信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(1) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(1)

大田和子1.PNG
「体調はどうですか? 優しく包み込むように
「脊柱靭帯骨化症友の会」のメンバーに語り掛ける大田さん(左)。
病を経験したからこそ友に寄り添うことができる」


信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え

悩んでいる人を放っておけない


【石川県金沢市】大田和子(69)=池田支部、地区副婦人部長
(総白ゆり長兼任)=が、体に異変を感じたのは、1998年
(平成10年)の暮れのこと。病院で「後縦靭帯骨化症(OPLL)」
と診断された。
厚生労働省の指定難病である。重い病と向き合いながらも、
太田さんには、つかんだものがある、、、。

いよいよ

いつものように、洗い物をしていた。だが鍋を洗おうと右手持った
たわしが、うまく動かせない。翌日も、手から力が抜けていくようで
、包丁をしっかり握ることができなかった。

”おかしい、、、”知り合いの脳神経外科医の元へ急いだ。
CT,MRIによる検査の結果、思いも寄らぬ病名が告げられた。
「大田さん、後縦靭帯骨化症ですね。この病気は放っておいたら
どんどん悪くなるよ、、、」

背骨の中を縦に走る靭帯が、何らかの原因で骨化するという病だった。
発症すると、脊髄の通っている脊柱管が狭くなり、神経根を圧迫。
感覚障害や運動障害などの神経症状を引き起こすことが、
医師から説明された。

突然の難病の診断。しかし、大田さんがひるむことはなかった。
むしろ、心が燃え上がっていくような感覚を覚えた。
”いよいよ、私にも宿命を乗り越えなけらばいけない時がきたんだ”

そう思えたのは、この信心と巡り合えたからだった。


幸せとは

人知れず、苦労を重ねた半生だった。30歳で離婚を経験。
3人の子を養うため、昼は車の営業、夜は飲食店で、働きづめの日々を
送った。1986年(昭和61年)11月、当時、経営を任されたレストラン
の従業員から、仏法の話を聞いた。

「大田さん、今、幸せですか?」。婦人の問いかけに、すぐに「幸せです」
とは言い切れなかった。答えに窮していると、確信に満ちた言葉が
返ってきた。

「この信心は、必ず、幸せになれる信心なんですよ」
母子家庭での3人の子育ては大変だったが、かといって、特に悩んでいた
わけでもない。ただ、日常生活に充実感はなかった。

「半年間だけやってみます」。それが大田さんの答えだった。
"幸せとは" お金があって、楽な生活ができて、、、。
「最初はそんなことしか思い浮かばなかった」。

しかし、信心に励んでいくうち、その考えが違っていたことに気が付く。
「友人が人間関係で悩んでいて。何とかしたいんです」「家族が病と
戦っています。でも一緒に祈って、乗り越えるから見ていてください」。

創価学会の会合に参加すると、皆が、悩んでいる人のために真剣だった。
目の前の友を救いたい、どうにかしてあげたいと、同苦する友の姿が、
大田さんの目には輝いて見えた。

これまで、そんなことは考えもしなかった。誰かの面倒を見るのは
できるなら避けたい。そう思うのは当然だと感じていた。
”学会の人たちは違う。私も皆さんのようになりたい”。
そんな思いが、自然と湧き上がった。

御書を学び、「一人を大切に」との池田SGI会長の指針を心に刻んだ。
そして、仏法対話に、聖教拡大にと、大田さんは挑戦を貫く。
そうして祈り、戦い切った心の充実は、何物にも代え難いものとなった、、。

 第二つづく (聖教新聞、2016/09/30、Fri)

まとめ
信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(1)
信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(2)

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posted by mity504 at 17:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 病気・闘病体験
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