール2.PNG
中米・コスタリカのメンバーに「人生の勝利者になってください。
幸福王になってください」と呼びかける池田先生。
同国で54ヵ国・地域目の訪問となった。
(1996年6月、首都サンホセ郊外で)


 (聖教新聞 2016/11/20 日)

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2016年11月23日

タイで代表者勤行会 原田会長が出席 王国の繁栄を祈念

タイ国 1.PNG
バンコクのトンブリ会館で行われた代表者勤行会。
プーミポン国王の遺徳をしのび、タイ王国の末永い安穏を祈念した


タイで代表者勤行会

プーミポン国王陛下の追悼の意義込め

 原田会長が出席 王国の繁栄を祈念


【バンコク22日】原田会長、笠貫SGI(創価学会インターナショナル)
女性部長ら南アジア訪問団が21日、タイ・バンコクに到着。
22日午前にはタイ創価学会の代表者勤行会が、崩御されたプーミポン・
アドゥンヤデート国王陛下の追悼の意義を込め、トンブリ会館で行われた。

ここでは国王と親交を結んできたSGI会長である池田大作先生の弔意の
言葉が紹介され、心からの哀悼の意を表した。原田会長を導師に厳粛に
勤行・唱題を行い、国王の遺徳をしのぶとともにタイ王国の繁栄を
祈念した。(記事=大宮將之、写真=井崎伸明)

タイ国2.PNG
タイの大地を潤してきた悠久なるチャオプラヤ川と、発展を続ける
バンコクの街並み


 (聖教新聞 2016/11/23、水)

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2016年11月24日

新・人間革命(5960)源流 六十九  法悟空 内田健一郎画

インド広布.PNG

新・人間革命(5960)

源流 六十九  法悟空 内田健一郎画

インド創価学会が念願のメンバー1万人に達し、盤石な広布の礎を
築き上げたのは、二十一世紀の新しい行進を開始した2002年(平成14年)
八月のことであった。以来、破竹の勢いで広宣流布は進み始めた。

十二年後の十四年(同二十六年)三月には、メンバーは七倍の七万人を
突破したのである。広宣流布をわが使命とし、自ら弘教に取り組んできた
同志の胸中には、組めども尽きぬ喜びがあふれ、生命は躍動し、
師子の闘魂が燃え盛っていた。

全インドのどの地区にも、歓喜の大波がうねり、功徳の体験が万朶と
咲き薫った。それは、さらに新たな広布への挑戦の始まりであった。
メンバー十万人の達成を掲げ、怒涛の大前進を開始したのだ。

弘教は弘教を広げ、歓喜は歓喜を呼び、翌十五年(同二十七年)の八月一日
、見事に十万の地涌の菩薩が仏教発祥の国に誕生したのである。
地涌の大行進はとどまるところを知らなかった。三カ月半後、創価学会
創立八十五周年の記念日である十一月十八日には、十一万千百十一人という
金字塔を打ち立てたのだ。

そして、十万人達成から一年後の今年八月一日、なんと十五万人の陣列が
整う。しかも、その約半数が、次代のリーダーたる青年部と未来部である。
この八月、代表二百人が日本を訪れ、信濃町の広宣流布大誓堂に集った。

世界広布を誓願する唱題の声が高らかに響いた。インドの地から、世界広布
新時代の大源流が、凱歌を轟かせながら、ほとばしり流れたのだ。

いや、アジアの各地で、アフリカで、北米、南米で、ヨーロッパで、
オセアニアで、新しき源流が生まれ、躍動のしぶきをあげて谷を削り、
一瀉千里に走り始めた。

われら創価の同志は、日蓮大聖人が仰せの「地涌の義」を証明したのだ。
流れの彼方、世界広布の大河は広がり、枯渇した人類の大地は幸の花薫る
平和の沃野となり、民衆の歓喜の交響楽は天に舞い、友情のスクラムは
揺れる。(第二十九巻終了)

 (聖教新聞 2016/11/23 水)

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2016年11月26日

世界の体験プラザ 父との出会いが生んだ奇跡の物語(1)

