世界の体験プラザ - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)

パンジュワニさん 4.PNG
人種や平等をテーマに、インドの高校生たちを
啓発するワークショップで(パンジュワニさんは右端)


世界の体験プラザ
 子供の人権守る・教育コンサルタントとして活躍

 
 インド創価学会 マンシ・アルン・パンジュワニ

 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)

 「競争」よりも「共感」を育む

 池田先生は、創価大学を創立された当時から今日まで一貫して、「人格
を形成」し、「平和への知性」を与え、「社会への貢献」を教える
「人間愛の教育」こそが最も必要だということを訴えてこられました。

 12年、私は中米コスタリカにある国連平和大学の「平和教育」修士課程
に進学することができました。しかも、インド人としては同大学史上
初めて、全学費免除の奨学生に選ばれたのです。

 帰国後は、インドの複数の州やアフリカのウガンダにある教育機関で、
平和構築のためにフリーランスのコンサルタントとして働き始めました。
取り組んだのは、「競争」よりも「共感」という視点で学生のリーダー
シップを育む訓練です。

 15年、日本を訪れて念願だった広宣流布大聖堂での誓願勤行会に参加
しました。池田先生はお一人で、世界中の何百万という人々を励まして
こられたのだと実感し、一人の人間が持つ無限の可能性に、あらためて
、気付かされました。

 また、この折に広島平和記念資料館も訪問し、核兵器の悲惨さに平和へ
の決意をさらに深くしました。

 16年、再び訪日するに当たり、池田先生に勝利のご報告をしょうと決意。
安定した長期プロジェクトに参画できるよう、祈りながら努力しました。

 すると、日本に出発する前日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)から、
インドの五つの州の教育カリキュラムを再構築する仕事を引き受けてもら
えないかと依頼されたのです。

 本年、そのプロジェクトを無事に終え、現在は、ノーベル平和賞を受賞
したカイラシュ・サティアーティ氏のNGOで子どもの人権を守る教育
カリキュラムを構築しています。

 勝利の結果は、これだけではありません。

 弟の入院をきっかけに、姉弟の温かい愛情を取り戻すこともできました。
さらに母もうつを乗り越え、自分の人生を力強く歩みだしました。

 思えば、私は父の病気によって仏法に巡り会い、母の病気によって信心
を強めることができたのです。難と戦い、宿命転換することができました。

 明年の大聖堂完成5周年を次の目標に、平和・文化・教育のためにさらに
力を尽くしていくとともに、女子部のリーダーとして、担当する全同志の
幸福と成長を祈り、走り抜いていく決意です。

パンジュワニさん 5.PNG
インド「value creation」誌


 おわり 『聖教新聞 2017/04/24(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)
 
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世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(1)

イタリア モニカさん 1.PNG
国営放送rai(イタリア放送協会)の
社屋の前で


 世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(1)

人間と映像を結ぶ映像制作
 イタリアSGI モニカ・ガンビーノさん

国営放送のディレクターとして活躍

 人気料理番組を10年担当


 イタリアの国営放送「RAI(イタリア放送協会)」で10年間、愛され
続けた料理番組がある。「”食い倒れ”がテーマの食文化の拠点。
最近、日本一高いビル建ったこの街は、大阪です!」

 リポーターが世界各国の都市を訪ね、街角の声や料理人へのインタ
ビューを行い、食文化を紹介する番組「QB」。一昨年まで毎週日曜の
午前に放映され、毎回、160万人が視聴。シリーズ最終盤では、アジア
各国の都市を特集した。

 番組を成功させた敏腕女性ディレクターのモニカ・ガンビーノさんは、
イタリアSGIのメンバー。30年間、RAIで番組制作の最前線に立っていた。
 
 「『食』を通して他国の文化を知り、差異に対して心を開いてほしい。
そう願って一つ一つのシーンに工夫を重ねて撮影しました。これほど
長期間、大勢の市民に見てもらえる番組は、なかなかありません。

池田先生の弟子として、イタリア社会に少しでも貢献したいという決意を
形にできたことをうれしく思います」

 ガンビーノさんは1992年、SGIに入会。高校卒業後、21歳から放送局で
働く始めて、7年が過ぎた頃だった。

 先に信心を始めた同僚が、わずか一カ月で驚くほど明るく変わっていく
姿を目の当たりにし、自分も唱題を実践してみることに。
「初めて題目を唱えて感じたのは自分への『信頼』を取り戻すような
感覚でした。あっという間に時間が過ぎたのを覚えています」

