世界の体験プラザ - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

「世界」の体験プラザ フランクフルト郊外で開業する内科医(1)

ドイツ 開業医.PNG


「世界」の体験プラザ フランクフルト郊外で開業する内科医(1)

ドイツSGIザビーネ・ゲアラッハ・リューデケさん

一人一人の患者にを込めて

「素晴らしい平和運動があるのよ」22歳の医学生、ザビーネ・ゲアラッハ
・リューデケさんは友人から声を掛けられた。平和運動には自分も熱心に
関わっていた。反原発、反戦などの平和デモに参加するなど、
「世の中を良くしたい」との思いが強かった。

翌年、誘われて初めて出席した会合が、ドイツのSGI(創価学会
インタナショナル)の”平和総会”。深く心を打たれた。
「今でも思い出すと、泣きそうになるくらい、素晴らしい集いでした」
と言う。家族のような暖かな出迎えと会場の雰囲気。

とりわけ、苦難と戦う重い内容にもかかわらず、明るく希望に満ちていた
体験発表が、心に響いた。友人には内緒で、経本、数珠を求め、一人で
勤行を覚えた。

「まず自分で、しっかりやってみて、”私、やる”と、友人に言える確信を
つかみたかったのです」なぜ、仏法との出会いが、そんなに鮮烈だったのか。
一番の理由は彼女の生い立ちにあった。

なぜ、仏法との出会いが、そんなに鮮烈だったのか。一番の理由は彼女の
生い立ちにあった。「自分は望まれて生まれた子ではない」という意識が、
心に染み付いていた。すでに関係が冷え切っていた両親の間に生まれた
ことが、後で分かった。

やがて両親は離婚。姉は父の方に、5歳の自分は母のもとに。
生活のため、夜もレストランで働く母の帰りを、一人我が家でじっと
待った。でも、厳しい母の態度に「母に愛されていない」とも思いこんだ。

学校ではおとなしいいい子。その心は暗い寂しさでいっぱい。
”温かな家族”を感じることなく成長した。小学4年のある日、担任の
先生が励ましてくれた。

「ザビーネ、あなたは良い子なのですよ」。その言葉が、ずっと、希望の
光になった。母を説得し、自分を進学コースに進めるようにしてくれた
のも、その先生。運命を変えてくれた人だった。

  10年越しで夫が入会へ

今また、人生が変わる転機を、仏法に感じていた。2か月間、教義も知ら
ないまま祈りを重ねるうちに、心に長年、巣くっていた”暗さ”が晴れて
いった。

「それまでは、自分の価値を信じられますせんでした。大切な存在では
ない、と。それが自分にも大きな可能性と価値がある、と思えるように
なったのです」

「幸せになりたい。自分を変えなくては」と思う。「でも、幸せになる
ために、特別なことはいらないのでは。このままの自分でいいのでは」
とも思えた。

2か月後、その実感を友人に語ると、心から喜んでくれた。一緒に唱題。
「その時、自分の中の重い石が砕けたように感じました」
仏法を学び、最高に価値ある自分の存在を、法理の上から、納得できた。

信仰活動に真剣に取り組み、83年、ご本尊を受持した。そのころに結成
された白蓮グループの活動にも参加。たくさんの活動の目標に挑戦
しながら、人生上の目標に取り組み、実証を示していった。

「今まで、願ったことは全て実現したと言えます」と、ゲアラッハ・
リューデケさんは、断言する。アルバイトで生活をやりくりしながら、
医学部の学業を全うし、心臓病棟の医師としてスタートできた。

結婚し、子供も授かった。長い間、祈ってきた夫の入会も、
10年越しで実現した。一方、女性医師として、2人の幼子を抱えながらの
病院勤務は過酷だった。夜間や休日の勤務もある。

夫も飛行機のパーサーで、留守がち。そうした状況を打開するためにも、
独立開業を祈った。92年、フランクフルト郊外に診療所を開設すること
ができた。

当時、法的規制が厳しく、開業が難しい中でのこと。「これも信心の目標
として、勝ち取ったもので、功徳としか言いようのないことでした」

開業する内科医.PNG
ゲアラッハ・リューデケさんの診療所がはいった建物


パート 2次回に続く 聖教新聞より

 まとめ
「世界」の体験プラザ フランクフルト郊外で開業する内科医(1)
「世界」の体験プラザ フランクフルト郊外で開業する内科医(2)

トップページヘ



posted by mity504 at 16:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

「世界」の体験プラザ フランクフルト郊外で開業する内科医(2)

ドイツ 開業医 1.PNG
支部のメンバーと。
(前列中央がゲアラッハ・リューデケさん)


「世界」の体験プラザ フランクフルト郊外で開業する内科医(2)

仏法で学んだ生命観で診療に全力

一家和楽の喜びかみしめ


33年目に入る医師生活で誤診によるトラブルが、一件もない、という。
「毎日、130人ほどの患者さんを診ます。人の命を助ける仕事。
失敗は許されないという緊張感が常にあります。

そのためにも、朝晩の勤行で、自分としっかり対峙することが大切なの
です。」もちろん、患者に直接、仏法対話をすることはないが、仏法で
学んだ生命観で、死に直面している患者を激励することがあるという。

「短い時間でも、心をこめて、深い関わりをつくることができているのは、
信心のおかげです」自分自身、病に苦しんだことも。開業して間もない
ころ、幻聴のようなひどい耳鳴りが。

夜、眠れない。診察に集中できない。それは、人の命を預かる医師に
とって、”致命的”なこと。「絶対に完治させる」との思いで克服した。
ひどい腎臓結石で4週間入院したこともある。

「一つの問題を解決するまで、題目をあげきることの大切さをあらためて
経験しました」自分の両親だけでなく、親族の中には離婚が多い。
その”宿命”を変えたかった。そのためにも”一家和楽”の家庭を願い、
夫の入会を祈ったのだった。

夫は欠かさず朝晩の勤行を実践している。うれしいことに、医大を卒業す
る長女が母の診療所で働いてくれることになった。
長男は営業マンとして活躍。「親として、子供の幸せ以上の願いは
あるでしょうか」と、家族を愛する喜びをかみしめる日々だ。

56歳。支部副婦人部長、そしてドイツSGIドクター・グループの
責任者の一人、

ゲアラッハ・リューデケさんは30余年の信仰を振り返って言う。
「信仰の何よりの功徳は”安心感”を得たこと。学会の中で、
”家族の温かさ”に包まれていることです。

仏法は私の身体も、心も、癒してくれたのです。
この仏法に出会えた奇跡に、心から感謝します!」

 おわり 聖教新聞より

 まとめ
「世界」の体験プラザ フランクフルト郊外で開業する内科医(1)
「世界」の体験プラザ フランクフルト郊外で開業する内科医(2)

トップページヘ

フランクフルト郊外で開業する内科医、掲載終えて思うこと

ゲアラッハ・リューデケさんは記事でも分かるように
ドイツSGIに巡り合って、素直に実践され、結果を出されています。
いや、それどころか入信する前から実践されています。

