戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(2) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(2)

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大切に育てる菊の鉢を前に、語らいのひととき。妻。禎子さん(右)が
「今年の秋も咲くかしら?」と問うと、鈴木さんは「きっときれいな
花をつけるさ」と笑顔で応える。


信仰体験 いま想うB 戦後71年の歩み

戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(2)


終戦から2年後の47年、妻、禎子さん(90)=支部副婦人部長=
と結婚した。「自分を必要としてくれる人がいる。そのことが、
本当にうれしかった。戦争で一度は死んだ命。喜んで尽くそうと
思った」

”望まれれば、何でも役に立たせてもらおう”
その考えは、万事に渡った。母校の商業高校で教壇に立った後、
義父のプレス工場で額に汗して働く。一方で、戦場で感じた葛藤が、
常に心の奥深くにあった。

”なぜ俺は生き残り、なぜ仲間は死んでいったのか”
鈴木さんが「がむしゃらなほど」懸命に働き、「頼まれたら断らない」
のは、その答えを模索していたからかもしれない。戦後10年の55年に、
親戚から信心の話を聞いた。

「御書の一節に出あったんです。弥三郎殿御返事でした。
『但偏(ただひとえ)に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干(そこばく)
の人の死ぬるに
今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』(1451ページ)。

全身に電流が走ったような感動を覚えました。”なぜ生きている?
そうか!”この仏法を弘め、平和な社会を築くためだ”と」
家族そろって入会。戸田第2代会長、若き日の池田SGI会長にも
励ましを受け、広布一筋に駆けた。

時は流れ、鈴木さんが70歳となった90年11月、学会創立60周年の佳節に、
SGI会長は世田谷区内にある東京池田記念講堂を訪問した。
SGI会長を迎えたのは、鈴木さんたち世田谷の同志が丹精込めて育て、
爛漫と咲き誇った菊の花々だった。

SGI会長は句を詠み贈った。「創立に/勝利の宴や/菊花城」
以来、四半世紀。その時の菊から株分けし、子、孫の株まで
育み続けている。

「平和のために世界の指導者と対話される池田先生と、私の絆が、
この菊なんです。私も体が動く限り、平和のために尽力しようと
菊を育てながら思う」

創価学会の姿を知ってもらおうと、対話に歩き、地域で友情を
広げてきた。3年前、小学校の校長から、ある依頼が。
「戦争の経験を、子供たちに話してくださいませんか」

93歳で、語り部として教壇に。今も語り続ける。児童からは、
「戦争がどんなに恐ろしいものかを知りました。同時に命の大切さも
あらためて知りました」

「これから私の下の世代にも教えていけたらいいなと思います」と。
感想の数々が、胸に迫った。生き残った意味を表現するのに
ふさわしい言葉を鈴木さんは探す。

「幸運か、福運か、宿命か、、、」。こう結んだ。「使命と確信し、
最後まで平和のために生き抜く」と。 (良)

  おわり  (聖教新聞)

まとめ
戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(1)
戦後71年の歩み、生きて帰ったこの命は平和のために使うんだ(2)

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