信仰体験 母ありて「耐えてなんぼの人生ですよ」(1) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

2017年04月23日

信仰体験 母ありて「耐えてなんぼの人生ですよ」(1)

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信仰体験 母ありて「耐えてなんぼの人生ですよ」(1)

 第16回 広島県尾道市 佐藤富貴子さん

 デニムのオーバーオールに赤いジャンパー姿。「いつもこんな感じ。
スカートなんかはいたら島中の話題になる」。とにかく明るい。
佐藤富貴子さん(71)=沼南支部、地区副婦人部長=の案内で、
瀬戸内海に浮かぶ百島を巡った。「頼もしい後輩」と紹介してくれた
のは島の消防団。
昨春まで佐藤さんも一員だった。

「消防のふき姉さん」で通る。30年務めた。尾道市初の女性消防団員
だった。分団長の重圧から円形脱毛症になったが、任期中の火災と
災害はゼロ。島の安全に力を注いだ。

 普段着の赤いジャンバーは、「カープの赤。消防団の赤。それから
信心に燃えてる赤」と、ちゃめっ気たっぷり。笑顔の艶に感心すると、
「潮風と苦労でこの顔になったんですけど」。

 百島の生まれ。20歳で島を離れ、都会の光と影を知る。41歳で大阪
から夫婦で帰郷し、古びた雑貨店を営む母と暮らした。

 当時、島には学会への無理解があった。出合う誰もが下を向いた。
”無冠の友”の佐藤さんは、本紙の切り抜きを手にあいさつした。
受け取ってくれる手はどこにもなかった。母には「忍耐の二字を
背負っていきなさい」と言われた。

 辛抱強さは母親譲り。「忍辱を行ずるは瞋恚(しんい)の病を除く
なり」(御書755ページ)。人との関りを渇望する日々は、師弟の
距離を縮めた日々でもあった。「とにかく池田先生の指導をかみ締めて
生きてきた。耐えてなんぼの人生ですよ」

 婦人消防隊に入ったことが、地域密着の糸口となる。「地獄のような
訓練」を受けた7年目、婦人消防隊の県代表として全国大会に出場した。

 忘れられないのは島の応援団がバス2台で横浜まで来てくれたこと。
「ますます島の人を守りたい気持ちが強くなった」。女性消防隊は
島の誇りとなり、指揮者の大役を果たした佐藤さんは一躍、人気者に
なった。

 NHKのドラマ撮影が島で行われた時、歓迎の花束を手渡す「ミス百島」
を誰にするかという話になった。愛嬌の良さから当時、五十路の
佐藤さんに白羽の矢が立った。

「気分はもう映画女優」と、まんざらでもなかったが、タスキの文字を
「ブス百島」と読み違えた人がいた。笑いの渦に包まれながら、「島の
人と私の笑顔が一致したな」と感じた。

 行動力は折り紙付き。分団長の2年間、尾道市の管理で消防車と救急車
の設置を、島の役員と実現した。粘り強く交渉した訳は、「百島には
境涯革命させてもらった恩があるから」。

 退任後は、信号もコンビニもない島で、「何でも屋みたいなことを
してます」。母から継いだ雑貨店を構えながら、高齢者を診療所や
墓参りに連れて行き食事やごみ捨てまで担う。

地域貢献の信条は?「人の喜ぶことなら何でもするだけ」島の人は宝物。
「ふきちゃんとおったら、元気が出てええわ」の声が何よりの幸せだ。

 今では、島の大半の人が本紙の購読者となった。母が残した言葉を思う。
「宿業は私で断ち切るから、富貴子は幸せになりなさい……」

   つづく

 『聖教新聞 2017/04/12(水)』

 まとめ
信仰体験 母ありて「耐えてなんぼの人生ですよ」(1)
信仰体験 母ありて 86歳の現役美容師(2)

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posted by mity504 at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰体験
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