聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

中国の名門・蘇州大学に発足 池田大作中日友好思想研究会

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蘇州大学の敬文書院に誕生した「池田大作中日友好
思想研究会」。教職員、学生らが記念のカメラに


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中国の名門・蘇州大学に発足 池田大作中日友好思想研究会

羅教授 先駆者の哲学を学び広げたい

”池田文庫”も開設


 中国東部・江蘇省に立つ蘇州大学の敬文書院に、「池田大作中日友好
思想研究会」が発足した。創立117年の歴史を誇り、約5万人の英才が
学ぶ蘇州大学は、国家重点大学に指定される、中国最高峰の総合大学の
一つである。

 2001年には、中国の学術界に与えた影響と東西文明の交流促進への
貢献をたたえ、池田大作先生に「名誉教授」称号を授与している。
敬文書院は、香港の慈善事業家であった朱敬文氏の理念を実践する
全寮制の学びやで、有意の人材を国内外へ輩出し続けている。

同院の院長を務める羅時進教授は、日本での滞在経験もあり、かねて
池田先生の平和運動に深い共感を寄せてきた。

池田先生の調和と共生の哲学と、周恩来総理をはじめ先人が築いてきた
中日友好の歴史を、未来を担う青年たちに伝え、継承していきたいとの
強い思いから、研究会の設立に至った。

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共に中日友好の未来を見つめて 開設式では学生たちが
和やかに(蘇州大学で)


蘇州大学のキャンパス.PNG
蘇州大学のキャンパス


 4日に行われた開設式では、初めに羅教授があいさつ。池田先生の
「中日国交正常化提言」(1968年)に触れ、「池田先生は中日の友誼の
使者であり、国交正常化以前の”氷を砕く旅”の先駆者でありました」
と紹介した。

また、歴代の指導者らと重ねてきた友誼の交流に言及し、「私たちには
池田先生が提唱されてきた両国友好の思想を、民間レベルで一段と
広めていく義務があります」と力を込めた。

さらに、参加した学生たちに向け、複雑化する時代にあって調和と共生の
哲学を育むために、イギリスの歴史家トインビー博士をはじめ、世界の
識者と池田先生との対談集を読み深めていってほしいと呼びかけた。

この日、同院に「池田大作文庫」も設置された。

 『聖教新聞 2017/01/31(火)』

信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(1)

91歳で元気 1.PNG


信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(1)

「題目は打ち出の小づちじゃけえ」

信仰体験 心の長者は91歳【広島市安佐北区】「痛いも、からいも、酸いも、引っ張り出そうかいね」
そう前置きして、新宅ミスヱさん(91)=白木支部、支部副婦人部長=
は、歩みを話してくれた。

広島県の小さな島に19歳で嫁いだ。5人の子を産んだが、島の流儀に
なじめなかった。身内から「役に立たん」といびられ、泣いた。
子どもを連れて帰郷しようと、港で船を待つ間、悩んだ。

わが子が父親の愛情を知らずに育っていいものか。踏みとどまった。
夫と、船に砂利を積んで運ぶ仕事を始めた。うまくいかず、
みそ汁のみそも買えない暮らしになった。貧しさにあえぎ、いろんな
宗教をつついてみた。

陸の運送業に活路を求めた。その頃、信心の話を聞く。1962年(昭和37年)
、創価学会に入会すると、毎日「ゲタがちびるほど」学会活動に歩いた。
人生の土台が固まった気がして、ようやく胸を張れた。
倒産を2度味わっても、めげたりしない。

「見とってみい。この倍の会社にしちゃる」。支えは、池田先生と交わした
握手(75年)。「頑張ってください」と声を掛けられた思い出だけで、
耐えに耐えた。

泥から這い上がったその手で土木会社を築き、子に継いだ。
もう一つ、大きな山を越えなければならなかった。4年前、67歳の長男を
病で亡くす。

新宅さんは息子の息が切れるまで、題目を聞かせた。張り裂けそうな思いで
、葬儀の導師を自ら務めた。

 人生に起こる全てを、「生まれた時の約束ごと」と受けとめる。
親より先に子が旅立つことは、身の置き場がないほど悲しく、つらい。
それでも「もう題目しかないけえ」と、祈りを途切らせはしなかった。

新宅さんの語る言葉の端々に、信心への覚悟がにじむ。
「こがな幸せがくるとは思わんかった」と、張りのある声で言い切る。
宿命を丸ごと宝に変えてみせた”心の長者”に、共鳴する人は多いだろう。
 (天)


 ●信心の味

 題目は打ち出の小づちじゃけえ。頭で思うただけで、宝物が出るんよ。
買い物に行くじゃろ。家帰って「しもうた!卵買うの忘れた」言うてのお。
ほしたら玄関がピンポーンと鳴るんよ。開けたら近所の人が卵を箱で
持っとった。

こがな不思議なことが続くんよ。座談会の帰りに「シイタケ食べたい」
言やあ、玄関に干しシイタケがドサッと置いてあるし、粕汁が飲みたい
思うたら、「粕汁こしらえたけえ食べんさい」言うて縁側に来てじゃし。

欲しい時に欲しい物がスイスイ飛んでくる。それが功徳なんよ。
みんな、打ち出の小づちを持っとるんじゃけどのお。振らんけえ、宝も
功徳も出んのんよ。振ってみんさい。信心の味を占めたら、やめられんけえ。