1ウッドさん.PNG
1970年代から80年代、ポストパンクの伝説の
ガールズバンドとして名を馳せた「ザ・レインコーツ
」。ウッドさん(左端)はバイオリンを担当


世界の体験プラザ 創造性を発揮し地域に貢献

伝説のガールズバンドのバイオリニスト

父との出会いが生んだ奇跡の物語(1)

イギリスSGI アン・ウッドさん

演奏者として輝かしい業績


1977年にイギリス・ロンドンで結成され、84年に解散した伝説の
ガールズバンド「ザ・レインコーツ」。
94年に活動を再開した時、バイオリニストとして、メンバーに加わった
のが、イギリスSGI(創価学会インターナショナル)の
アン・ウッドさんだ。

2010年と15年の来日ツアーにも同行。大阪や名古屋、東京の渋谷や
下北沢でファンを沸かせた。ウッドさんはロンドンで生まれ、
イギリス北部スコットランドの首府エディンバラで育った。

世界有数の音楽学校である王立音楽アカデミーを卒業した後、
王立シェークスピア・カンパニーや王立ナショナル・シアターなど
最高峰の劇場の演奏者として活躍。

マッシブ・アタックやエルビス・コステロといった有名アーティスト
の楽曲にも参加し、ラジオ番組や映画音楽の作曲にも携わってきた。

「これまで多くの良き出会いに恵まれ、自身の音楽を追求することが
できました。日蓮仏法を実践し、どんな課題に直面しても、目標に
向かって力強く進む生き方を身に付けられたことが、私の芸術家と
しての可能性を最大限に引き出してくれたと感じています」

仏法と出会ったのは10代の頃。1982年、ウッドさんが進学のため
故郷を離れる前に、母が職場の同僚の紹介でSGIに入会した。
当時、スコットランドのメンバーは50人ほど。母はパイオニアとして
勇んで広布の庭を駆けた。

帰省するたびに、以前よりも明るく、前向きに変わっていく母の姿を
目の当たりにしたが、ウッドさん自身は信仰とは距離を置いていた。
転機が訪れたのは23歳の時。卒業後、バイオリニストとして劇場と
契約を結べたものの、求められる技術の高さに緊張の毎日。

自信を失い、プレッシャーに押しつぶされそうになった時、
「どんな時でも、とにかく題目を唱えれば絶対に大丈夫よ」との母の
言葉を思い起こした。

「言われた通り、まずは100日間、真面目に実践しょうと決め、朝晩の
勤行と唱題を始めました。母の言葉が正しかったことはすぐに
分かりました。風に舞う羽根のように流されやすい自分でしたが、
弱い感情に負けないようになっていったのです」

ウッドさん2.PNG
最愛の家族と共に。右端が母のフィオナさん


 (聖教新聞 2016/11/21 月)

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世界の体験プラザ 父との出会いが生んだ奇跡の物語(1)
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世界の体験プラザ 父との出会いが生んだ奇跡の物語(2)

ウッドさん 3.PNG
ハイランズ・アイランズ・マレー支部の友


世界の体験プラザ 創造性を発揮し地域に貢献

伝説のガールズバンドのバイオリニスト

父との出会いが生んだ奇跡の物語(2)

イギリスSGI アン・ウッドさん

「不可能を可能」にした祈り


ロンドンで、女子部の地区リーダー、部長、本部長を務め、白樺グループ
の一員にも。地道に学会活動を続けていく中で、仕事の幅も広がっ
ていった。

「状況が悪くなると、すぐに自分を卑下ばかりしていました。でも、
女子部の活動を通して自分と向き合い、自分自身を、そして、他の人も、
もっと尊敬できるようになりました。池田先生の指針に勇気をもらい、
”夢を夢で終わらせてはいけない”と背中を押していただきました」

ウッドさんが、「不可能」だと思っていた夢、、、それは、顔も知らない
実の父を探し出すことだった。パキスタン出身の父は眼科医になるため
イギリスに留学している際、母と出会った。

母が妊娠していることを知らず、一人で帰国。母国で医師となり、家庭を
築いていた。母は父を追いかけることなく、一人で自分を育ててくれた。
頼る先は全くない。どうせ無理だろうと何度も諦めそうになった。

