聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(2)

和田さん 2.PNG
「これから先、苦労があっても『乗り越えてやる!』
と思える自分になれました」と次男・大介さん


私が帰る場所はどんな時も御本尊の前でした

「期待に応えたい。そう思える相手がたくさんいて幸せ」


 感謝の題目を


〈また、勝負の時には、断じて勝つと心を定めて、獅子の吼えるが
ごとく、阿修羅の猛るがごとく、大宇宙を揺り動かさんばかりに
祈り抜くんです。そして、喜びの夕べには「本当にありがとうござい
ました!」と、深い感謝の題目を捧げることです〉

 中学の卒業式直前だけ登校し、大介さんは私立高校へ。ボクシング部
の練習に打ち込んだが、1年生の冬、再び布団から出られなくなる。
不登校になり、退学を決めた。

高校で最後のあいさつを終えた帰り道、母は優しく伝えた、
「やりたいようにやればいいよ」
息子は、ただうなずいた。直後、通信制高校へ。

 2年生の夏。和田さんが唱題していると部屋の戸が開いた。
大介さんが入ってくると唐突に、「お母さんは何になりたかったん?」
と質問してきた。

すでに夫はギャンブルと縁を切っていたが、和田さんの脳裏に、借金に
悩み、弁護士と掛け合った過去が浮かんだ。
「そうやね、弁護士になりたかったかなあ」

 息子の目は、真っすぐに母を見ていた。
「お母さんの、その思い、俺が継いであげる。お母さんの夢をかなえ
るわ」

 そう口にして大介さんが部屋を出ると、和田さんは夫に電話を。
会話は自然と涙声になった。

 08年12月。夫婦は再び涙する。創価大学法学部合格の知らせを
受け取った。39期生として新生活が始まると、息子の弾む声を聞いた。
「学校って、こんなに楽しい所なんや!」
 
 苦悩の中で、夫婦は、いつも感謝の題目を唱えてきた。
突然の試練は、14年の6月、夫・信也さんが心臓発作で急逝する。
副支部長だった夫は亡くなる直前、地区の全ての壮年部員宅を
訪れていた。

珍しく「男の集いやから」と、息子たちと飲みにも出掛けた。

 広布への思いを託し、新たな生へ旅立った。そう思えた和田さんには
「寂しさはあっても悲しみはありませんでした」。
その年、夫の友人2人を入会に導く。葬儀後に交流が深まったから、
”夫の折伏だ”と感じた。

 大介さんは、創大法科大学院の2年生だった。「立ち止まらず、泥くさく
、這ってでも」と、父の姿を胸に、机に向かい続けた。

 本年5月、迎えた司法試験。結果は合格。和田さんはまた一つ、
信仰の確信をつかんだ。「悩み苦しんだとしても、信心をしている限り、
全て、希望を生むドラマになるんですね」


大介さんの話

中学生の頃、学校に行けない後ろめたさがあって、家族すら拒絶して
いました。でも、一番信用していたからこそ、親にはぶっかれたんだと
思います。

 劣等感があった自分が創価大学で変われました。周りに期待をされる
ことなんてないと感じていた自分に、創立者・池田先生や両親がずっと
思いを寄せてくれたんです。

 期待に応えたい。そう思える相手がたくさんいて幸せです。昔は、
人と比べてコンプレックスに縛られていたけど、自分は自分のままで
いいと、今は信じられます。

不登校の原因はさまざまだと思いますが、悩む子には、「君は君のままで
いいんだよ」と言ってあげたい。

 父が亡くなって、母からの電話が増えました。最初は、母を元気づけ
ようとしました。でも、御書をすごく勉強し始めたらしく、御文を拝して、
逆に励まされるようになったんです。

 10代の自分を考えると、今が不思議。絶対にあり得へん。(笑い)。
口で言うばかりではなく、いつも祈ってくれた両親に感謝しかないんです。
頑固すぎるけど、筋の通った母は、本当に唱題する人。

 そのおかげで、想像さえできなかった自分になれました。「法律家」
という立場以前に、まず、困っている人のために行動する人になります。
それが僕の親孝行です。

 おわり (2016年11月19日付)

 『2017年(平成29年)PR版春季号』聖教新聞

 まとめ
信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)
信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(2)

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世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(1)

ルー イージュンさん 1.PNG
蓄電池の素材開発に取り組むルー イージュンさん


世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(1)

 香港SGI ルー イージュンさん

 再生可能エネルギーで人類に貢献

 オンライン学際ジャーナルに論文が掲載

深遠な仏法の生命観に感動


 香港中文大学工学部の准教授として、2013年から「再生可能エネルギー」
を蓄える電池の開発に取り組んでいます。石油や石炭など、資源に
限りがある化石燃料に対し、太陽光や風力などの自然エネルギーは、
消費しても短期間で回復するため、「再生可能エネルギー」と呼ばれます。

 メリットは、資源枯渇の心配がないだけではありません。二酸化炭素
(CO2)が発生しないため、環境に優しいこと。また、設備の規模が
小さく、電力消費地で発電できるため、送電ロスが少ないことも
挙げられます。