 ●宝の受け方

 池田先生の言われる通りに、信心すりゃあええ。題目あげても幸せになれん、
いうのは、大うそよ。朝晩、勤行しよるじゃろ。寿量品に「雨曼陀羅華
(うまんだらけ)」ってあろうが。宝物が毎日、天から降ってきよるんよ。

じゃけど、みんなよう受け取らんのよ。前掛け広げて受けるんじゃあ
ないで。題目あげて、受ける器をつくっとかにゃあ。
私は欲深いけえね。降り注ぐもんを全部受けるで。見てみんさい。
この正月も、子と孫がみんなお年玉くれたんじゃけえ。

 次につづく

 まとめ
信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(1)
信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(2)

『聖教新聞 2017/01/31(火)』

信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(2)

91歳で元気 2.PNG
長女の文子さんと2人暮らし


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心に響いた本紙の言葉を
書きとどめることが日課


信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(2)

「題目は打ち出の小づちじゃけえ」


 ●小宇宙

題目をあげりゃあ、宇宙全体が力を貸してくれるんよ。
恐ろしい物は無いなるわいね。雨も風も、それこそ雪も加勢してくれる。
みんな南無妙法蓮華経の当体じゃけえ。

その力を借りて努力しんさい。棚からぼた餅じゃあ、つまらんで。
わたしゃあ太陽が、ことのほか好きなんじゃ。自分だけを照らしてくれる
気がするけえね。

「ありがとう」言うて手を振って、食器じゃろうが、何じゃろうが
干すんよ。最後は、わしが物干し竿にぶら下がろうか思うてから。
それぐらい太陽が好きなんよ。

 とにかく題目あげてみんさい。宇宙を感じて涙が出るけえ。
じゃけえ人間は「小宇宙」いうんよ。


 ●魔との攻防

寒くなったら、布団から出にくいわね。無理に起こす者もおらんし、
寝ときゃあええ。でもの、そう思った時には、もう魔が入っとる。
魔いうのは、題目をあげささん力のことなんよ。

 わたしゃあサスペンスが好きでのお。いつも2人の自分が言い合い
するんよ。「こりゃあ見たのお」「見んさいや」
「ほいでも題目あげにゃあ」「まあええじゃないか。今日ぐらい」。

仏と魔とは背中あわせ。魔の陣地に引っ張られたら、なかなか
元には戻らんけえの。

 持続が肝心よ。「今日あげたけえ、明日は題目を休んでええ」じゃあ、
魔が命をそそのかすで。


 ●祈りの構え

題目あげんと、一日損した気分になる。題目は素晴らしいよ。
何にでも効く薬よ。それを信じんさいや。同じ題目でも、間違うた
題目あげたらいけん。「この願いは無理かもしれませんが、
何とか……」。

それじゃあ御本尊様から「知ったこっちゃない」と
言われるんがオチよ。腹を決めて「こうします」いう、かなえるような
姿勢で祈らにゃあ。

「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」
(御書234ページ)。忘れんさんな。わしらは、題目をあげるために
生まれてきたんじゃけえの。


 ●願い生まれし

 宿業いうもんは、たちが悪い。願って生まれたことを忘れるんじゃけえ。
病気じゃろうが、何じゃろうが、他人のもんじゃない。
御書にちゃんとあるじゃないですか。

そりゃあ凡夫じゃけえ、疑うわいね。わしは苦しいたびに、池田先生の
本を読みよる。ほいで応用問題を解くように「何でですか」言いながら、
御本尊様に題目あげよる。

 引いたらいけん。引いたら宿業が雪崩をうってやってくるけん。
宿業ちゅうのは、逃げたら10のもんが3倍にも4倍にも膨れ上がるんよ。
文句言わんと向き合うたら、10が5に減るんじゃけえ。

智慧があるじゃないですか。御本尊様から頂く知恵が。
それで解決すりゃあええじゃない。ピンチをチャンスに変えていくんよ。
題目あげ抜きゃあ、何から、かんから、ええあんばいに丸う収まるん
じゃけえ。

わしは息が続く限り、信心の話をして歩くけんね。功徳を山ほど、
もらうんじゃ。

 まあ、ようしゃべったのお。まこと今日はええ天気じゃ。このお日さん
塩漬けにして取っておきたいわ。

 おわり

 まとめ
信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(1)
信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(2)

 『聖教新聞 2017/01/31(火)』

世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(1)

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欧州随一の国際都市ブリュッセルで、仲良く友情を
広げるベルギーの友


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オランダ レオナルダ・ファン・アイクさん


アムステルダム.PNG
オランダの首都アムステルダム。
田園の川沿いを風車が彩る


世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(1)


 新入会のSGIメンバーを紹介する本企画。今回は、欧州北西部に
位置するベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)
の婦人部員に、信心を始めて得た実感を聞いた。

 ベネルクスの婦人部

オランダ レオナルダ・ファン・アイクさん

この道を歩みたかった


 昨年5月8日に入会しました。この日は私の新しい誕生日です。
シャンパンを開けてお祝いしました。初めて仏法の話を聞いたのは、
一昨年の11月です。
紹介者であるイワミさん夫婦は、小説『人間革命』を勧めてくれました。