 唱題を続けると、高校生の時から悩まされてきた慢性疲労症候群の症状が
好転。いくら治療しても回復の兆しが見えなかったが、学会活動を始めると
以前より元気になっていく自分に気付き、信心の確信を深めていった。

 94年に御本尊を受持。同年、ミラノでの世界青年平和文化祭に映像関係の
スタッフとして参加。池田先生と握手する機会があった。

 陰に徹する人に光を当てる池田先生の振る舞いに感動し、それから
池田先生の著作を真剣に研さんするように。女子部のリーダーとして活動し、
婦人部では地区・支部の責任者としてメンバーのために尽くしてきた。

 「ディレクターの仕事には『勇気』と『創造力』が必要です。さまざまな
タイプの人と人間関係を築かないといけません。どんな人に対しても感謝の
心を抱き、何があっても勇気と希望を持ち続けられたのは、学会活動で自分
を磨くことができたからです」

イタリア モニカさん2.PNG
世界の各都市を巡る人気料理番組
「QB」の撮影に臨むガンビーノさん(右)


 つぎにつづく

まとめ
世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(1)
世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(2)

 『聖教新聞 2017/04/17(月)』

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世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(2)

イタリア モニカさん 3.PNG
ガンビーノさん(前列左から2人目)がイタリア
SGIのポッティチェリ・グループの友と共に


 世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(2)

人間と映像を結ぶ映像制作
 イタリアSGI モニカ・ガンビーノさん

国営放送のディレクターとして活躍

 不可能を可能にする信心


 ガンビーノさんは64年、ローマ生まれ、幼い頃からの悩みは、うつ病に
苦しむ母の存在だった。

 いつも落ち込み、泣いてばかりいた母から、優しさや愛情を感じられず、
常に”お母さんから逃げたい”と願い続けて育った。だがSGIに入会後、
題目を唱えながら自身と向き合うようになったガンビーノさんは、自分
にも母と同じ傾向性があることに気付いた。

 母も同じように苦しんでいる。苦しみたくて苦しんでいるわけじゃ
ない。そう思って、母の幸福を祈れるようになると、自身の態度も変わっ
ていった。学会活動を通し、親孝行の大切さや、不可能を可能にする信心
の実践を学んだ。
母と良好な関係を築くのは、まさに「不可能」を可能にする挑戦だった。

 信仰を始めて10年が過ぎた2003年には、けんかも少なくなっていた。
それでも、ガンビーノさんの心の底には、幼い頃からの母への怒りや
恨みがこびりついていた。

 ”もう宿命から逃げたくない!”……自分を支配してきた感情と今度
こそ最後まで向き合おうと決め、懸命に御本尊に祈り始めた2ヶ月後、
片頭痛で会社を休んでいたガンビーノさんのもとに母が見舞いに。
実家を離れてから自宅に母が来るのは20年間で2度目のことだった。

 「つらい思いをさせてごめんね。あなたが望むような母親じゃなくて
ごめん」

 娘の頭をなでながら語り掛ける母に、ガンビーノさんはずっと言いた
かった言葉を伝えた。「お母さんが望んでいたような娘じゃなくてごめん
でもお母さんのこと大好きだから」

「お母さんは、あなたのために何ができるかしら」
「一緒に題目を唱えてほしい。お母さんには、もっと幸せになってほしい」

 それから6ヶ月間、母は唱題の実践を通し、アルコールや向精神薬に
頼る生活を改善することができた。そして心臓発作で亡くなる前日まで、
それまでの生涯で見たことがないほど母は明るく穏やかだった。

亡くなった母の前で、信心に反対していた父もまた、題目を唱えてく
れた。もう一つの「不可能」が、可能になった瞬間だった。



 最高視聴率更新で専務賞

 放送ディレクターとして歩んできた日々は、決して順風満帆では
なかった。実力が全ての過酷な競争の世界。降格の憂き目に遭い、同僚
から嫌がらせを受けた時もあった。

 だが、どんな時も、イタリアSGIの先輩にアドバイスをもらいながら、
題目根本で一つ一つの課題に挑戦。「冬は必ず春となる」(御書1253
ページ)の一節を抱き締め、困難を乗り越えてきた。