 半面、発電量が少なく、季節や時間、気候に左右されやすいことが大きな
課題です。この不安定な電力を、安定的に供給できるようにするのが、
大容量の蓄電池なのです。

 現在、私が研究を進めているのは「リチウム硫黄フロー電池」。
バナジウムを使った従来の「レドックスフロー電池」を改良したものです。

さまざまに試行錯誤を重ね、陽極にリチウム、陰極に硫黄と炭素の化合物を
配置したところ、バナジウムでは50〜60アンペア時/リットルだった電池の
容量が、294までアップしたのです。

 この成果が高く評価され、14年7月に香港政府から「傑出した青年研究賞
」を受賞。11月には、世界的な学術誌「ネイチャー」の関連誌で、
オンライン学際ジャーナル「ネイチャーコミュニケーション」に、私たちの
論文が掲載されました。さらに翌年1月には香港中文大学から「傑出した
教育賞」を受賞したのです。

香港中文大学.PNG
香港中文大学の理工学研究棟


 信仰と学業を両立してこそ

 私は台湾・新北市の出身です。家族で最初にこの仏法を始めたのは
母でした。私が高校生の時、母方の叔父が亡くなり、落ち込んでいたところ
、親戚から台湾SGI(創価学会インターナショナル)の信仰を勧められた
のです。

やがて確信を深めた母が、題目のすごさを語ってくれたことは、よく覚えて
います。理系が得意だった私は、03年、台湾の名門・精華大学工学部に入学
。学内の先輩からSGIの活動に誘われましたが、信仰の必要性を感じず、
断り続けていました。

 半年が過ぎても連絡をくれる先輩に、”そこまで言うのなら、一度だけ
参加してから拒否しょう”と、会合に出席。そこで語られる深遠な生命観と、
理路整然とした哲学性に驚き、先入観で一方的に拒否していたことを
悔みました。

 以後、積極的にSGIの活動に参加。 自分が関わった人が幸せになるこ
とは、自分の幸せ以上にうれしいことを実感できるようになりました。

 当初、大学の成績は普通レベルでしたが、SGIの活動が忙しくなった
3年次、”信仰を理由に成績が下がってはいけない”と頑張った結果、
学部でトップに上昇。この経験が、信仰と学業は必ず両立できるという
自信になりました。

 07年、首席で卒業の見込みが立ち、教授から海外留学を勧められました。
タクシー運転手の父と、専業主婦の母、学生の姉と妹のわが家は、到底、
留学費用を負担できる経済状況ではないと思いつつも、挑戦。

何と、アメリカ屈指の名門マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院に
合格できたのです。しかし、年間5万ドル(600万円以上)の学費に加え、
生活費が必要と知り、途方に暮れました。

 題目を上げ抜き、卒業まで1カ月半となったある日、MITの教授との
面接の結果、研究室の助手に採用されることが決定。学費は奨学金で
全額免除、さらに毎月、十分過ぎるほどの生活費まで支給されることに
なったのです。

 第2につづく 『 聖教新聞 2016/07/11(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(1)
世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(2)


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グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(1)

若者と希望 1.PNG
アメリカで信心に励む母と心を通わせ、ジョーさん(右)
は今、日本に住む父とも交流を。妻・留美さん(左)
と共に、長男・里玖君へも「信心の歓喜をシェアしたい」と。
ロサンゼルス出身。両親の離婚に伴い少年時代は多くの悩みを。
2006年に入会。今年で来日10年目を迎える。
32歳。古市勇翔支部、男子部部長。


グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(1)

 家族をつなぐ力、ここに。

 大阪市城東区 ジョー・ケマナイ

 父になったLA(ロサンゼルス)育ちの日系人

 ”種のるつぼ”ロサンゼルス(LA)で生れた。父は日本人とロシア人
のハーフ(ダブルとも呼称)、母は日本生まれの韓国人。
離婚後、母は朝から晩まで働き、姉とジョーを育てた。幼い頃はベビー
シッターに預けられ、小学校の1年間は里親の家で過ごしたこともある。

 LAは、地域ごとに多数を占める人種が異なり、治安は道一本を隔て、
天と地ほど違った。市内で転居を繰り返すたび、付き合う友人も変わる。
小学生の頃はヒスパニック(中南米出身者)と、中学ではアジア系の
仲間と、高校は「クールな白人たち」の中へ。

 ギャングの子どもとけんかに明け暮れもすれば、リッチな白人仲間と
ホームパーティーにも興じた。人種間の格差や、目に見えない差別を、
肌で感じて育った。

強がっていたが、心の中はいつも”空っぽ”。母のことも憎かった。
「もっと一緒にいて、愛してほしかった」

 高校を卒業すると、アメリカ社会では自立することを求められる。
運送会社で朝から晩まで働いた。クタクタに疲れ、ようやく自分を
見つめる。

”俺は何のために生きているのか……”。ルーツを求め日本へ。
禅など瞑想を試すも、答えは見つからなかった。

 その後、LAに戻り、カラテ道場の師範から仏法の話を聞く。母は友人の
勧めで、以前からSGIに入会していたが、自分は一編の題目も唱えたこと
がない。

母の居ない日、そっと御本尊の前に座った。喜びが内側からあふれてきて、
気付けば6時間、唱題を続けていた。祈るうちに、母の顔が浮かぶ。
信心根本に仕事に励み、経済革命を成し遂げ、一家を守ってくれた母。

