聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

2017年01月09日

日没、伊豆大島から西方を望み富士山まで



夕焼け空に陽が沈もうとするつかの間のひと時
2016/01/01 元旦 
午後川崎に住む長男一家がやって来た。

毎年恒例となっている。
中学1年生の孫の長男が高校1年の姉の背丈を超していた。
成長の速さに驚く。

去年の夏来た時は、まだ姉の方が背が高かった。
一段落してから、柳島海岸に行く、冬だから、海に入って
遊べない。

周りの風景を見ながら、貝類を拾ったりして
散策。冬だから、陽が沈むのが早い。
16時30分位に熱海方面の山並みに陽が沈み始める。

本当は太陽が沈むのではなくて、地球の方が自転しているのだ。

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沖縄県石垣島は暮らすのに年間通して快適な島



石垣島
石垣島は八重山諸島の中心地で、沖縄県内では沖縄本島、
西表島に次いで3番目に広い島です。

県庁所在地の那覇市との距離は南西に410km以上離れています。
島にある標高 525.5 m の於茂登岳は沖縄県の最高峰、
沖縄には高山がないんですね。

「410km以上」は本島なら、どれくらいの位置か調べました。
東京から京都までの一直線の距離は368Kmで、車での走行距離は
454Kmになります。

「410km」はかなりありますね。石垣島は那覇市より台湾のほうが
近いです。
日本最西端の与那国島から台湾は111km、条件が良ければ、
年に何度かは見えることがあるそうです。


気候 気温(°C)
総降水量(mm)
出典:気象庁(1981年 - 2010年の平均値)
インペリアル換算
亜熱帯海洋性気候に属する。また気象庁の平年値(1981-2010年)
に基づくと、ケッペンの気候区分上は熱帯雨林気候 (Af) に相当する。

最寒月平均気温 18.6 ℃(1月)
最暖月平均気温 29.5℃(7月)
年間平均気温 24.3℃
最少雨月降水量 126.3 mm(12月)
最多雨月降水量 261.6 mm (8月)
乾燥限界 626 mm < 年平均降水量 2106.8 mm」
(ウィキペディア)

「年間平均気温 24.3℃」そして「最寒月平均気温 18.6 ℃(1月)
」ということは、冬の寒さもなく、年間通して、
ほぼ、快適な暮らしができるわけです。


自然
宮良川河口のマングローブは、国内最大の面積をもつ。
西部の名蔵アンパルは2005年にラムサール条約に基づいて
保護すべき貴重な湿地に登録された。

2007年8月1日、石垣島の面積の約3割にあたる約 7,000 ha が
西表国立公園へ編入されるとともに、
名称が西表石垣国立公園に変更された。

これにより、かつて新空港問題で有名となった白保地区等が
海中公園地区とされ、海中公園の面積は国内最大となった。

これは、国立公園としては、1964年の富士箱根伊豆国立公園以来
43年ぶりの大規模な拡張である。
海岸ではサンゴ礁の発達がよく、特に南西側は西表にまで広がる、

いわゆる石西礁湖に面する。東南側の白保のさんご礁は開発がらみで
有名になっているが、北部の川平湾も、流れが急で多様なサンゴが
みられることで有名である」
  (ウィキペディア)

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2017年01月12日

沖縄県八重山諸島の西表島・竹富島など訪ねて




沖縄県八重山諸島の西表島・竹富島など訪ねて

西表島(いりおもてじま)は、沖縄県八重山郡竹富町に属する島であり、
八重山諸島最大の島である。人口は2,437人(2016年7月末)である。

地理
面積289.61km2、周囲130.0kmの島で、日本第12位、沖縄県内では
沖縄本島に次いで面積第2位である。2005年度国勢調査に基づく人口は
2,347人、世帯数1,187。
八重山諸島では最も大きいが、山がちで平地に乏しい。
名称については西の表で、表は石垣島の於茂登岳を指し、於茂登岳の
西にある山の意とも言われる。