 05年から「QB」がスタート。09年には、カンヌ国際映画祭のニュース
番組の制作も任せられ、最高視聴率を更新し、「専務賞」を受賞した。
そして、RAIとの期限付き雇用契約が無期限となり、ディレクターとして
の力量が高く評価されたのだ。

 「全てに信心で勝っていこうと決め、職場でも、SGIの座談会のような
暖かな雰囲気をつくれるように心掛けてきました。あらゆる障害を乗り
越えて、皆で成功を手にいれられるよう、そして皆が仕事で幸せを
感じられるよう、真剣に祈って臨んできました」

 ガンビーノさんの前進の原動力は、友人との仏法対話から湧き上がる
歓喜の力だ。毎朝、「私を必要とする地涌の菩薩に会わせてください」
と御本尊に祈念して出発する。
昨年と、一昨年も弘教を実らせ、これまでに15人を入会に導いている。

11年、一緒に暮らしていた最愛のパートナーが病気で亡くなった際には、
「彼の分も幸せになってもらいたい」と、パートナーの元妻と娘2人に
仏法対話。入会した娘の一人は信心でパニック障害を乗り越え、ガンビー
ノさんと同じ本部の女子部副本部長として共に活動する。

 ガンビーノさんは現在、婦人部副本部長。昨年は本部で新たに43人の
友が入会した。拡大の上げ潮の中、今年のサンレモ音楽祭の特集番組で
過去最高の視聴率を記録するなど、職場でさらなる実証も勝ち取っている。

「番組制作を通して、人間と文化を結びつけるのが私の目標です。
不可能を可能にするこの信心に徹し抜き、プロとして、そして仏法者とし
て、平和と社会のための価値創造にさらに挑んでいきます!」

  おわり

まとめ
世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(1)
世界の体験プラザ 信仰は勇気と創造力の源泉(2)

『聖教新聞 2017/04/17(月)』

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世界の体験プラザ「人間革命」の思想を広げたい(1)

もひかさん 1.PNG
先住民の暮らしをより良くするために最善を尽くす


もひかさん 2.PNG
ボリビア


世界の体験プラザ「人間革命」の思想を広げたい(1)

先住民の福祉に取り組む社会学者 
 ボリビアSGI ロクサナ・モヒカさん

誰もが幸福に生きられる世界に


 心にあった虚無感


 南米大陸のほぼ中部に位置するボリビア。正式名称は「ボリビア
多民族国」で、南米の国々の中でも、先住民人口の比率が高い。

 國家の中枢機関がある事実上の首都はラパスだが、憲法上では
19世紀の古都・スクレが首都になっている。

 ロクサナ・モヒカさんは、そのスクレで生まれた。父親は早くに
妻子を置いて家を去り、モヒカさんら4人の子どもは母親の実家で
育てられた。

「母は教育を重んじていました。教育は未来へのパスポートであり、
得た知識は誰にも奪われない、というのが母の口癖でした」

 大学では社会学を専攻。学費などを賄うため、國家統計局で
働きながら学んだ。卒業後、社会学者としてチュキサカ県自自体や
NGO(非政府組織)などで重責を担ってきた。

「福祉も足りず、極貧状態にあったチュキサカの先住民たちの
実情を知り、この人たちの幸福のために働こうと思ったのです」

 42歳で公衆衛生の修士号も取得。自分が望んだ分野の仕事であり、
いくつもの重要な機関で実績も重ねた。ただ一方で、心のどこかに、
言葉では説明できない虚無感が拭い切れずにいた。

 2007年、最南部のタリハ県に転勤し、EU(欧州連合)が支援する
衛生・保健プログラムの地域コーディネーターに就いた。

 だが、職場の人間関係などで強いストレスを抱え、不眠に悩まさ
れるようになる。


もひかさん 3.PNG
チュキサカ県の先住民グアラニー族が集
まるイベントで(右端がモヒカさん)


