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体験談・声をつないで花開かせる ターニングポイント

 
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 声をつないで花開かせる ターニングポイント

 大手電機メーカー勤務 金田美智代さん

 ーケティングの部署で電子レンジの担当になったのは、2011年
(平姓23年)。金田美智代がパナソニックに入社して、3年目のことだった。

「レンジでチン」が表す性能は、「加熱」だけではない。生や冷凍の食材
から、ワンタッチで「調理」できる時代。開発競争が進み、同社でも、
フラッグシップモデル(最上位機種)には約400ものメニューが
プログラムされている。

 だが担当を引き継ぐ際、美智代は意外な事実を知らされた。
「(売り上げが)少し厳しいんだよね」高価格帯の製品が、伸び悩んでいる。
美智代は、小売店を回る営業担当者へ、ヒアリングを始めた。

「どんなふうに商品を語っていますか?」「う〜ん、どうしても冷蔵庫とか
大物の商談後になりがちで、あまり話ができないというか……。
製品の説明も、なかなか難しくて」

 店頭販売に立ったことのある営業からは、こんな声も。「主婦のお客さま
がすごくお詳しいので、”自分には答えられないんじゃないか”と不安で
、トークも弾まないんです」

 営業の多くは男性で、料理の経験があまりない。レンジと男性は相性が
悪いのか……。「そんなことないですよ」という人がいた。
商品研修を行う男性社員だ。商品愛にあふれ、開発部門にまで名を
とどろかす電子レンジマニアである。目を輝かせて語ってくれた。

 「一緒に料理すると、営業の人も”こんな簡単なの!?”って感動して
くれます。店頭でも一緒に実演販売しましたが、お客さまとの会話も弾み、
売り上が伸びました。実際、うちの製品はすごいですから!」

 多くの声を集め、つないで、美智代は考える。上司に、ある提案をした。
「電子レンジで料理を作る研修プログラムを、全国で実施したいと
考えています」

 
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これまでの経験を生かし、商品企画に尽力する

 

うして「キッチン部」がスタートした。全国約1,000人の営業担当者を、
社内資格である「キッチンマイスター」に育てる取り組みだ。

 不安もあった。営業担当者にとって、仕事量が増えても、給料が増える
わけではない。レンジで調理する感動だって、全員が抱くかどうかは
未知数だ。

 ”もしも、うまくいかなかったら……”
 出勤前、帰宅後、美智代が欠かさず向かったのは、自宅にあるご本尊
だった。

創価学会の信仰に励む両親を見て育ち、進学や就職、多くの場面で祈りの
力を実感してきたから。

 仕事は、先が見通せない状況。祈り続ける中で、その受け止め方が
変わった。”この状況を、思いっきり、楽しんでいこう!”
 自分の視界が、大きく開けた気がした。

 大好きな、池田先生の指導がある。
「真剣と深刻とは違う。勇敢と悲壮とは違う。大勇の人は、明るい。
確信の人は、冷静である。知性の人には笑顔の余裕がある。
まさしく闊達な『笑い』こそは、不屈なる『心の勝者』の証しである」
と。

 多くの課題が生まれたが向き合うことが楽しくなった。いつも笑顔で
朗らかに、”どんな壁も、来るなら来い!”。

 職場では、各地のキッチン部責任者と対話を重ねていった。
何のために、この取り組みがあるのか?

 「”レンジで調理するという文化”を社会に届けたい。それによって、
働く女性に休む時間ができる。お母さんが、子どもと遊べる。お父さんが
”クッキングパパ”なれる。生活を豊かにする、そんな手助けがしたいん
です」

 上司をはじめ、多くの責任者が動いてくれた。そこには創業者・
松下幸之助氏の精神が共有されていた。”社会に貢献した報酬として、
社会から与えられるのが利益である”……。

 努力は、結果となって花開いた。高価格帯電子レンジの売り上は、
2年連続で2桁成長の伸びを記録。営業マンからも「調理は楽しいですね。
プライベートでも、レンジで家族に唐揚げを作りました」と、
喜びの声が寄せられた。

