世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(1) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(1)

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家族と共に(中央がシャクソンさん)


世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(1)
アメリカSGI シーラ・シャクソンさん

池田先生の哲学で社会を変えたい

 「大丈夫。私には信心がある」

 人種差別との闘いの日々


 は米国の中西部、カンザス州やネブラスカ州で育ちました。
私が生まれた1955年、ローザ・パークスの勇気に端を発した、
あの「バス・ボイコット運動」が起きます。

私の父はロースクール(米国の法科大学院)を首席で卒業しながら、
肌の色を理由に法律家への道を閉ざされていました。

 店に行っても、黒人の子どもにはジュースも売ってもらえない。
近所の白人の子どもたちが通う真新しい学校に、私たち兄妹は
入学を拒否される。

こうした差別を味わうにつれ、自分は無力で劣った存在なのだろうか、
と心が傷つけられました。

 両親は、公民権運動に身を投じ、わが家は活動家たちの拠点になって
いました。しかし公民権運動への脅迫や暴力は絶え間なく、幼い私は
いつ自分が狙われるか、いつ両親が逮捕されてしまうかという恐怖を、
常に感じていたものです。

 けっして裕福ではない中で、両親は子どもたちが少しでも社会の壁を
乗り越えられるようにと、教育費を惜しみませんでした。

 私が高校生の時、両親がブラジルへの留学の機会を与えてくれました。
娘の私がポルトガル語の習得や異文化に慣れずに苦しんでいるのを知った
母は、自分もポルトガル語を習い始めて、ポルトガル語で励ましの手紙を
つづってくれました。

大学卒業後は、奨学金を得て再びブラジルへ留学。おかげで、私は今でも
ポルトガル語を自由に操ることができます。

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人間の尊厳を説いた宗教

学を終えて帰国しても、就職の面接では黒人であることを理由に採用を
拒否されました。64年に差別を禁止する公民権法が施工され、そこから
さらに10年が経っても、そんな状況だったのです。

 もう中西部はこりごりだと感じた私は、ニューヨークに移り住みました。
85年、そこでSGIの仏法と出会うのです。
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘(ひろ)めん者は男女はきらふべからず、
皆地涌の菩薩の出現に非(あら)ずんば唱へがたき題目なり」
(御書1360ページ)

 男女はもちろん、あらゆる人間の平等を説いている宗教など、それまで
聞いたことがありませんでした。両親は敬虔なクリスチャンでしたが、
私は一人一人の人間革命によって、世界を平和にしていく方途があるのだと
知って感動しました。

 入会した私は、地区婦人部長として、猛然とニューヨークの広布拡大に
奔走しました。座談会のたびに、わが家には溢れるほど人が集まりました。

 この信仰で得られた何よりの功徳は、自身の尊厳を感じられるように
なったことです。日蓮大聖人は門下の一人に対した、「此の度決定して
無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、
衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり」(同383ページ)
と教えられています。

(今この人生で間違いなく最高の悟りを得ようと思うならば、必ず
衆生に本来具わる妙理を自身の生命の中に見ていくべきである。
衆生に本来具わる妙理とは妙法蓮華経のことである)

 全ての人に具わる”仏の生命”について書かれたこの一節は、
差別の中で刻まれていた、私の無力感や卑屈さを打ち破って
くれました。

 自分を評価する基準を、外側にではなく内側に見いだせたことが、
私の生き方を大きく変えてくれたのです。
その結果、他者に対しても寛容に接することができるようになりました。

 第2につづく 『聖教新聞 2017/01/23(月)』
 
 まとめ
世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(1)
世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(2)

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posted by mity504 at 10:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ
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