しかし、ある朝、勤行をしている時、「そうだ!」と、在英パキスタン
大使館に行ってみることを思い付いた。知っているのは父の名前だけ。
担当の大使館員に、父が眼科医であるはずということを伝えた。

「眼科医なんてパキスタンに何人いると思っているんですか」
取り付く島もない。だが突然、「ちょっと待ってください。この人、
知っています。大学病院の教授で、私の友人です!」と。
思ってもみなかった答えが大使館員から返ってきた。

 一人でパキスタンに飛んだ。初めて見る父の姿。うれしさと同時に
複雑な感情がこみ上げてくる。だが、祈り続けてきた出会いに感謝の
思いで胸があふれた。

異母兄弟が6人いることも知った。彼らの母親の反対で会うことはできな
かったが、良い関係を結べるよう祈り続けた。十数年後、思わぬ形で、
その人と出会うことになる。

 ウッドさんは結婚後、3人の子供を授かった。2004年、次男が遺伝子の
異常による難病を発症。父に相談すると、異母兄弟の一人が米国最高峰の
病院で、その分野の専門医として働いていることが分かった。

「弟からすぐに連絡があり、息子の治療のために尽力してくれました。
父との出会いだけでも、私にとって『不可能』な出来事だったのに、まさか、
そのことによって息子までも救われるとは、、、。
今、振り返ると、きっと全て、私の母の祈りに包まれて実現したことなの
だと思います」


母娘で歩むパイオニアの道


 ウッドさんは今、ロンドンを離れ、母の故郷であるスコットランドの
ハイランド地方に移り、家族と暮らしている。バイオリニストとして
世界中を飛び回りながら、少しでも地域のためになればと、地元の学校で
音楽も教えている。

地方ということもあり、それまで全く楽器に触れたことのない
子どもたちばかり。音楽を通して人格を形成してほしいと願い、小さな
オーケストラを結成。

 その楽団がハイランド地方の大会で上位の成績を収め、地域の希望に
なった模様がドキュメンタリー映画になって放映された。53歳、支部婦人
部長。イギリスで最も広大な「ハイランズ・アイランズ・マレー支部」
の責任者だ。

支部の会合に参加するために、車で12時間以上も移動しなければならない
メンバーもいる。それでも、ウッドさんたちは、「草創期の使命です。
この環境に感謝して、どんな困難も乗り越えて、皆で広布の基盤を築いて
いきたい。メンバーが増えて、車で30分以内で家庭訪問ができるように
なるのが、私たちの目標です!」と意気揚々だ。

近年は毎年のように新入会者が誕生している。母と同じように、誉れの
開拓者の道を選んだウッドさん。母として、音楽家として、教育者として、
そして広布のリーダーとして、自身の新たな可能性に挑戦する日々だ。

「スコットランド人には一人立つ強い心と、素晴らしい創造性があります。
『不可能を可能にする』日蓮仏法の力で、一人一人の創造力をもっと
引き出し、社会の繁栄のために尽くしていきたいです」

 おわり(聖教新聞 2016/11/21 月)

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2016年11月27日

きょうの発心 従藍而青(じゅうらんにしょう)の法理を胸に前進

きょうの発心 12948.PNG

きょうの発心(12948)新大阪総県婦人部長 流田恵理子

従藍而青(じゅうらんにしょう)の法理を胸に前進


青き事は藍(あい)より出(い)でたれども・かさぬれば藍よりも
色まさる、同じ法華経にては・おわすれども志(こころざし)を
かさぬれば・他人よりも色まさり利生(りしょう)もあるべきなり

(乙御前御消息、1221ページ・編790ページ)

通解
青い色は藍という草から生まれるが、重ねて染めると藍よりも
色が鮮やかになる。同じ法華経ではあっても、信心をさらに深め、
実践を重ねていくならば、他の人よりも輝きが増し、利益も
はっきりとあらわれてくるのである。


 幼子を連れ、鎌倉から佐渡まで求道の旅をした乙御前の母へ、
いっそう信心を奮い起こすよう教えられています。

 我が家は、姉の小児まひに悩み、1959年(昭和34年)に入会。
以来、私は信心一筋の両親の姿を見て育ちました。
父が亡くなった際、池田先生と多くの同志の激励に発心。
創価家族の温かさに報恩感謝の思いは尽きません。