しかし、入会さえすれば、誰でもいい結果出せるのかといえば、
それは違います。入会しても、何もしなければ、入会依然と同じです。

教義を学び、指導を実践しなければ、結果は出ません。
一般の道理と同じように道理です。そこを知って欲しいです。

ゲアラッハ・リューデケさんは最後に
「この仏法に出会えた奇跡に、心から感謝します!」と。

この一連の記事を見ても分かるように彼女は心根が「すなお」
なんですね。物を教わるに「すなお」さは、とても 大事です。
屁理屈はこねず、素直に実践する人は伸びます。

記事は終わっても彼女たちの生活はドイツ、フランクフルト郊外で
現在も営まれています。幸あれ、と願いたい。

この記事は聖教新聞の掲載”体験談”を書きとったものです。
コピぺではありません。一般紙からパソコンにコピーなんて、
できませんから。

トップページヘ


posted by mity504 at 16:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ プロのバレエダンサーとして活躍 (1)

だにえれさん.PNG
「カルメン」のエスカミーリョ役を演じるロメオさん


世界の体験プラザ プロのバレエダンサーとして活躍 (1)

仏法の実践で”本当の自分”輝かす

圧倒的無力感からの再起


「残念だが、君はもうここにはいられない。君は身体が弱すぎて、ダンサー
として成功できないよ」

尊敬する芸術監督の言葉に、自分の耳を疑った。ドイツの名門バレエ学校
の門をたたいたものの、たった数か月で膝を故障し、試験で落第。
描いていたプロのバレエダンサーへの夢が、音を立てて崩れていった。

故郷のイタリアへ。失意の中で頭をよぎったのは、以前、親友の女性が
真剣に語ってくれた宗教の話だった。

確か書籍をもらっていたはず………。懸命に探し、手にしたのは
イタリアSGI(創価学会インタナショナル)が出版した仏法の入門書。
気づくと、どんな困難も乗り越える力が自身の中にあるとの
理念に魅了され、夢中になってページをめくっていた。

 親友が一度、どう唱題するか教えてくれたことがあったので、
一人で試してみることに。発したことのない南無妙法蓮華経の音律に、
最初は違和感を抱いたが、次第に心が軽くなっていくのを感じた。

すぐに親友に電話。「君の言った通り、熱いものが体の芯から
こみあげてくるのを感じたよ!」

「よかったわね。無理せずに続けてみて。唱えたいと思う時に
唱えるのよ。ただ唱題する時は、しっかり意識を集中してね」

2008年2月のこと。ダニエレ・ロメオさんは、圧倒的な無力感から
立ち直るため、SGIの仏法を実践し始めた。19歳の時だった。

 膝の故障と向き合いながら、別の学校への入学を目指した。
自身の心に巣くう恐怖を克服したいと、毎日、壁に向かって、題目を
唱える。祈るほどに、「必ずやり直せる」と強く思えるように。

 そして数週間後、スイスのバレエ学校のオーデションに合格し、
再びプロを目指すことになった。

「この信仰が、新たな挑戦の勇気を与えてくれました。バレエダンサーの
夢を再び追いかけられるようになったことが、私の最初の功徳でした」

SGIの友と.PNG
SGIの友と。前列左端がロメオさん

 
自身の中に無限の可能性

 ロメオさんは1988年、イタリア・トリノ市に生まれ。10歳でフラメンコ
を始め、14歳からバレエを。早いスタートでは決してなかった。

 幼いころから、人懐っこい性格。だが逆に人から嫌われることを極端に
恐れた。11歳でパニック障害に。誰とも会いたくなく、ただ踊ることだけが
心のよりどころだった。

精神分析医の助けで、少しずつ恐怖をコントロールできるようになって
いったが、仏法に出会うまで、心を覆う霧が晴れることはなかった。

「どこかにではなく自分の生命の中に無限の可能性が具わっている。
この信心で、その力を最大限に引き出せば、周囲も同じように
尊敬していける。

仏法の実戦を始めてからは、何があっても揺るがない「本当の自分」を
必ず輝かせていけると、確信するようになりました」

 スイスのバレエ学校に通いつつ、SGIの会合にも積極的に参加して
いった。

 2009年10月、晴れて御本尊を受持。それまでは、同居人を気遣って、
パルコニーで空にむかって唱題を。早朝からの厳しい練習が終わると、
「御本尊の前で皆と一緒に祈りたい」と、勇んで会合に駆け付けた。

バレエ学校では、「君はもう若くないから、もっと練習しないと……」
と何度も言われた。けがも完全に治ったわけではない。劣等感、
けがの恐怖との闘い。

だからこそ自身の強みを伸ばそうと、誰よりも早くダンスを覚えるよう
努めた。題目を唱え、池田SGI会長の著作を研さんすることが、
心の支えだった。

 11年6月、優秀な成績でバレエ学校を卒業。ただ就職は容易では
なかった。ヨーロッパ中を回り、30以上のオーディションを受けたが、
立て続けに不合格。

両親すら諦めかけていたが、「自分には御本尊がある」と一歩も
引かずに挑戦し続けた。

 同年の年の瀬。ドイツ南部にあるウルム劇場のオーディションに臨む。
体の調子が優れず試験前半の結果は芳しくなかったが、後半、その場で
すぐに振り付けを覚える試験では緊張せずに全力を発揮。
その”即応力”が評価され10日後、晴れて採用の通知が届いた。

「学会活動で、自身の弱い心に負けない強さを持てるようになりました。
全ての困難は、宿命転換のスピードを加速させる最高のチャンスなのだと、
今は思えます」

第2回へつづく 『聖教新聞 2016/04/04(月)』

まとめ
世界の体験プラザ プロのバレエダンサーとして活躍 (1)
世界の体験プラザ プロのバレエダンサーとして活躍 (2)

トップページヘ


posted by mity504 at 15:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ プロのバレエダンサーとして活躍 (2)

バレエを披露.PNG
美しいバレエを披露するロメオさん


世界の体験プラザ プロのバレエダンサーとして活躍 (2)

仏法の実践で”本当の自分”輝かす

 けがを乗り越え国立劇場のソリストに

 広布草創の最前線で奮闘


 ウルム劇場に勤めた後、ドイツのマインフランケン劇場のゲスト
ダンサーに。そして12年11月、東欧クロアチアで最高峰の
「クロアチア国立劇場」(リエカ市)のオーデションに挑戦。

ドイツ最大のバレエ団でプリンシパルだった監督から技を激賞され、
その日に契約が決まった。

 堅実な仕事ぶりが評価され、1年半後にソリストに昇格。
これまで、「アンナ・カレーニナ」のコンスタンチン・レーブイン役、
「くるみ割り人形」のドロッセルマイヤー役、「カルメン」の

エスカミーリョ役など重要な役柄を務めることが出来、現代ダンスの
作品でも活躍している。

「バレエは、誰もが一番を目指す、生き馬の目を抜くような世界です。
私も同僚からの根拠なき中傷に苦しんだことがあります。
それでも皆を尊敬し、最高の作品を創り上げていかなければなりません。

