ブラボーわが人生「この信心、分かんない人はお気の毒です」(1) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

ブラボーわが人生「この信心、分かんない人はお気の毒です」(1)

ナツさんの場合1.PNG

【茨城県ひたちなか市】自分のことを「家で一番の偉さま」という。
4世帯で暮らす、池田ナツさん(95)=津田支部、支部副婦人部長。
ひ孫に「ばあちゃん、ご飯だよ」と呼ばれる食事のおいしいこと。
いつも一番風呂で、湯船を「年寄り用に作り替えてくれた」
らしい。子犬とじゃれあい、洗濯物を畳み、掃除機をかける日々。
「みんな信心で一致してるから、この家庭にふったく(不満)
がねえの」。その声に、一家和楽がにじむ。

信仰体験 
ブラボーわが人生「この信心、分かんない人はお気の毒です」(1)

第20回 一家和楽 ナツさんの場合

昔のことを言うと恥ずかしいけど、それはそれは大変でした。
父は大酒飲みでむなしく暮らすもんだから、若くして死んじゃった。
オレは5人きょうだいの一番上。

足が悪かった母の代わりに、オレが家族を支えたんだ。
養蚕の時期は蚕さん、農業の時期は農家さんで働いた
朝4時から汗水流して1日60銭ほっち。
でもその金が欲しかった。

米を食べた記憶がないほど、貧乏の底に生きてきたよ。
3人の母となったけど、戦後のひもじさってないね。
3年前に亡くなった主人(米蔵さん)が炭鉱で働いて、オレは
ダムで働いた。

つるはしで穴掘ってると、一度だけ濁流に命を取られかけたんだ。
働いて、働いて、働き抜いて。それでも貧乏の棒が取れなくて。
結核のきょうだいを養ってたもんで、子供には粗末なご飯しか
出せませんでした。

心が疲れたのかもしれないね。オレは皮膚の病気になったんだ。
毛が抜けて、膿が出た。どこへ行っても治んない。
アタマに包帯巻いてたもんだから、近所の子供が鍋をたたいて
オレを囲むんだ。

それが嫌で、昭和32年(1957)に信心したのさ。戸田先生は
「やればやっただけ功徳は大きい」と教えてくだすった。
信心を語り歩いたよ。まさかりで追いかけられたことも
あったっけ。

あれは冬の日だ。頬被りして街灯のない道を急いでいると、
道端の家の窓から明かりが見えたんだ。
こたつに入って、楽しそうに笑ってた。オレはちょっぴり
悲しくなったけど、仏法は勝負だもん。

この人達が勝つか、オレが勝つか。
子供にだけは、オレのつらさを味わわせたくなかったからね。
自分にムチ打って、折伏したもんだ。

昭和39年9月でした。池田先生が水戸会館にいらしてな。
オレは縮こまって自己紹介したの。そしたら、先生がオレの手を
握ってくれたんだ。「私と同じ名前だね。前世は親戚だったかな」
って。

すぐに地区の皆さんに話したよ。オレの手を代わる代わる
握って来たんだ。この時ばかりは万歳万歳で、
涙がポロポロと流れたね。

三度の飯より学会活動が好きになりました。
バス代がなくても学会歌を歌いながら、遠くの村まで折伏の足を
運ぶんだ。

気づけば皮膚病が治ってた。生活は貧しかったけど、
心が裕福になりましたよ。子供は気まずさそうに給食袋を
見せるんだ。オレは「心配すんな。うちには金のなる木があんだ」
とご本尊様の前に置いて、題目あげんの。

なーに、子が寝た後、夜なべしたお金を給食袋に入れて、
木の枝にぶら下げてやるのさ。
もつたいないけど、子供は御本尊様を「金のなる木」だと思ったようだ。

信心を教えるのは、そんなところから始まるんじゃないかな。
一丁前に皆さんと肩を並べられるようになったのは、何時だったかねえ。
腹をすかせた男子部に家でラーメンを食べさせたんだ。

小さい食卓で、オレの子も身を寄せ合うようにして、すするんだ。
その後ろ姿を見た時に、ようやく一息つけた気がしたねえ。
学もねえ、取りえもねえオレだけど、貫いたことは一つです。

「聴聞する時は・もえたつばかりをもえども・とをざかりぬれば・
すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」
(御書1544ページ)。これなんだ。

 2につづく  (聖教新聞)

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posted by mity504 at 18:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブラボーわが人生
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