地勢
島の面積の90%は亜熱帯の自然林で覆われ、山の斜面・森林ともに海の
間近にまで迫っており、平地はほとんどない。人の居住地は
海岸線沿いのわずかな土地に限られる。島の面積の約8割は国有林である。
(ウィキペディア)


沖縄では本島につぎ2番目に大きな島が西表島、それが小さな竹富町に
属する島とは驚きでした。しかし、西表島の約8割は国有林ですから、
人が暮らせる面積は約2割。

西表島への交通は船だけです。
(東部・大原港)石垣港離島ターミナルから高速船で35分
(西部・上原港)石垣港離島ターミナルから高速船で40分


 竹富島はこんなところ、NHKで放送されたものです。
ツアー観光では見れない内容ですので、
竹富島を知るにはいい参考になります。

旅行者であるドイツ人の彼女は英語をしゃべっています。
日本旅行でなんで沖縄、竹富島を選んだのだろうと
思いますが、でも、これも何かの「縁」なのかな。



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posted by mity504 at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 九州旅行 沖縄

2017年01月20日

名字の言 聖教新聞 2017(平成29年)/01/20〈金〉

空 雲.PNG
写真は本文内容とは関係ありません


 名字の言

雪晴れの日曜の朝、ジャージー姿の高校生たちが、歩道橋の階段に残る
雪を掃いていた。「今日は学校?」と話し掛けると、
「野球部の朝練です!」と元気な返事と白い息。「グラウンドが
使えないと練習できないね」と言うと、彼らは胸を張って答えた。

「これも練習です」▼上達に技術の習得は大事。だが、それ以上に「人間
教育」ともいうべき”心の修練”が大切だと彼らの言動に教えられた▼
有名な進学校の私立灘校で50年間、国語の教師を務めた橋本武さんも、
同様の考え方を持っていた。

教科書ではなく、1冊の小説を中学の3年間かけて学ぶというユニークな
授業には、深い信念があった。「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」
「何とか生徒の心に生涯残って、生きる糧となる授業がしたい」
(『一生役立つ学ぶ力』日本実業出版社)

▼例えばスナック菓子や嗜好品は、一時の空腹は満たせても、体をつくる
本当の栄養にはならない。同じように、”人生の骨格や血肉”は、
即席でなく、十分な時間をかけてつくりあげるものだ▼

仏法も、真の功徳は「冥益(みょうやく)」、真の人生の財産は「心の財
(たから)」と教える。自身の無限の可能性を信じ抜き、鍛錬の日々を
重ねる中で、絶対的幸福の軌道は着実に、堂々と築かれていく。(城)

 (聖教新聞 2017(平成29年)/01/20〈金〉)

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2017年01月24日

梅花咲く 2017/01/22(日)晴、午後2時頃 鶴嶺



梅花咲く 2017/01/22(日)晴、午後2時頃 鶴嶺
赤橋のたもとから小出川の上流にそって、左手に「湘南バイパス」
があり、右手の遊歩道沿いに、ただいま、紅白の梅が満開です。

動画で撮りました。梅は種々の花が春に向かって咲きはじめる、
「魁(さきがけ)」の花だそうです。
梅は香りもいいですね。


聖教新聞 名字の言
 厳しい寒さが続くが、都内の公園では、梅のつぼみがほころび始めた。
どの花にも先駆けて咲くことから、梅は「百花の魁(さきがけ)」
とも呼ばれる。

▼「明治六大教育家」の一人である新島襄(じょう)は梅を愛した
ことでも知られる。彼が詠んだ漢詩に「真理は寒梅のごとし あえて
逆境や苦難に挑み、乗り越えていく心を、彼は「敢為(かんい)の精神」
と呼んだ▼

「敢為」は、「敢(あえて)て為(な)す」「敢(いさん)で為(な)す」
と読む。私たちが日々、読誦する勤行にも「勇猛精進」とある。
この「勇」こそ「敢(いさん)で為(な)す」と同じ意味に当たる。

あえて苦労を求め、堂々と勝ち越えていく。そして再び、新たな挑戦を
開始する、、、。この地道な鍛えの連続が”人間革命の道”だ。

▼戸田先生は「信心も、平坦な道ばかりを、ゆっくりと歩いていては、
何も変わらない」と。今日の学会の発展は、創価の三代会長と草創の
同志の忍耐と勇気によって、切り開かれた。