万人に仏性を見いだす信仰の実践は、私の仕事に対する姿勢をいつも
正しい方向へと導いてくれます」

 クロアチア国立劇場のプリンシパル、そして世界一流のバレエダンサーを
目標に、日々精進するロメオさん。SGIにおいても、昨年3月、
クロアチアの初代男子部長に任命され、広布の先頭を走っている。

 クロアチアでは13年に支部が誕生したばかり。男子部員も、全土の離れた
場所に住んでいるため、月に一度の座談会のほかに、インターネット電話を
介した御書学習会などを開催。クロアチア男子部の盤石な基盤を築くために
奮闘する。

「信仰という新たな人生の旅を始めて、これまで多くのことを
成就出来ました。直接お会いしたことはありませんが、池田先生という
人生の師匠の存在がなければ、ここまで到達できませんでした」

「男子部は「獅子たれ」と、池田先生は期待されています。
同志と力を合わせて、壁を破り、突破口を開く、師子の使命を果たして
いきます!」

 27歳、入会7年。師弟の闘魂を若き血潮にたぎらせて、
ロメオさんは今日も、広布と人生の舞台で至高の舞を目指す。

クロアチア国立劇場.PNG
リエカ市のクロアチア国立劇場



おわり 『聖教新聞 2016/04/04(月)』

まとめ
世界の体験プラザ プロのバレエダンサーとして活躍 (1)
世界の体験プラザ プロのバレエダンサーとして活躍 (2)

トップページヘ


posted by mity504 at 13:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 失意の青春から社会貢献の人生へ(1)


世界のプラザ003.PNG
右、モーター制御の仕組みについて説明する張さん
左上、国際的にも評価が高い香港理工大学
左下、香港「黎明聖報」紙


世界の体験プラザ 失意の青春から社会貢献の人生へ(1)

香港SGI 張宙(チョンチャウ)さん

省エネと環境技術で脚光を浴びる
香港理工大学准教授として活躍

画期的な自動車両通関システム


 1997年の香港返還から19年。中国本土と香港の流通量は一貫して増加し
てきましたが、大きなネックになったのが通関・入境手続きの煩雑さ
でした。

 かつては1時間以上要することもありましたが、今では、10分余りで完了。
事前に車種とナンバー、ドライバーの指紋を登録していれば、運転席に
座ったまま手続きができる「自動車両通関システム」を導入したからです。

 最大の難関は、どれだけの車種に対応できるかでした。小型車から大型
トラックまで、運転席の高さはさまざま。また決められた停止線から
前後左右にずれることもある。

 あらゆるケースに対応させるため、まずカメラで車のフロントガラスの
位置を瞬時に判断。次いで、指紋読み取り端末をドライバーの手の位置まで、
スムーズに移動させるシステムを開発しました。

 私はチームを率いて、この制御部分を担当。”素早く、正確に動くこと”
が高く評価され、私の勤める香港理工大学から「最優秀製品開発賞」を
受賞することができました。

効率性や利便性以上に、省エネルギーや環境保護に貢献できたことが
うれしかったです。

 また香港のEV(電氣自動車)保有台数は、この5年間で40倍以上に
増加しましたが、充電スタンドの制御システムも私が設計。
今や、大きな駐車場には必ず設置されるほど普及しています。

 さらに中国南部の海南島に立つ「風車海岸」のモーターも私が設計
しました。中国は、風力による電力供給が世界一ですが、その一翼を
担っています。


自動車両通関システムのイメージ図.PNG
自動車両通関システムのイメージ図


豪州(オーストラリア)の名門校で博士号を取得

 私は59年、3人兄弟の長男として生まれました。幼いころに父を亡くし、
高校時代にイギリスへ留学。81年にロンドン大学を卒業し、
米ゼネラル・エレクトリック(GE)の香港支社に電子工学技士として
就職しました。

 職場で、後に結婚する妻と知り合いました。香港SGI(創価学会イン
タナショナアル)のメンバーだった彼女は、悲観的な人生観を持つ私に
仏法を語ってくれました。
会合に参加し、温かい励ましを受けて、84年に入会しました。

  とりわけ感動したのは、池田先生が学生や青年に対し、”勉学に励み、
その結果として、社会に貢献する人材に成長してほしい”という指針を
贈っていることでした。

 ”この信仰は、自身の幸せだけでなく、人のための貢献を勧めている。
よし、自分ももう一度、勉学に挑戦しよう”と決意。
87年、働きながら香港大学大学院修士課程(二部)に挑戦し、終了するこ
とが出来ました。

 92年には、池田先生の「童話ー輝く子供の世界」展が香港で開幕し、
テープカットの後、先生と握手を。”必ず博士になり、社会に貢献します!”と誓い、
生涯の原点となりました。

 電子工学の分野では世界トップクラスで、父も留学していた、オースト
ラリアのニューサウスウェールズ大学大学院博士課程へ留学。
妻、2人の子供と共に移住したのです。

 大学での研究を終えると、SGIの活動に奔走し、子供が寝静まって
から、リポートを作成する日々。

しかし、想像以上のレベルの高さに行き詰まりました。
貯金は2年で底をつき、妻と子供は香港に戻ることになりました、、、。

一人になると、生活は、さらに色彩をなくしたようでした。
心臓の弱い妻に心配を掛けないため、国際電話でも
明るく振る舞いましたが、八方ふさがりだったのです。

第2回につづく 『聖教新聞 2016/04/25(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 失意の青春から社会貢献の人生へ(1)
世界の体験プラザ 失意の青春から社会貢献の人生へ(2)

トップページヘ


posted by mity504 at 16:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 失意の青春から社会貢献の人生へ(2)

開発書」を贈られる張さん.PNG
香港理工大学の学長から「最優秀製品開発書」
を贈られる張さん


世界の体験プラザ 失意の青春から社会貢献の人生へ(2)

香港SGI 張宙(チョンチャウ)さん

省エネと環境技術で脚光を浴びる
香港理工大学准教授として活躍


英米で”最優秀研究賞”に輝く


そんなある日、長男から一枚の絵が送られてきました。窓を大きく開け、
遠くを眺める長男は不機嫌そう。「パパが早く帰ってくれるように」
という題名が付いていました。

 その瞬間、信心で立つしかない、と気づきました。あらゆる時間を
見つけて題目を上げ、勇気と知恵を奮い起こすと、状況は大きく変化。
オーストラリアのメンバーの励ましもあり、わずか半年で論文を完成し、
年間最優秀論文賞に輝いたのでです。

 95年、香港では理系トップの「理工学院」の研究職に就くことを心に
期して帰国。ところがこの前年、「理工学院」が「大学」に昇格し、
教員の採用基準が大幅に変わりました。
香港での研究成果や教職経験を持っていない私は対象外になったのです。

 再び妻が家計を支え、私は”専業主夫”に。数か月後、ついに教職を
諦め、電子工学技士として、会社に勤めました。同僚には、とても
自分が「博士」だということは打ち明けられませんでした。

 ”何のために留学し、博士号を取ったのか、、、”。悩みながらも、
SGIの活動は一歩も引きませんでした。

張さん一家.PNG
張さん一家(左から妻・葉文珠さん、次男・張晧深さん、
張さん、長男・張金深さん)


