ブラボーわが人生・第40回 105歳 連勝記録更新中 - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

ブラボーわが人生・第40回 105歳 連勝記録更新中

チヨさん 105歳 1912年.PNG

ブラボーわが人生・第40回 105歳 連勝記録更新中

「幸せすぎて申し訳ありません」



 【東京都品川区】一見、そのつぶらな瞳は、穏やかな色をたたえている。
だが近くで見つめると、心の底まで射抜かれるようなすごみがある。

新宅チヨさん(105)=戸越公園支部、地区副婦人部長=の使う言葉は、
言い知れぬ苦労ゆえか、きれいで慈悲の心がのぞく。
話すと止まらない補聴器なしの取材。放たれる言葉には、胸の奥に
突き刺さるものがある。


 第40回 105歳 連勝記録更新中

 ■朝起きて
 朝起きますと感謝しかありません。
「御本尊様、今日も目が覚めました。ありがとうございます」。
ベッドから下りて、身支度をしまして、お題目をあげさせていただきます。
大正元年(1912年)の生まれです。
一日一日の奇跡に感謝しております。

 ■清潔であれば
 家族にしゃべり過ぎだって言われます。だけど、語る力も御本尊様に
いただいているからですもの。孫がくれた花束もはっきりと見えます。
あまりに鮮やかなので、造花かなと思って触ったら、本当の花でした。

幸せを確かめる目も、御本尊様からいただきました。
もう何もいりません。物もお金もいらないんです。心と体が清潔であれば
いいと思います。

 ■デイサービス1年生
 この7月からデイサービスに通っております。皆さん本当によくして
くださるんですよ。105歳の誕生会もしてくれました。行くとこ行くとこ、
いい人ばっかり。皆さんが諸天善神に見えますよ。
お友達がいっぱいできたから、いつか信心の話ができればいいな。

 ■息子よ
 よく息子にあきれられます。年寄りは同じことを何回も言いますからね。
「それ、さっきも言ったぞ」。そんな時は、空がなぐさめてくれます。

 昔、よく息子と手をつないで歩きました。「おかあちゃん、おそらが
きれいだね」。優しい目で見上げてきた日が懐かしいです。息子は
70歳を過ぎたけど、かわいい時もあったんです。
それを思い出して、息子に心で言ってあげるの。あなたも今に
こうなるわよ。

 ■わが師
 池田先生のこと……言葉では語り尽くせません。わたしの全てです。
班長。班担当員(当時)の記念撮影をしてくださいました。
写真を見ましても、自分の顔が分からないんです。だけど、あの日の
ドキドキだけは覚えています。

 亡くなった夫は「池田先生は、世界に二人とないお方だよ」と
言いました。先生と奥さまは世界の希望です。いつまでも健康で長生き
なさってくださるよう、祈ります。

 ■青年部に
 池田先生の教えをちゃんと守って、後継者になってください。
私たちは戦争で苦労しましたから。信心する上で大事なことは、
感謝の気持ちです。皆さんを尊敬しています。ありがとうございます。

新聞を読む.PNG
「聖教新聞で毎日、池田先生とお会いしております」
……チヨさんの師弟の距離はこれほど近い



 ■連勝記録更新中
 池田先生のことを知っていただくには、聖教新聞を読んでもらうしか
ないと思います。新聞を読めば、創価学会が何を目指しているのか、
分ります。

 生きています限り、購読の推進は続けます。役目ですから。でも毎月、
息子の家に行っては、「今月できないけど、どうしょ。どうしょ」。
そう言って、ご近所をもう一回りしてきます。

 わたくしがどこへ行っても、御本尊様がちゃんと見ててくださるん
ですね。だって、新聞とってくれる人が必ず現れるんですから。
(チヨさんは本誌の購読推進を十数年間、毎月続けている)

 ■座談会
 皆さんを座談会にお誘いするのは、創価学会はこういう楽しいところ
ですよって分かってもらいたいからです。勇気はちょっといりますけど、
「グラフSGI」を一緒に見たりして、お誘いします。今月もご近所の方が
参加してくださいました。

 ■一番の幸せ
 人生で一番の幸せですか
105年ほど生きておりますが、結局のところ、折伏できた喜びに勝るものは
なかったように思います。

 みんな折伏できるのに、自分だけできなかった時がありました。
そんな時は、もう涙が出るんですね。悔しいのか、情けないのか自分でも
分かりません。「池田先生、どうすれば折伏できるか、教えてください」
って題目あげました。
もったいない言い方ですが、御本尊様が電話になって、池田先生と
お話させてくれた気がします。
やつと折伏できた時、うれしくてまた泣きました。

 ■平和よ続け
 今は平和で、ありがたいです。子どもたち、孫たちがいつまでも幸せに
暮らせればと願っています。戦中戦後、自分でもよく生きたなあと思うほど
でした。食べ物もありませんし、世の中に色がなかった気がします。

 だけど今は、食べきれないほど食べ物がある。朝はパンとシーズ。
果物をたくさん食べます。昼は栄養のバランスを考えて、麺類に野菜を
添えます。夜は嫁が作るおいしい手料理を。

こんなありがたい世の中が、ずっと続いてほしい。ですから何としても、
世界平和を願っている創価学会が広宣流布されるよう、祈っております。

 ■かなうんです
 今、はっきり言えます。お題目をあげれば、願いは絶対にかないます。
かなうんです。「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ
信じさせ給え」(御書1124ページ)。経王殿御返事ですか。
御本尊様は本当にありがたいです。この素晴らしい信心を教えてくださった
大工さんに、感謝しております。

 皆さんに助けられて、ここまで生きることができました。ありがとう
ございます。こんなにしゃべって、ほんとすいません。記事にしないで
くださいね。ああ、はずかしい。

手押し車で買い物.PNG
手押し車でお買い物

 

 取材中、チヨさんは「岸壁の母」を歌ってくれた。セリフもすらすら
出てくる。母を思うという。古里・島根県は隠岐の島の母を。

 国鉄(現・JR)で働く夫との結婚は、母が決めたものだった。縁談を
断れば母が困る。だから受けた。でも心がついていかず、結婚式の朝まで
部屋の隅で泣いた。
 夫は働き者で素直な心を持っていた。夫婦で信心を始める。
自宅を広布の会場に提供し、友の激励に走った。若き日に看護学校に
通っていたチヨさんは助産師の免許を取り、助産師の看板を掲げた。
「御本尊様にお預かりしたお産」。60歳まで生命の誕生に立ち会った。

 師弟に生きた夫と妻。1973年(昭和48年)11月、池田先生を迎えた
品川区幹部総会には、一番いい着物で参加した。「今考えますと、親の
言うことを聞いてよかったと思います」。
歌を歌えば思い出す。チヨさんが島を出る日、港に一人立ち、船が見え
なくなるまで手を振ってくれた母の姿を。

 取材の帰り、握手を求めた。その手を千代さんは両手で包み、額を
つけてくれた。手に伝わるぬくもりだけで、寒い冬を越せそうだ。(天)


 【聖教新聞・2017年/12月28日(木)】


posted by mity504 at 16:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブラボーわが人生
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