世界広布新時代の今、私たちは”新たな開拓者”との自覚に立ちたい▼
「百花の魁」には、”すぐれた人物などが輩出する時期の先駆を
なすこと”との意味もある。

自身の最高峰を目指し、あえて挑戦を開始する。その勇気の一人から、
百花繚乱の人材城の建設は始まる。(嶺)

(聖教新聞 名字の言 2017(平成29年)/01/23<月>)

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2017年01月30日

信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)

緑内障と闘う1.PNG
田澤さんの出勤は朝早い。左手に白杖、かばんを
たすき掛けにして、さっそうと会社に向かう


信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)

悩みも苦しみも朗らかに
 乗り越えて


師匠と共に生きる幸せ


【兵庫県宝塚市】田澤彰浩さん(56)=宝塚旭日支部、副本部長=
の右目は、ほぼ視力を失っている。左目も極めて視野が狭く、出歩くには
白杖が必要だ。40歳を目前にしての緑内障の発症。

”もう働けない……”と何度、失意に暮れたことか。だが、全ての困難を
乗り越え、今も大手食品メーカーで、「品質保証」の重要な仕事を
担っている。


トップを走れ

 入社当初は、誰もが認める「ダメ社員」だった。大学の農学部を卒業し、
品質管理など理系の仕事を希望していたのに、配属先は営業部。
地獄のような毎日だった。

ストレスは体に表れ、持病のぜんそくやアトピー性皮膚炎が悪化。
顔は黒い斑点と湿疹だらけ。肝炎も患い、慢性的な頭痛と倦怠感に
苛まれた。

当然、営業成績は振るわない。”どうせ、結婚も出世もできない”と、
心は諦めと嘆きばかり。「あの頃は、”笑う”ことさえ忘れていました」
対照的に隣の席で、いつも笑顔で、はつらつと仕事をこなす同僚がいた。

聞くと、創価学会員だという。本部幹部会の中継行事に誘われた。
”どんな人でも、絶対に、幸せになれる力を持っている。だから、
負けてはいけない!”

池田SGI会長の力強い声に、心が温かくなる気がした。ユーモアを
交えたスピーチに引き込まれ、何年かぶりに、心の底から笑っていた。
”この人に付いていこう”。1990年(平成2年)に入会。

人生が一変する。生命力があふれ、毎日が楽しくなった。次第に病状も
回復。信仰の確信を深め、さらに学会活動に励むと、職場も「品質保証部」
へ移動。

妻の登代子さん=地区副婦人部長=との結婚も決まり、順風満帆だった
95年1月17日、阪神・淡路大震災に見舞われた。
当時、住んでいた西宮市も甚大な被害だった。

約一カ月間、地元・西宮文化会館で寝泊まりし、救援活動に奔走する。
同年9月には、男子部の本部長に。 家を失い、生活に困窮するメンバーに
懸命に寄り添い、励まし続けた。無我夢中だった。

共に泣き、共に祈り、共に立ち上がり、折伏にも挑んだ。
忘れもしない1年後の5月19日。戦い切って迎えた創価西宮県男子部の会合に
SGI会長が和歌を贈ってくれたのだ。

「悩みをも また苦しみも 乗り越えて 朗らか選手と トップを走れや」
。この歌は、田澤さんの”不屈の魂”の源となった。

会社のお荷物

学会の圏男子部長だった2000年、突然、目がかすみ始めた。
症状は一向に治まらず、近くの眼科を受診する。「緑内障」、、、
右目の視神経が異常を来し、元には戻らない。

このままでは失明する。医師の説明にがくぜんとした。「病気も心配
でしたが、男子部の活動ができないことの方が申し訳なかった」
手術し、失明だけは食い止めたが、右目の視力をほぼ失った。