 香港返還の97年には、世界100か国・地域の友が集い、第16回世界青年
文化祭が開催。その役員に奮闘する中、理工大学から上級講師の採用通知
が届きました。

応募したのは一年も前。数百人の応募に対して、採用枠はたった一人。
私はついに池田先生に勝利の報告をすることが出来たのです。

 2004年には准教授に。これまで国際会議や学術機関誌などで、
200以上の研究成果を発表し、イギリスやアメリカで”最優秀研究賞”
等を受賞。

また論文の引用や索引を調査する「サイエンス・サイテーション・
インデックス(SCI)」によれば、私は電子工学分野では常に
世界20位以内です。

 今、少しでも社会に恩返しをと、香港職業訓練協議会のメンバー、
政府の科学技術専門家団体の顧問、国際機械電子工程学会・香港支部の
会長を務めています。
香港SGIでは副本部長、学術部長として、活躍しています。

 失意の青春時代から、社会貢献の人生へと転換でき、感謝と喜びで
いっぱいです。池田先生の励ましでここまで来られた、という自身の
体験を語り抜き、次世代の人材育成に全力を挙げていきます。

おわり  『聖教新聞 2016/04/25(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 失意の青春から社会貢献の人生へ(1)
世界の体験プラザ 失意の青春から社会貢献の人生へ(2)

トップページヘ


posted by mity504 at 18:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(1)

トミーブラウン1.PNG
「ブルースの殿堂」入りを果たしたトミーさん
(中央)の一家。< br>左端が息子のリチャードさん


世界の体験プラーザ
ブルーの殿堂に迎えられる(1)

仏法に巡り合った伝説のシンガー
アメリカのSGIトミーブラウンさん(本年3月に逝去)

R&Bのスターーダムに!


「ブルース」は19世紀後半に、米国南部のアフリカ系
アメリカ人の間に誕生した音楽。
ジャズやロックンロールも、ブルースから育まれていった。

2015年、全米ブルース財団は、新たに3人の偉大な
アーチィストの名前を「ブルースの殿堂」に加えた。
世界最高峰のギタリストとして名高いエリック・クラプトン。

”ロックの生みの親”ともいわれてきたリトル・リチャードと、
トミー・ブラウンだ。トミーさんは1931年、
ジョージア州アトランタに生まれた。

6歳になると友達の影響でタップダンスを覚え、
同時に音楽のとりこになった。母親が買ってくれた
ピアノとドラムセットに夢中になり、楽譜は読めなかったが
、一度耳で聴いた曲はそのまま演奏できるようになった。

10代半ばには、バンドを組んで州内の各地で
コンサートをするようになる。

トミーさんが49年に録音した「アトランター・ブギー」
の中に、当時はまだ珍しかった「夜明けまで
ロックンロールしようぜ!」という歌詞が登場する。

彼がロックの創始者の一人に挙げられるゆえんとなった
伝説的な歌詞だ。トミーさんは一躍、R&B
(リズム・アンド・ブルース)のスターダムに
押し上げられた。

51年には「ウィービン・アンド・クライン」で、
ついに全米R&Bのヒットチャート1位に輝く。

第2回につづく (聖教新聞)

世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる、まとめ
世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(1)
世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(2)
世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(3)

トップページヘ

posted by mity504 at 17:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(2)

トミーブラウン2.PNG

世界の体験プラーザ
ブルーの殿堂に迎えられる(2)

仏法に巡り合った伝説のシンガー
アメリカのSGIトミーブラウンさん(本年3月に逝去)

フアンクの帝王の感謝の叫び


ある夜、アトランタでのステージ。一人の若者が、歌を
披露させてほしいと言ってきた。
トミーさんは「もちもんさ!」と若者をステージに上げた。

その若者こそ、のちの”フアンクの帝王”と呼ばれる
歌手ジェームス・ブラウンだった。

後年、ジェームス・ブラウンは、ニューヨークの
ハーレムにある劇場アポロ・シアターで
満員の客席にトミーさんの姿を見つけると、こう叫んだ。

「僕のキャリアは、全てあの人から始まったんだ!」
だが、その後のトミーさんの人生は紆余曲折だった。

人気に目をつてた音楽出版会社に著作権料を
だまし取られるなどし、60年代に入るとブルース歌手を
やめて、コメデアンに転身した。

17年間、地方を回りながら、人々を笑わせ続けた。
「私のパフォーマーとしての真の目的は、
観客を喜ばせることだと気づいたんです。

だって夜通し笑ってる人が、家に帰ってケンカ
をすることはないでしょう」
(2015年、アメリカSGIの機関誌「ワールド・
トリビューン」のインタビューに答えて。
以下、同)

1977年に母親が亡くなったことを契機に、
それまで母親が運営していたケアハウス
(老人ホーム)を引き継ぐことになった。

「時々コメディーショーに立つこともありましたが
人のお世話をする”第2の人生”にも
十分やりがいを感じていたのです」

プロテスタントの家に生まれながらも、15歳の時に
教会に行くことをやめた。

「当時の牧師は、ミュージシャンなどろくな
仕事ではないと、私たちを見下していたからです」

第3回につづく (聖教新聞)

世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる、まとめ
世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(1)
世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(2)
世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(3)

トップページヘ

posted by mity504 at 16:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(3)

トミーブラウン3.PNG

世界の体験プラーザ
ブルーの殿堂に迎えられる(3)

仏法に巡り合った伝説のシンガー
アメリカのSGIトミーブラウンさん(本年3月に逝去)

今いる場所で幸福になれる


実は以前から、息子のリチャードさんに、たびたび
誘われていることがあった。

SGI(創価学会インタナショナアル)の会合だった。
リチャードさんは、30年前からSGI
の信仰をもっていたのだ。

これまでも、何度か参加をしていたトミーさん。

そこに集っている誰もが、どうしたら自他ともに
幸福な社会を築けるかと、真剣に話し合っている姿に、
自分と同じように人生を考えている人々だと感じた。

世界平和に尽くしてきた池田SGI会長の足跡にも、
深い感銘を受けた。

しかし、組織に対する抵抗感から、入会は躊躇していた。
2009年、ある会合の終了後、リチャードさんが言った。

「父さん。この世界を良くするために、一人で
闘わなくてもいいんだよ。多くにDGIメンバーが、
既にその戦いをやっているんだ。
父さんも一緒にやってみない?」

トミーさんは唱題の実践を開始し、確かな力を感じて入会。
御本尊を受持した。「題目を唱えると、いっもたどり着く
結論は一つです。私は何物にも負けることはないし、
紛動されることはないと」

栄光と失意の両方の波に翻弄された過去の全てに
感謝できるようになった。与えられた才能にも、
世界中を旅して得られた豊かな経験のも、
一段と感謝を深めることが出来た。

それこそが、トミーさんの実感した”功徳”だった。
息子のリチャードさんは、父が異なる宗教や価値観の
人にも、これまで以上に忍耐強く寛容を以て接し、
静に仏法を語るようになっていく姿に目を見張った。

