世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(1) - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)

パンジュワニさん 1.PNG
フリーランスの教育コンサルタントとして数
多くの機関や団体と平和教育を推進している


世界の体験プラザ
 子供の人権守る・教育コンサルタントとして活躍

 
 インド創価学会 マンシ・アルン・パンジュワニ

 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)

創価の世界の真心の暖かさ

 
 幼い頃の私は、両親や友達と衝突を繰り返し、成績も最悪で、
追試を受けなければ進級すらおぼつかない劣等生でした。
将来の夢を尋ねられると、悪びれもせず「世界を変えること」と大見え
切りながら、勉強は後回しにしていたのです。

 そんな時、父にすい臓がんが見つかり、「余命3ヶ月」の宣告を
受けました。父の病苦を乗り越えようと、一家でインド創価学会に入会
しました。2002年のことでした。

 SGIの同志たちは、それこそ父と面識のない人までが、時間をこじ開け
るようにして、懸命に題目を送ってくれました。創価の世界のあまりの
暖かさに、私は感動で胸がいっぱいになりました。

 私は、せめて両親の喜ぶ姿が見たいと願っていました。すると、未来部
の担当者が「そのためには勉学でベストを尽くそう」と励ましてくれま
した。

 日々、勤行・唱題を重ね、池田先生が未来部の友に贈った『青春対話』
を同志と研さんしつつ、勉学に猛然と挑戦しました。両親は、娘が大きく
変わったことをとても喜び、私を誇りに思ってくれるようになりました。

 アメリカ創価大学(SUA)が「貢献的人生を生きゆく世界市民の確固た
る潮流を築く」との理念を掲げていることを知り、私は受験を決意して
さらに勉強に打ち込みました。

 父は、宣告された余命を1年半も延ばし、仕事を続けながら日々に
目標を持って、朗らかに人生を楽しみ切りました。自身の病によって、
私たち家族をSGIの仏法へと導き、翌03年に霊山へと旅立ったのです。


パンジュワニさん 2.PNG
ウガンダで教員の指導に当たるパンジュワニさん
(左から2人目)

パンジュワニさん 3.PNG
最愛の家族と共に。
左端がパンジュワニさん


一家和楽”勝利”の笑顔

 唱題で開いた「使命の道」

 その後も、試練の波は次々 と押し寄せました。

 父の死後、母は悲しみからうつの傾向が強くなり、弟は態度が粗暴
になって、家族に完全に心を閉ざしてしまいました。私はSUAへの
合格を勝ち取ったものの、家庭の経済状況を考えて進学を断念せざるを
得なくなったのです。

 すっかり自信を無くし沈み込んでいる私に対し、SGIの同志は”
自身の使命の道が開けるよう、いや増して唱題しょう”と励まして
くれました。

 ニューデリーの大学で学びながら、学会活動にも全力で取り組みま
した。唱題に唱題を重ねていくうちに、歓喜あふれる自分になっていく
のが分かりました。

 大学院では「紛争解決と平和構築」をテーマに修士号を取得。
卒業後は、インドの恵まれない子どもたちに教育支援するNPO「ティーチ
・フォー・インディア」に就職することができました。

 私は感謝の思いを込め、初任給の中からSUAに寄付することにしました。
自分はSUAに行けなかったけれども、そこで学ぶ学生のために、何か
お役に立ちたいという思いからでした。

 ここでは、3年間の経験を積みました。挑発を受ければすぐに暴力に
頼っていた子どもたちが、対話によって問題解決を図っていく姿に、
人は変わっていけるという事実を目の当たりにしました。

 幼い頃に、私自身が経験した劣等感は全て必要なことだったのです。

 2につづく 『聖教新聞 2017/04/24(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)

Copyright © 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事 All Rights Reserved.
当サイトのテキストや画像等すべての転載転用・商用販売を固く禁じます
<