 電子レンジから始まった「キッチン部」は、炊飯器、ベーカリーなどにも
幅を広げ、営業マンに親しまれていいる。

 美智代は、社内規定の最年少の年で昇進を果たした。移動を経て、
現在は商品企画の仕事を担う。

 「いつの日か、家電で開発途上国の生活を豊かにするサポートが
したいと思います」

 家電製品の多くは”必欲品”。経済水準に余裕がないと普及して
いかない定めにある。だが彼女の夢は、その限界を超えていく。


 彼女の原点

 「秀才とは、人の5倍の勉強家なり」
 創価大学の入学式で聞いて以来、美智代が自らの指針と決めた、
池田先生のスピーチだ。就職活動の時は、小説『新・人間革命』第15巻の
「創価大学」の章を読んだ。……創大の草創期、創立者の池田先生は、
何度もキャンパスへ足を運んだ。秋の「創大祭」では、就職活動に挑む
1期生のため、企業の代表など来賓一人一人に声を掛け、名刺交換を。
「(1期生へ)ご指導、ご尽力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます
」。先生は、深々と頭を下げて回った。
噴き出した汗を、スーツの襟にまで、にじませながら……。
創立者の学生に対する心を知り、美智代は決意した。”今度は私が、先生の
名刺の1枚となって、同窓生たちと一緒に、社会の信頼を得る青年になる”
 単に”自分が認められたい”という功名心では、キッチン部は成功しな
かったと思う。
応えたい師匠がいるからこそ、「持っている以上の力が出せた」のだと。


 かねだ・みちよ 京都市在住。創価高校・大学に学び、大学卒業後、
パナソニックに就職する。東京でマーケテイングの部署に配属され、
ミキサー、ホームベーカリー、電子レンジなど調理家電の担当を。
「キッチン部」や一般顧客向けの料理体験教室など、数多くの取り組みを
手掛けた。現在は昇進、異動を経て、コーヒーメーカーやトースターの
商品企画を担う。女子部本部長。塩小路支部。

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女子部の華陽姉妹と励まし合いながら、広布の青春を歩む(中央が金田さん)


「聖教新聞・2017(平成29年)/12/03(日)」


posted by mity504 at 12:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | ターニング・ポイント

体験談 運命に負けない強き母になる 

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ここで生きる……。手かぎをぎゅっと
握り締めて、今日も使命を果たす


 運命に負けない強き母になる

 「出刃選別」でマグロを見極める職人技

 日本有数の三崎漁港で奮闘する


 【神奈川県三浦市】三崎漁港に冷気が立ち込める。年の瀬を迎え、
一年で最もマグロの取扱量が多くなる時期を迎えた。
「三崎魚類(株)」で、現場に出る社員の中で唯一の女性として、
マグロの品定めから営業までこなす鈴木綾さん(38)=初声支部、
副白ゆり長。力仕事もいとわない。
時には、150キロのマグロを引っ張ることもある。
周囲から”綾ちゃん”と親しまれる、自称・マグロの親善大使である
……。

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水揚げの際、指示を出す綾さん



 る日の午前8時過ぎ。三崎漁港の市場に冷凍マグロがずらり。
1列25本のマグロが6列並ぶ。

その間を、何度も行き来する男たち。彼ら仲買人は、手かぎで
マグロの尾を持ち上げ、断面にじっと目を凝らす。

年の瀬の正月商戦を前に、少しでもいい品を競り落とそうと、
真剣なまなざしだ。

 こうした仲買人に魚を卸す役割を担うのが荷受業者。
創業67年で三崎のマグロを全国ブランドに押し上げた歴史を誇る
三崎魚類(株)は三崎漁港に二つある荷受業者の一つ。

 男性ばかりの職場で、奮闘するのが鈴木綾さんだ。行動は迅速。
指示は簡潔。慌ただしい場内で、綾さんの存在がきらりと光っている。

 長年、三崎漁港に出入りする仲買人に聞いた。「綾ちゃん?
いつも元気だよ。マグロもどんどん引っ張っていくしね。見ていて
気持ちがいいよ」

 入札の際、最も高い見積額を提示した仲買人の屋号が黒板に
記されていく。競り落とされたマグロは次々と引っ張られ、カーリング
競技のストーン(円盤形の石)のように、地面を滑っていく。
 
 午前10時過ぎ、入札が終わると、綾さんは隣接する冷凍設備のある
倉庫へ。翌日の入札に向け、マグロを仕分ける出刃選別を行う。

 出刃選別とは、マグロに出刃包丁を刺して、身の質、脂の乗り具合を
見極める職人技。マイナス60度で凍らせた身に、出刃包丁を刺すのは、
男の手でも容易ではない。

 綾さんは、力が入りやすいように、出刃包丁の柄を短くし、軍手を
かぶせ、その上からビニールテープを巻きつけ太くする。修行を重ねた末、
職人技を身に付けた。

 出刃選別をおえると、同僚と岸壁へ移動。ハワイ沖で漁を終えた船から
魚が水揚げされていく。この日の漁獲量はおよそ30トン。
クレーンで次々と冷凍マグロをつり上げては下ろす。操縦士にその指示を
出すのが綾さんだ。

 彼女には、仕事で実証を示すと決めた理由があった。

    

