病気・闘病体験 - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

信仰体験 入学の曲、子宮頸がんに挑む母(1)

1子宮頸がん .PNG
創価大学の満開の桜が、試練に耐えた家族を
祝福するかのように咲き薫る(左から母・峰子さん、
愛華さん、叔母・良惠さん)


信仰体験 入学の曲、子宮頸がんに挑む母(1)  

私の闘う姿を見ていて!
三重県伊勢市


「お母さん、どうしたん!しっかりして!」2011年(平成23年)9月の
ある朝、目覚めた中山愛華さん=東京都八王子市、在住、女子学生部員
=は、母の姿を見て声を上げた。

母・峰子さん(39)=御園支部、副白ゆり長=がトイレで大量出血し、
その後、震えが止まらず、倒れこんだという。
すぐさま、救急車で搬送された。病院で輸血した後、精密検査のため、
愛知県がんセンター中央病院へ。

翌月、峰子さんに告げられた病名は「子宮頸がん」だった。
6センチ大の腫瘍があり、骨髄や大動脈など、全身に幾つも転移していた。
腫瘍マーカーは33・4ng/ml(通常値は1.5ng/ml以下)まで上昇し、
ステージ4の状態。

現実とは思えない診断に、峰子さんは言葉を失った。病室に戻り、
窓の外の景色を、ただ呆然と眺めた。目に映る風景のすべてが、
信じがたいほど色あせて見える。

真っ先に脳裏に浮かんだのは、一人娘で、中学二年の愛華さんの
ことだった。愛華さんが生まれて間もなく、峰子さんは夫と離婚。
それからは、父・和夫さん(故人)、母・良惠さん(57)=副白ゆり長、
弟・友己さん(34)=男子部員=に支えられながら、懸命に
わが子を育ててきた。

それがー。「私が死んだら、あの子はどうなってしまうの、、、」。
ベッドのそばにいた母を前に、泣きじゃくった。
母は、峰子さんの手を取り、確信を込めて語った。

「あんたは今、最悪の状態なんやから、ここから、最高の状態に変えて
いくのが信心だよ!娘にその姿を見せてあげなきゃ!」
どんな苦難のなかも、師弟の道を真っすぐに歩み、題目根本に乗り越え
てきた母の言葉に、生命を揺さぶられた。

”その通りだ。愛華に、この信心のすごさを伝えていくために、
私は病と闘うんだ”峰子さんは愛華さんに語り掛けた。
「お母さんは絶対に生き抜いて、池田先生に”勝ちました”って報告
するから。私の闘う姿を見ていてね!」

抗がん剤・放射線治療が施された。副作用は想像を絶した。
吐き気や、体中がうずくような痛みが峰子さんを襲う。
死を予感するような苦しみ。そんな中、懸命に題目を唱え、命に刻む
御聖訓を何度も思い起こした。

「深く信ずる者は満月の闇夜を照らすが如し」
(御書1501ページ)

 2回につづく、 聖教新聞より

 入学の曲、子宮頸がんに挑む母をまとめました。
信仰体験 入学の曲、子宮頸がんに挑む母(1)
信仰体験 入学の曲、子宮頸がんに挑む母(2)

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信仰体験 入学の曲、子宮頸がんに挑む母(2)

子宮頸がんを乗り越えて.PNG
創価大学の満開の桜が、試練に耐えた家族を
祝福するかのように咲き薫る(左から母・峰子さん、
愛華さん、叔母・良惠さん)


信仰体験 入学の曲、子宮頸がんに挑む母(2)
負けじ魂受け継ぐ娘

強く優しい人に成長するね」


”どんな苦難の闇も信心の光で照らしてみせる!”。
峰子さんは希望を捨てなかった。

 愛華さんは会うたびに痩せていく母に、掛ける言葉が見つからない。
「お母さんは元気になるから、大丈夫だよ」気丈に振る舞う母の姿に、
胸が締め付けられる思いがした。

 病院から自宅に帰ると、愛華さんはご本尊に向かい、母の回復を真剣に
祈った。”どうか、お母さんを助けて下さい……”。
あふれる涙をぬぐいながら、題目を唱え続けた。

 治療を重ねる中、腫瘍マーカーの値は、10月末に8・9、11月に2・3
と、下降していく。
翌12年1月、医師が検査結果を携えて、病室にやってきた。

「中山さん!原発巣の細胞が死滅しましたよ!」
祈り抜いてきた瞬間の訪れに、感謝と喜びが止めどなくあふれた。
すぐに、愛華さんに電話をかけた。「よかったね、本当によかったね
……」。お互い、それ以上は言葉にならなかった。

 それから間もなく退院。13年2月の検査では、転移していた全ての
がん細胞の消滅が確認された。

 愛華さんの目には、病と闘い抜いた母の姿が、とびきりまぶしく映っ
ていた。そして”池田先生の創られた創価大学で学びたい”
と思うようになる。

 15年6月、受験を決意して臨んだ模擬試験ではE判定。
一時は諦めそうになったが、病床の身で母が語ってくれた池田SGI
会長の言葉を思い起こす。

「「失望」を「希望」に!「落胆」を「勇気」に!
「諦め」を「執念」に!何があってもへこたれず前へ前へ突き
進んでいく。その究極の力こそ、『絶対勝利』の信心である」

”つらくても、何があったとしても、前に進み続ける限り、
乗り越えられない苦難なんてないと教えてくれたお母さん。
私も、試練に負けない!”愛華さんは、唱題と勉学に粘り強く挑んだ。

 そして12月。愛華さんは創価大学の推薦入試に合格を果たす。
母子は、涙で顔をくしゃくしゃにして、喜びをかみしめ合った。

   ◇  ◇  ◇ 

「信心があれば、人生の悩みも苦しみも、
一挙になくなるというわけじゃありません」
 現在も半年に一度、検査に通い、がんとの闘いを続けている峰子さん。

「それでも、信心で、自分自身に負けないことの貴さを感じられたから
こそ、私たち家族のかけがえのない”今”があるんだって思います」
そんな母の姿に、創大生となった愛華さんが笑顔を向けた。

「お母さんの姿が私に勇気をくれた。今度は、私の番。
お母さんみたいな強く優しい人に成長するね!」
 (中部支社編集部発)

 おわり 聖教新聞より

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信仰体験 生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(1)

作田さん1.PNG
同志と共に使命に生きる作田さん(右から2人目)。「新たな勝利を
池田先生に報告していきます!」と元気よく


【埼玉県狭山市】病室のベッドの上で、作田景代(51)=広瀬台支部、
地区婦人部長=は、頬ををつたう涙も拭わず、紙面に見入っていた。
2007年(平成19年)1月10日付の本紙3面。本部幹部会に出席した
池田SGI会長が両腕を伸ばし、Vサインを掲げている。
”先生は、勝つんだ!と励ましてくださっている”。5日前にメスを
入れた体には、管が残り痛みが走る。
肝臓とリンパ節に転移した大腸がん(ステージ4)。
掲載された指導の一言一言が、病魔に揺れていた心のかじを切らせた。
作田さんはこの日、自身の大勝利へと出発をする。

信仰体験
この人生は勝つためにある!

