世界の体験プラザ 父との出会いが生んだ奇跡の物語(1) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

世界の体験プラザ 父との出会いが生んだ奇跡の物語(1)

1ウッドさん.PNG
1970年代から80年代、ポストパンクの伝説の
ガールズバンドとして名を馳せた「ザ・レインコーツ
」。ウッドさん(左端)はバイオリンを担当


世界の体験プラザ 創造性を発揮し地域に貢献

伝説のガールズバンドのバイオリニスト

父との出会いが生んだ奇跡の物語(1)

イギリスSGI アン・ウッドさん

演奏者として輝かしい業績


1977年にイギリス・ロンドンで結成され、84年に解散した伝説の
ガールズバンド「ザ・レインコーツ」。
94年に活動を再開した時、バイオリニストとして、メンバーに加わった
のが、イギリスSGI(創価学会インターナショナル)の
アン・ウッドさんだ。

2010年と15年の来日ツアーにも同行。大阪や名古屋、東京の渋谷や
下北沢でファンを沸かせた。ウッドさんはロンドンで生まれ、
イギリス北部スコットランドの首府エディンバラで育った。

世界有数の音楽学校である王立音楽アカデミーを卒業した後、
王立シェークスピア・カンパニーや王立ナショナル・シアターなど
最高峰の劇場の演奏者として活躍。

マッシブ・アタックやエルビス・コステロといった有名アーティスト
の楽曲にも参加し、ラジオ番組や映画音楽の作曲にも携わってきた。

「これまで多くの良き出会いに恵まれ、自身の音楽を追求することが
できました。日蓮仏法を実践し、どんな課題に直面しても、目標に
向かって力強く進む生き方を身に付けられたことが、私の芸術家と
しての可能性を最大限に引き出してくれたと感じています」

仏法と出会ったのは10代の頃。1982年、ウッドさんが進学のため
故郷を離れる前に、母が職場の同僚の紹介でSGIに入会した。
当時、スコットランドのメンバーは50人ほど。母はパイオニアとして
勇んで広布の庭を駆けた。

帰省するたびに、以前よりも明るく、前向きに変わっていく母の姿を
目の当たりにしたが、ウッドさん自身は信仰とは距離を置いていた。
転機が訪れたのは23歳の時。卒業後、バイオリニストとして劇場と
契約を結べたものの、求められる技術の高さに緊張の毎日。

自信を失い、プレッシャーに押しつぶされそうになった時、
「どんな時でも、とにかく題目を唱えれば絶対に大丈夫よ」との母の
言葉を思い起こした。

「言われた通り、まずは100日間、真面目に実践しょうと決め、朝晩の
勤行と唱題を始めました。母の言葉が正しかったことはすぐに
分かりました。風に舞う羽根のように流されやすい自分でしたが、
弱い感情に負けないようになっていったのです」

ウッドさん2.PNG
最愛の家族と共に。右端が母のフィオナさん


 (聖教新聞 2016/11/21 月)

 まとめ
世界の体験プラザ 父との出会いが生んだ奇跡の物語(1)
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posted by mity504 at 05:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ
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