 初代会長の牧口先生、第2代会長の戸田先生が、軍国主義に抗して
投獄されながらも、毅然と信念を貫かれたことを知り、SGIの正しさを
確信しました。

 私は「正しい教えを信仰したい」という願いをもっていました。
日蓮大聖人と学会の歴史を学ぶほどに、”これで自分は
正しい道を歩んでいける”との、安堵がこみ上げてきます。

 もう一つ、SGIに正しさを感じる点があります。それは、活動の中心が
「行動」だということです。祈って終わりではない。

 私は45年間、セラピストとして心のケアに携わってきました。
今ではヒーリング(癒し)プログラムの際も、心の中で題目を唱えながら
施術し、セラピーが終わった後も患者のことを祈り続けます。

忙しい時は移動中も題目を唱えます。そして、相手が元気を取り戻すまで
寄り添います。

 自分のことだけでなく、周囲に励ましを送り続けるSGIの実践を見て、
すぐに正しい信仰だと分かりました。

 初めて耳にした、朗々たる題目の音律!あの感動は忘れられません。
すぐにでも御本尊を頂きたかったのですが、まずは仏壇だけを安置し、
勤行・唱題を練習しました。

 それから4週間ほどたった時のことです。いつものように一人で
唱題をしていると、感極まってしまい、涙がとめどなくあふれてきました。
この信心を生涯続けていきたいと、感謝と決意がこみ上げました。

 題目を唱えることに違和感や抵抗感は一切ありませんでした。
何に向かって、何を唱えるか、、、その選択が大切だと聞き、
感銘を受けたことを覚えています。

 もともと私には、”誰かのために生きたい””平和に貢献したい”
という考えが強くありました。仏法を語り広げることで、身近な人の
人生を手助けし、そこから平和と幸福を広げられている実感があります。

 勤行の御祈念文に「世界の平和と一切衆生の幸福のために」
とありますが、広宣流布は、私の人生のそもそもの目的に合致して
いるのです。

「この信心で、あなたの可能性や長所を無限に伸ばしていける」と
紹介者から教わりましたが、日々、その通りだなと感じます。
これを見てください。私の「仏法ノート」です。

「kousen-rufu(広宣流布)」、「seikyo shimbun(聖教新聞)」、
「juryo-hon(寿量品)」、「sokahan(創価班)」……。

 活動で分からない言葉が出てくると、ノートに書いておいて後で
質問します。私の患者の名前や、友人の願いなども書きとどめています。
縁する全ての人の平和と幸福を祈り、行動できることが喜びです。

 2につづく 『聖教新聞 2017/02/05(日)』

 まとめ
世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(1)
世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(2)


世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(2)

世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(2)

 ベネルクスの婦人部


新入会の友 4.PNG
 ベルギー
エルジェベット・ハーシャーニーさん



 全ての努力が報われた

 人生はいったい何のためにあるのだろう。……ずっとそう考えてきました。
何をしても、うまくいかない。いくらやっても空回り。
経済的にも困窮していましたが、最も苦痛だったのは、善意を
裏切られたことでした。

 ある友人に、家や食事、金銭面の世話をしたのですが、その善意に
つけこまれてだまされたのです。疲れ果て、命を絶つ選択肢が浮かんだ頃
だったと思います。親友から仏法の話を聞きました。
7年ほど前のことです。

 親友の信心への確信に圧倒されました。普段の私なら反発するところ
ですが、”それほどまでに言うのなら、何かあるのかもしれない”と、
素直に思いを受け止めることができました。

 題目を真剣にあげました。心身の苦しみが、不思議と和らぎました。
すると、ある日を境に、努力しながらも諦めていたことが、
一つ一つ報われ始めたのです。

とともに、人がどうこうではなく、自分自身が精神的に満たされることで、
周囲の反応に振り回されなくなりました。

 また学会活動に取り組む中、相手を心から尊敬することで、自分自身も
本当に大切にできるようになったと感じます。
友人5人に弘教も実りました。

 現在、福祉関係の仕事に就き、高齢者支援をしています。身体的な
サポートだけでなく、心を通わせられるかどうかが、支援の重要な側面に
なると感じます。

 老いを受け入れられず、感情的になる人や、心を閉ざす人もいます。
信心を始める前は、相手の感情にいたずらに振り回されることも
何度かありました。

 今、心掛けているのは、相手の仏性を見ることです。
唱題を重ねて仕事に取り組むことで、相手の立場に同苦することができ、
感情的な場面でも心を通わせ合えている実感があります。

 以前は、生きていくだけで精いっぱいでした。ですが、今は「自分の
人生を生きている!」という手応えがあります。自分を取りつくろう
ことなく、「人生は素晴らしい」と感じます。

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ルクセンブルク
モニック・フラセルさん


自分を信じられるように

 ヨガのインストラクターをしています。4年ほど前にヨガ仲間から
誘われて、仏法の話を聞きました。以前から仏法に関心がありました。
ルクセンブルクで仏教といえば、チベット仏教を想像します。

私も仏教にそのような印象を持っていましたが、SGIは、そうした
イメージとは大きく異なっていました。

 座談会に出席すると、これまで感じたことのないような解放感があり、
気づけば、仏法の目的や実践について話し込んでいました。
おそらく、私はとんちんかんな質問ばかりしていたと思うのですが、
皆さんが誠実に耳を傾けてくれていたことを覚えています。