「ああ埼玉の勝利見む」を抱いて

生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(1)

宿命転換を


そのスピーチは冒頭、こう始まった。
〈どこかではない。いつかではない。大事なのは、「今、ここ」である。
「今、ここ」にいる人々である〉
(以下、太字部分はスピーチの引用)

前年10月に病が見つかった。当時42歳。胃がんで亡くなった母の顔が
浮かぶ。母には高校の卒業式も見てもらえなかった。
”私も同じなんだ”発病の時期も母と重なった。

自身も母親となり、2人の子はまだ小学生。「おなかの病気で入院するね」
。がんとは言えなかった。「いつてらしゃい」と見送るランドセルの
背中が見えなくなると、静かな部屋におえつが響いた。

祈りに誓いを込めた新年勤行会。同志の掛けてくれる言葉が、
不安で押しつぶされそうになる心を支えた。
それまで現実味のなかった「宿命転換」の文字が胸に迫る。

”今こそ、その時!”スピーチに鼓舞され、SGI会長と共に進むと決めた。
〈戸田先生は、よくおっしゃっておられた。 勝つことは、明るく楽しい。
笑顔が美しい。負けることは、暗く苦しい。ゆえに人生は、断じて
勝たなければならない


腫瘍は手術で完全に切除できたと医師。とはいえ、再発・転移はあり得る。
5年生存率が示す数字には、未来をかき消される思いがした。
抗がん剤治療の苦痛は想像を超えた。

顔や爪の色は黒ずみ、鏡を見るのが怖くなった。副作用を重くみた医師は
2クール目で中断を告げた。

涙ながらに読んだSGI会長のスピーチの紙面を経机に置いた。
何度も何度も手に取った。抗がん剤が駄目なら、題目で勝てばいい。
作田さんの決意は、祈るほどに固まっていく。

その後、体力が回復すると、死の恐怖と対峙するように、
学会活動に励み抜いた。


もう一人の母

戸田先生は、婦人部に対して言われた。「真剣に、御本尊に
願い切りなさい。この簡単な原理が、皆、分からない。これが一番、
遠いようで、確実な早道になっていくからである」


かっては、信仰と聞いてもピンとこなかった。もう一人の母が変えてくれた。
作田さんが21歳の秋、父が再婚し、継母・角屋ユキ子さん(71)=
埼玉県飯能市在住、副白ゆり長=が生活に加わる。

「おばさん」と呼んだ。周囲も冷ややかに接した。
”明日には、出ていくかな”そう思って翌朝を迎えると、「母は決まって、
ケロリとしていた」。学会活動に徹し、題目を唱える背中が、その理由に
思えた。

叔母の介護もあり、母は疲れているはずなのに、笑顔が輝いて見えた。
ジャズダンスが趣味の作田さんにと、夜なべして衣装も縫ってくれた。
人のために動き回る母。いつしか「お母さん」と自然に口にしている
自分がいた。

「題目はすごいんだよ。心がきれいになるよ」。そう話す母から
数珠を渡された。なぜか安心感があり、持ち歩いた。
”お母さんみたいになりたい”作田さんは25歳で入会する。

  (2)につづく  (聖教新聞)
 まとめ
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生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(2)

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信仰体験 生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(2)

作田さん2.PNG
どんな時も支えてくれた父・角屋和久さん(左)母・
ユキ子さん(右)と共に。作田さんは、「日常の
何げないことに喜びを感じるようになりました」と


信仰体験
この人生は勝つためにある!

「ああ埼玉の勝利見む」を抱いて

生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン(2)


〈(人生の浮き沈みなどに)いちいち紛動される必要はない。
根本は信心である。前に向かって、未来に向かって、勝利にむかって、
南無妙法蓮華経と唱える自身の胸中に、すべての勝利は入っているのである〉

手術から1年を経た冬。がんとの闘病を、子どもに初めて話した。
「乗り越える自分を見せるため」。生き抜く覚悟の表れだった。
定期検診は、2週間に1度から、月に1度へ。

頻度は減っても、独特の緊張感はかえって増した。腹部に痛みがあれば、
病院への足取りは重くなった。検査日に急用ができたと言って断った日もある。
09年10月、医師が示した肝臓の画像に二つの陰影が写っていた。

帰宅するや、御本尊の前で肩を震わせた。直後、婦人部の会合があった。
生きる力を振り絞り、会場へ。誰にも言い出せず、隠し通した。
帰宅すると電話が鳴った。「泣き腫らした目だったから」先輩の優しさが
胸に染みた。

全てを伝えると、一緒に題目を唱え、病院へ付き添ってくれた。
精密検査の結果、がんはなかった。廊下で待っていた先輩と手を取り合った。
強くなれたと思う一方、ささいなことで弱い命が顔を出す。

その繰り返し。弱気が差し込んだ時、信じてくれる同志がいれば負けなかった。


感謝と報恩

〈師匠こそが、人生の中核であり背骨である〉

手術から3年が近づいた10年10月。埼玉県歌「広布の旗」の歌詞に、SGI会長が
加筆したことが発表された。最後の繰り返しの「ああ埼玉の楽土見む」が
「ああ埼玉の勝利見む」に。

”「埼玉の勝利」というのは、私自身が勝つことなんだ。一人一人の勝利を
先生は待っていてくださるんだ”「いかなる病さわりをなすべきや」
(御書1124ページ)の一節を証明しようと完治を目指した。

〈表面上、一時的には、たとえ解決していないようであっても、全部、いい方向
、正しい方向、幸福の方向、永遠性の幸の方向へ向かっていけるのが、
妙法の力である〉

先月、埼玉文化会館で行われた。「婦人部の日」を記念する大会。体験発表で
登壇した作田さんは、「こんなに元気になりました!」と両腕を高く伸ばし、
Vサインをつくって見せた。

病の発覚から、間もなく10年。夫と一緒に勝利をつかんできたこと。

長女・志帆さん=大学3年、女子学生部員=が高校時代の不登校を越え、
保育士の夢へと歩んでいること。信心に反発していた長男・将希さん(20)
=大学2年、学生部員=が今、「創価大学」のユニホームを着て箱根駅伝
を目指していること。

そして、限られた命への意識と、大病を砕く決意。この絶え間ない葛藤の
中で、「私は勝つために生まれてきた」と、言い切れる自分になれたこと 。

幸せをつかんだ母のVサインは、家族、同志、そして師匠へ  感謝と
報恩の思いが詰まっている。

 おわり  (聖教新聞)

 まとめ
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信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(1)

大田和子1.PNG
「体調はどうですか? 優しく包み込むように
「脊柱靭帯骨化症友の会」のメンバーに語り掛ける大田さん(左)。
病を経験したからこそ友に寄り添うことができる」


信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え

悩んでいる人を放っておけない


【石川県金沢市】大田和子(69)=池田支部、地区副婦人部長
(総白ゆり長兼任)=が、体に異変を感じたのは、1998年
(平成10年)の暮れのこと。病院で「後縦靭帯骨化症(OPLL)」
と診断された。
厚生労働省の指定難病である。重い病と向き合いながらも、
太田さんには、つかんだものがある、、、。

いよいよ

いつものように、洗い物をしていた。だが鍋を洗おうと右手持った
たわしが、うまく動かせない。翌日も、手から力が抜けていくようで
、包丁をしっかり握ることができなかった。

”おかしい、、、”知り合いの脳神経外科医の元へ急いだ。
CT,MRIによる検査の結果、思いも寄らぬ病名が告げられた。
「大田さん、後縦靭帯骨化症ですね。この病気は放っておいたら
どんどん悪くなるよ、、、」

背骨の中を縦に走る靭帯が、何らかの原因で骨化するという病だった。
発症すると、脊髄の通っている脊柱管が狭くなり、神経根を圧迫。
感覚障害や運動障害などの神経症状を引き起こすことが、
医師から説明された。

突然の難病の診断。しかし、大田さんがひるむことはなかった。
むしろ、心が燃え上がっていくような感覚を覚えた。
”いよいよ、私にも宿命を乗り越えなけらばいけない時がきたんだ”

そう思えたのは、この信心と巡り合えたからだった。


幸せとは

人知れず、苦労を重ねた半生だった。30歳で離婚を経験。
3人の子を養うため、昼は車の営業、夜は飲食店で、働きづめの日々を
送った。1986年(昭和61年)11月、当時、経営を任されたレストラン
の従業員から、仏法の話を聞いた。

