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ブラボーわが人生 第59回 102歳 我慢の先に


 
我慢の先に.PNG

 「ありがたくて、たまらんわい」

【宮崎県延岡市】静かな森に、春の足音が近づいてきた。
ぽかぽか陽気の昼下がり。興梠(こうろぎ)トシエさん(102)=
西延岡支部、地区副婦人部長=と、家の周りを散歩した。
つえ代わりの太い木の棒を握る手は、宿命を切り開いた手。
急な山道をのぼる足は、四面楚歌の中を歩いた足。
この母の話を聞くと、そんなふうに思えてならない。
さえずるウグイスが見え隠れする。


 ここまで生きるとは、夢にも思いません。自分でもびっくり
しちょります。御本尊様に感謝申し上げ、皆々さまに感謝申し上げます。
 先祖様は参勤交代に行きました。その刀がどこにいっちょるか、
知らん。でも私が生まれた時は、貧乏のどん底。もう話には
なりませんわ。

 何事も我慢するくせがあると。なぜかならば、親の苦労話を
聞いてるでしょ。父ちゃん母ちゃんの幸せを、まず心に置いちょった
から。
奉公した10年間、一銭も使わんと家に入れてよ。1年で36円。
10年目には、親に牛を買ってやった。

 戦後の苦労は、なんて言ったらいいか分からん。裸一貫で馬車引き
したり、夫婦でむしろを作ったり。夫の実家に間借りしよりましたけど、
米一粒さえもらえんが。牛の食べるようなもんを食べよりました。



 幸い、夫が専売公社の守衛さんになったとです。でも酒乱の一等賞にも
なったとです。

 暴れるわ、刃物持って町に出るわ。私はあっちこっちの神様に
頼んだけど、おので脅されるっちゃけん。もう死んでやれ思うて、私は
一升瓶の酒を飲み干した。けど風呂場で吐いたと。
ばかもいいとこやね。

 子どもがよ、目の下にクマをつくって逃げ回っとった。
もう平常心でおられんわ4人の小さな手を引いて、夜中に「死のうや」ち。
高千穂の大橋まで歩きよった。そげんことを娘が小学校の作文で書いたら、
クラス全員泣いたとよ。

染み入るような声の勤行。.PNG

 染み入るような声の勤行。凛とした姿勢で



 昭和36年(1961年)ですよ。アイスキャンデーを売りよった人ですけどね
。それこそ貧しい人。大阪から来たげな。
「信心してみらんね」ち。最初は私だげ東の空見て、題目あげよったと。
でも、すったもんだで、夫も信心する運びとなりました。

 高千穂は神話の里と言われちょる。そこで信心したら村八分じゃ。
もう話にゃならんわ。人にどげんされようが、ぐっとこらえて「いつか
見ちょれ。いつか見ちょれ」。

 カタカナも読めん父親の言葉が、耳に残っちょったがよ。
「物事は鼻で匂うて、目で見て、耳で聞いて、口で味みて覚え」ち。
その教え通り、この二本の足で毎晩歩いてよ、最高の信心を味わい
つくしたとです。


娘のたか子(69)=支部副婦人部長=が三女を生んで100日目じゃ。
たか子は夫を亡くしてよ。呆然としちょるところへ、4歳の長女も
亡くなった。


 葬式で、たか子に言うた。「泣くな。我慢じゃ」ち。言うのも
つらいけど、我慢したもんが、最後には勝つんじゃもん。
 私は孫を育てに、娘の元に行ったとです。

 たか子は町一番のおんぼろ旅館しよった。私は乳飲み子を
おんぶして洗濯したり、布団を干したり。
この子たちを人並みにさせずにおくもんか。胸の中で
じっとこらえて。命懸けじゃ。

 我慢して、我慢してつらい中で、人の幸せを祈る。それが
池田先生のお心じゃち。御本尊様に真剣に祈ったと。
世界の隅々の人まで、みんなが幸せになりますように。
自分のことは、どげんでもいいとよ。

 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」
(御書1253ページ)。宇宙大の御本尊様と巡り合わせてもらったことを
考えると、なんちゃ怖いものはない。池田先生から教わった。
「忍辱の鎧を着て」(同502ページ)。”その人が仏だよ”ち。


 
散歩がてら.PNG

山あいに明るい声が響く。
左から2人目がトシエさん。
その右隣りが娘の川端たか子さん


 自分の子以上に抱いて寝かせた孫は、かわいいわ。その孫が
創価女子短大を出してもろうてよ。イケメン君にほれられて、
5年前に結婚の運びとなったとです。

 横浜の海の見えるホテル。光の中で花嫁さんが座っちょった。
見つめ合う2人は幸せそう。

 たか子はハンカチで顔を抑えよった。泣くな、とは言えんかった。
思い出したと。高千穂の大橋から飛び込もうとした夜、たか子が
小さい手を引いて、こげん言うた。

 「お母ちゃん頑張ろうや。生きちょれば、いいことあるが」
生きることを何回も諦めそうになった。でも我慢だけは、人に
まけんぐらいしてきた。その我慢が、こーんな大きい宇宙大の
幸せになるとは、夢にも思わんじゃったわい。

 孫が最後に手紙を読んでくれたがよ。「おばあちゃん、育てて
くれてありがとう」ち。もう涙が出るごた。ハンカチが足らん。
幸せです。


 感謝、感謝。感謝の一筋です。行き当たりばったりでここまで
来たけど、今は
上げ膳据え膳でもう最高よ。御本尊様にお礼の申し上げようも
ありません。

 102歳。みんなのお手本になりたいけど、まだ勉強が足りん。
池田先生の心を頂いて、世界の隅々まで一刻も早く平和を
築いてもらいたい。いつも祈っちょります。

 宇宙中の宝を集めて命じゃもん。生きちょれば、必ずいいことが
あるとです。勝って勝って勝ち抜いて。この人生、ありがたくて、
たまらんわい。



   後記

「命の限り」ーートシエさんは柔和な笑みをたたえ、この言葉と
真正面から向き合っている気がした。
だから一日を無駄にはしない。病院でも隣に座った人に話しかける。
「この信心は最高だから、やってみてください。すごいことが
ありますよ」。

 開花を焦らず、いつもどこかで芽が出ることを信じる。その対話に
”生きる実感”が伴う。

 トシエさんは、飾っていた孫の結婚式の写真を手に取った。
写真額のまま胸に抱き、目尻を下げて口づけをした。孫が来る5月が
待ち遠しい。
「お小遣いをあげて、プロレスもする」ーープロレス?どうやら、
じゃれ合うことらしいのですが、一瞬、バックドロップを連想して
しまいました。おまえだけだ、と言われればそれまでですが。
     (天)

 聖教新聞、2019年(平成31年)3月14日(木)

 
posted by mity504 at 16:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブラボーわが人生
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