実際に題目を唱えてみると、心の中に平和と安穏を感じるように
なりました。実は今まで、目標を立てて仕事をするということが、私には
とても難しかったのです。

 朝晩の勤行の時に目標を祈り定めることで、やっと自分の意思で物事を
決断できるようになれました。教室では約50人にヨガを教え、別の学校で
調理師としても働いています。

 たくさんの功徳を頂きましたが、一番の変化は、自分を信じることが
できるようになったことです。

 恥ずかしがり屋で、人前で話すのが苦手だった自分が、今は堂々と
皆の前で話しています。昔の自分からは想像できません。
先日、地区の先輩に「最初は会合に来ても後ろに隠れてばかりいたわよね」
と言われ、そのことに気付きました。
 
 そうした私の変化を見て、めいも信心を始めました。
題目を根本に、周囲の人たちの力になっていきたいと思います。

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ルクセンブルクSGIの座談会。
多様な国籍の友が祈りを合わせる

  
 『聖教新聞 2017/02/05(日)』

 おわり

 まとめ
世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(1)
世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(2)


池田大作先生 四季の励まし 感謝の心で人生は輝く

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池田大作先生 四季の励まし 感謝の心で人生は輝く

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 池田大作先生 四の励まし

 感謝の心で人生は輝く


感謝がある人は幸福である。
心には豊かさがあふれ、
喜びに満ち、
生き生きとして明るい。
福徳が輝く。
感謝のない人は不幸である。
いつも、不平と不満、
嫉妬と恨みと愚痴の
暗雲が渦巻いている。
だから、人も離れていく。
わが人生を輝かせゆく源泉は、
報恩感謝の一念にこそあるのだ。

 ○ ○ ○

誰のどのような行いによって
今の自分があるのか。
そのことを深く知り
感謝することで、
自己を最も強く肯定し、
自分自身の存在の基盤を
確立することができる。
自身の基盤を確立することは、
自分自身の大いなる
発展の土台となるのである。
報恩とは、
自身の可能性を最大に開いていく
「人間革命」の挑戦なのだ。

 ○ ○ ○

大文豪ゲーテは言う。
「感謝しなければならぬ人と
出会いながら、
感謝をわすれていることが、
どんなにしばしばだろう」
その通りである。
陰で支えてくれた方々に、
感謝の声を掛けていくことだ。
決して
当たり前と思ってはならない。。
声一つ、言葉一つで、
人間の心は動く。
その心が一切を決める根本だ。

 ○ ○ ○

感謝を忘れず、
報恩に徹すれば、
自ずから
為すべき行動は定まる。
必ず
無限の勇気と智慧が、
滾々(こんこん)と
湧き起こってくるのだ。
感謝の人は光る。
報恩の世界は栄える。


写真
沿道には、池田大作先生の訪問を心待ちにしていた同志の姿が
あった。1988年(昭和63年)2月のシンガポール。
感謝の思いを込めて、先生は車内からシャッターを切った。

 感謝のない人は、自分のために人が何かをしてくれても、
「当たり前」だと思う。この「当たり前」を「ありがとう」の
言葉に置き換えれば、どれだけの人が笑顔になるだろうか。
地域へ、社会へ、笑顔を広げゆく感謝の人でありたい。

 『聖教新聞 2017/02/12(日)』

世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(1)

1弁護士として .PNG
家族と共に(中央がシャクソンさん)


世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(1)
アメリカSGI シーラ・シャクソンさん

池田先生の哲学で社会を変えたい

 「大丈夫。私には信心がある」

 人種差別との闘いの日々


 は米国の中西部、カンザス州やネブラスカ州で育ちました。
私が生まれた1955年、ローザ・パークスの勇気に端を発した、
あの「バス・ボイコット運動」が起きます。

私の父はロースクール(米国の法科大学院)を首席で卒業しながら、
肌の色を理由に法律家への道を閉ざされていました。

 店に行っても、黒人の子どもにはジュースも売ってもらえない。
近所の白人の子どもたちが通う真新しい学校に、私たち兄妹は
入学を拒否される。

こうした差別を味わうにつれ、自分は無力で劣った存在なのだろうか、
と心が傷つけられました。

 両親は、公民権運動に身を投じ、わが家は活動家たちの拠点になって
いました。しかし公民権運動への脅迫や暴力は絶え間なく、幼い私は
いつ自分が狙われるか、いつ両親が逮捕されてしまうかという恐怖を、
常に感じていたものです。

 けっして裕福ではない中で、両親は子どもたちが少しでも社会の壁を
乗り越えられるようにと、教育費を惜しみませんでした。

 私が高校生の時、両親がブラジルへの留学の機会を与えてくれました。
娘の私がポルトガル語の習得や異文化に慣れずに苦しんでいるのを知った
母は、自分もポルトガル語を習い始めて、ポルトガル語で励ましの手紙を
つづってくれました。

大学卒業後は、奨学金を得て再びブラジルへ留学。おかげで、私は今でも
ポルトガル語を自由に操ることができます。

弁護士として 2.PNG

人間の尊厳を説いた宗教

学を終えて帰国しても、就職の面接では黒人であることを理由に採用を
拒否されました。64年に差別を禁止する公民権法が施工され、そこから
さらに10年が経っても、そんな状況だったのです。

 もう中西部はこりごりだと感じた私は、ニューヨークに移り住みました。
85年、そこでSGIの仏法と出会うのです。
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘(ひろ)めん者は男女はきらふべからず、
皆地涌の菩薩の出現に非(あら)ずんば唱へがたき題目なり」
(御書1360ページ)