「大田さん、今、幸せですか?」。婦人の問いかけに、すぐに「幸せです」
とは言い切れなかった。答えに窮していると、確信に満ちた言葉が
返ってきた。

「この信心は、必ず、幸せになれる信心なんですよ」
母子家庭での3人の子育ては大変だったが、かといって、特に悩んでいた
わけでもない。ただ、日常生活に充実感はなかった。

「半年間だけやってみます」。それが大田さんの答えだった。
"幸せとは" お金があって、楽な生活ができて、、、。
「最初はそんなことしか思い浮かばなかった」。

しかし、信心に励んでいくうち、その考えが違っていたことに気が付く。
「友人が人間関係で悩んでいて。何とかしたいんです」「家族が病と
戦っています。でも一緒に祈って、乗り越えるから見ていてください」。

創価学会の会合に参加すると、皆が、悩んでいる人のために真剣だった。
目の前の友を救いたい、どうにかしてあげたいと、同苦する友の姿が、
大田さんの目には輝いて見えた。

これまで、そんなことは考えもしなかった。誰かの面倒を見るのは
できるなら避けたい。そう思うのは当然だと感じていた。
”学会の人たちは違う。私も皆さんのようになりたい”。
そんな思いが、自然と湧き上がった。

御書を学び、「一人を大切に」との池田SGI会長の指針を心に刻んだ。
そして、仏法対話に、聖教拡大にと、大田さんは挑戦を貫く。
そうして祈り、戦い切った心の充実は、何物にも代え難いものとなった、、。

 第二つづく (聖教新聞、2016/09/30、Fri)

まとめ
信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(1)
信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(2)

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信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(2)

大田和子2.PNG
地域の同志と共に広布に歩む大田さん(中)。
「学会活動が元気の源です!」



信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え(2)

悩んでいる人を放っておけない

県の「脊柱靭帯骨化症友の会」会長として希望送る


形となり

99年3月。大きな手術を前にしても、不思議と不安はなかった。
病を乗り越えてきた、同志の顔が思い浮かんでいたからだ。
それが、何よりの励ましとなり、背中を押されているような
気がした。

後縦靭帯骨化症の手術は、脊髄が収まっている脊柱管を形作っている
椎弓を開いて広げ、神経の圧迫を取り除く方法(椎弓形成術)
が用いられることが多い。

だが、大田さんの場合、前方固定術と呼ばれる、難易度の高い手術が
施されることになった。首の前側を切開し、頚椎を構成している椎体と、
骨化している後縦靭帯が切除された。

そして椎体があった部分に人口骨を移植。難手術は成功した。
とはいえ、骨化により圧迫され、傷ついた神経根は簡単には回復しない。
痛みが和らぐまでには、5,6年の歳月を要する。

特に、寒さの厳しい冬場は、右手がしびれ、苦痛に顔をゆがめた。
一日も早く、自由に体が動くようにと徹して祈り、学会活動に励む
日々が続いた。

手術から1年が過ぎたある日。何げなく新聞を開くと、「脊柱靭帯骨化症
友の会」発足の記事が目に入った。大田さんは、近所で開かれていた
その集いに駆け付け、訴えた。

「私でよければ、お役に立てるかもしれません」この出会いがきっかけとなり、
「友の会」発足に携わるように。幹事として活動を始めると、
同じ病に苦しむ、多くの人との出会いが待っていた。悩んでいる人を
放っておくことはできなかった

”少しでも、不安や苦悩を取り除いてあげたい”と、活動に力が入った。
信心を始めたばかりのころ、”私も悩んでいる人のために!”
と誓ったことが、形となって身を結んだ。


”心の炎”

2013年、友の会の会長に就任した。東京の大学病院で行われる、厚生省
難治性疾患克服研究班の会議にも参加。さらに、2か月に1度、
会のメンバーとの交流の機会を設けている。

交流の場には大切なテーマがある。<話を聞いてくれる仲間がいる。
それだけで悩みは半減し、喜びは倍加。一人で悩まないで>。
病の症状や新たな治療薬について、貴重な情報交換の場ともなっている。

「元通りに体が動くかどうか、不安なんです」。メンバーから打ちあけられる
悩みを誠実に聞くことから始める。そしてその人の苦悩を心にとどめ、
共に病に立ち向かう思いで、日々の唱題に力を込める。

「私自身が一人一人のこと、真剣に祈らなきゃ!」一番の喜びは
「元気になった」「回復しました」というメンバーからの報告。
「この笑顔に出会えるから、困っている人がいれば、放つておけない。
力になりたいの」

入会から30年。病になり、経済苦に見舞われたこともあった。
だが、信心でともした、”励ましたい”という”心の炎”
が消えることはない。

「病気になったから、たくさんのことを学べました。人の痛みを、
少しでも分かろうとする自分に変われた。信心していなかったら、
こんな生き方はできなかったと思います。だから、燃え尽きるまで
頑張らなきゃ(笑い)」

悩める友のため、きょうも大田さんの全力の一日が始まる。

 おわり (聖教新聞、2016/09/30 Fri)

まとめ
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信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(1)

河村さん家族.PNG
家族と過ごす幸せな時(右から義母・組子さん、妻・正子さん、
河村さんと孫・瑛太ちゃん、長男・英徳さん、孫・彩希ちゃん、
長男の妻・満希子さん)

長女・山田さん.PNG
父の闘病中、付きっきりで看病に徹した長女・山田智江さん(右)。
「”題目第一”で広布に駆ける父を尊敬します」と。夫・拓哉さん
(左)、長男・広輝ちゃんと共に


信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(1)

蘇生の力証明したい

この命で恩返しの人生を


【山口県下関市】黄金色に輝く稲穂が一面に広がる実りの秋。
農業を営む、川村進さん(57)=清末支部、支部長=にとって、
幸せな瞬間だ。今年は例年以上の豊作だった。
5年前に患った「急性心筋梗塞」を乗り越えてからは、以前にも増して
、収穫の喜びをかみしめている、、、。


厳しい現実

2011年(平成23年)4月17日。その日、川村さんは親戚の家の近くまで、
ワカメ採りに出かけた。いつもは一人で行くのだが、この時は妻・
正子さん(55)=支部副婦人部長=も一緒だった。

時計の針が午後3時半を回る。帰宅しようと、車を走らせ、十数分が
過ぎた頃だった。突然、締め付けられるような胸の痛みに襲われた。
正子さんと運転を交代し、助手席に倒れ込んだ。

「お父さん!お父さん!」。妻がいくら呼び掛けても返事がない。
意識を失っていた。正子さんは、すぐさま病院へ車を走らせた。
約10分後、到着。「急性心筋梗塞」と告げられた。

心臓の左冠動脈の前下行枝に血栓ができ、血液が流れない状態に。
一刻を争った。直ちに心臓に電気ショックの処置が。
一回目。反応がない。二回目。それでも心臓は動かない。

”とにかく、生きていてほしい、、、”。正子さんは処置のため
脱がされた、夫のシャツを両手で握り締め、懸命に題目を送った。
三回目の電気ショック。心臓が再び、動き出した。

処置は続く。足の付け根にある動脈から、カテーテルが入れられ、
詰まった血管がステント(網状の金属)で押し広げられた。
手術は成功したが、医師から語られたのは厳しい現実だった。

「心停止により、脳に酸素が行き渡らない状態が長く続いていました。
後遺症が残ることを覚悟してください」
脳に損傷の進行が懸念され、すぐに脳低温療法(低体温に保つことで、
脳の代謝を抑制し、酸素消費量を減らす。その結果、神経細胞を
保護する)が行われた。