 水産高校を卒業後、18歳でこの道へ。20歳で結婚し退職。だが2007年
(平成19年)27歳で離婚することに。前の職場に戻るつもりはなかったが、
2人の娘(恵さん=高校2年、咲さん=高校1年)を育てなければならず、
保育園に預けては、男社会に飛び込んだ。

「大変なことは承知の上。つらかったのは、知り合いの魚屋さんから、
明け方の歳末セールの手伝いを頼まれた時。どうしても断れなくて、
深夜、家を出ようとすると、下の娘が、『どこにも行かないで』って
泣きながら抱きついてきた。胸の奥がズキズキ痛んで、私もぎゅっと
抱き締めて。『お母さん頑張って働いてくるからね』と言って
ドアを閉めてね。あの時は、なんでこんな境遇なのって、心で泣いた」

 無我夢中で働いた。”女だから”って言われたくない。
だが子育てもある。どうしても、子どもと関わる時間が減っていく。

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並べる順番を見極め、指示を出すのも綾さんの仕事



つも私が一番早く家を出るので、子どもたちが学校に行ったかどうか
分からなくて。昼頃、担任の先生から『来てません』って連絡が来ると、
『すいません!起きたら行くと思います』って明るく返したけど、
内心は”どうしょう”って」

 悩んだ時はいつも、聖教新聞を隅から隅まで読んで、自分にぴったりな
指導を探した。夜、子どもたちが寝静まってから、それをノートに
書き写すのが日課になった。

「ある時、出あったのが『運命より、生命の力はずっと強い』という言葉。
運命にほんろうされるんじゃない。生命力を高めて、打ち勝っていくんだ。
そうすれば、人生を充実させていける。生命力を鍛えるには信心しかない
って、気が付いたんです」

 信心で立ち向かっていく姿勢は、元漁師だった父・鈴木義雄さん(74)
=副本部長=から学んだ。綾さんが7歳の時、母を劇症C型肝炎で亡くす。
闘病中、父はずっと題目を唱えていた。漁師をやめ、エンジニアという
慣れない仕事に変わっても、必ず会合に出掛けた。

 「父の口癖は、『信心だけは真面目に貫くんだ』。だから私も、学会活動
から一歩も引かなかった。福運が全部、娘にいけばいいと思って、
挑戦してきました。部員さん宅を訪問して、直接会って話すと、力を
もらえて。学会活動ってすごい!」

 「生命力が高まると、仕事でも実証を示さなきゃって思えるんです。
どの世界も同じかもしれないけど、黙っていたら、誰も教えてくれない。
『自分にやらせてください』って言っていかないと。

出刃選別もそうですし、船が帰港する時の船舶代理店業務も、定年間際の
上司に『私が引き継ぎますから、教えてください』ってお願いしました。
今では、私が担当してます」

 離婚し10年。がむしゃらに頑張ってきた。自身のもつ幸福感にも
変化があった。

 「昔は、『苦労した人が一番幸せになる』という言葉の意味が
分からなかった。でも、今考えると、幸せって結果じゃないんですよね。
悩みや苦労を乗り越えようっと挑戦していく中に、幸せがあるって
思えたんです。
婦人部の同志や友人の悩みに寄り添える自分になれた。
共感するみたいな。親戚にも弘教が実りました」

 「娘は今、反抗期の真っただ中(笑い)。でも、”使命を果たして、
幸せな人生を歩んでほしい”って祈っていると思い出すんです。
父が後に再婚したお母さん〈鈴木照江さん(74)=支部副婦人部長〉も、
私が高校生の時、こうして祈ってくれてたんだなって。
だからいつか娘にも通じると思って祈り続けます。

 皆さんのおかげで、今の私がある。だから恩返しです。実証を
示さないと!世界一おいしい三崎のマグロを、皆に食べてもらいたい。
私は自称”マグロ親善大使”ですから!」

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旭光地区の同志と語り合う
(左から2人目が綾さん)


 『聖教新聞 2017/12/09(土)』




posted by mity504 at 15:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰体験

世界の体験プラザ・心を鍛え人生の勝利ひらく


 
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 世界の体験プラザ・心を鍛え人生の勝利ひらく

 大手不動産会社の副社長
 アメリカSGIメリールー・バークさん

 全米規模のビジネスを牽引


 メリールー・バークさんは、米国ニューヨークで、100年以上の伝統を
誇る大手不動産会社の副社長を務める。

 主な仕事は商業用の高層ビルの管理・運営だが、賃貸オフィスの交渉、
建設工事なども担当する。自らが手掛けるビルは、マンハッタンの
一等地をはじめ全米各地に及ぶ。

大小合わせて百数十の案件を並行してこなし、受信する電子メールは
一日数百通に上る。極めて多忙な日々だ。

 当然、抱えるスタッフの数も多い。ニューヨークの社内に約80人と
外部委託の500人近い従業員をまとめ上げている。

 熾烈な競争が繰り広げられるニューヨークのビジネス事情。
生き馬の目を抜くような世界だけに「タフでなければ、生き抜いて
いけません」とバーグさん。
そのためにも「毎日の唱題の実践が欠かせないんです」