 男女はもちろん、あらゆる人間の平等を説いている宗教など、それまで
聞いたことがありませんでした。両親は敬虔なクリスチャンでしたが、
私は一人一人の人間革命によって、世界を平和にしていく方途があるのだと
知って感動しました。

 入会した私は、地区婦人部長として、猛然とニューヨークの広布拡大に
奔走しました。座談会のたびに、わが家には溢れるほど人が集まりました。

 この信仰で得られた何よりの功徳は、自身の尊厳を感じられるように
なったことです。日蓮大聖人は門下の一人に対した、「此の度決定して
無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、
衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり」(同383ページ)
と教えられています。

(今この人生で間違いなく最高の悟りを得ようと思うならば、必ず
衆生に本来具わる妙理を自身の生命の中に見ていくべきである。
衆生に本来具わる妙理とは妙法蓮華経のことである)

 全ての人に具わる”仏の生命”について書かれたこの一節は、
差別の中で刻まれていた、私の無力感や卑屈さを打ち破って
くれました。

 自分を評価する基準を、外側にではなく内側に見いだせたことが、
私の生き方を大きく変えてくれたのです。
その結果、他者に対しても寛容に接することができるようになりました。

 第2につづく 『聖教新聞 2017/01/23(月)』
 
 まとめ
世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(1)
世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(2)


世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(2)

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ネブラスカ州立議事堂前で地区のメンバーと
(2列目左から2人目がシャクソンさん)


世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(2)
アメリカSGI シーラ・シャクソンさん

池田先生の哲学で社会を変えたい

 「大丈夫。私には信心んがある」

自身の「仏性」を信じ抜くこと

 としての私の願いは、息子たちに良質な教育を受けさせることでした。
しかし、希望していた国連インターナショナルスクールは、学費が高く、
信心する以前の私は、はじめから諦めていました。

 それでも、わが子を、平和に貢献する世界市民に育てたい。私は
「絶対に大丈夫。広布の戦いによって、あらゆる味方と福運を必ず
呼び寄せてみせる」という確信で御本尊に祈り抜きました。

やがて、思いも寄よらぬ形で祈りがかないました。夫が同校の職員に
採用され、規約により、子どもたちは全員、無償で入学を許可された
のです。その後、長男はアメリカ創価大学を卒業。
4人の子ども全員が大学を卒業して、意義ある職業に就いています。

 私自身も2000年に45歳でロースクールに入学し、父が果たせなかった
弁護士という夢を実現しました。現在は故郷のネブラスカ州の法律事務所
で理事という立場で働いています。
人種、性別、国籍や年齢に関係なく、弁護士の公平な審査に努めています。

 米国の法曹界には、まだまだ人種差別の空気が色濃く、悔しい思いを
したことは一度や二度ではありません。

 だからこそ、私は仏法者として、どんな立場の人にも敬意をもって
接していこうと心掛けてきました。

 人生は、試練との戦いです。信心を貫く中で、結局、全ての行き詰まり
は自身の「仏性」が信じられないという一点から生じているのだと
実感でいるようになりました。

逆境の日々もまた、人生の一部ならば、勇敢に誇り高く、生き抜いて
いくべきだと思います。池田先生は小説『人間革命』第10巻「一念」
の章に、妙法には無限の力があることを記されています。
私は壁にぶつかるたびに、原点に立ち返る思いで読み返してきました。

 先般、アイオワ州とネブラスカ州地域の婦人部長の任命を受けました。
端から端まで約1300キロの広大な地域です。
誰もが輝ける人生を歩める社会を目指して、これからも妙法の種を
まき続けていきます。

 おわり 『聖教新聞 2017/01/23(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(1)
世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(2)


世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(1)

キューバ屈指のバンド 1.PNG
情熱的なギター演奏で観客を魅了する


世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(1)

目標を達成する力は自分の中にある

永く愛される音楽を残したい

 キューバ創価学会 アレハンドロ・インファンテさん

運命的なギターとの出会い


 キューバの音楽シーンで今、不動の人気を誇るバンドが「クバ・リブレ
(自由なキューバ)」だ。結成は2000年。ロックやレゲエ、ラップ、
キューバ音楽などを融合させた自由で新しい世界観は、キューバの
若い世代から圧倒的な支持を受けている。

 アレハンドロ・インファンテさんは08年からこの「クバ・リブレ」に
迎えられ、ギタリストと音楽ディレクターを務めている。1987年、首都
ハバナの生まれ。「未婚の母」であった母親は働きに出て家計を支え、
叔母が愛情豊かに彼を育ててくれた。

90年代、まだキューバ全体が経済的に苦しい中、母親は彼に絵を
習わせてくれた。

 絵が好きになり、工芸系の高校に進学していたインファンテさんが、
友人から一本のアコースティックギターをもらったのは17歳の時だった。
近所のおじさんに手ほどきを受けながら、次第に音楽にのめりこんでいく。

とりわけ魅了されたのがロック。「神様」といわれたギタリストの
ジミ・ヘンドリックスにすっかり心酔した。

 高校卒業後、本格的にミュージシャンへの道を歩み始める。
エレキギターを教わりたいと思っていた2007年、人を介して紹介されたのが、
まだ大ブレークする前の「クバ・リブレ」を率いていたカルロス・
ディアスさんだったのだ。
クバ・リブレ.PNG
「クバ・リブレ」のメンバーたち(右から3人目が
インファンテさん。左から4人目がディアスさん)


