信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(1) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(1)

九度山町 1.PNG
和歌山が誇る柿を並べる溝端さん。病いに屈せず、命を燃やす


九度山町 茶屋店舗.PNG
九度山町に活気を広げる「真田いこい茶屋」


九度山町 茶屋.PNG
茶屋の店内は、いつも明るい笑い声にあふれる
(右側が溝端さん)


【和歌山県・九度山町】今年のNHK大河ドラマ「真田丸」が描いた
真田幸村(信繁)。彼が、14年の時を過ごした舞台、九度山町が今、
赤く染まっている。武具・旗を赤でそろえた名将になぞらえ、
商店の品も、たなびく旗も赤一色。
戦場では狙われやすい”赤備え”だが、赤を身にまとうことで、
”戦い”の腹を決めたという。幸村ゆかりの地で町おこしに取り組んで
いるのが溝端たえさん(68)=福光九度山支部、県副婦人部長。
16年間、がんと対峙し続けるとは思えないほど、穏やかな笑顔で
観光客をもてなしている。


信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(1)

生きるよろこび 赤備えの甲冑にも勝る「熱」と「炎」

環境に負けるものか!


夜明け前、数人の婦人が幸村グッズの並ぶ店に集まった。
慣れた手つきで、その日の予約弁当を作る。溝端さんは、自宅で塩漬けに
した山菜を調理して盛り付けた。

昼下がり、町のパンフレットを手にした団体客で店内はにぎわう。
ここは、「真田いこい茶屋」。古民家を再利用した休憩所で、「真田丸」
ブームに沸く町へやって来る人々を癒している。

真田家の家紋「六文銭」が描かれた制服を着たスタッフは、皆がボラン
ティアだ。「地元の誰よりも、九度山が大好き」と言う溝端さんは、
週2回、茶屋の当番に就く。気さくで飾らない人柄に、観光客からも
「また会いに来ます」と声が掛かる。「全国から多くの方がお見えになり
ますんで、そんな言葉に、こちらが元気をもろてます」と目を細める。

横顔は、数多い。月に1度、高齢者のために給食弁当を作って配る。
更生保護女性会では刑務所へ慰問し舞踊を舞い、保護司歴は10年、
公平委員としては総務大臣表彰も受けた。

 多岐にわたる活動を通し、「前から見ても、後ろから見ても、『創価
学会の溝端』として、胸を張れる自分でありたいんです」と。
その心は常に、師と共にある。

ーー生まれは、愛媛の山深い町。幼い頃から病弱だった。結核を患い、
将来を嘆いた1966年(昭和41年)、大阪で入会する。
本当の意味で信仰の火がついたのは、阪神甲子園球場での”雨の関西
文化祭”。

人文字を形作りながら、雨粒と涙が頬を伝った。72年、夫・信一さん
(74)=副本部長=の事業が傾き、多額の借金にあえぐ中、知人の紹介で
九度山へ。他宗の本山が近く、昔ながらの習慣も強い。

当時は、よそ者扱いされ、生活苦も続いた。御書の「忍辱の鎧を着て」
(502ページ)の一節を地でいく歳月。夫の土建会社の経営を手伝い、
債権者に頭を下げ、川のせせらぎを聞きながら、広布に走り回った。

81年11月、紀ノ川文化会館(当時)を初めて訪れた池田先生と出会いを
結ぶ。共に勤行・唱題をして、写真に納まった。
「紀ノ川が折伏で勝てるように祈りました」、、、

師の声が力強く響き、溝端さんの耳朶を打った。以来、常に体を突き動か
してきたのは、”どうやって地域の方に喜んでもらうか”との思い。
「自分の振る舞いで、創価学会の見方を変える。それが戦いでした。
胸の中に、『環境に負けるもんか!』っていう”熱”が、ずっと
あるんです」

信仰の旗を掲げた地道な開拓は、あらゆる人へ友好を広げた。
かつては怒鳴り声を上げた債権者さえ、子どもを連れ、自宅へ遊びに来る
間柄に変わった。

 第2につづく (聖教新聞 2016/12/17<土>)


 まとめ
信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(1)
信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(2)

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posted by mity504 at 17:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 病気・闘病体験
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