戦後71年の歩み・悲しくても立ち上がる「全てに感謝できる自分に」(2) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

戦後71年の歩み・悲しくても立ち上がる「全てに感謝できる自分に」(2)

体験談、中澤さん2.PNG

満州からの引き揚げ孤児33人が臨時列車で品川駅に着き、
引き取り先が決まるまで保護された
(1946年12月5日撮影、朝日新聞社提供)

信仰体験 いま想う 戦後71年の歩み F

悲しくても立ち上がる「全てに感謝できる自分に」(2)

親子を引き裂いた満州からの引き揚げ

苦悩は引き揚げ後も続いた。茨城県稲敷群で一家は農家を始めるも、
貧乏のどん底だった。小学生の中澤さんには、一本の鉛筆すら
買えなかった。足には母の編んだわら草履、背中に弟を背負って
小学校へ。

「満州帰り!」と、ののしられた。家の手伝いもあり、
学校から遠のいていった。父は酒を浴びるように飲んでは、
母に暴力を振るった。父を避けようと、夜は野山へ。

月明かりに照らされ、土の上で寝るのが日常だった。
15歳で東京へ出稼ぎに出た。小・中学校にろくに通えず、読み書きは
おろか、数字の計算も全くできない。

お金も触らせてもらえず、惨めな思いを何度も味わった。
長生きもしたくないが、死ぬのも怖い。辞書で、「幸福」の意味を調べては、
ため息をつく青春だった。

「人なんて誰も信じられない。自分には幸せなんて、ほど遠かった」
結婚し、出産を控えた63年、創価学会に入会する。
明るく生きる近所の婦人から折伏をされると、母の姿が浮かんだ。
「この信心で、母親を幸せにしたかった」

”ただ幸せになれるのなら”と信心を真っすぐに貫いた。
砂利道を歩き、「泥だらけになって折伏に走った」。
聖教新聞を読むために辞書を開いた。ほとんどの漢字に振り仮名を付け、
学んだ。

「私にとって、創価学会は人生の全てを学べる総合大学でした」
座談会で同志の変毒為薬の体験談に触れれば、境遇を嘆かない自分になれた。
夫、弟、そして母親が、入会するのに時間はかからなかった。

中澤さんは幼少から歌が大好きだった。いつも学会歌「今日も元気で」
を歌いながら、2人の子を乗せ自転車をこいだ。
山を越え、砂ぼこりにまみれても、「私たちは誇り高き親子よ!」と、
笑い飛ばした。

母もまた新聞の文字が読めず、その分、会合に参加しては、
うれしそうな顔をしていた。69年、胃がんと闘った母が亡くなった。
最後の言葉は、「題目を唱えられて幸せだよ。ありがとう」。
試練の連続を越え、迎えた最期の姿に、中澤さんは妙法の力を感じた。

「法華経を信じる人は冬のごとし冬は必ず春となる」
(御書1253ページ)。
”この一節の証明者になる”。そう心に定めて、
建設業を営む夫を支え、時に自らも軽トラックを運転した。

98年、夫が58歳で亡くなった。「事あるごとに、人間は悲しくなる。
それでも、同志がいて、池田先生がいるから、
立ち上がってこられたんです」
池田SGI会長は、つづっている。

「世界の平和とは、お母さんが幸福になることである。
一日また一日、まじめに生き抜く女性が、一番、
幸福を勝ち取っていくことである。そのように、文明の中心軸を
変えていくことが、広宣流布であり、立正安国である」

中澤さんが「私の境涯革命」と語ったのは、中国への思いの変化だ。
日本が蹂躙したがゆえに、中国にも苦しんだ父母、子どもが大勢いる。
日中友好に徹し抜くSGI会長の行動に触れ、「恨んでばかりだった
中国の方々に申し訳ない」と題目を唱えてきた。

8年前、両膝に人工関節を入れたが、学会活動の足は止まらない。
話せば笑顔が絶えず、明るい中澤さんは、「父と母に、人生に、
心の底から感謝できる。そんな自分になれたことが本当に幸せなんです」
と。

人生に悲嘆した彼女は、孫、、ひ孫たちの笑顔に囲まれ、
今月3日、喜寿を迎えた。(光)

 おわり  (聖教新聞)

まとめ
悲しくても立ち上がる「全てに感謝できる自分に」(1)
悲しくても立ち上がる「全てに感謝できる自分に」(2)


戦争ほど、残酷なものはない。 戦争ほど、悲惨なものはない。
(人間革命 第1巻 黎明)この体験談の中澤さんの終戦から
引き揚げ中の恐怖と苦しみ、見知らぬ異国でいつ殺されるかもしれぬ
日々。

幼少の女の子が弟を背負い、必死に生き抜こうとする不憫と哀れさ。
帰国後の日本での貧乏時代の体験、
「満州からの引き揚げ」といじめられ、学校にも行けなかった女の子。

戦争ゆえの悲劇である。

引き揚げに際して、関東軍から、
まさかの時には自決せよ。と「青酸カリ」を渡される。
6,7歳の女の子が弟をおぶって、引き揚げでさまよう。
いつ殺されるか分からない恐怖。

親がわが子を殺さざるを得ない、極限状況。
16歳の姉は誘拐されて、その後二度と会えない。
なんて残酷で悲惨なのだ。しかし 敵味方どちらでも、

戦争そのものが残酷で悲惨なのです。敵も味方も苦しむ。
戦争で破壊されたものは、また 再建しなければならない。

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