金子みすゞ名詩集、みすゞの短い生涯 - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

金子みすゞ名詩集、みすゞの短い生涯

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金子みすゞ、記念館、山口県長門市

金子 みすゞ 作品 「大漁」1924年発表

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(いわし)の
大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何萬(まん)の
鰮のとむらい
するだろう。


大漁騒ぎで、活気づく漁村風景。
その中で、みすゞは、海の鰯のとむらいを思う。
こころやさしい人であった。

わたしと小鳥と鈴と

わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない

わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど

あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ

鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい



金子 みすゞ(本名テル)
明治36年4月11日生 - 昭和5年3月10日没。
大正末期から昭和初期に活躍した童謡詩人。


大正15年、叔父(義父)の経営する上山文英堂の
番頭格の男性と結婚し、娘を1人もうける。

夫は女性問題で上山文英堂を解雇される。

その時、みすゞは夫に従うが、夫の放蕩は続く、
夫はみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。

みすゞに淋病を感染させて、
昭和5年2月に正式な離婚が決まった。

みすゞは、娘を手元で育てたいと要求したが、
夫は娘の親権を強硬に要求した。

夫への抗議から昭和5年3月10日、みすゞは
娘を自分の母に託し懇願の遺書を遺し自ら命
たった。まだまだ若い26年の短い生涯だった。

娘を思い、死を選らんだみすずさんだが、
可愛い娘を残していくのは、

死んでも、死にきれないであろう、とセッなさが
いたくこころに滲みる。


金子みすゞ名詩集

posted by mity504 at 16:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金子みすず
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