 ”これまで、ママがどれだけ苦労してきたか……”憎しみが感謝に
変わった。2006年(平成18年)、21歳で入会。
学校に通い、努力を重ね、救急隊員となった。

 だが、母の苦労が本当に分かったのは、再び来日してから。
08年、もっと信心を学びたいと、”常勝関西”の地へ。当初、日本語が
話せなかった。

フィリピン人、中国人、ネパール人と共に、ホテルで清掃の仕事を。
生活は困窮し、パンと蜂蜜だけで数週間、飢えをしのいだこともあった。

最後は信心しきった者が必ず勝つーーー男子部の先輩と日本語で学んだ
池田先生の指導が、心の支えに。そして思った。
”ママも祈り抜いて、強い心で、俺たちを育ててくれたんだ”

 必死に働き、5年後、英会話講師の職に就く。知り合った外国人に
弘教も果たす。仏法対話の場に同席したのが妻・留美さん=白ゆり長=
だった。

 今、何かにつけて、ジョーは息子をハグする。(抱き締める)
それは、「生まれてきてくれた息子への感謝を表す」習慣であり、
「自分を生んでくれた母や父の存在を感じる」瞬間でもある。

 第2につづく『聖教新聞 2017/02/26(日)』

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グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(2)

若者と希望 2.PNG
 試練の冬を越えて、人生の春を喜ぶ中嶋さん(中)と妹の
古閑恵梨架さん(左)。17歳から10年間、2人で暮らした日々は、
かけがえのない宝。苦しんだ分、人の痛みに寄り添えるように
なれた。父、母、学会の同志、全ての人への感謝を胸に、今、
女子部の友の励ましに徹する。桂川東支部、圏女子部長。


グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(2)

 家族をつなぐ力、ここに。

 残された姉妹が見つけた幸せ

福岡県・桂川町 中嶋麻実さん

 学2年で両親が離婚。高校2年の冬、母が家を出ていった。
毎晩、リビングのソファで帰りを待った。しかし、母は戻らなかった。
妹と2人、コンビニのアルバイトの給料で生活する。

家賃と光熱費を払うと、わずかしか残らない。高校にも通えなくなり、
そのまま退学。妹〈古閑惠梨架さん=副白ゆり長〉に中学を卒業させる
のが、やっとだった。

 毎日が苦しかった。心はすさみ、髪は金髪に、寂しさを紛らわせる
ために、一晩中、友人と遊び回った。だが、身も心も満たされない。
その頃、頻繁に顔を見せる近所のお姉さんがいた。

「菅さんが来ると、真っ暗な家の中がパッと明るくなるんです。
妹は”あの人は妖精だ”って(笑い)」
 
 菅友美さんは創価学会の女子部だった。そして姉妹は信心に励み始める。
毎週月曜の夜は、妹と2人で学会の会合へ。行くだけで喜んでもらえたし、
最後のおじさんの話を聞くと元気が出た。

会合ではいつも、一人のばあちゃんが隣に座ってきた。背筋が曲がって
いると、背中を小突かれる。よそ見をしていると、耳元で「人の目を
見なさい!」とささやかれる。とにかく厳しい。けど、どこか温かい。

 ある人が教えてくれた。「あのばあちゃんは、『2人を私たちの娘だと
思って育てていこう』と言ってるんだ」うれしかった。胸が熱くなった。
”そうだ、私には、学会のお父さん、お母さんがいるんだ!”
いつしか心から寂しさは消えていた。

 悩みは全部、菅さんに相談した。昼夜逆転した生活リズムを正すため、
毎朝7時から一緒に勤行を。真剣に祈ると、好待遇の職が見つかった。
女子部で部長、本部長となり、友に尽くすうちに自分のことでは
悩まなくなった。

だが再び試練がーーー。妹が「気分変調性障害」で働けなくなり、
生活が逼迫。家で暴言を吐き、暴れた。

 家に帰るのも、つらかった。その頃、県外で再婚した母から「こっちに
来ないか」と誘われる。すぐ飛んでいきたかった。けれど、母の幸せを
邪魔するように思え、福岡に残った。

だが、妹の世話に疲れ、心は限界だった。”もう無理……”。
潰れそうな時、決まって菅さんが家に来てくれた。池田先生の指導を
懸命に求めた。「一番苦労した人が一番幸せになる」との言葉を支えに、
祈り抜いた。

 すると、十数年ぶりに再会した父から、「一緒に暮らそう」と
提案される。祖父母が家を用意してくれ、独身の父と3人で住むことに。
引っ越しの夜、とめどなく涙があふれた。
”まさか、こんな日が来るなんて……”

 その後、父は娘に勧められ、信心を始める。妹も病が癒え、結婚して
子どもが生まれた。そして、中嶋さんは今、ようやく見つけた自分の
夢に向かって、働きながら、創価大学の通信教育部で学んでいる。

  おわり

 『聖教新聞 2017/02/26(日)』


 
 麻実さんは「中学2年で両親が離婚。高校2年の冬、母が家を
出ていった。」両親がいない姉妹、麻実さんのわずかなバイト
の収入で妹と暮らす、普通には耐えられない状況。
絶望しかない。
 麻実さんは経済的に学業を続ける余裕がなく、高校を中退せざる
を得なくなる。
そんな彼女を救ったのは同志であり、学会の仲間だった。

 まとめ
グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(1)
グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(2)

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フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(1)