 現在の自宅はニューヨークの中心街にある高層マンションの最上階。
誰もがうらやむ成功を手にしているが、これまでの人生の道のりは
決して平坦ではなかった。

 「私のポジションにいる人々は、法律家やMBA(経営学修士)取得者
など専門性の高い人ばかりです。高校しか卒業していない私が、
プロフェッショナルな世界で、ここまでの社会的地位にたどり着けたのは
、仏法に出会ったからです」


 「信心の実証を示す」と誓う

 11歳の時、バークさんの父が他界。母と兄、妹との4人暮らしとなった。
高校を卒業すると、家計を支えるため働くことに。秘書職に就いた。

 後に夫となるミュージシャンのアレンさんと出会ったのは、1974年。
熱心な仏法者だった。それから数年間、一緒に唱題を実践し、SGIの会合
には頻繁に出席するようになった。

 77年、働きながら大学で施設運営・管理を学ぶようになると、コンピュー
ター・システム・サービス会社への転職を勝ち取る。
その後、投資会社に移り、マネジメント職を得た。

 「人生が好転していきました。そこから順調にキャリアを積み上げていく
ことができたのです」

 80年に入会。翌81年には、アレンさんと結婚した。

 働くことに生きがいを感じていたバークさん。学歴不足を補おうと、
誰よりも懸命に働く日々を過ごした。その努力が実を結び、84年には大手
不動産会社の副社長に就任する。

 「何もかもがうまくいくかに見えました」

 だが、3年後の87年、予期せぬ出来事がバークさんを襲った。勤務する
会社が倒産したのだ。

 「これまで積み上げてきたキャリアの全てを失いました。人生初の
大きな挫折でした」

 従業員の再雇用先を探すために奔走する慌ただしい日々が続いた。

喪失感と絶望感に覆われ、先のことを考える余裕すらない中、向かった
先はSGI婦人部の先輩同志の元だった。

 婦人部の先輩は力強く励ましたくれた。

 ”今こそ信心を奮い起こし、社会で実証を示す時よ!”と。

この一言に、バークさんは再び立ち上がる。

 「祈りの姿勢を変えることができました。それ以降、この仕事に
就きたい、あのボジションを得たいと願うのではなく、”信心の実証を
示したい”と祈り続けるようになったのです」


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激しい競争が繰り広げられる、世界経済の
中心地ニューヨーク。街には多くの高層ビルがそびえる


  倒産・失職の試練を乗り越え

 ”何かを失う恐怖”との戦い

 再就職を勝ち取り、企業経営の世界へ戻ったバークさん。精力的に
仕事に取り組む一方で、常に”何かを失うことへの恐怖・不安”と
向き合う日々だった。

 「90年代は、ずっと自信を取り戻す戦いが続きました」
 
 バークさんは、米国の大手通信社や金融機関、日系の通信会社など、
さまざまな企業で経営に携わり、輝かしい実績を残していった。

 「業務を遂行する上でSGIの活動で学んだことが役立ちました。
互いに支え合うこと、他者への思いやりを忘れないこと……どれも組織を
運営するのに欠かせません」

 経営に携われば、時に大量解雇やダウンサイジング(経営合理化)
の判断を迫られる。経営者と意見が異なることも。
それでも、信心根本に仕事と向き合うことで「3年ほど経てば、一緒に
仕事した経営者は友人になるんです」と。

 2008年、現在の不動産会社の副社長に。バークさんは、50人の候補者の
中から選出された。

 出勤初日の朝、会社のトップから他の経営陣に「彼女は問題解決型の
リーダーです」と紹介された。

 「何かを失えば、それで終わるのが普通の考え方。けれど、何を
失おうとも、どのような苦境に立たされても、それをバネにして
一層成長し、状況を改善していくのが仏法。この信仰に出会えたことに
本当に感謝しています」

 アメリカSGIでは、理事・地区指導員として、広布への情熱を傾けている。

 「私にとって、仕事の成功以上に大切なこと……それは自身の
『内なる変革』『人間革命』なのです」

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自宅のリビングで夫アレンさんとくつろぐ


『聖教新聞・2017/10/02(月)』 

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