友のエール

治療から三日目、川村さんが意識を取り戻した。だが、その瞳は
一点を見つめたまま、言葉を発することもできない。
4月23日。川村さんの元へ、長女・山田智江さん(31)=さいたま市
岩槻区在住、副白ゆり長=が駆け込んできた。
「お父さん、これ見て!」

智江さんがデジタルカメラの再生ボタンを押す。
「支部長、頑張れ_!病魔に負けるな_!」
画面に映し出された動画には、こぶしを高く掲げ、エールを送る
支部の同志の姿が。

しかし、川村さんに反応はない。その後、回復を信じる家族の願いを
打ち砕くように、病状は悪化する。ベッドの上で突然、大声を上げ、
物を投げつけるように。

つなでいた数本の点滴を無理やり外してしまう。低酸素脳症による、
意識障害、記憶障害の症状が現われていた。
正子さんは、車中で苦しんでいた夫を思い起こした。

あの日、夫は無意識に「悔しい」と叫んでいた。毎日、1時間の
唱題を欠かさず、広布に駆けてきた夫のことを思った。
”お父さんは、元気になって、もう一度、広宣流布のために、
池田先生のために、戦いたいと思っている”

寝息を立てる川村さんの耳元で、家族は何度も題目を唱えた。
長男・英徳さん(29)=男子部副部長=は、「真実一切衆生・
色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(御書1170ページ)
の一節を繰り返し、父に聞かせた。

それは、「困難の壁を打ち破る”秘術”はこの題目しかない」と、
信心の先輩が教え、励ましてくれた一節だった。

 第二につづく (聖教新聞、2016/10/20)

 まとめ
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信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(2)

河村さんと仲間.PNG
「たくさんの同志の祈りのおかげで、今があります」
と河村さん(中央)


信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(2)

蘇生の力証明したい

この命で恩返しの人生を


もう一度!


5月3日。大きな変化が。見舞いに訪れた兄弟たちを前に、川村さんが
声を発した。「何であんたたちが、ここにおるん?」

「お父さん、しゃべれた!」。喜びが家族を包む。この日を境に
劇的な回復を見せ始めた。
1週間後。こぶしを突き上げた、自らの姿を動画に収めた。

”元気になって帰ります!”との決意を込めて。
同志への、精いっぱいの”返事だった。”リハビリは続いた。
「100引く7は?」「この動物の名前は?」

記憶障害により、簡単な計算ができなくなり、物の名前も
思い出せなかった。倒れる前の日から、川村さんの記憶は途絶えていた。
それでも、「南無妙法蓮華経」は忘れなかった。

振り絞るような声で題目を唱え続けた。あの日から、皆が懸命に回復を
祈ってくれたことを知った。池田SGI会長からの真心の伝言に
胸が熱くなった。師の指導を何度も読み返した。

<病によって、仏法を求める気持ちが強くなる。発心できる。
そして、宿命を転換していくことができる>
”もう一度、同志の皆さんと、先生と戦いたい”そう思うと、
力がみなぎった。

たぐり寄せるように記憶を取り戻し、読み書きや会話も少しずつ、
できるように。「妙とは蘇生の義なり」(947ページ)
の御聖訓を証明しようと、リハビりに熱が入った。

6月17日。たくさんの病院スタッフに見送られ、退院。
医師は「ここまで回復できたことは奇跡です」と舌を巻いた。

帰宅すると真っ先に田んぼへ向かった。緑色の苗が一面に広がる光景に
目を疑った。「河村さんのためなら」と、近所の農家が快く田植えを
買って出てくれたのだ。感謝しかなかった。

9月。稲刈りの日は河村家にとって、一年で最も大切なイベント。
病と闘ったこの年も、稲穂はしっかりと育ってくれた。
後遺症のため手足が震え、時間はかかったが、家族に支えられ、
収穫を終えることができた。

感謝の証し

”恩返しの人生を生きよう”と、地域で奮闘した。河村家は義母・
組子さん(83)=婦人部員=の代から続く畜産農家でもある。
かっては、「創価学会に入っとるんやったら、この地域から
出て行ってくれ」と心無い言葉を浴びたこともあった。

だが河村さんは、「地域の友を大切に」との師の言葉を胸に、地道な
交流を続けた。それが実を結び、自治会の会長として選出されるなど、
なくてはならない存在に。

11年から4年間、自治会役員として地域の友のために尽力した。
人に尽くす人生を、もう一度歩める喜びが、河村さんの心に溢れた。
自宅にある30畳の仏間、あの時、支部の同志がエールを送ってくれた
会場の一角に、毎日の聖教新聞が、きれいに整頓されていった。

「これね、病気をしてからの日課なんです。隅から隅までしっかり
読んだ後、一日の唱題の目標が完遂できたら、置くように
しているんです。妻にはあきれられとるんじゃけどね(笑い)。

”今日も明日も、先生のため、学会のために生きる人生を送ります”
って、誓いをこめて」と。「もう一度、頂いた命じゃから。
もっと恩返しをしないと。まだまだ人間革命の途中だからね」。

河村さんの背丈を超えるほど積み重なった新聞は、自身の”感謝と
決意の証し”だった。

 おわり (聖教新聞、2016/10/20)

 まとめ
信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(1)
信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って(2)

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ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇(1)

優麻さん2.PNG


ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇(1)

俺にしか救えない人がいる!


”宗教なんて、俺には必要ない。自分の力で、どうにでもなる”。
学会3世の鈴木優麻は、ずっとそう思い続けてきた。高校から始めた
ラグビーでは「花園」(全国大会)に出場し、東京代表にも選ばれた。

卒業後は美容専門学校に進み、国家試験に難なく合格。
2004年(平成16年)から美容師として、働き始めた。順風満帆。
自信しかなかった。”いよいよ、これからだ!”という時、優麻の体に
異変が生じる。

 06年8月。突然、倦怠感や歯茎の痛みに襲われた。総合病院で血液検査を
受けると、医師から想像もしない病名を告げられる。
「急性骨髄性白血病です。直ちに入院してください」。言葉を失った。
”うそだ、何で俺が、、、”。

病室で泣き崩れた。「大丈夫、絶対に治るから!」。母・和子さん(61)
=白ゆり長=の言葉も耳に入らないほど、絶望の淵に沈んだ。
その日から抗がん剤が始まった。「一日中、嵐の中で船に揺られてい
るような」目まいと吐き気。

 髪は抜け落ち、40度を超える高熱が続く。”もう、死を待つだけ
だ、、、”。いざ試練に直面した時、いかに自分が無力であるかを
思い知らされた。そんな優麻の元へ駆けつけてくれたのが、
男子部の部長だった。

 今まで家に訪ねて来ても、あまり相手にしてこなかった人。
それでも、先輩は見捨てなかった。「優麻は、願ってこうなって
いるんだよ。優麻もまだ知らない何千、何万もの人たちに、信心の
すごさを証明するために!」。

正直、意味不明だった。だが、単なる同情とは違う何かを感じた。
”俺にしか救えない人がいるのか、、、”優麻はベッドの上で、
初めて題目を唱え始めた。

    Ж

1優麻さん.jpg
「自宅で再現できるスタイル作り」をモットーに、幅広い知識と
高い技術で顧客に合った髪形を創り出す鈴木さん(左)


 病魔との一進一退の攻防は続いた。「治療開始から10ヶ月後には、
薬の効果がなくなります」と医師。骨髄移植のためのドナーを探すも、
優麻の白血球の型(HLA)に合致する人は、なかなか見つからない。

焦りが募る中、母が知人を介して会わせてくれたのが、吉沢健一朗さん
(39)=東京都豊島区在住、男子部ニュー・リーダー=だった。
優麻と同じ22歳で急性骨髄性白血病を患い、当時では症例数が
すくなかった「さい帯血移植」で病を克服。

06年2月に、本紙「体験ページ」に掲載された人だった。
「あの薬、本当につらいよね」。痛みを共感でき、同じ病を克服した
”生き証人”の存在が、どれほど大きな希望となったことか。

別れ際。「この信心って、本当にすごいよ」。何げなく放たれた一言が
、優麻の心に深く染み渡った。
”吉沢さんみたいに、誰かの希望になる自分になってみせる”。
その時から、優麻の祈りが変わった。それは同時に、自らの使命を
自覚した瞬間だった。

「青年よ、いかなる人生劇場においても、出演者たれ」 池田先生の
『人生抄』につづられた一節が、優麻の心を奮い立たせる。
”どんな苦しみだって、受けて立つ!御本尊のすごさを証明してやるんだ!”