名誉市民 1.PNG
絢爛たるルネサンス芸術の粋を集めたヴェッキオ宮殿の五百人広間
で、名誉市民称号の授与式は挙行された。写真の右の壁面の巨大な
レスコ画は、フィレンツェとピサの攻防を描いたもの


 イタリア・ルネサンス発祥の地から人間精神の開花への貢献たたえ

 フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(1)

授与の辞 信念の対話の力で人々を結ぶ
池田博士こそ平和建設の師匠

700年の歴史を誇るヴェッキオ宮殿で授与式 SGI派遣団が出席

【フィレンツェ11日】イタリアの花の都・フィレンツェ市から、池田大作
先生に「名誉市民」の称号が贈られた。人間精神の開花と平和建設への
多大な貢献をたたえたもの。授与式は11日(現地時間)、同市庁舎である
ヴェッキオ宮殿の「五百人広間」で盛大に挙行され、
イタリアSGI(創価学会インターナショナル)の代表ら600人が出席。
SGIイタリア派遣団の池田博正SGI副会長に証書が手渡された。
席上、祝福に駆け付けたノーベル平和賞受賞者のベティ・ウィリアムズ
博士、イタリアのルイス・グイド・カルリ大学のアントニオ・ラ・スピーナ
教授があいさつした。

 完成から700年を経た今も、フィレンツェ行政の中心地となっている
ヴェッキオ宮殿。その「五百人広間」に、ひときわ輝く彫像があった。
その名は「勝利」。巨匠ミケランジェロの作品である。

 そして、広間の両側壁には、ピサとシエナでの合戦を描いた巨大な
フレスコ画。16世紀の宮廷画家ヴァザーリらの手によるもので、
フィレンツェの隆盛を決定づけた”勝利”を今に伝える。

 世界に名だたる芸術家や詩人らが駆け、人間精神の夜明けを開いた
フィレンツェ。この地に、新たな名前が刻まれることになった。
「池田大作」。

 事前にイタリアの全国紙などで予告記事が報じられたこともあってか、
授与式当日には、隣接するシニョリーア広場に、地元市民やSGIメンバー
をはじめ約4000人が集い、広場に設置された特大のモニターを、
固唾をのんで見守っていた。

名誉市民 イタリア 3.PNG
ヴェッキオ宮殿に隣接するシニョリーア広場のモニターで、式典
を見守る市民ら。授与式の模様は地元メディアでも報道された

名誉市民 イタリア 2.PNG
ナルデッラ市長(右端)から池田SGI副会長(中央)に名誉市民の
証書と市のバッジが。左端からラ・スピーナ教授、ビーティ市議会
議長。右から2人目がベティ・ウィリアムズ博士



 フィオリーノ金貨、平和の印章、名誉市民
 3つの受賞は市の歴史初


 開会前、そのモニターに映し出されていたのは、小説『人間革命』
の主題「一人の人間革命における偉大な人間革命は、やがて一国の
宿命の転換をも可能にする」である。

 その言葉に深くうなずく人、その言葉を手帳に記す人……。
民衆文化の新しき幕上げを感じさせる情景が広がっていた、

 池田先生は、ここフィレンツェ市に1981年、92年、94年と3回
訪れている。94年には、市内で開催された東京富士美術館所蔵の
「日本美術の名宝展」に出席し、文化交流に尽くした。

また、この訪問の折の先生との原点を胸に、フィレンツェの友はこれまで、
核兵器廃絶の展示や講演会など、市民の意識啓発の取り組みを展開。
良き市民として、社会に信頼を広げてきた。

 フィレンツェ市から先生には、これまで文化と平和への献身に対し、
フィオリーノ金貨(92年)平和の印章(2007年)が授与されている

 そして今回の「名誉市民」称号の授与。「そこには特別な意義が
あります」と語るのは、発議者のアンドレア・プリエーゼ市議会議員。
「池田博士をわが市に迎えることが議会の満場一致で決まったことです。
このことは、これまでの受賞者の中でも珍しいことなのです」

 式典はフィレンツェ市の歌で厳かに開幕。カテリーナ・ビーティ市議会
議長が授与決定に至った経緯を紹介し、来賓のルイス・グイド・カルリ
大学のアントニオ・ラ・スピーナ教授、ノーベル平和賞受賞者の
ベティ・ウィリアムズ博士が祝福の言葉を寄せた。

 続いてダリオ・ナルデッラ市長が授与の辞で、先生の平和への貢献を
たたえ「池田博士の名は、永遠にフィレンツェ史に残ります」と
高らかに宣言。その場で市長と議長が名誉市民の証書にサインし、市長から
代理の池田SGI副会長に手渡されると、参加者は立ち上がり、万雷の拍手
を送った。

 証書には、長年にわたって人間主義を掲げ、文化交流や文明間の対話に
取り組んできた先生への称賛がつづられている。

 池田先生の謝辞を池田SGI副会長が代読。その中で先生は、青年たちと
共に、ここフィレンツェから、人間主義の花園を未来へ咲き薫らせて
いきいたいとの決意を伝えた。

 授与式の模様はイタリアの国営放送などでテレビ放映された。

イタリア フィレンツェ.PNG
授与式当日のミケランジェ広場から、朝焼けのフィレンツェ市街とアルノ
川を望む。鐘楼が立つ中央の建物が、式典会場のヴェッキオ宮殿


 第2につづく 『聖教新聞 2017/03/13(月)』

 まとめ
フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(1)
フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(2)