毀誉褒貶に流されない人生

 インファンテさんが参画した数年後、「クバ・リブレ」は全国区の
人気バンドになる。人気に比例してお金も入ってきた。

「どんどん生活も乱れ、退廃的な生き方になりました。でもロック
ミュージシャンはそれでこそカッコイイと思っていたので、何の
疑問も抱かなかったのです」 

 アルコール、夜通しのパーティー、異性問題……。”スターはこれが
当たり前”という意識だった。08年に結婚していた妻とも破局した。

 
 そんな彼に日蓮大聖人の仏法を教えてくれたのは、バンドのボーカルを
務めるマルガリータ・モラレスさんだった。

「最初は、題目を唱えるという行為が不可解に思えました。でも、
実際に唱題をしてみて、心が晴れ、自分に対する感じ方が全く変わって
いったことは不思議としか言いようがありませんでした。
そこから真剣に仏法について研さんしたい、と思うようになったのです。」

 毀誉褒貶に侵されない生き方こそ、賢人であると示された大聖人の
「四条金吾殿御返事(八風抄)」(御書1150ページ)を学び、これまでの
生き方を猛省した。

「自分の目標を達成していく力は、自分の中にある。このことを理解して、
”過激さ”に溺れる道から離れることができました」

 第2につづく

 『聖教新聞 2017/01/01(日)』

まとめ
世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(1)
世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(2)

世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(2)

キューバなかま.PNG
 キューバ創価学会の同志ら(最後列の右端で高くVサインを上げる
インファンテさん。前から2列目、右から3人目がモラレスさん)


世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(2)

目標を達成する力は自分の中にある

永く愛される音楽を残したい

 キューバ創価学会 アレハンドロ・インファンテさん

 キューバ創価学会の一員となって活動する中で、男子部の先輩から
学んだのは「師弟」という生き方だった。

 「私のギターの師がディアスさんであるように、キューバにも」
師弟の関係というものはあります。けれど、師匠の誓願を弟子が
”わが誓願”として生き抜くという創価の師弟観は、キューバの文化には
ないものでした。

 師匠への求道心を燃やし、池田先生の成し遂げてきた偉業を知るにつれ、
インファンテさん自身の生きる意味と目標が大きく変わっていった。
「池田先生が、キューバ社会に仏法への信頼と共感を開いてくださったお
かげで、今の私の幸せがあります。自分の仕事と生き方を通して、
そのご恩に報いていきたい。シンプルにそれだけなのです」

 16年4月、キューバ創価学会男子部長の任命を受ける。入会に導いて
くれたモラレスさんは女子部長だ。

 今までのように”遊び”に付き合わなくなったことで、インファンテさん
の信仰をあまり快く思っていなかったリーダーのディアスさんも、
今では何かあると一緒に唱題をするほど理解を深めているという。

 「キューバの男子部は、月に2回集まっています。1回は池田先生の
指導などの研さんをし、もう1回は青年部の親睦を深めるイベントをしたり
、社会貢献の活動をしたりします。人材グループの創価班も結成され
ました。」

 師の心をわが心として”一人立つ”男子部をキューバの天地に拡大
したい。それが目下の祈りであり、日々の挑戦課題だ。

「ミュージシャンとしての目標はと問われれば、時代や流行を超越し、
永く愛されるような音楽を残すこと。そして、何より池田先生の弟子と
して、この世界をより良い世界に変えていくことに貢献したいのです」

 おわり 『聖教新聞 2017/01/01(日)』

ハバナカリブ海 .PNG
カリブ海最大の都市ハバナ


 まとめ
世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(1)
世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(2)


信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(1)

中富さん 1.PNG
 日々、歯科医療の最前線に立つ中富さん。「健康寿命の観
点から、今、歯の健康維持の大切さが見直されています」


信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(1)

 地域貢献の使命に生きる

”報恩の心”で広布拡大の実証を

【北九州市小倉北区】1976年(昭和51年)に歯科医院を開業し、昨年春
に40年の節目を迎えた中富俊介さん(70)=到津支部、総県副総合長、
九州副ドクター部長。
地域住民の健康増進に寄与するとともに、九州ドクター部発展に
尽力してきた功績により、5年前に「広布文化賞」を授与された。
その中富さんの妻・弘美さん(71)=総県副婦人部長、九州国際部
女性部長=もまた、昨年11月、国際部結成当初からの貢献によって、
同じく広布文化賞の栄誉に輝き、夫婦で喜びを分かち合った。
広布の旅路を共に歩んできた二人は、今、確かな信仰の実証を
示している。


漢方医の教え

 学生時代、中富さんは医学を学びながら、一人、考えを巡らせていた。
人間の生と死をどう捉えるか。そして、自身の人生を悔いなく生きるには
どうすればいいのか。

 当時、父が持病で漢方薬を服用しており、それを処方していた漢方医が、
今は亡き長野兼熊さんだった。薬を受け取りに行った日、中富さんは
学会員の長野さんから仏法の生命論を教わった。