 渡された一枚のメモ


 そんな中、やはり社会学者として同じプログラムに加わっていた女性と
親しくなった。

「彼女がよく眠れる方法を教えてあげると言うので、てっきり薬の
名前かと思ったら、メモに南無妙法蓮華経と書いてくれたのです。
”朝晩この言葉を繰り返すのよ。そうしたら眠れるから”と」

 言われた通り実践してみると、心が落ち着いて眠れるようになり、
自信と安らぎが生まれた。彼女に誘われてSGIの座談会に参加する
たびに、メンバーの友情や励まし、体験談に心を打たれた。

 3ヶ月後、SGIに入会しご本尊を受持した日、タリハの婦人部長が
モヒカさんに語り掛けてくれた。

「もうこれからは生涯、独りではないからね。あなたには御本尊がある。
この地にも、そして世界中にも、新たな家族がいる。何より池田先生と
いう人生の師匠がいるのよ」

 何という温かな世界だろうと思った。そして、日蓮仏法が説く深遠な
生命感に、心からの安心を覚えた。

 モヒカさんの確信あふれる姿と、地元SGIの同志の誠実な態度に触れて、
年が明けると、母や姉妹も相次いで入会した。

 看護師でもある姉のメルビーさんは、現在ではコチャバンバ市内の
自宅を個人会場に提供して、子や孫も広布後継の人材に育っている。
同じく入会した妹のマリクルスさんは細胞学を専門とする大学教授。
先住民
ボリビア最大の国立病院で整形外科医を務める兄のロランドさんは、
SGIの良き理解者だ。

 つぎにつづく 【聖教新聞 2017/07/10(月)】


posted by mity504 at 10:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ「人間革命」の思想を広げたい(2)


ボリビアSGI女性平和会議.PNG
「ボリビアSGI女性平和会議」の一員として登壇する
モヒカさん(左)


世界の体験プラザ「人間革命」の思想を広げたい(2)

先住民の福祉に取り組む社会学者 
 ボリビアSGI ロクサナ・モヒカさん

誰もが幸福に生きられる世界に

 私から変わること


 先住民たちの福祉に関わりながらも、以前のモヒカさんは”彼ら”の
行動や習慣を変えなければと考えていた。母子の死亡率を減らすこと等ぼりびあ
についても、あくまでも数字の結果に固執していた。

「私は世界を変えなければならないと考えていました。けれども池田先生
の思想に触れて気が付いたのです。大事なことは、まず私自身の人間革命
から始めることだと。一人一人を尊重し、彼ら自身の”人間”に光を当てて
いくことを、この信仰で学びました」

 混迷する現実社会の中で、苦しむ人々のためにどう行動していくか。
法華経の思想は、自ら誓願して悪世に躍り出た「地涌の菩薩」としての
自覚を促している。

それは、泥水の中で、しかも泥に染まらず、美しく咲く百蓮華のごとき
生き方だ。

 御書を学び、池田先生のスピーチや提言を学ぶたびに、モヒカさんは、
ボリビア社会に創価の希望の哲学を広げていく使命の自覚を新たにして
きた。

 広布の第一線では、地区婦人部長として、同志の励ましに走る日々。
また「ボリビアSGI女性平和会議」の一員として、毎年、教育委員会など
と連携し、女性の教育や人権啓発の取り組みに尽力する。

親交のある各界の要人たちにも折あるごとに対話を重ね、池田先生の
書作などを贈呈。ボリビア社会にSGIへの理解と共感を大きく
広げてきた。

 昨年まで、ボリビア自治体協会連合会で行政顧問を務めた。
現在は独立し、NPOと協力しながら、先住民の地方自治体の運営管理を
サポートする。

 さらに、サンフランシスコ・ハビエル大学で、先住民の言語・ケチュア
語を学んでいる。

「池田先生が教えてくださった”人間は幸福になるために生まれてきた”
という『衆生所遊楽』の社会をボリビアに築きたい。この人間革命の
思想を広め、最も虐げられ苦労している先住民の人々に、人生を捧げよ
うと決意しています」

兄弟姉妹 2.PNG
前列左からモヒカさん、兄・ロランドさん、後列
左から姉・メルビーさん、妹・マリクルスさん


 おわり 【聖教新聞 2017/07/10(月)】


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世界の体験プラザ 世界的監査法人の勤務経験生かす(1)


ホンさん 1.PNG

世界の体験プラザ 世界的監査法人の勤務経験生かす(1)