華やかな芸能界のトップスターの座を離れて数十年。
むしろケアハウスを運営する仕事が、
人生の半分になろうとしていた。

「ほとんどの人が、私のことなど忘れていると
思っていました」15年春。思いもかけず、
全米ブルース財団の会長から、トミーさんに
電話がかかってきた。

そして、5月。トミーさんの名前は、歴代の音楽界の
巨人と並んで「ブルースの殿堂」に刻まれたのである。
人を喜ばせること。ただそれだけに生涯を捧げてきた。

晴れの日も、曇りの日も、助けを必要とする人々に
寄り添い続けてきた。息子の積年の祈りに包まれて、
生涯の最終章を師匠に見守られ、
SGIの同志と共に歩むことが出来た。

そして、堂々たる人生の勝利の証しを打ち立て、
トミーさんは本年3月、逝去した。伝説にブルース歌手の
訃報は全世界を駆けめぐった。

生前、機関誌への最後のインタビューで、こう語り残している。

「人間は、今いる場所で”幸福の楽土”築いていけるのだと、
このSGIの信仰は教えてくれました」

おわり (聖教新聞)

世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる、まとめ
世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(1)
世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(2)
世界の体験プラーザ ブルーの殿堂に迎えられる(3)

トップページヘ

posted by mity504 at 18:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(1)

ドイツSGI アンニャ.PNG
自身の作品を撮影するツァンダーさん


世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(1)

ビジュアル(視覚)アーチストとして活躍
ドイツSGIアンニャ・ツァンダーさん

摂食障害を克服、夢かなえ芸術家に

「宿命転換」の哲学に共感


18歳の時でした。心の奥深くに沈めてきた、あの忌まわしい
記憶がよみがえってきたのはー。

幼いころ両親が離婚。父が去った悲しみに追い打ちを
掛けるように、私は母の知人から虐待を受けました。
忘れていたはずなのに、なぜ突然?

理由が全く分からず、私は心身のバランスを崩しました。
摂食障害に陥り、対人関係もうまくいかないように。

いつしか生きる意味が見いだせなくなりました。
22歳でハンデンブルグ応用科学大学に進学。

ファッションデザインの勉強をしながら臨床心理士のもとに
通い続けました。
しかし、もっと別の次元に原因があるのではないかとの
疑念が頭から離れません。

そうした私の状況を見かねた友人の一人が、
SGI(創価学会インタナショナアル)の仏法を
紹介してくれたのです。

初めて参加した座談会。メンバーはとても温かく私を
迎えてくれました。

「この信心で必ず悩みを克服していけます。
宿命転換できる仏法です」

皆が真剣に語ってくれる日蓮仏法の生命哲学に、
私は共感しました。ずっと胸に抱いてきた

「なぜ自分だけがこんな目に遭わないといけないのか」
との疑問に対する回答が、そこにある気がしたからです。

信仰の実践を始め、皆の言葉に偽りはなかったと、
すぐに実感しました。

SGIの活動に参加し、唱題を重ねるうちに、
ありのままの自分を受け入れる勇気が少しずつ
湧いてくるのです。

自身の生命が変革されつつあることに気づいた時には、
摂食障害の症状はほとんどなくなり、わずか一年で、
精神的な病から完全に立ち直ることが出来ました。

感謝した私は、勉学に励みながらSGI活動にも
積極的に取り組みました。

最優秀の成績で大学卒業。28歳で、スタイリストとして
第一歩を踏み出しました。
  第二につづく (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(1)
世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(2)
世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(3)

トップページヘ

posted by mity504 at 17:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(2)

メンバーズ.PNG
ツァンダーさん(左端)がSGIメンバーと共に

デザイナー.PNG
服装を整えるツァンダーさん、左


世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える! (2)

ビジュアル(視覚)アーチストとして活躍
ドイツSGIアンニャ・ツァンダーさん

国民的歌手の服飾を担当


服飾や髪形をはじめ、アーティストの”見せ方”を
総合的にデザインし、形にしていくのが、
スタイリストの仕事です。

働き始めてから数年のうちに、歌手や映像制作者、写真家など
多くのアーティストから高い評価を得ることができました。
人との接し方で悩んでいたかっての私を思う時、
想像すらできなかった成功でした。

仕事を続けるうちに、自分でも撮影に携わりたいとの思いが強くなり、
ニューヨークフイルムアカデミーデ写真・映像制作を学びました。

スタイリストの技術を生かしつつ、
自ら撮影する「ビジュアル(視覚)アーティスト」として
活動するようになりました。

世界中を訪れ、目の回るような日々でしたが、ドイツSGIの
女子部のリーダーとして全力投球。

「仏法者としてドイツ社会に貢献したい。信心の実証を示したい」
と何度も決意を新たにし、進み続けました。
やがてドイツの国民的歌手のスタイリングを私が担当するように。

新作アルバムの宣伝や全国ツアーにも同行。
また、欧州最大の音楽祭「ユーロビジョン」に出演するドイツ代表の
スタイリングも手伝い、好評を博しました。

広宣流布への決意が、自身の環境を大きく変えていくことを
肌身で感じました。

全てが順風満帆に思えた日々でしたが、
これも私の宿命だったのでしょうか、少しずつ陰りが出てきました。

”誰かの名誉”のために燃え尽きる寸前まで働いても、
自身のビジュアルアーティストとしての評価は何一つ手にしていません。
他人のために自分の能力を役立てるのは好きな方でしたが、
不平不満の感情を抑えられなくなりました。

私の生命にひそむ棘が人間関係に反映し、スタイリストの
契約も少なくなっていきました。
アーティストとして創作活動で生計を立てようとしましたが、
経済的に困窮。

スタイリストの仕事も以前のようにうまくはいきませんでした。
昼はスタイリスト、夜はアーティストとして、
毎日18時間も働き、心も体もボロボロに。それでも生活は安定せず、
泣き出したくなるような状況に陥ってしまいました。
第三につづく (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラザ内面の変革が環境を変える!(1)
世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(2)
世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(3)

トップページヘ

posted by mity504 at 18:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(3)

表紙採用画.PNG
撮影した写真が表紙を飾った雑誌


世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(3)

ビジュアル(視覚)アーチストとして活躍
ドイツSGIアンニャ・ツァンダーさん

写真作品が雑誌の表紙に


崖っぷちにいた私を支えてくれたのは、SGIの仲間でした。
「もう一度、題目から始めましょう。今こそ幸福を開く時だと
決めて祈り抜きましょう」

メンバーの励ましに奮起し、唱題に挑戦。

そして、多くのメンバーが毎日のように、一緒に題目を
唱えてくれたのです。”ここまで支えてくれる仲間がいる”
と感謝してもしきれませんでした。

小さな自分の感情に執着してはいけない_
心からそう思えた時、暗雲が払われるように胸がすっきりしました。
私の内面の変化は、やがて環境にも表れ始めました。

まずスタイリストの仕事が再び軌道に乗りました。
顧客も増え、これまで以上に高い評価を得るようになりました。
自身の写真作品も評価され、雑誌の表紙を飾るまでになりました。