探し求めていた答えを示され、驚きと喜びで胸が高鳴ったが、信仰の道へ
一歩を踏み出す勇気がなかった。

 その時、「あんた、迷っているでしょう?」と、長野さんの妻・トヨノ
さんが身を乗り出した。

「若いんだから、腹を決めてやりなさい。いいも悪いも、やってみなけ
りゃあ分からんよ。青年に大事なのは勇気たい」

確信みなぎる一声に背中を押され、68年、中富さんは22歳で創価学会に
入会した。勉学と学会活動の両立に挑み、翌69年3月、先輩に連れられ
九州幹部会に参加。池田先生の烈々たる指導に触れ、深い感動に包まれた。

「先生のお姿を遠目に見ながら、涙が止めどなくあふれてですね。”ああ、
この方が自分の師匠だ、どんなことがあっても、生涯、つききっていこう”
と心に決めました」

信仰への理解が浅い父との間には、埋めがたい溝ができていたが、”親を
大切に。目の前の人を大切に”との学会指導を学び、唱題に励むうち、
中富さんの心に変化が芽生えた。

”自分を生み、育ててくれた両親を、もっと大切にしよう。もっと
長生きしてもらおう”……心の底から湧いてきた感謝と尊敬の思いを
胸に秘め、中富さんは父と向き合った。

「お父さん、そろそろ創価学会に入ろうや」父の幸せを願う、万感こもった
その言葉を待ち受けていたかのように、普段から口数の少ない父が一言、
「おう」と返した。

 一足先に信心を始めた母に続き、父が入会したのは75年。中富さんが
仏法に巡り合って以来、7年越しの対話が結実した。


 題目しかない

 中富さんは歯科大学時代の学友と共に、北九州市を訪問した池田先生
から、2度にわたって激励を受けている。その折、先生は「人格を磨く」
「地域に貢献」「学会活動の闘志に」との指針を示し、「そこにしか
本当の人生の幸福も勝利もない」と語った。

 師の言葉を胸奥に刻み、中富さんは仕事、地域貢献、学会活動と、
全てに一歩も引かずに挑戦してきた。

 町内会では30年以上にわたって副会長を務め、町会対抗運動会では
毎回、応援団長に。また小倉歯科医師会では理事、副会長を歴任し、
同業者の連帯を図りつつ歯の健康の啓発運動に尽力。

 理事会や講習会で率先して実務を担う姿に接し、ある歯科医が
「中富さんの姿を通して、私は創価学会に対する認識を改めました」
と声を掛けてきた。

「微力ながら私が地域で頑張ってきたことで、周囲の人が少しでも
学会への理解を深めてもらえるなら、これほどの喜びはありません。
また、それこそが師匠・池田先生への報恩の道に通じると
信じていますから」

 そんな中富さんが人生最大の試練に直面したのは90年。
あるトラブルに巻き込まれ、多額の負債を背負うことになったのだ。
歯科医として一定の収入があったとはいえ、それだけでは到底、
返済が追い付かず、歯科医院の売却さえ考えるほど窮地に立たされた。

 だが、そんな嵐の渦中にあっても、妻の弘美さんんは泰然自若
としていた。「お父さん、題目よ、題目しかないよ!」

 そう言って、自ら、御本尊の前でひたぶるに祈り続けていた。
中富さんもまた、妻の一言に闘志を燃やし、いまだかってない勢いで、
唱題に励んだ。

 結局、歯科医院の売却には至らなかったが、保険の解約など万策を
尽くし、その上で、20年以上の歳月をかけて完済。
自身の責任を果たし終えた。

「人生、いつ何が起こるか分からない。でも何があっても学会から
離れず、信心を貫いていくならば、乗り越えられない苦難はありません。
自身の体験を語りながら、私は今、一人一人、同志に励ましを
送っています」

 第二つづく 『聖教新聞 2017/01/10(火)』

  まとめ
 信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(1)
 信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(2)

 

何のため信心するのだろうか、その目的は

 何のため信心するのだろうか、その目的は

信心の目的

「学会の永遠の五指針」

 1、一家和楽の信心
 2、幸福をつかむ信心
 3、難を乗り越える信心
 4、健康長寿の信心
 5、絶体勝利の信心


 これが信心する目的になります。
この指針を目指して、学会員は地域社会で困難に屈せず、
希望を胸に勝ち抜いていくための信心持続の指標です。

 創価学会は何も隠し事はしていません。むしろ、
知ってもらいたいがために行動しています。

新会員の友のために―創価学会入門 定価500円

新会員の友のために―創価学会入門、目次



創価学会の歴史、小説「人間革命」
 第2代会長が悪法”治安維持法”で逮捕され、獄中で過ごされ、
出獄されたのが、終戦の年、7月だった。

そして、戸田先生が一人立ち再建された「創価学会」の歴史。
第1代会長「牧口常三郎」先生は獄死されました。
学会の歴史は日本の歴史でもある。

学会が日本の再建に貢献した業績は大きい。


新・人間革命 (第1巻) (聖教ワイド文庫 (011))


信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(2)

中富さん 2.PNG
仕事を終えると常に同志の輪の中に飛び込み、信
心の喜びを語り合う。学会は年齢や職業の差異を
超えた人間共和の世界だ(中央が中富さん)


信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(2)

 地域貢献の使命に生きる

”報恩の心”で広布拡大の実証を

 2男1女は創価の学びやから雄飛


 持つと強く

 
 窮状にもたじろがなかった弘美さんには、忘れられない”青春の原点”
がある。東京都品川区で生まれ、英語を身に付けた弘美さんは、学会
本部の職員となり、当時の海外局に配属。英語版機関紙である
「セイキョウ・タイムズ」の編集に携わった。