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フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(2)

挨拶 イタリア.PNG
フィレンツェ市の「名誉市民」称号授与式から


 イタリア・ルネサンス発祥の地から人間精神の開花への貢献たたえ

 フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(2)

 授与の辞 信念の対話の力で人々を結ぶ
 池田博士こそ平和建設の師匠

 700年の歴史を誇るヴェッキオ宮殿で授与式 SGI派遣団が出席

 フィレンツェ市の「名誉市民」称号授与式から

来賓が祝福のあいさつ(要旨)

 女性の世紀開く英雄

 ノーベル平和賞受賞者
 ベティ・ウィリアムズ博士


 本日は、池田博士への名誉市民称号の授与式ですが、これは、博士を
支えてこられた香峯子夫人への栄誉でもあると、私は思います。

 人は、人を殺すために生まれてきたのではありません。世の中には戦争
や自然災害などのニュースが絶えませんが、今こそ子どもたちに「世界は
変えられる」と伝えていかなければなりません。南アフリカを訪れた折、
ある少女が語ってくれました。

「どんなに世界が間違っていたとしても、私は良いことをします」。
この少女に接し、どんなに大変でも、世界を変えていかなければならない
と決意しました。

 まさに、この言葉のままに女性を尊重し、平和に尽くしてこられたのが
池田博士です。私にとって英雄である博士に、名誉市民称号の授与を
決めたフィレンツェ市に、心から感謝申し上げます。



 国家の枠超えた慧眼

 ルイス・グイド・カルリ大学
 アントニオ・ラ・スピーナ教授


 池田博士の長期的な展望、国際性、対話による活動は、さまざまな
理由で重要です。

 地球では今も軍事強化が進められ、人々は大惨事の危険にさらされて
います。環境破壊によって、日々の生活が保障されない人々も増えて
います。

 今では、これらの問題に一定の認識がありますが、博士は、ごく少人
数しか気づいていなかった時から、対話を通し、世界の識者に伝えて
きました。

 冷戦時代には、米ソの関係構築のために動き、近年では毎年の平和
提言を通し、人類の抱える難局への解決策を、国家の枠を超えた視点から
提案し、世界に発信しています。

 長期的な展望が不可欠な現代にあって、博士の慧眼が求められている
のです。ルネサンス発祥の地・フィレンツェが、池田博士に名誉市民
称号を贈る理由は、そこにあると思います。



 人々に”希望の光”送る灯台

 ナルデッラ市長の授与の辞(要旨)

 親愛なるフィレンツェ市民の皆さま!本日、私たちがこうして集った
のは、運命だと思います。運命が池田大作博士と博士の偉業を、
わが市と永遠につなごうと望んだのです。博士の名は、永遠にフィレンツェ
市に残ります。

 運命は、わが市の使命をも明らかにしています。つまり平和、文化、
教育、そして対話の都市であるということです。

 皆さまと振り返りたいのは、一昨年、イタリア共和国とイタリアSGIとの
間に結ばれたインテーサ(宗教協約)の調印式です。その日、私も会場
となった市内の創価学会イタリア文化会館を訪れ、多くの会員の皆さまと、
本当に感極まる時を過ごしました。

 私には強い絆で結ばれている創価学会員がいます。彼らは、常に笑みを
たたえていました。喜びにあふれ、接していると、こちらの心が躍動する
ような素晴らしい方々です。

 こうした平和建設を志す人々にとって、博士は、まさに”希望の光”を
送る灯台であります。なかんずく、人々が自由に夢を育んでいける社会を
築くために働く指導者にとって、人々に希望を送るという精神は絶対に
不可欠であります。

 その意味で池田博士は、仏法者だけではなく、全ての人々にとっても
師匠なのだと思います。

 池田博士は、信念の対話によって人々を結び、平和を築いてきました。
この事実こそ、フィレンツェ市民にふさわしいと確信させるもので
あります。

私たちは大きな喜びと感謝とともに、博士を市民として抱擁し、
お迎えいたします。

イタリア 署名.PNG
 式典で池田先生に贈る名誉市民の証書に署名する
ビーティ市議会議長(手前右)

イタリア 授与式場.PNG
五百人広間で盛大に行われた式典。来賓や
イタリアSGIの代表ら600人が列席した


 おわり 『聖教新聞 2017/03/13(月)』

 まとめ
フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(1)
フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(2)

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認知症の人が落ち着く言葉 ”納得”と”優しい関係”を作る手段、1

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認知症の人が落ち着く言葉 ”納得”と”優しい関係”を作る手段、1

 認知症相談センターゆりの木

 代表 右馬埜(うまの) 節子さん

 認知症の人が落ち着く言葉掛けや接し方として、”引き算介護”を
提唱する、認知症相談センターゆりの木・代表の右馬埜 節子さん。
2000人以上の認知の人との出会いから生まれた、効果的な対応を
右馬埜さんに聞きました。(2016年11月23日・30日付より抜粋。
写真は本人提供)