 大手総合商社の経理・税務を担う

現地と日本を結ぶ架け橋に

  台湾SGI 洪 孟君(ホン モンジュン)さん

  仏法に無駄はない

 「はい!私にやらせてください」。気付いた時には手を挙げていま
した。

 2011年に大学を卒業し、世界四大監査法人の台湾法人に就職。この時、
入社2年目を迎えた私は、本来は3年以上の経験が必要な仕事に自ら志願。
常々、心に刻んでいた”若い時の苦労は、買ってでもする”との信念を
実行に移しました。

 ところが、重圧は想像をはるかに超えていました。顧客は、オセアニア
を代表する銀行の台湾支社。その税務監査の案件で、副グループ長に
任命されました。

私は、顧客と上司の間にはさまれ、一人で百数十万台湾ドルに及ぶ責任を
負い、心労と睡眠不足で、逃げ出したい気持ちになりました。

 台湾SGI女子部副書記長に、との話があったのは、そんな時です。
悩みましたが、「ここで役職の話をいただいたのは意味がある」
「今こそ人間革命のチャンスだ」と、再び決意し、全てをやりきる一心
で受けました。

 朝は同僚より早く出勤し、仕事に全力投球。SGIの活動も妥協しません
でした。黙々と奮闘する私の姿を見て、同僚も深夜まで手伝ってくれ、
案件は無事に成功。最高の経験を積むことができたのです。

 もちろん、うまくいくことばかりではありません。ある中国大陸の
商社が台湾証券取引所に上場する案件では、法律上の不備が見つかり、
9ヶ月かけてまとめた資料が水の泡に。

また、ある台湾企業の海外取引先の確認のため、上司と2人で中国大陸
に渡り、タクシーで走り回ったことも忘れがたい思い出です。

14年には、縁あって日本の大手総合商社が100%出資する台湾法人に
転職し、現在は経理、税務等のコンサルティングを担当しています。
前職の経験を存分に生かすことができ、「仏法には無駄がない」ことを
心から実感しています。


ホンさん 2.PNG
現在の職場である大手総合商社・
台湾法人前で


  大学不合格が転機

 私は1988年、3人きょうだいの長女として台湾中部の南投県で生まれ
ました。

 父は金型加工の工場を経営していましたが、仕事は不安定。そのこと
を悩んでいた母は、パートと掛け持ちをしていた新聞配達の集金先で、
題目の声を耳にし、なぜかとても心引かれたそうです。

「宿命を転換する仏法です」との話に、すぐに入会。父の反対で、御本尊
は安置できませんでしたが、私たちきょうだいも未来部の活動に参加する
ようになりました。

 私は、幼い頃から、決めた目標は最後までやり遂げる性格でした。
小学校では学業と陸上部を両立。中学・高校6年間は、英語ラジオ放送を
欠かさず聞き、大の得意科目になりました。

 成績はずっとトップクラス。しかし、大学受験ではまさかの第1志望
不合格。初めて味わう挫折でした。

 いらいらし、家族に八つ当たりしましたが、母は、「一緒に信心で
乗り越えましょう」と励ましてくれました。私は初めて真剣に祈り、見事
、台湾大学管理学部・会計学科に合格できたのです。

 今思うと、あの”不合格”に本当に感謝してます。競争率が高いと
いう理由で第一志望の学部に入っても、将来は見えなかったでしょう。
また自身過剰で、人の痛みが分からない人間になったかもしれません。

会計士への道は、一歩一歩積み上げる性格の私にぴったりだったと
実感します。

 大学では学業だけでなく、台湾SGI学生部の代表も務めました。
大学卒業直前には、会計士試験を目指して、猛勉強に挑戦。試験は7科目
あり、4年間で合格すればいいのですが、思い切って「1回で全科目合格」
を決意。2011年、合格者600人のうち、一発合格者は12人で、私は
その一人になることができました。

  つぎにつづく 【聖教新聞 2017/07/17(月)】

posted by mity504 at 17:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 世界的監査法人の勤務経験生かす(2)

ホンさん3.PNG
台湾女子部のメンバーと(左から3人目が洪さん)


世界の体験プラザ 世界的監査法人の勤務経験生かす(2)