 弘美さんの母は56年(昭和31年)の入会。一方、父は信心に猛反対
だった。弘美さんが26歳の時、その母が心筋梗塞で急逝し、弘美さんは
悲しみのふちに沈んだ。

 そんなある日、池田先生との出会いが。寂しげな弘美さんのたたずま
いを見て、「泣いちゃいけないよ。強く生きるんだよ」包み込むように
励ましてくれた。

「あの瞬間、私は”もっと強くなろう”と決めました。どんなにつらい
ことがあっても、先生の弟子として、絶対に泣かない、耐え抜いて
みせると、心に誓ったのです」

 縁あって中富さんと結婚し、歯科医院開業の76年、北九州の地へ。
以来、仕事で多忙な夫を支えながら婦人部の活動に励み、さらに
九州国際部の後進の指導にも当たってきた。

 そんな両親の姿を見て育った2男1女は、そろって創価高校を卒業し、
後継の人材に成長、長男・満城さん(40)=北九州市小倉北区、到津
支部、壮年部員=は九州大学歯学部、東京医科歯科大学大学院で学び、
現在は九州歯科大学で講師を務めている。

 長女・明美さん(38)は創大からマレーシアのプトラ大学大学院へ。
現地の男性と家庭を持ち、マレーシア広布の使命に生きる。

次男・伸幸さん(32)=東京都立川市在住、男子部ニューリーダー=
は、アメリカ創価大学を経て創大工学部大学院の修士課程を修了。
現在は博士課程で研究にいそしんでいる。

中富さんは語る。
「私たち家庭が自身の使命を自覚し、こうして最高に価値ある人生を
歩めるのも、全て池田先生と学会のおかげです。
その恩返しのためにもさらに地域に尽くしながら、家内と共に、
広布拡大の勝利の実証を示していきます」

中冨さん 3.PNG
励まし、支え合いながら広布の使命に生きる
中冨さん夫妻


 おわり 『聖教新聞 2017/01/10(火)』

  まとめ
 信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(1)
 信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(2)



信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)

和田さん 1.PNG
夫や息子から、信心の素晴らしさを
教えてもらいました」と和田さん


信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)

私が帰る場所はどんな時も御本尊の前でした

「期待に応えたい。そう思える相手がたくさんいて幸せ」


【京都府木津川市】和田真由美さん(55)=木津創価支部、地区副婦人
部長=が仕事から帰宅し、一人暮らしの部屋に明かりをともす。
かつて2階に引きこもった次男・大介さん(27)=東京都八王子市在住、
学生部員=のことで、頭を悩ませた日々が懐かしい。
夫の遺影を見つめ、御本尊の前に座ると経机に置いた指導を読む。
〈お題目を唱える時には、どういう気持ちで御本尊に向かえば
いいのでしょうか〉。SGIのメンバーからの質問に池田先生が答えていく
(小説『新・人間革命』第11巻「開墾」の章)。
師匠の言葉に、これまでの経験が折り重なる……。


必ず創価大学に

〈苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕(かいな)に
身を投げ出し、すがりつくように、「御本尊様!」と言って、
無心にぶつかっていけばいいんです。
御本尊は、なんでも聞いてくださる。思いのたけを打ち明けるように
、唱題を重ねていくんです〉
(以下、太字部分は小説からの抜粋)

2002年(平成14年)、和田さんは朝と昼の食事をわが子の部屋の前に置き、
出勤していた。中学生になった大介さんが引きこもりに。
登校する中高生を見ると悲しみが込み上げた。

 当時、夫・信也さんはギャンブルを繰り返し、借金が膨らんでいた。
”もう私には、夫を変えられない”。苦悩から諦めへと心が移ろう。
和田さんは投げやりになり、帰宅は遅く、出来合いの品を食卓に並べる
ようになった。

 そんな中で起きた息子の不登校。自身を見つめ直すのが唱題の時間
だった。”人のために役立つ人に”と子育てに励んできた。貫いてきた
祈りは、悩みの意味を変えた。
”いつか、この悩みも、誰かの希望になるはず”と。

 わが子の未来の飛躍を信じ、紙に記した。「必ず創価大学に」と。
季節は過ぎ、息子の肩まで伸びた髪が1年以上の時を感じさせた。
夕食に顔を出すようになり、少しずつ変化の兆しが表れた。
ある夜のこと。突然、大介さんが食卓のおかずを壁に投げつけた。

 感情を爆発させた息子は、それまで閉ざしていた心の内を初めて
さらけ出す。「お母さんは、俺の心配よりも、人がどう見てるかを
気にしてるんや!」

リビングが静まりかえる。言い争いは続かなかった。大介さんが階段を
駆け上がる音を、母はじっとしたまま、聞いた。

 反省を唱題に込めるうち、気が付いた。”いつしか、今の大介を、
心の片隅で否定していなかっただろうか”。祈りが深まるにつれ、
姿勢が変わっていった。

”あの子にしかできない生き方があるんだ”和田さんにとって、「悩みを
避けたり、心が追い詰められたりしても、私が帰る場所は、どんな時も、
御本尊の前でした」。

 第2につづく

 『2017年(平成29年)PR版春季号』聖教新聞

 まとめ
信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)
信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(2)
















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