 第2につづく (聖教新聞 2016/11/20 日)

まとめ
ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇(1)
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ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇(2)

優麻さん3.PNG
「decide(決心する)」と刻印したハサミを使い、
真剣勝負で仕事に臨む


ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇(1)
ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇(2)

俺にしか救えない人がいる!


 優麻は、吉沢さんと同じ「さい帯血移植」を受けることにした。
赤ちゃんのへその緒や胎盤に含まれる造血幹細胞を移植し、造血機能を
回復させる治療だ。だが移植後、移植片対宿主病(GVHD)を
発症した。

ドナーから提供された移植片が自身の身体を攻撃する。爪のはがれや
味覚異常、、、。1週間、全く目が見えなくもなった。
しかし、「自分でも驚くほど、心は悠々としていた」。

”この苦悩をまた誰かに語れる!劇の中で、こんな主人公がいたら、
おもしろいじゃん!”。死への恐怖は、完全に消え失せていた。

 「俺、創価学会の信仰があるから全然怖くないんです!」
優麻は病棟のラウンジで、自然と患者や看護師に仏法を語っていた。
聞く耳を持たない人もいたが、「語れること自体が幸せだった」。

07年6月、10ヶ月の入院を終え、退院。その後も、信仰の確信を」
語り歩いた。翌年、入院中に何度も見舞いに来てくれた親友が入会した。
「目の前で、優麻の蘇生劇を見てきたから」。
退院した時よりも、大きな喜びがあふれた。

   Ж

優麻さん4.PNG
地域の男子部の友と語り合う鈴木さん(右から2人目。左隣が、
昨年に入会した同じ美容室で働く佐藤陽一さん)


08年に職場復帰。さらなるステップアップを目指し、お世話になった店を
出ることを決意した。感謝の思いで学会活動に励む中、11年5月、
願った通りの美容室に就職が決まった。

 休職していた分、経験は乏しい。だからこそ、就業時間後であっても、
誰よりも遅くまで居残り練習に励んだ。対応した顧客には、その日の
うちに全員へ御礼の手紙を送るなど、誠意を尽くし抜いた。

 売り上げを順調に伸ばし、13年には店長に。同年、妻・麻紀さん(33)
=副白ゆり長=との結婚も実った。

 店はヘア、ネイル、アイラッシュなど、専任のスペシャリストが
在籍するトータルサロンとして人気を博し、指名客も増加。誠実を貫く
店長の姿に、昨年、スタイリストの一人が入会した。

 ”まだ見ぬ、何千、何万もの人たちへ希望を届けるために”、、、
自身の振る舞いで、優麻は生きる喜びを表現し続ける。


サイドストーリー
 「必ず使命がある子だ」。母・和子さんは、毎日寝る間を惜しんで
題目を唱え続けた。時にひるみそうになる心を支えたのは、同志の存在。
「私たちも、同じ心で祈っているからね」

 今振り返れば、全てが功徳だった。優麻が吉沢さんに出会えたこと。
転院する際、「1年待ちを覚悟」と言われながらも、即日に空きが
見つかったこと。そして何より、家族が信心で団結できたこと。
わが子の闘病は、一家を宿命転換の道に導く”宝の原点”となった。

本年9月、優麻と弟・真琴さん(28)=男子地区リーダー=が計画し、
家族を沖縄の石垣島へ連れて行った。妻や伯母も交えた、十数年ぶりの
家族旅行。「物や言葉で表すのは照れくさいから」と、精いっぱいの
感謝を込めて。

その思いを受けて母は、家族に広がる笑顔の輪の中でしみじみ感じた。
「今があるのは優麻のおかげだ。いきていてくれて、本当に
ありがとう」

すずき・ゆうま 1984年(昭和59年)生まれ、同年入会。東京都渋谷区
在住。22歳で急性骨髄性白血病を発症。闘病を経て、現在は東京都
品川区にある美容室「pursuit(パースィート)」の店長を務める。
桂冠会(男子部の美容師グループ)の東京第3総合委員長としても奮闘。
男子部部長。幸福支部。

ご意見、ご感想をお寄せください
turning@seikyo-np.jp

おわり(聖教新聞 2016/11/20 日)

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信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(1)

九度山町 1.PNG
和歌山が誇る柿を並べる溝端さん。病いに屈せず、命を燃やす


九度山町 茶屋店舗.PNG
九度山町に活気を広げる「真田いこい茶屋」


九度山町 茶屋.PNG
茶屋の店内は、いつも明るい笑い声にあふれる
(右側が溝端さん)


【和歌山県・九度山町】今年のNHK大河ドラマ「真田丸」が描いた
真田幸村(信繁)。彼が、14年の時を過ごした舞台、九度山町が今、
赤く染まっている。武具・旗を赤でそろえた名将になぞらえ、
商店の品も、たなびく旗も赤一色。
戦場では狙われやすい”赤備え”だが、赤を身にまとうことで、
”戦い”の腹を決めたという。幸村ゆかりの地で町おこしに取り組んで
いるのが溝端たえさん(68)=福光九度山支部、県副婦人部長。
16年間、がんと対峙し続けるとは思えないほど、穏やかな笑顔で
観光客をもてなしている。


信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(1)

生きるよろこび 赤備えの甲冑にも勝る「熱」と「炎」

環境に負けるものか!


夜明け前、数人の婦人が幸村グッズの並ぶ店に集まった。
慣れた手つきで、その日の予約弁当を作る。溝端さんは、自宅で塩漬けに
した山菜を調理して盛り付けた。

昼下がり、町のパンフレットを手にした団体客で店内はにぎわう。
ここは、「真田いこい茶屋」。古民家を再利用した休憩所で、「真田丸」
ブームに沸く町へやって来る人々を癒している。

真田家の家紋「六文銭」が描かれた制服を着たスタッフは、皆がボラン
ティアだ。「地元の誰よりも、九度山が大好き」と言う溝端さんは、
週2回、茶屋の当番に就く。気さくで飾らない人柄に、観光客からも
「また会いに来ます」と声が掛かる。「全国から多くの方がお見えになり
ますんで、そんな言葉に、こちらが元気をもろてます」と目を細める。

横顔は、数多い。月に1度、高齢者のために給食弁当を作って配る。
更生保護女性会では刑務所へ慰問し舞踊を舞い、保護司歴は10年、
公平委員としては総務大臣表彰も受けた。

 多岐にわたる活動を通し、「前から見ても、後ろから見ても、『創価
学会の溝端』として、胸を張れる自分でありたいんです」と。
その心は常に、師と共にある。

ーー生まれは、愛媛の山深い町。幼い頃から病弱だった。結核を患い、
将来を嘆いた1966年(昭和41年)、大阪で入会する。
本当の意味で信仰の火がついたのは、阪神甲子園球場での”雨の関西
文化祭”。