映像の分野でも、有名バレエ団のビデオ制作を担当。
今年はデンマークでの音楽ビデオ撮影の監督を務めました。

今はもう、”誰の作品か”は気にしていません。
むしろ他のアーティストをもっと支えていきたいと思っています。

仏法に巡り合い、人間としての振る舞いを大きく変えることが
出来ました。
不幸の殻に閉じこもり、その原因を家族のせいにしていた時期も
ありました。

でも信心のおかげで、自身の幸福の責任は全て自分にあることを
実感できました。父は既に亡くなりましたが、生前、
固い絆を結ぶことが出来ました。

父の再婚相手は、私にとって”第二の母”のような存在になりました。
母と母の再婚相手は今では、私の一番の味方です。
私自身も、人生のよきパートナーと出会うことが出来ました。

方面女子部長として青春時代を走り切り、今は婦人部本部長として、
メンバーの幸せを祈り、共に行動しています。

職場、地域、そして家庭において、
太陽のようにもっと輝き、励ましを送れる人になりたい。

一人でも多くの人と共に、「宿命」に打ち勝ち、幸福を開いて
いきたいと張り切っています。

    おわり  (聖教新聞)
まとめ
世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(1)
世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(2)
世界の体験プラザ 内面の変革が環境を変える!(3)

トップページヘ

posted by mity504 at 15:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(1)

ウッジャーさん.PNG

世界の体験プラーザ
差別・人種間紛争解決への教育を推進(1)

内なる変革が社会変革の力に
ロンドン大学ゴールドスミス校講師

イギリスSGI デイビッド・ウッジャーさん


いじめに苦しんだ少年時代

生まれ落ちた時から、母を知らない。出生証明書には、
父に関する記述もない。生後3カ月で、
白人のウッジャー家にもらわれた。

19歳まで、イングランド北西部に住んだ。ここで、
絶え間ない人種差別の苦しみを味わった。
同年代の学童たちから毎日のように受ける差別発言、
いじめ、暴力に、周囲の教師たちは気づかない。

誰にも言えない、助けてもらえない。
孤独と、恐怖と、自己卑下を抱えながら、思うのだった。
「周りの子たちのように、はくじんだったら、、、」。
毎晩、泣きながら寝入った。

インド人を生母とする、デイビッド・ウッジャーさんは、
そんな少年時代を送った。「子供のころのこの苦痛、
苦悩は、青春期には、祭殿ない不満と怒りになっていた」
とウッジャーさんは言う。

怒りは、政治批判へと向かう。暴力こそは使わなかったが、
「大学でも、社会に出ても、どこでも私は、混乱を組織し、
リードする存在でした。」

社会科学と、ソーシャルワークの学士、修士号を取得。
次いで、コミュニティーワーカー(地域援助の専門職)
として、自治体で働くことに。

自分の”怒り”のもとである社会を、変えたかった。
「地域社会の権利を守り、不正義と戦うコミュニティーワーカー
は私にはぴったりの職業でした」

西ロンドンの黒人・少数派が住む地区が、その最初の仕事の場。
だが、すぐに上司と衝突。裁判に。職員の間で、大騒動になった。
裁判には勝ち、補償を得たが、心はむなしく、寂しかった。

1993年のこと。一人の先輩の仕事ぶりに目を見張った。
「白人なのに、黒人などへの差別問題に真剣に取り組み、しかも、
とても効率的、かつ持続的な方法で、感心しました」

その尊敬する先輩が、時折、イギリスSGI(創価学会
インタナショナアル)
の仏法の話をしてくれるようになった。

(聖教新聞 2016/06/27)

まとめ
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(1)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(2)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(3)

トップページヘ

posted by mity504 at 18:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(2)

ウッジャーさん 2.PNG

上、制度的差別などを学ぶ学生たちと(左から2人目がウッジャーさん)
下、ロンドン大学ゴールドスミス校の校舎前で

世界の体験プラーザ

差別・人種間紛争解決への教育を推進(2)

内なる変革が社会変革の力に

宿命を使命に転換する仏法


会合に出席。「正直なところ、私の心を占めていた”怒り”のせいで
、なぜこんなにいい人ばかり集まっているのか、と反発を覚えました。
語り合う程に、皆の心に包み込まれていく感じがする。
それが、かえって嫌でした」

「題目は絶対にあげない」と決めながらも、まずは学んでみようと
読んだ仏法の生命哲学は、新しい発見に満ちていた。
「人間の不幸の根本原因は、政治的不公正、社会構造にある」と
言う考えが、根底から揺らいだ。
ふるえていた
「人間の内なる変革、個人の人格的変革が、社会変革に
つながるという仏法の視点に、眼を開かれたのです」

こうして、初めて題目を唱えた時、仏法に出会ってから、一年が
たっていた。
「その時のことを鮮明に覚えっています。涙があふれました。
喜びの涙と、生みの親への感謝でした」
94年、御本尊を受持。

小説『新・人間革命』のある箇所に、衝撃を受けた。
初訪米した池田SGI会長が、シカゴの公園で、仲間外れにされる
黒人少年を見かけた場面だ。

「伸一は、強い憤りを覚えた。彼の拳は震えていた。それは、
”黒人”の少年への非道な仕打ちが罷り通る社会に対する、
やり場のない怒りといってよかった」(第一巻「錦秋」の章)

「これを読んで、泣きました。私の経験が思い出されたのです。
池田先生は、私の気持ちを分かっている、真剣に信心していこうと
思いました」

もはや、逡巡はなかった。「100%、活動に全力投球していきました」。
それとともに、”怒り”が消えていった。
「自分の過去の体験から、価値を生み出す戦いを、自分の使命としよう。
この悲しみと怒りを変える、究極の責任は、誰でもない、自分自身にある。
これからは、自分も人も幸せにするSGIの活動に、私の人生を捧げよう」
、、、。

”宿命”を”使命”と捉えると、自身のアイデンティティーへの不安から
解放されていくのを感じた。

第3につづく (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(1)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(2)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(3)

トップページヘ

posted by mity504 at 11:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(3)

ウッジャーさん 3.PNG
宗教間対話プロジェクトで発言するウッジャーさん(左から2人目)


世界の体験プラーザ
差別・人種間紛争解決への教育を推進(3)

宗教間の対話にも取り組む


生母の行方を探してもみたが、あと一歩で果たせなかった。
「でも、この頃の私は、自分の出自を前向きに捉えられるようになっていて、
母と会えなくとも、幸福になろうと思いきれたのです」

「自分の変革なくして、社会の変革はない」との思いは、自らの信仰活動を
促す力となった。「一人の人間における変革が何より大切」
との確信を励みとして、同志の激励へと向かった。

別の自治体に移った。制度的人種差別に関して、上級管理職への助言が、
主な仕事。これを通して、医療やユースサービス(青少年支援)
などの公共サービスで、白人と黒人や少数派との間にあった差別を
変えるなど、弱い立場の人々を力づけることに、多くの成果を挙げた。

ロンドン大学ゴールドスミス校の講師に就任したのは、支部の男子部
リーダーとして活動していた、95年のこと。以来、制度的差別や、
人種間紛争の解決、若者の犯罪、学校教育など、多彩な分野での
教育を展開してきた。