 大手総合商社の経理・税を担う

現地と日本を結ぶ架け橋に

  台湾SGI 洪 孟君(ホン モンジュン)さん

  師と新たな原点を


 現在の職場では、二つの業務を担当しています。

 一つは、決算の数字を東京本社の海外会計部に送り、連結決算書を
作成することです。台湾では、13年から、国際会計基準が導入され、
最新の知識に精通した人材が求められています。

 もう一つは、財務報告書の作成や、法人税の申告などをする上で必要な
、監査法人とのやりとりです。その窓口を担当しています。

 国際会計基準も、監査法人も、どちらも私の職歴が役に立ち、これほど
うれしいことはありません。

 池田先生はかつて、戸田先生の「経理」に関する指導を引かれつつ、
「どこの世界でも、金銭や人事に厳格なところが最後は勝っている。
あいまいなところは敗北している」とスピーチされました。

 この指針を胸に、現地支社と東京本社の発展のために、また台湾と
日本の架け橋となって活躍していこうと決意しています。

 一昨年の9月4日には、新たな信心の原点を刻むことができました。
日本でSGI青年研修会に参加し、池田先生にお会い出来たのです。

 この日は、くしくも私の誕生日。涙の向こうに三色旗を振る先生の
姿を見て、”私も共に希望を送る存在になる。社会に貢献できる人材に
成長しよう”と深く誓いました。

 「私にやらせてください」と手を挙げた時から、一念が変わったことを
実感します。これからも青年らしく、いかなる困難も前進の糧に変え、
報恩の人生を歩んでいきます。

  おわり 【聖教新聞 2017/07/17(月)】



posted by mity504 at 12:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ・核兵器廃絶こそ取るべき選択肢

米・退役軍人 1.PNG
核実験演習に参加した被ばく退役軍人として活動して
きたオリバーさん。ミズーリ州ニクサの自宅前で


 世界の体験プラザ・核兵器廃絶こそ取るべき選択肢
 米国の核実験演習で被ばくした退役軍人
 アメリカSGI ロバート・オリバーさん


 きのこ雲の爆心地に進撃

 
 核爆弾が炸裂した後に生じる巨大な火の玉ときのこ雲。この世のものとは
思えない、その非現実的な光景を、私は何度も直接この目に焼き付けました。
1951年、陸軍の兵士として、核実験演習に参加していた時のことです。

 演習のコードネームは「デザートロック」。米国の核実験において初めて、
実戦を想定して陸軍の部隊が動員された演習でした。

 演習場は、ラスベガスから北西に104キロ離れたネバダ州の砂漠。文明から
完全に隔離された荒野にテントを張ってキャンプを設営し、数ヶ月間、
そこで暮らしました。

 核爆弾を投下した後、生き残った敵戦力を撃つために爆心地に進軍する
という演習だったと記憶しています。塹壕にうずくまって待機し、
爆発の直後、私たちは武器を持って立ち上がり、まるで敵に向かって
襲撃するかのように、あのきのこ雲が上がる爆心地に向かうのです。

 演習場に着いた日、大きなスピーカーを通して指揮官から説明が
ありました。私たちがここに来たのは核実験の補助をするためであり、
ソ連との核競争に勝って冷戦を終わらせるためだと、多くの兵士が、
放射能によって父親になれる可能性を奪われるのではないかと
懸念していました。

 ある実験中、誤算で通常よりもキャンプに近い位置に爆弾が落ちました。
テントはたちまち吹き飛ばされ、砂嵐で空は一気に暗くなりました。
昼間なのに夜中のようなのです。
それでも指揮官は”放射能は低いから気にするな”と言い放ちました。

 身を守るために掘った塹壕も、その上に積んだ土のうも、放射線を
防ぐためには何の役にも立たない。そのことが分かったのは、
後年、私たち「被ばく兵士」が後遺症に苦しむようになってからの
ことでした。


 後遺症に苦しむ仲間たち

米・退役軍人 2.PNG
1951年、ネバタ州の砂漠で行われた核実験。
連動して行われた演習「デザートロック」では
、陸軍兵が爆心地から20キロ以内の距離の塹壕
で爆発の瞬間を待ち、その後、きのこ雲に
向かって歩きだした



 私の部隊には143人が在籍していましたが、今でも生きているのは、
84歳の私一人だけです。仲間たちは「デザートロック」での任務を
終えた後、それぞれの道を進んでいきました。