 認知症介護の家庭で、介護者がいつも振り回されたり、問題が
こじれたりする原因は主に、認知症への理解不足にあるといえます。

 認知症とは、一言でいえば「忘れる病気」です。私たちは生まれた
時から、脳という”記憶のつぼ”に知識や経験をためていく「足し算
の世界」に住んでいます。

 ところが認知症になると、このつぼが上から壊れ、中にためた記憶
や新しい体験がこぼれ落ちる「引き算の世界」に。数秒前の出来事すら
覚えていない一方で、数十年前の出来事を覚えていることがあります。

つぼが上から壊れるので、底に残った過去の言動が表れやすくなる
のです。

 寄り添うウソで

 認知症の人が一度”こう”と決めると、いくら「説得」しても聞き
入れないものですが、本人が「納得」すれば、すんなり動いて心も
穏やかになることがあります。

 この納得を引き出す方法を私は「引き算する」と呼んでいます。
簡単にいえば「ウソをつくこと」「ウソ」は人を欺くものと思われがち
ですが、「寄り添うウソ」もあり、認知症の人の命や生活を守るのは
「寄り添うウソ」。それが二つの世界の”架け橋”とし力を貸してく
れます。

 中には、「相手にばれるから困る」「認知症の人が傷つくのではないか」
と思う人もいるでしょう。でも、認知症は「忘れる病気」ということを
忘れないでください。時間がたてば忘れて、傷つくこともないでしょう。
成功した場合は、同じやり方で何度か試してみることもできます。

 スウェーデンでは合理的な介護技術としてウソを勧めています。
感情的にウソをつけない人もいますが、私は共に生きる”知恵”だと
考えます。ウソの奥に優しさと愛情があるかどうかが問題ではないでしょ
うか。

 ぼけ方も十人十色なので、誰にでも必ずうまくいく方法はありません。
自分ならではの成功例を作って”引き算名人”になってほしいですね。

 『聖教新聞 2017/(平成29年)PR版春季号』

 第2につづく

 まとめ 
認知症の人が落ち着く言葉 ”納得”と”優しい関係”を作る手段、1
認知症の人が落ち着く言葉 ”納得”と”優しい関係”を作る手段、2

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認知症の人が落ち着く言葉 ”納得”と”優しい関係”を作る手段、2

認知症の人が落ち着く言葉 ”納得”と”優しい関係”を作る手段、2

 認知症相談センターゆりの木

 代表 右馬埜 節子さん

引き算介護の心得10か条

 続いて、基本的な引き算介護の心得”を紹介します。

@足し算でなく引き算で

 認知症の人の「引き算の世界」に合わせて対応します。

痴呆症 2.PNG

……元教授の80代男性は、まだ現役のつもりで出勤する迎えの車を待って
いました。家族がディサービスの利用を進めても断固、拒否です。

 そこでディサービスの車を向かわせて「先生、教授会のお車です」と
言うと、難なく乗車。以来、男性は”教授”として通い続けています。


 A説得は「ざるに水」 
 正論を言うのは、ざるに水をためようとするのと同じで徒労に終わり
ます。説得より納得してもらうことです。

……寒い冬、病院内の通路で見た高齢女性は、看護師に「お部屋に行こうよ」
と説得されても動きませんでした。女性はタオルのようなものを抱えていて、
それが赤ん坊のようにも見えました。

 私は友人を装って「お久しぶりです。今日は赤ちゃん連れですか。
お部屋に行かないと風邪をひくわ」と穏やかに声掛け。
すると、笑顔で部屋へと歩き出しました。


B生きざまが手掛かり
 仕事や趣味など、本人の人生を念頭に置いて応じます。

……精肉店を営んでいた男性は、店を畳んで認知症となった後も包丁研ぎを。
家族が「危ないから包丁を置いて」と言っても手放しません。
そんなときは「おじいちゃんは働き者ね。少しは休んでくださいよ」と、
ねぎらうと包丁を放して休みます。


C負けるが勝ち
認知症の人が譲らないときは、介護者が頭を下げると、うまくいくものです。

痴呆症 3.PNG

……食後に「ご飯まだ?」と聞かれ、「さっき食べたでしょ」と言い返す、
よくある場面。食べ終えた器を見ても「食べていないものは食べていない」
と認めない人も。

 その際は「ごめん。炊飯器のスイッチ入れるのを忘れていた。少し待っ
てね」と謝れば素直に待ってくれるはず。


D話は短く
 用件は長話でなく、単語で短く伝えましょう

……私たちの施設には「故障」と張り紙をしたドアがあります。
本当は壊れていませんが、利用者は近寄りません。
昔から慣れ親しんだ文字は、生活上の約束事として体に刻み込まれている
からです。