全国副男子部長などを歴任。今は、イギリスSGI壮年部長を務める。
イギリスSGIが推進する宗教間対話の取り組みの一つである。
「三大宗教コミュニティープロジェクト」では、同プロジェクトを
リードしてきた。

「互いの”違い”を乗り越えて、どう地域内の融和を図っていくか、
を考えていくためのものです」イギリス内務所の支援のもと、
2008年に発足したこのプロジェクト。

南ロンドンのキリスト教、イスラム、SGIの若者たちの代表が、
会議やワークショップ(研修)による対話と共同作業を展開。

多くの参加者から、「自分の形にはまった相手への見方が、変わった」
などの声が寄せられた。

52歳。イザベル・メイ夫人は地区婦人部長。幼い2人の娘がいる。
ウッジャーさんは、力強く語る。

「もう、私は、破壊的な”怒り”に縛られた犠牲者ではありません。
仏法により、怒りをはじめとする私の資質の全てが、建設的な方向へと
生かされました。
これからも、真実に人種間の平等に基づいた、より思いやりのある
社会を実現していくこと。それが、私のビジョンです」

おわり (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(1)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(2)
世界の体験プラーザ 差別・人種間紛争解決への教育を推進(3)

トップページヘ
(br)
posted by mity504 at 18:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(1)

ゆくひろ 2.PNG

世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(1)
「スター・ウォーズ」最新作でVFX(視覚効果の技術)の最高賞

映像制作会社の背景総括責任者
アメリカSGI 行弘 進さん

観客の想像超える表現力

映画「スター・ウォーズ」は、1977年に製作された「新たなる希望」
以来、多くの人々を魅了し続けている。
昨年12月に公開された最新3部作の第1弾「フォースの覚醒」
(J・J・エイブラムス監督)は、全米の歴代興行収入で第1位
を記録。世界中で大ヒットとなった。

「スター・ウォーズ」の魅力の一つは、その圧倒的な映像の力。
90年代以降、CG(コンピューターグラフィックス)
技術が飛躍的に発展するとともに、それをふんだんに活用。

壮大な世界観を躍動感たっぷりに表現し、観客をスクリーンに
釘づけにしてきた。
こうした視覚効果は全て制作会社ILM(インダストリアル・
ライト・アンド・マジック)で生み出されてきた。
同社は、いわばVFX(視覚効果を作る技術)の一大拠点。

そこで「フォースの覚醒」の背景部門の総括責任者を任されたのが、
行弘進さんだ。これまで「ジェラシック・パーク3」「パイレーツ・
オブ・カリビアン」「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」など
数々のヒット作を手掛け、いくつもの賞に輝いてきた。

「スター・ウォーズ ファントム・メナス」でも背景部門のスタッフ
として活躍したが、「フォースの覚醒」では、
米国サンフランシスコを中心に、英国ロンドン、カナダ・バンクーバー、
シンガポールの四つの拠点にまたがる約40人のスタッフをまとめ、
実写と見まがうほどの映像に仕上げた。

今でこそ、VFXのアーテイストとして華々しく活躍する行弘さんだが、
その歩みは困難と苦労の日々だった。

2回につづく  (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(1)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(2)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(3)

トップページヘ


posted by mity504 at 13:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(2)

ゆくひろ 2.PNG

世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(2)
「スター・ウォーズ」最新作でVFX(視覚効果の技術)の最高賞

映像制作会社の背景総括責任者
アメリカSGI 行弘 進さん

苦境と挫折重ねた青春期


行弘さんは74年、木工所を営む父と母のもと、福岡県に生まれた。
毎朝、父の唱題の声で目を覚ます、、、そんな信心強盛な一家で育った。
83年、「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」との出会いが、
その後の人生を大きく変えていく。

とりわけ強く関心を抱いたのは、圧倒的な映像力だった。
「中学1年の時、書店に行くと、一冊の本が目に留まりました。
ジョージ・ルーカス監督が設立したILMを特集しており、
映画の製作過程や社内の風景が詳細に描かれていました。

『将来、ここで働きたい』と強く思ったんです」
時を経ても、その情熱はさめなかった。高校卒業後に渡米を決意。
周囲から反対の声も上がったが、両親が背中を押してくれた。

”やらずに後悔するよりやるだけやってみなさい”と、、、。
夢を抱き、海を渡った。だが、現実はそう甘くはなかった。
2年間、田舎町の語学学校に通った後、「雑用でいいから雇ってほしい」
とILMに申し込むも、門前払い。

経験も学歴もない若者を受け入れてくれるはずはなかった。
「ILMの関係者に出会えるかも」と会社のあるサンフランシスコに
居を移した。

美術学校に入り、技術を磨くことにしたが、経済的な苦労が
重くのしかかる。
家賃が払えず、友人・知人宅を転々としたことも。

「でも両親を思うと、決して諦めることはできなかった。
そんな時に励ましてくれたのが、米国SGI(創価学会インタナショナル)
の」婦人部や青年部の皆さん。
物心両面にわたり支えてくれました」


転機になったとっさの一言

毎日、真剣な唱題を重ねた。今できることは何でもやった。
会う人、会う人に「ILMで働きたい」と夢を語り続けた。
熱意と努力は裏切らない、、、そう信じ抜いた。

ある時、ILMから独立した背景制作の会社に「無給でいい。
掃除でも何でもするから雇ってほしい」と頼み込んだ。
「君のように訪問してくる人は、たくさんいる」と断られたが、
引き下がれなかった。

「一日20ドル払うから働かせてほしい!」、、、と。
とっさに出てしまったのですが、『米国には働くのに金を払うような
クレイジーな人はいない』と逆に興味をもたれ、
採ってもらえました(笑い)」

これが人生を開く契機になる。働きながら美術大学に通う。
多忙を極めたが、充実していた。著名なマットペインター(実写映像と
背景画を合成する技術者)キャロリーン・グリーン
氏から技術を学ぶ幸運にも恵まれ、毎週日曜日の午前、
一から基礎を教わり直した。

出会いの一つ一つを大切にし、経験を重ね、98年、ILMのインターン
に応募した時には、オーバークォリファイド(経験や知識が要望以上)
と評価されるほど成長を遂げていた。

翌年、念願のILMに入社。折よく、すぐに「スター・ウォーズ」の
製作に関わることができた。

3回につづく  (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(1)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(2)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(3)

トップページヘ


posted by mity504 at 15:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(3)

ゆくひろ 3.PNG
家族と共に。上から、行弘さん、長女・美桜ちゃん、
妻・映里さん、次女・希和ちゃん


世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(3)
「スター・ウォーズ」最新作でVFX(視覚効果の技術)の最高賞

映像制作会社の背景総括責任者
アメリカSGI 行弘 進さん

リスク恐れず日々挑戦


「フォースの覚醒」で、行弘さんは最新のVFXを導入し、
これまでにないリアルな映像づくりに取り組んだ。
社内では、リスクを危ぶむ意見も出た。

しかし「技術の世界は日進月歩。新しい技術でなければ、同業他社を
しのぐような映像は生まれない」と判断し、果敢に挑んだ。
重い責任。悩みは尽きない。真剣に題目を唱える日々が続いた。