 学生時代、従藍而青(じゅうらんにしょう)の法理を
ひかれての先生の指導に、”広布一筋の人生を”と誓いました。
姉の介護は45年間に及びましたが、姉の分まで仏法対話にと
駆ける母の姿に、宿命を使命に転ずる生き方を学びました。

 姉の安らかな最期に信心の素晴らしさを教えてもらいました。
夫と共に試練を乗り越え、4人の子どもも創価の学舎で後継の
道を歩んでいます。

3・17「新大阪の日」を勇猛精進・先駆の大拡大で
勝利してまいります。

 (聖教新聞)

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2016年11月28日

ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇(1)

優麻さん2.PNG


ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇(1)

俺にしか救えない人がいる!


”宗教なんて、俺には必要ない。自分の力で、どうにでもなる”。
学会3世の鈴木優麻は、ずっとそう思い続けてきた。高校から始めた
ラグビーでは「花園」(全国大会)に出場し、東京代表にも選ばれた。

卒業後は美容専門学校に進み、国家試験に難なく合格。
2004年(平成16年)から美容師として、働き始めた。順風満帆。
自信しかなかった。”いよいよ、これからだ!”という時、優麻の体に
異変が生じる。

 06年8月。突然、倦怠感や歯茎の痛みに襲われた。総合病院で血液検査を
受けると、医師から想像もしない病名を告げられる。
「急性骨髄性白血病です。直ちに入院してください」。言葉を失った。
”うそだ、何で俺が、、、”。

病室で泣き崩れた。「大丈夫、絶対に治るから!」。母・和子さん(61)
=白ゆり長=の言葉も耳に入らないほど、絶望の淵に沈んだ。
その日から抗がん剤が始まった。「一日中、嵐の中で船に揺られてい
るような」目まいと吐き気。

 髪は抜け落ち、40度を超える高熱が続く。”もう、死を待つだけ
だ、、、”。いざ試練に直面した時、いかに自分が無力であるかを
思い知らされた。そんな優麻の元へ駆けつけてくれたのが、
男子部の部長だった。

 今まで家に訪ねて来ても、あまり相手にしてこなかった人。
それでも、先輩は見捨てなかった。「優麻は、願ってこうなって
いるんだよ。優麻もまだ知らない何千、何万もの人たちに、信心の
すごさを証明するために!」。

正直、意味不明だった。だが、単なる同情とは違う何かを感じた。
”俺にしか救えない人がいるのか、、、”優麻はベッドの上で、
初めて題目を唱え始めた。

    Ж

1優麻さん.jpg
「自宅で再現できるスタイル作り」をモットーに、幅広い知識と
高い技術で顧客に合った髪形を創り出す鈴木さん(左)


 病魔との一進一退の攻防は続いた。「治療開始から10ヶ月後には、
薬の効果がなくなります」と医師。骨髄移植のためのドナーを探すも、
優麻の白血球の型(HLA)に合致する人は、なかなか見つからない。

焦りが募る中、母が知人を介して会わせてくれたのが、吉沢健一朗さん
(39)=東京都豊島区在住、男子部ニュー・リーダー=だった。
優麻と同じ22歳で急性骨髄性白血病を患い、当時では症例数が
すくなかった「さい帯血移植」で病を克服。

06年2月に、本紙「体験ページ」に掲載された人だった。
「あの薬、本当につらいよね」。痛みを共感でき、同じ病を克服した
”生き証人”の存在が、どれほど大きな希望となったことか。

別れ際。「この信心って、本当にすごいよ」。何げなく放たれた一言が
、優麻の心に深く染み渡った。
”吉沢さんみたいに、誰かの希望になる自分になってみせる”。
その時から、優麻の祈りが変わった。それは同時に、自らの使命を
自覚した瞬間だった。

「青年よ、いかなる人生劇場においても、出演者たれ」 池田先生の
『人生抄』につづられた一節が、優麻の心を奮い立たせる。
”どんな苦しみだって、受けて立つ!御本尊のすごさを証明してやるんだ!”

 第2につづく (聖教新聞 2016/11/20 日)

まとめ
ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇(1)
ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇(2)

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