世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(1) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(1)

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世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(1)

映画「ロボコップ」に出演

アメリカSGI ジェシーゴーインズさん

人生を変えた信仰との出あい

自分が自由になれる場所

私は1952年ペンシルベニア州のピッツバーグで生まれました。
私の幼少期、すなわち50年代から60年代の米国は、公民権運動が
高まっている時代。社会はまだ、公然とアフリカ系アメリカ人への
強い偏見と差別があったのです。

当時はまた、家庭の中でも子どもは”子どもとしての振る舞い”
を厳しく求められる時代でもありました。父は郵便局で働きながら
牧師も務める厳格な人でした。

人一倍、感受性の強かった私は、自分らしくいられる居場所を常「」に
求めていたように思います。そんな私を虜にしたのが、学校で
出会った「劇」だったのです。それは私が思い切り自由に自分を表現できる
場でした。

小中高と劇にのめり込み、ニューヨーク州立大学・ブロックポート校で
演劇の学士を、ミシガン大学大学院で演劇の博士号を取得しました。
75年大学院を出ると、ニューヨークでアルバイトを掛け持ちしながら、
いくつかの劇団に所属しました。

やがて結婚し、さらなるキャリアアップのために夫婦でハリウッドのある
ロサンゼルスに移りました。苦労は多いながらも充実した日々でした。
ところが息子・アダムが生まれた翌年の82年、夫婦関係が破局して離婚。
妻だった女性は息子を連れてニューヨークに戻ってしまったのです。

経済的にも悪戦苦闘が続きました。息子に面会するためクリスマスなど
年に数回だけ無理をしてニューヨークを訪ね、そのたびに前妻と
大喧嘩をして、ロスに戻る時はいつも”一文無し”というありさまでした。

一人に無限の可能性が

転機が訪れたのは85年でした。当時交際していた女性がSGI(創価学会インタ
ナショナル)の信仰を始めたというのです。それまで悲観的だった
彼女の性格が見る見る明るく強くなっていく様子に私は驚きました。

誘われて座談会に行ってみると、そこでは多くのアフリカ系アメリカ人を
はじめ、多様な人種の人々が互いを尊敬し合い、励まし合っていました。
誰もが親切で誠実でした。信仰体験も素晴らしく、さらに研究発表にも
心を動かされました。

衆生と仏は別々のものではない。迷っている時が衆生であり、悟りの生命を
開けば仏なのだ、、、。一人一人に無限の可能性があること。
日蓮仏法の根底には万人への尊敬があること。私は、これこそ自分がずっと
探し求めていたものだと気づきました。

8月に入会。経済の悩みや前妻との問題など、自分の願いをありのままに
リストに書き出して、唱題に挑戦しました。すると、クリスマス休暇の
航空券を買う前に、映画俳優組合から過去数年に終えた仕事の再放送
出演料として、間違いではないかと確認するほど多くの金額が
振り込まれていました。

訪れたニューヨークでは、祈ったと通りに前妻との関係もがらりと変わりました。
この時以来、私たちは一度も喧嘩することなく、協力し合って息子に教育を
受けさせていけるようになったのです。

そして、私と前妻とは電話で何時間でも話せる”親友”へと変わっていきました。

 第2につづく (聖教新聞、2016/10/03、Mon)

まとめ
世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(1)
世界の体験プラザ、観客の心に残る俳優めざして(2)

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posted by mity504 at 10:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ
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