 これは、認知症の人を守る知恵。自分の住所も電話番号も言えないこと
があり、一歩外に出ると命を落としかねません。そのドアが彼らを
”命の扉”なのです。

 ほかにも「危険」「禁止」「工事中」などの単語も。直接、注意や
指示をすると怒る人も単語や貼り紙にすれば、すんなり理解してくれます。


 E北風と太陽
力ずくや無理強い禁物。”急がば回れ”です。

痴ほう症 .PNG

……認知症のよくある昼夜逆転。真夜中にかばんを持って「会社に行く」
という夫を、妻が腕にすがって止めようとしたら、振り払われてケガを
してしまいました。

 そんなときは「今日は日曜日」と伝えてみてください。”日曜日は休み”
と多くの人の体に刻まれているので、ゆっくり休むはずです。


 Fウソも方便
常に正直に、事実を伝えることがいいとは限りません。

……他界した母に会いたいという認知症の人に、事実を分からせるため、
お墓に連れて行った家族がいました。

 でも、母は生きていることにして「今、旅行に行っているよ」と、
本人の気持ちに合わせた方が落ち着くのです。


G知恵比べ
 引き算介護は導入が肝心。
本人の世界に入るための鍵は何かを考えます。

……ディサービスの食事を断る女性は、幼少期に「他人の家の食事時は
欲しそうにせず、席を外しなさい」と厳しくしつけられていました。

 そこで、施設で作った料理をお弁当箱に詰め直し、家族が持ってきて
くれたことに。女性は喜んで食べました。


H「ありがとう」
 お礼を言われてうれしいのは認知症の人も同じですが、介護されるように
なると言われる場面は少なくなるもの。

痴呆症 .PNG

……私たちは施設の行事と称して料理や書道など、利用者の得意分野で
腕を発揮してもらうことがあります。その際、仕事を助けてもらった
お礼に「ありがとう」と伝えます。役割を果たしたつもりの皆さんは
満面の笑みです。


I忘れることを利用
 認知症の「忘れる」という特性を生かすのは、自分と異なる世界の人に
歩み寄るため。お互いにとって”優しい関係”を作り出す手段です。
それが、私の提案する「引き算」を使った認知症介護です。

 おわり 『聖教新聞 2017/(平成29年)PR版春季号』 

 まとめ 
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旭日のインドで3.16記念南アジア青年部幹部会(1)

インド 5ヵ国幹部会 1.PNG
インド、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアの青年が
広布後継の誓いをみなぎらせ、歓喜と友情の大前進を開始した
「3.16」記念の南アジア青年部幹部会(創価菩提樹講堂で)


 旭日のインドで3.16記念南アジア青年部幹部会(1)

SGI派遣団、南アジア4ヵ国の訪問団が出席 
インド国内185会場に同時中継


 【デリー19日】3.16「広宣流布記念の日」の意義をとどめる「南アジア
青年部幹部会」が19日(現地時間)、インド、デリー近郊の創価菩提樹園
で盛大に開催された。これには、タイ、マレーシア、シンガポール、
インドネシアから訪印した青年部のリーダーと、インド各地から集った
同志、合わせて約700人が参加。SGI(創価学会インターナショナル)インド
派遣団の谷川主任副会長、笠貫SGI女性部長らが出席した。
池田大作先生は祝福のメッセージを贈り、「全世界の青年拡大の迸(ほとば
し)る大源流となって勝ち進め!」と万感の期待を寄せた。
幹部会の模様は、インド国内185会場に同時中継された。

 池田先生がメッセージ 青年拡大の大源流と勝ち進め

 東洋広布誓願式典 記念植樹も


 仏法源流の地に、「午前8時の太陽」のごとく、赫々と燃える広布後継の
陣列が立ち上がった!

 この日の午前、3月の光と緑、そして清浄なる空気に包まれた創価菩提
樹園に、南アジアの”ヤマモト・シンイチ”たちが、希望に胸を高鳴らせて
続々と到着した。

それを、インドの歓迎委員会の友が、まるで”仏を敬うがごとく”温かく、
また元気な掛け声と手拍子で迎えていた。
”広宣流布ノタメニ、タタカイマショウ!”

 わが誓いよ、師のもとに届け!……集い合った全員の心が一つになり、
菩提樹が広がる大地を美しく輝かせていた。

インド 菩提樹.PNG
全人類の偉大なる境涯革命と新たな世界文明の
創出を宣言した東洋広布青年誓願式典(創価菩
提樹園内の「東洋広布の碑 埋納庭園」で)


「池田先生!私たちは、生涯、師弟不二の道を歩み、南アジアに金剛不壊
の団結を築きます!」。幹部会の席上、各国を代表し、インドのサブー
男子部長が高らかに叫んだ。

 すると、会場にいた友は拳を固く握り締め、また、ある同士は瞳を
光らせて、「イエス!」と、大きくうなずいた。

 さらにサブー男子部長が「先生!私たちは何があっても、世界広布
実現のために、師子となって前進します!」と、烈々たる気迫で訴えると
、万雷の拍手が会場に轟いた。

 池田先生が恩師・戸田城聖先生の弟子となって今年で70年。

 戦後、民衆救済に一人立ち上がった戸田先生は、1958年(昭和33年)
3月16日、池田先生、そして6000人の青年に広布の一切を託した。

 その後、32歳で第3代会長に就任した池田先生のもと、広宣流布は
未曽有の大発展を遂げ、地涌の連帯が地球を包む時代を迎えた。

 今回、参加した南アジア4ヵ国にインドを加えた人口の合計は約17億。
実に世界の人口の23%を占める。その平均年齢は20代後半。
いずれも、まさに青年が主役の国々である。

 今日、アジアをはじめ世界には、人々を苦しめ分断する紛争、貧困、
差別、難民問題、環境破壊など課題が山積する。

 世界は、人類を救いゆく指導原理を求めてやまない。その大望に応え、
人間革命の哲学の力で人類の宿命転換を成し遂げゆく崇高なる使命を
担うのが、新時代の”ヤマモト・シンイチ”である。