「リスクを恐れず、新しいことに常に挑む、、、ILM創業時からの
伝統です。
その企業理念に憧れて入社したので、私自身、ずっと貫きたと
思いました」

そのかいあって、新作は高く評価された。最新の3部作への数々の
オマージュ(敬意)がちりばめられたことも、うれしかった。
今年2月、「フォースの覚醒」は、ビジュアルエフェクトの”最高賞”
である「VESアワード」に輝いた。

行弘さん自身としては2003年、06年に続き、3度目の受賞だ。

「過去2回の受賞と比べても、今回の喜びはひとしお。苦労を共にした
スタッフには心から感謝したい」
「渡米した時には無謀とも思える挑戦でしたが、およそ7年でILM
に入社し『スター・ウォーズ』の製作で納得のいく成果も出せました。
努力し続け、諦めない限り、祈りは必ずかなうと確信しています」

家族の支えも、大きな力となった。04年に結婚。妻・映里さんは、
それを機に入会。長女・美桜ちゃん、次女・希和ちゃんの2人の娘と
”一家和楽の信心”を実践している。

ILMで成功を収めた行弘さんのもとには、しばしば、同じ志を抱く
若者たちが相談に訪れる。その時はいつも、自身の経験を語るという。
「私が米国に来た時と現在では、状況が違います。

同じことをやれば成功するというわけてはない。しかし
”夢は諦めない限り、続く”ということは変わりません」

  おわり  (聖教新聞)

まとめ
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(1)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(2)
世界の体験プラザ 夢の扉を開く諦めない心(3)

トップページヘ


posted by mity504 at 15:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(1)

ペルー 1.PNG

世界の体験プラザ

地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(1)

25の診療所の管理責任者
ペルーSGIフェリシタ・ビバンコさん


慈愛の医師を目指して
 

私が暮らしているのは、首都リマ市の西隣、南太平洋に面した
ペルー最大の港湾都市カヤオです。
わが家は、母方の叔父が最初にペルーSGI(創価学会インタナショナル)
の信仰を始めました。

1968年のことです。やがて母も信心を継承し、学会3世、4人姉妹の
末っ子として生まれた私も、5歳から題目を唱えるようになりました。
未来部の活動にも参加し、ペルーSGIの鼓笛隊でも薫陶を受けました。

私が12歳の時、母が重い感染症にかかり、3週間、昏睡状態に
陥ってしまったことがありました。その間、私たち家族は懸命に
母の蘇生を祈りました。

母は無事に危機を脱して健康を取り戻し、今では、ペルーSGIの
カヤオの合唱団で元気に活躍しています。
私は幼いころから理系の勉強が好きで、将来は教師か医師になりたいと
思っていました。

最終的には医師になる道を選びました。仏法では衆生の苦悩を
救っていく方途を示す仏を「良医」に譬えています。
また、慈悲の意味を「抜苦与楽」(苦を抜き、楽を与える)と説いています。

さまざまな苦しみを抱えて病院を訪れた患者が、帰る時には安心した
表情になれるようにしたい。そういう思いで、地域医療に従事することに
決めたのです。

医師の仕事は、患者を診察することだけではありません。
健康管理対策、病気予防、公衆衛生について人々に意識啓発の活動を
することも、ペルーでは大切な役割なのです。


ペルー 3.PNG
ビバンコさんが担当するロス・オリボスの大型診療所

経営危機に立ち向かう

2007年に外科医になり、仏法者として、さらに社会に貢献したいと真剣に
祈り努力を重ねていきました。10年、医薬品や医療品、文具やワインの
製造・流通・販売などを展開するアルビス社が運営する、大小25ヵ所
もの診療所のマネジメントを任されることになったのです。

そこで、翌年からリカルド・パルマ大学で新たに公衆衛生学(病院管理、
保険医療サービス)の修士課程に入学し、2年後に修了。
14年には医療監査の資格も取得しました。

現在でも、リマ市、カヤオ市、イカ群、タルマ群などを含む、8地域の
スーパーバイザー(管理責任者)として、数多くの医師や医療関係者の
管理をし、社会への啓蒙活動をしています。

14年2月には、SGIの代表として念願の日本を訪問することができ、
広布に戦う日本の同志の息吹に触れることができました。
この前年、アルビス社が経営危機に直面しました。

リマ市や他の地域にあるいくつかの診療所を閉鎖し、そこの従業員も
解雇せざるを得なくなったのです。大きな試練でした。
私は解雇されてしまった人々が必ず再就職を勝ち取れるよう、
また地域のためにも、会社が絶対に倒産しないよう祈り抜きました。

私自身、毎日12時間以上働きながら、全てのスタッフを励まし続け、
学会活動でも一歩も引かずに戦いました。
その中で、親しい同僚や上司には、ペルーのSGIの機関誌を
贈呈し、仏法や池田先生について語る機会も生まれました。

2につづく (聖教新聞)

 まとめ
地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(1)
地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(2)

トップページヘ


posted by mity504 at 12:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(2)

ペルー 2.PNG
 右から母・ドラさん、ビバンコさん、甥・ビセンソさん、
長姉・シャロンさん、父・アンヘルさん、三姉・ドラさん


世界の体験プラザ
地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(2)

25の診療所の管理責任者
ペルーSGIフェリシタ・ビバンコさん

「師弟の絆」に生き抜く


そして、ついに会社は危機を脱し、経営を好転させることが
できたのです。上司からその一報を聞いたご日、私は帰宅するや
御本尊の前に座り、感謝の唱題をしました。

昨年、南米各国にメンバーと一緒に、ブラジルSGIの教学研修会に
参加する機会がありました。そこで私はあらためて、
「師弟の精神」を学ぶことができたと思います。

ブラジルSGIの同志の一人一人が、池田先生との「師弟の絆」
を育んでいました。皆の心の中には、いつも池田先生がいるのです。
歓喜の信心で仏法を語り、師弟の夢を実現しようと
生きている姿に接して、心から感動を覚えました。

自分はペルーSGIの一員として、池田先生の弟子として、
どうすれば仏法の人間主義をペルー社会に実現していけるのか。
今いる職場で、どのように責任を果たし、貢献していけばよいのか。
それを常に自分自身に問いかけるようになりました。

医療従事者として心に刻んでいる御書の一節は「此の曼荼羅能く
能く信じさせ給うべし、南無妙法蓮華経は獅子吼の如し・
いかなる病さわりをなすべきや」(御書1124ページ)です。

わが家では、カヤオ市に広布の会場となる個人会館を建てようと
、家族全員で決意しています。女子部副本部長として、
どこまでも池田先生と共に、ペルーの平和と繁栄のため、
広宣流布に人生をささげてまいります。

  おわり  (聖教新聞)

 まとめ
地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(1)
地域医療に貢献したい 健康維持の意識啓発に全力(2)

トップページヘ


posted by mity504 at 11:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ
Copyright © 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事 All Rights Reserved.
当サイトのテキストや画像等すべての転載転用・商用販売を固く禁じます
<