人文字を形作りながら、雨粒と涙が頬を伝った。72年、夫・信一さん
(74)=副本部長=の事業が傾き、多額の借金にあえぐ中、知人の紹介で
九度山へ。他宗の本山が近く、昔ながらの習慣も強い。

当時は、よそ者扱いされ、生活苦も続いた。御書の「忍辱の鎧を着て」
(502ページ)の一節を地でいく歳月。夫の土建会社の経営を手伝い、
債権者に頭を下げ、川のせせらぎを聞きながら、広布に走り回った。

81年11月、紀ノ川文化会館(当時)を初めて訪れた池田先生と出会いを
結ぶ。共に勤行・唱題をして、写真に納まった。
「紀ノ川が折伏で勝てるように祈りました」、、、

師の声が力強く響き、溝端さんの耳朶を打った。以来、常に体を突き動か
してきたのは、”どうやって地域の方に喜んでもらうか”との思い。
「自分の振る舞いで、創価学会の見方を変える。それが戦いでした。
胸の中に、『環境に負けるもんか!』っていう”熱”が、ずっと
あるんです」

信仰の旗を掲げた地道な開拓は、あらゆる人へ友好を広げた。
かつては怒鳴り声を上げた債権者さえ、子どもを連れ、自宅へ遊びに来る
間柄に変わった。

 第2につづく (聖教新聞 2016/12/17<土>)


 まとめ
信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(1)
信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(2)

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信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(2)

甲冑、いこい茶屋.PNG
溝端さん手作りの赤備えの甲冑。茶屋に飾られ、
試着もでき、喜ばれている


信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(2)

生きるよろこび 赤備えの甲冑にも勝る「熱」と「炎」

この赤が目に入らぬか


2000年(平成12年)顎下線がんとの闘いが始まる。リンパ節に及び、
舌を動かす神経にまで巻きついたがん細胞を切除と右顎の下から肩まで
手術の痕が残った。

放射線治療を終えると、舌が回りづらくなった。ピリピリと顔の神経が
痛む日も。人との会話がためらわれたが、再発の恐怖と一緒に、
唱題で押し流す。ただ地域のために、、、。

その一点を譲らず、貢献の足は止まらなかった。07年、肺への転移が
発覚する。がんはステージ4に。2度の手術によって、右肺の3分の2が
切除された。


 ”もう駄目かもしれない”。残された年月を初めて意識した。
唱題を重ねるうち、「寿命」という言葉より、「使命」の二文字が
浮かんだ。池田先生は綴った。

「人は限られた生を自覚するからこそ『よりよき人生』『より価値ある
人生』を真摯に求めることができる。文豪にあらずとも、誰でも
残せるものがある。『わが人生』という名の生命の軌跡。それは何ものにも
決して侵されない」

心が揺れる瞬間はある。それでも、「最後の最後まで」。
そう言い聞かせ、地域を駆け、日記を残す毎日を送った。

 翌年、行政による「真田いこい茶屋」の構想を知る。地域の女性たちと
呼び掛け合い、立ち上げに携わった。”空洞化が進む商店街と、高齢化
した町に元気を”と活動を始めた。

 時を同じくして、溝端さんは、幸村をイメージした赤備えの甲冑を
制作する。「九度山町住民クラブ」の活動の「手作り甲冑隊」。
体を採寸し、完成した甲冑を着て、地域行事を盛り上げた。

「日本一の兵(つわもの)」とうたわれた幸村の足跡。「その強さ、
命を懸けた姿に引かれるんです。私にとって、赤は勝利の色です」。
赤備えの甲冑に、病魔を蹴散らす気迫を託した。
「この赤が目に入らぬか」と、、、。
 
 肺の手術以来、坂の多い町の移動は、体にこたえる。それでも、
「九度山の歴史を伝える「まちなか語り部」として大好きな町を歩く。
観光客に名所を紹介しつつ、時折、息を切らし、闘病の事実も
赤裸々に話す。

地域に尽くす母の勢いは増すばかり。「池田先生が、どれほどの思いで
和歌山に来られ、今も広布に戦われているか。私も、この命ある限り、
先生にお応えする、、、その炎だけが燃えています」

 いこい茶屋の”元気な笑顔のおもてなし”は、地域活性化を促す
過疎対策のモデルとして、本年、「全国過疎地域自立促進連盟」の
会長賞を受賞した。

九度山町へ足を運べば、この町を愛する母たちの笑顔に迎えられ、
溝端さんの赤い甲冑が目に映る。


取材後記

会合の合間、車の運転中、いこい茶屋での休憩時間など、多忙な溝端さん
に付き添っての取材。一息ついた自宅では、地域貢献の証である数々の
賞状を見せてもらった。

今月も1枚増えたが、当の本人は「役所に取りに行くのが大変なんです」
と涼しげな顔。何よりの誇りは、40年以上にわたり、聖教新聞を
配り続けたこと。

山の移ろう色彩に四季を感じながら、時に、ぬかるんだ落ち葉に足を
取られ、時に、クモの巣を払いのけ、無冠の道を貫いてきた。
現在でも、朝は特別な時間という。

「起きて、命がある”今”を実感し、池田先生が配達員に寄せられる
思いをかみ締め、一日を出発しているんです」と。
かつて、池田先生が関西の女子部に贈った言葉がある。

「一生は夢 信心の炎のみが 実(じつ)」

毀誉褒貶などに目もくれず、ただ信念に生き抜く。病が体を侵そうとも、
笑顔の奥で、心は深紅に燃え上がる。
そんな溝端さんは今日、師の姿を胸に描き、新しく誕生する「紀ノ川
文化会館」の開館式へ向かう。 (光)

 おわり (聖教新聞 2016/12/17 〈土〉)

 まとめ
信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(1)
信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず(2)


「 07年、肺への転移が発覚する。がんはステージ4に。
2度の手術によって、右肺の3分の2が切除された。」
とあります。

「がんはステージ4に」ステージ4といえば、「後、
何か月、後、何年の生存率だと知らされる」

大半の人達がこの知らせに負けてしまう。というか、
戦うすべを知らない。もし、知っていたとしても、
この危機を乗り越えるには、それ相応の覚悟がいる。

溝端さんは16年間、がんと対峙し続けられた、
すごい!覚悟の人生、尊敬しますし、感動します。

体験談の中に、「気さくで飾らない人柄に、観光客からも
「また会いに来ます」と声が掛かる」と、ありますが、
本当にそれくらい魅力ある人柄だと思われます。

そんな人柄が偲ばれる。

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信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)

緑内障と闘う1.PNG
田澤さんの出勤は朝早い。左手に白杖、かばんを
たすき掛けにして、さっそうと会社に向かう


信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)

悩みも苦しみも朗らかに
 乗り越えて


師匠と共に生きる幸せ


【兵庫県宝塚市】田澤彰浩さん(56)=宝塚旭日支部、副本部長=
の右目は、ほぼ視力を失っている。左目も極めて視野が狭く、出歩くには
白杖が必要だ。40歳を目前にしての緑内障の発症。

”もう働けない……”と何度、失意に暮れたことか。だが、全ての困難を
乗り越え、今も大手食品メーカーで、「品質保証」の重要な仕事を
担っている。


トップを走れ

 入社当初は、誰もが認める「ダメ社員」だった。大学の農学部を卒業し、
品質管理など理系の仕事を希望していたのに、配属先は営業部。
地獄のような毎日だった。

ストレスは体に表れ、持病のぜんそくやアトピー性皮膚炎が悪化。
顔は黒い斑点と湿疹だらけ。肝炎も患い、慢性的な頭痛と倦怠感に
苛まれた。

当然、営業成績は振るわない。”どうせ、結婚も出世もできない”と、
心は諦めと嘆きばかり。「あの頃は、”笑う”ことさえ忘れていました」
対照的に隣の席で、いつも笑顔で、はつらつと仕事をこなす同僚がいた。

聞くと、創価学会員だという。本部幹部会の中継行事に誘われた。
”どんな人でも、絶対に、幸せになれる力を持っている。だから、
負けてはいけない!”