 次回につづく 『聖教新聞 2017/3/21(火)』

 まとめ
旭日のインドで3.16記念南アジア青年部幹部会(1)
旭日のインドで3.16記念南アジア青年部幹部会(2)

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旭日のインドで3.16記念南アジア青年部幹部会(2)

インド幹部会 1.PNG
池田先生! 世界広布の平和と希望のバトンは、私たちが断じて
継承します!……「午前8時の太陽」のごとく、躍動のエネルギーに
満ちた南アジアの若き地涌の友らが決意のカメラに
(19日、創価菩提樹園で)

インド幹部会 2.PNG
日本からSGIインド派遣団が出席し、歴史を画する集いとなった
南アジア青年部総会
 
インド幹部会 4.PNG
受付では女子部の白蓮グループと婦人部のホワイトリリー・
グループの友が、真心で参加者を迎える


 旭日のインドで3.16記念南アジア青年部幹部会(2)

SGI派遣団、南アジア4ヵ国の訪問団が出席 
インド国内185会場に同時中継

広布の炎のバトンを継ぐのは我ら!

 なかんずく、南アジアを舞台に、戦う使命に目覚め、立ち上がったのが
この日集った青年たちなのだ。

 池田先生はメッセージで、東洋広布を悲願とした戸田先生が、南アジアの
地涌の若人の集いをどれほど喜び見つめているかと称賛。

 そして、弟子が師匠以上に立派に成長する後継の原理「従藍而青
(じゅうらんにしょう)(青は藍より出でて、藍より青し)」を通し、
「今、この弟子とは、ここに集まった若き世界広宣流布の闘志である皆さん
に他ならないのであります。
後継の弟子が陸続と続く限り、広布の大河の流れは、決してとどまることは
ありません。
私は、恩師より受け継いだ広布のバトンを、次代を担い立つ、若き皆さん
に託したい。
否、皆さんに託す以外に、世界広布の未来は断じてないのであります」と
万感の期待を込めた。そして「わが最も信頼する南アジア青年部よ!
全世界の青年拡大の迸(ほとばし)る大源流となって勝ち進め!」と
呼び掛け、メッセージを結んだ。


 躍動の南アジア青年部幹部会

インド幹部会 3.PNG
インドの友の愛唱歌「先駆の歌」を力
強くパフォーマンスで。この歌を聞く
と、広布への情熱がみなぎってくる

インド幹部会 5.PNG
女子部の友が、「華陽の誓い」
のメロデーに乗せて、息の合った
優雅な舞を披露

インド幹部会 7.PNG
きょうだいのように仲良き学生部。幹部会では「広
布に走れ」を日本語で凛々(りり)しく歌い上げた

インド幹部会 6.PNG
創価の励ましのスクラムをアジアへ、世界へ!
一人一人が深き使命感と誇りに輝いて

インド幹部会 8.PNG
この日の誓いを我らは断固、果たし抜く……南アジア
の団結と勝利への出発を期して、菩提樹の木を植樹

インド幹部会 9.PNG
訪印した4ヵ国のリーダーが「フォーエバー・セン
セイ」を振り付きで合唱。客席も手拍子で大応援



 会合では、インド青年部による躍動感あふれる学会歌が次々と披露され、
会場の熱気は最高潮に。その後、青年たちの活動体験3題に喝采が
送られた。

 シンガポールのタン区副女子部長はアメリカ創価大学を卒業し、現在、
国立シンガポール大学に勤務。教育環境の整備や他大学との交流などを
通し、人間教育の確立に励む。

 インドのシュリバスタバ圏副女子部長は、家族の病など困難に負けず、
映画監督として、数々の国際映画祭で受賞した喜びの体験を語った。

 マレーシアのチャンドレン副男子部長は、SGIアジア文化教育センター
の開所に合わせるように、母と幸福拡大に励めるようになった感激を報告。

 インドのグプタ女子部長は、華陽の友が弘教や訪問激励に奮闘する
模様を伝えた。

インドのグプタ議長に続き、笠貫SGI女性部長は、同志と共に悩み、祈り、
行動する中で広布の人材を育もうと激励。谷川主任副会長は、師の構想の
実現を誓う弟子の闘争によって、不可能は可能になると訴えた。

 最後に、皆で固くスクラムを組み、日本に届けとばかりに学会歌
「21世紀のマーチ」を高らかに歌い上げた。その歌声は、誓いの調べと
なって、創価菩提樹園に響き渡った。

 ”池田先生、私たちは先生の炎のバトンを受け継ぎます!”……
幹部会はまさに、アジア広布新時代の黎明を告げる後継の儀式となった。

 おわり 『聖教新聞 2017/3/21(火)』

 まとめ
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旭日のインドで3.16記念南アジア青年部幹部会(2)

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久本雅美の仏法との出会い



 高木(こうぼく)は風当たりが強い。出る釘は打たれる。
格言のごとく、実力のある人を妬みから、引き下ろそうとする
輩(やから)は必ずいます。

しかし、実力のある人は、それだけ人知れず常に忍耐強く研究、努力
している。

人に抜きんずる人は必ず人知れず地道な努力がある。
これは間違いありません。

久本雅美さんは今や全国区で知られる ビッグスターです。

 入信する前の彼女と入信後の彼女の遍歴が分かる動画です。


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