信仰体験 いま想う 戦後71年の歩み 信心で無力感は使命感へ(1) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

信仰体験 いま想う 戦後71年の歩み 信心で無力感は使命感へ(1)

通信兵として 1.PNG
磯村さんは、「戦争とは破壊。全てを破壊することじゃ。
いいことは一つもない」と戦時を振り返る。戦後は、
価値を創造する創価の哲学を一心に広めてきた


【山口県周南市】」本年、93歳になった磯村勝美さん=熊毛栄光支部、
副支部長=は、感慨深そうに振り返る。「まさか、この年まで元気で
生きられるとは思わなかった」。
19歳から3年間、戦地で過ごした。生きて帰ったものの、たびたび
体調を崩した。ふとした時に脳裏に浮かぶ、戦場で目の当たりにした
兵士たちの亡きがら。心に刻まれた傷が癒えることはなかった。

信仰体験 いま想う(9)戦後71年の歩み

戦場で奪われた無数の命を胸に――

信心で無力感は使命感へ(1)


通信兵として中国大陸に出征

うせ戦争に行くんだから、早く兵隊に入ろう”。軍需会社に
徴用されていた磯村さんは、太平洋戦争が始まり、1年がたった1942年
(昭和17年)12月、通信隊に志願した。

大東亜共栄圏の名の下に、中国大陸に侵攻していた日本陸軍の第39師団に
配属され、師団司令部と大隊の交信を担う通信兵として、長江中流部に
位置する湖北省へ向かった。

”生きては帰ってこられない”と覚悟して。45年3月下旬、米軍による
空襲が激しさを増す中、磯村さんにとって初めての作戦が決行される。
荊門から襄陽を目指し、歩兵大隊と共に北上した。

昼は空襲を避けて木陰に隠れ、日が沈み始めると敵陣へ突っ込む、
切り込みが行われた。後方からは、野砲による援護射撃が。
通信隊はどんどん前進する歩兵を、無線機を背負ったまま必死に
追い掛ける。

夜が明ければ、敵も味方も入り乱れた、無数の死骸がそこかしこに
横たわっていた。「見たくない。早く通り過ぎたい。ひどいもんじゃ。
殺し合いじゃ」

通信兵として 2.PNG


通信兵とはいえ、磯村さんも、いつ流れ弾に当たって命を落とすか
分からない。「いつも、おふくろのことを頭に浮かべていた。
それしか考えんかった」途中、民家が炎に包まれている光景を
何度も目にした。

「中国兵が使わんように、日本軍が燃やしたんじゃろう。家のそばで、
ぼうぜんとしている年寄りが、あまりにもかわいそうじゃった」
「戦争なんかやるもんじゃない。上の者はどうか知らん。わしら下の者は
戦争に出たくないよ。だけど、しょうがない。義務じゃからな」

日本軍は襄陽を占領。一部の兵隊は北上を続けたが、反撃が予想され、
反転。約20日間、続いた作戦は4月上旬に終了した。
磯村さんの分隊は襄陽占領後、当陽での警備に就いた。

8月になると、師団司令部からの無線を傍受していた戦友から、
「日本は負けるらしいで」と聞かされた。そして15日、敗戦が伝えられた。
”ああ、終わった”と力が抜けた。

捕虜となり、使役を課せられ、半年後、帰国が命じられた。

 第2につづく (聖教新聞 2016/09/01 木)

まとめ
信仰体験 いま想う(9)戦後71年の歩み 信心で無力感は使命感へ(1)
信仰体験 いま想う(9)戦後71年の歩み 信心で無力感は使命感へ(2)

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