池田SGI会長の力強い声に、心が温かくなる気がした。ユーモアを
交えたスピーチに引き込まれ、何年かぶりに、心の底から笑っていた。
”この人に付いていこう”。1990年(平成2年)に入会。

人生が一変する。生命力があふれ、毎日が楽しくなった。次第に病状も
回復。信仰の確信を深め、さらに学会活動に励むと、職場も「品質保証部」
へ移動。

妻の登代子さん=地区副婦人部長=との結婚も決まり、順風満帆だった
95年1月17日、阪神・淡路大震災に見舞われた。
当時、住んでいた西宮市も甚大な被害だった。

約一カ月間、地元・西宮文化会館で寝泊まりし、救援活動に奔走する。
同年9月には、男子部の本部長に。 家を失い、生活に困窮するメンバーに
懸命に寄り添い、励まし続けた。無我夢中だった。

共に泣き、共に祈り、共に立ち上がり、折伏にも挑んだ。
忘れもしない1年後の5月19日。戦い切って迎えた創価西宮県男子部の会合に
SGI会長が和歌を贈ってくれたのだ。

「悩みをも また苦しみも 乗り越えて 朗らか選手と トップを走れや」
。この歌は、田澤さんの”不屈の魂”の源となった。

会社のお荷物

学会の圏男子部長だった2000年、突然、目がかすみ始めた。
症状は一向に治まらず、近くの眼科を受診する。「緑内障」、、、
右目の視神経が異常を来し、元には戻らない。

このままでは失明する。医師の説明にがくぜんとした。「病気も心配
でしたが、男子部の活動ができないことの方が申し訳なかった」
手術し、失明だけは食い止めたが、右目の視力をほぼ失った。

治療のため、仕事も休まざるを得ず、職場に戻っても、視力障害により、
できる仕事は限られた。「田澤なんて、会社のお荷物や!」。
そんな心ない言葉も耳にした。

社会で実証を示せないことが情けなかった。”俺に何の価値があるのか、、、”
。心の支えになったのは、同志の励まし。「真面目に学会活動して
きたんだから、必ず意味がある。今は自分を磨く時なんだ」

歯を食いしばり、仕事に向かった。唱題を重ね、病状が安定すると、
学会活動にも励んだ。だが01年1月、今度は、見えていた左目が網膜剥離に。
手術で失明は免れたものの、左目の視野も大幅に狭くなった。

その後は再び、自宅で療養生活。そんなある日、会社から突然の電話が。
どういうわけか、「夫婦で来てほしい」とのこと。”ついにクビか”
と覚悟する。ところが、上司の言葉は意外なものだった。

「田澤さんには、これまでの経験を生かして、さらに会社に貢献してほしい。
ハンディについては、会社がフォローします」
親身に考え、自分を必要としてくれる上司の思いに涙が出た。

「絶対に恩返しをしたい!」。以前から勧められていた管理職試験に
挑むことに。だが、参考書を読むにも、大きなルーペを使い、かっての
何倍もの時間がかかった。登代子さんに代わりに読んでもらい、
夫婦二人三脚で勉強した。

試験は見事に合格。02年4月、ついに管理職に昇格した。

次につづく
『聖教新聞 2016/10/27(木)』

まとめ
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

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信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

緑内障と闘う2.PNG
地区総会で、一人娘の輝彰(あきら)さんがピアノ演奏。
田澤さん一家の笑顔は、地域の希望でもある
(左から田澤さん、長女・輝彰さん、妻・登代子さん)


信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

悩みも苦しみも朗らかに
 乗り越えて


師匠と共に生きる幸せ

失明の恐怖に


 田澤さんが所属する「品質保証部」は、品質保証の仕組みづくりや、
適切な運営のチェック、改善提案などを行う部署。いわば、安心安全を
掲げる食品メーカーの生命線。

しかも、田澤さんが管理職になった頃から、とりわけ重責を担うよう
になる。02年、食品偽装問題が次々と発覚。食品業界は窮地に陥る。
問題のないメーカーまで、消費者からの厳しい目にさらされた。

 田澤さんも、その対策に追われた。会社は、社内の品質保証体制を
強化するため、11年、「内部統制課」を新設。田澤さんが課長に
抜てきされ、グループ会社も含めた全ての従業員に分かりやすい、
社内表示基準の策定などを手掛けることになった。

 しかし、またしても、目の病が、、、。課長就任を目前にした同年3月、
今度は、左目に緑内障が発症。網膜剥離を起こした後の緑内障は、
手術成功の確率が低くなる。

 失明の恐怖が再び、心に重くのしかかった。「さすがに、もう
ダメだ、、、」。立ち上がる気力さえなかった。くじけかけた心を
持ち上げ、ありのままの真情を、SGI会長への手紙に記した。

「苦しいですが、頑張ります」手術は無事に終わったが、結果は1カ月を
経ないと分からない。術後の視界は、真っ白に濁り、何も見えなかった。
そんな時、SGI会長からの励ましの伝言が届く。

”先生が勝利を待ってくださっている。絶対に治してみせる!”
心に赤々と闘魂が燃えた。見えない御本尊に向かい、題目を唱え続けた。
2週間が過ぎた頃、白濁していた視界に、一筋の文字が黒く浮かぶ。

「南無妙法蓮華経」勝った!御本尊が見える!視力の低下は最小限に
抑えられ、3か月後、職場復帰を果たす。以来5年間、優秀な部下たちに
支えられ、課長職を全うし、現在は一管理職として部署をもり立てる。

 この先また、病に侵されるかもしれない。いつ失明するか分からない。
だが、「もう何も恐れません。今は、家族や部下など、周りへの
感謝しかないんです」と。

 悩みも苦しみも全て乗り越え、田澤さんは今、師匠と共に生きる幸せを
実感している。

 おわり 『聖教新聞 2016/10/27(木)』

まとめ
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

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進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(1)


ステージ4 1.PNG
「試練のおかげで信心を深めることができました」。
病を機に一家で6世帯の弘教を(左から夫・隆さん、
次女・未江さん、藤原さん、長女・一乃さんと孫・
一心君、長女の夫・聡さん)


信仰体験 進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(1)

 生きるよろこび 「もう一度、頂いた命」
使命果たし抜く

 9ヵ月間続いた血尿、胃の毛細血管出血…

度重なる病に屈せず


【大阪市旭区】肝転移の胃がん、9ヵ月間続いた血尿、胃の毛細血管
からの出血……。藤原裕香さん(66)=旭南支部、支部副婦人部長
(白ゆり長兼任)=は、次々と襲い来る病魔に苦しめられながらも、
諦めることなく祈り続けた。
 それは「誓願の題目」だった。今、思う。「降りかかった宿命との
闘いは、大切なことを教えてくれた」と……。


 題目がある!