治療のため、仕事も休まざるを得ず、職場に戻っても、視力障害により、
できる仕事は限られた。「田澤なんて、会社のお荷物や!」。
そんな心ない言葉も耳にした。

社会で実証を示せないことが情けなかった。”俺に何の価値があるのか、、、”
。心の支えになったのは、同志の励まし。「真面目に学会活動して
きたんだから、必ず意味がある。今は自分を磨く時なんだ」

歯を食いしばり、仕事に向かった。唱題を重ね、病状が安定すると、
学会活動にも励んだ。だが01年1月、今度は、見えていた左目が網膜剥離に。
手術で失明は免れたものの、左目の視野も大幅に狭くなった。

その後は再び、自宅で療養生活。そんなある日、会社から突然の電話が。
どういうわけか、「夫婦で来てほしい」とのこと。”ついにクビか”
と覚悟する。ところが、上司の言葉は意外なものだった。

「田澤さんには、これまでの経験を生かして、さらに会社に貢献してほしい。
ハンディについては、会社がフォローします」
親身に考え、自分を必要としてくれる上司の思いに涙が出た。

「絶対に恩返しをしたい!」。以前から勧められていた管理職試験に
挑むことに。だが、参考書を読むにも、大きなルーペを使い、かっての
何倍もの時間がかかった。登代子さんに代わりに読んでもらい、
夫婦二人三脚で勉強した。

試験は見事に合格。02年4月、ついに管理職に昇格した。

次につづく
『聖教新聞 2016/10/27(木)』

まとめ
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

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posted by mity504 at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気・闘病体験

2017年01月31日

信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

緑内障と闘う2.PNG
地区総会で、一人娘の輝彰(あきら)さんがピアノ演奏。
田澤さん一家の笑顔は、地域の希望でもある
(左から田澤さん、長女・輝彰さん、妻・登代子さん)


信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

悩みも苦しみも朗らかに
 乗り越えて


師匠と共に生きる幸せ

失明の恐怖に


 田澤さんが所属する「品質保証部」は、品質保証の仕組みづくりや、
適切な運営のチェック、改善提案などを行う部署。いわば、安心安全を
掲げる食品メーカーの生命線。

しかも、田澤さんが管理職になった頃から、とりわけ重責を担うよう
になる。02年、食品偽装問題が次々と発覚。食品業界は窮地に陥る。
問題のないメーカーまで、消費者からの厳しい目にさらされた。

 田澤さんも、その対策に追われた。会社は、社内の品質保証体制を
強化するため、11年、「内部統制課」を新設。田澤さんが課長に
抜てきされ、グループ会社も含めた全ての従業員に分かりやすい、
社内表示基準の策定などを手掛けることになった。

 しかし、またしても、目の病が、、、。課長就任を目前にした同年3月、
今度は、左目に緑内障が発症。網膜剥離を起こした後の緑内障は、
手術成功の確率が低くなる。

 失明の恐怖が再び、心に重くのしかかった。「さすがに、もう
ダメだ、、、」。立ち上がる気力さえなかった。くじけかけた心を
持ち上げ、ありのままの真情を、SGI会長への手紙に記した。

「苦しいですが、頑張ります」手術は無事に終わったが、結果は1カ月を
経ないと分からない。術後の視界は、真っ白に濁り、何も見えなかった。
そんな時、SGI会長からの励ましの伝言が届く。

”先生が勝利を待ってくださっている。絶対に治してみせる!”
心に赤々と闘魂が燃えた。見えない御本尊に向かい、題目を唱え続けた。
2週間が過ぎた頃、白濁していた視界に、一筋の文字が黒く浮かぶ。

「南無妙法蓮華経」勝った!御本尊が見える!視力の低下は最小限に
抑えられ、3か月後、職場復帰を果たす。以来5年間、優秀な部下たちに
支えられ、課長職を全うし、現在は一管理職として部署をもり立てる。

 この先また、病に侵されるかもしれない。いつ失明するか分からない。
だが、「もう何も恐れません。今は、家族や部下など、周りへの
感謝しかないんです」と。

 悩みも苦しみも全て乗り越え、田澤さんは今、師匠と共に生きる幸せを
実感している。

 おわり 『聖教新聞 2016/10/27(木)』

まとめ
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

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