 私は韓国に派遣され、その後、日本に駐留。そこで生涯の伴侶である
サエコと出会いました。55年1月に結婚。ですが、どうしても子どもを
授かることができません。軍医に診てもらうと、私の体では一生涯、
子どもができないと診断されました。
63年、まだ生後2週間だった娘のエミリーを養子に迎え入れました。

 65年、愛する妻と娘を日本に残して、戦線が拡大するベトナムに
派遣されました。その頃、サエコが創価学会に入会したのです。
サエコは私の無事を懸命に祈ってくれました。

 ベトナム駐留中に、”もうだめだ!”といった場面が3度ありましたが、
奇跡的に生き延びることができました。日本に帰還した私を見て、
サエコは御本尊の功力を感じ、信心の確信を深めました。

 私は当初、奇妙な宗教だと勘違いし信心に反対していましたが、
彼女の意志は固く、題目を唱え続けました。以前より生き生きと
変わっていく妻の姿に、この仏法には何かあるのかもしれないと
思い、私自身も入会。68年のことでした。

 家族でワシントンDCに引っ越し、70年には陸軍を退役。
題目を唱えながら新しい仕事を探すと、願っていた通りの条件で
電気技術者の仕事に就くことができました。信心の功徳を実感し、班長
として、草創期のアメリカ広布の最前線で活動するようになりました。

 私にとってもう一つの功徳は、偶然、あるラジオのニュースに
触れられたことです。それは、多くの被ばく兵士が驚くべき早さで、
がんのために亡くなっているという衝撃の内容でした。
全米被ばく退役軍人協会の存在を知り、私はすぐに会員になりました。

 そこで分かったのは、多くの仲間たちが、すでにこの世を去っている
という絶望的な現実でした。生存者たちも、白血病や皮膚がんなどの
病に苦しんでいたのです。


前を向いて生き抜く勇気

米・退役軍人 3..PNG
昨年まで闘病中だった妻サエコさん
(故人)と共に



 2001年の時点で、同じ部隊で生きているのは、ほぼ私だけとなりました。

 被ばく兵士の妻たちから届いた手紙を、今でも大切に持っています。
それらは、仲間たちがどのような最期を遂げたのかを知る手掛かりに
なりました。その中の誰一人、父親になれた人はいませんでした。
50歳まで生きた人の方が少なかった。

 数年前、私自身もぼうこうがんを患いました。60年以上を経てもなお、
放射線の悪影響を受けていることにショックを隠しきれませんでした。
しかし幸いなことに、早期発見のおかげで腫瘍を取り除く手術を即座に
受けることができ、今もがんは再発していません。

 日蓮仏法の実践を始めたのとほぼ同じ時期に、仲間たちの現状を知り、
自身の体にも異変を感じ始めたのは、決して偶然ではないと思っています。
この84年の人生で、いとも簡単に希望が崩れてしまうような苦しみを、
あまりにも多く目撃し、また自らも体験してきました。
しかし私は、何があっても前を向いて生き抜く勇気を、この信心で
得ることができました。

 南無妙法蓮華経の題目を日々唱え、池田先生の指導を学んでいるからこそ
私は決して絶望しません。創価の青年たちを信じ、人類の未来に希望を
持てる自分でいられるからです。

 今でも唱題するたびに、心の中が晴れ渡っていくような感覚があります。
「命というものはわが身にとって第一の珍宝である。たとえ一日で
あっても寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさるのである」
(御書986ページ、通解)との御聖訓をかみ締める毎日です。

池田先生とSGIの同志、そして、被ばくした私を生涯支え、昨年、霊山へと
旅立った最愛の妻に、感謝してもしきれません。

 池田先生は半世紀以上にわたり、核兵器廃絶を訴え続けてきました。
戦争と核の恐ろしさを身をもって経験した一人として、私は声を大にして
言いたい。池田先生のような貢献をしてきた人物は、他にはいないと。

 核兵器が使用される時、そこに勝者はいません。全員が敗者です。
ゆえに私たちには、核兵器廃絶という選択肢しか残されていないのです。


 【聖教新聞・2018年(平成30年)1月29日(月)】


posted by mity504 at 20:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ
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