〈2000年)(平成12年)3月末。藤原さんは、突然の体調不良に見舞われ
た。病院で精密検査を重ねた結果、すぐに入院するよう、医師から
告げられる。
 夫・隆さん(66)=壮年部員=は、医師から妻の病状を知らされていた。
 進行性の胃がんで、肝臓にも転移しており、「余命は3ヶ月」という
ことを。家族は「告知しない」と決めた。
 5月中旬、手術で胃の3分の2、腫瘍を含む肝臓の一部と、胆のうを摘出。
周辺のリンパ節も切除された〉  


 手術の前日。自宅では、私のために、夫と娘たち〈長女・谷崎一乃さん
(39)=婦人部グループ長、次女・未江さん=女子部副本部長〉で、
ずっと題目を送ってくれていたと聞いて、胸がいっぱいになりました。
それまで学会活動に消極的だった家族が、真剣に祈ってくれたんです。

 まさか自分が「がん」だとは、思いもしなかったので、手術を終える
と、胸をなで下ろしました。でも、ここからでした。本当の闘いは。

 食事をしても、薬を飲んでも、吐いてしまう。2ヶ月で12キロ、
体重が落ちました。今思えば、抗がん剤の副作用でした。

 体は重苦しい。”頑張ろう”という心まで奪われるようで、何をする
にも力が出ない。いつまで、こんな苦しい思いをせなあかんの……。
ただ、ぼうぜんと病室の天井を見つめていました。

 退院後も、7週間にわたり、抗がん剤治療は続きました。支えてもらわ
ないと、一人で立ち上がることもできません。

 申し訳なさ不甲斐なさ。つらい。苦しい。この気持ちを分かっては
もらえない。そう思い込み、家族にあたったこともありました。

 ある日、未江が、いつになく真剣な表情で励ましてくれたんです。
「題目あげたら元気になるのと違うの?お母さんはいつも、そうしてたよ
。一緒に唱題しよう!」

 思わず息をのむ程、はっとさせられました。そうや。私には、御本尊が
ある。信心がある!

 分かっていたつもりだったのに……娘が気付かせてくれた。
ここから、題目闘争が始まりました。

 『聖教新聞 2017/04/09(日)』

 第2につづく

 まとめ
進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(1)
進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(2)

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進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(2)

ステージ4 2.PNG
同志と共に学会活動に励むことができる
幸せな時(右から2人目が藤原さん)


信仰体験 進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(2)

 生きるよろこび 「もう一度、頂いた命」
使命果たし抜く

 9ヵ月間続いた血尿、胃の毛細血管出血…

度重なる病に屈せず


 負けたくない


〈点滴と飲み薬による抗がん剤治療。その副作用は容赦なく
藤原さんの体をむしばみ続けた。
 まるで真っ暗な闇の中を、さまよっているような感覚だった。
一条の光を探し出すように、懸命に唱題は続けられた。
藤原さんは、祈るほどに生命力が湧き上がるのを感じた〉


 唱題すると言っても、初めのうちは、呼吸が苦しくて、なかなか
言葉が出ません。声にならない声で祈っていると、池田先生の顔が
浮かぶんです。

”先生にこれまで教えていただいたことを今、実践しなくてどうするの。
何のために、今まで信心してきたの”って。

 強く込めた思いがあります。”元気になってもう一度、広布のために
、先生と一緒に、同志の皆さんと一緒に戦いたい。使命を果たさせて
ください”。それは私の誓願でした。

 5分、10分、1時間。少しずつ、題目の時間が長くなっていきました。
「南無妙法蓮華経は獅子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」
(御書1124ページ)。この御文を生命に刻み付けるように、御本尊様に
向かい続けました。

 治療が終わりに近づいた頃、夫から「がん」であることを教えられ
ました。

 もちろんショックでした。「余命」まで告げられていたなんて。
でも、私はまだ生きている。ここで負けたらあかん。そう思えたんです。
功徳でした。

 弱い生命では、「がん」の告知を受け止めきれなかった。
祈って祈って、心が強くなっていたからこそ、病に立ち向かおうと、
生命が呼応したのだと思います。

 1年、2年……5年が経過しても、医師からは「藤原さんの場合は、
7年まで様子をみましょう」と。

 再発。常にその恐怖と隣り合わせでした。でも、何があっても負けたく
はなかった。”だって私には、まだ果たさなければいけない誓いがあるん
やから”と。

そして、ついに、再発せず、治療から7年を迎えることができたのです。


日常に感謝

 〈09年9月、突然、血尿が。病院で詳しく検査したが、原因は分からな
かった。ワインのような血尿は9ヵ月もの間、続いた。
 4年後の13年には、胃の毛細血管から出血。血液検査の結果、赤血球数、
血液素量の値は、通常の三分の一程しかなかった〉


 まだまだ試練の山があったんですね。でも、不思議です。もう一度、
乗り越えよう!そう決めて祈った瞬間から、飛び上がりたくなるように、
生命が躍動するのが分かるんです。

宿命に立ち向かうには、広布の戦いに徹するしかない。この一心でした。
あの「がん」を乗り越えたんや。絶対に大丈夫。そう言い聞かせて。

 緊急の手術が行われ、輸血によって、一命を取り留めることができ
ました。「もう少し遅かったら、取り返しがつかなかったかもしれない」
。医者の言葉を聞いた時、”勝った!”と心の中で叫びました。

「がん」が分かった時、余命3ヶ月と言われた私です。ここまで、命を
永らえることができました。だから、”おまけのような人生”って
思っているの(笑い)。ありがたい、おまけです。

もう一度、頂いた命。今度は使命を果たしていかなあかん。
そう決意する毎日です。

 毎朝、勤行する時、”今日も御本尊様の前に座らせていただくことが
できました”と感謝。ふさぎ込んでしまいそうな私に、
”負けない人生を”と励まし続けてくださった。
池田先生と奥様に感謝。そこから私の一日は始まります。

「藤原さん、いつも元気やねー」と言ってくださる同志の皆さんと
笑い合える日々。そんな日常も、当たり前じゃないんですよね。
ありがたい一日一日です。

 縁する人、皆さんの幸せのために祈り、広布の対話に動いていくこと。
これが私に与えられた使命だと思っています。

 だから、私が頂いた人生、命が燃え尽きるまで、もっともっと
輝かせていかないと!

 『聖教新聞 2017/04/09(日)』

 おわり

 まとめ
進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(1)
進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(2)

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 病気・闘病体験 まとめ(1)


胃がん ステージ4.PNG

胃がん・ステージ4
進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)

緑内障と闘う1.PNG
田澤さんの出勤は朝早い。左手に白杖、かばんを
たすき掛けにして、さっそうと会社に向かう

 病気・闘病体験 緑内障
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職

九度山町 1.PNG
和歌山が誇る柿を並べる溝端さん。病いに屈せず、命を燃やす

 病気・闘病体験 顎下線がん
信仰体験 真田幸村ゆかりの地でがんに臆さず

優麻さん2.PNG
病気・闘病体験 急性骨髄性白血病
ターニングポイント 急性骨髄性白血病からの蘇生劇

河村さん家族.PNG
家族と過ごす幸せな時(右から義母・組子さん、妻・正子さん、
河村さんと孫・瑛太ちゃん、長男・英徳さん、孫・彩希ちゃん、
長男の妻・満希子さん)
 病気・闘病体験 急性心筋梗塞
信仰体験 生きる喜び 「急性心筋梗塞」と闘って

大田和子1.PNG
「体調はどうですか? 優しく包み込むように
「脊柱靭帯骨化症友の会」のメンバーに語り掛ける大田さん(左)。
病を経験したからこそ友に寄り添うことができる」
 病気・闘病体験 後縦靭帯骨化症
信仰体験、後縦靭帯骨化症(OPLL)を乗り越え

作田さん2.PNG
どんな時も支えてくれた父・角屋和久さん(左)母・
ユキ子さん(右)と共に。作田さんは、「日常の
何げないことに喜びを感じるようになりました」と
 病気・闘病体験 大腸がん(ステージ4)
生きる喜び 大腸がん(ステージ4)を制したVサイン

子宮頸がんを乗り越えて.PNG
創価大学の満開の桜が、試練に耐えた家族を祝福するかのように咲き薫る(左から母・峰子さん、愛華さん、叔母・良惠さん)
 病気・闘病体験 子宮頸がん
信仰体験 入学の曲、子宮頸がんに挑む母


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