信仰体験 - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

信仰体験 新生の道 東日本大震災

石巻・鈴木さん.PNG
鈴木造船所の新工場に立つ鈴木さん。
最大で総重量499トンの船を受け入れられる


信仰体験 新生の道 東日本大震災

 石巻の造船所 不屈の火ともす

 【宮城県石巻市】大船を引くウインチのきしむ音が曇天に響く。
先月18日、鈴木造船所の新工場が稼働した。上架した第一船は、船長
40メートル船幅18メートル。
復興に休みなく働いた約100トン吊りの大型クレーン台船だ。
社長の鈴木千代正(60)=湊福光支部、副県長=は、この日を待ち
焦がれていた。

 鈴木造船所は、伊達政宗に招かれた船大工を先祖に持つ。1927年
(昭和2年)の創業。オイルショックや200カイリ漁業水域を背景に
、2度の倒産を経験した。

 夜通し練った再建計画を手に、債権者を回った。力を尽くして
説明したが納得してもらえず、顔を朱にして怒鳴られた。地面に額を
こすりつける思いで何度もわびた。

 鈴木さんは修羅場を耐え忍びながら、力を蓄えた。石巻の造船の
火を消すものか。鋼(たがね)の意志で、2006年(平成18年)に負債を
完済した。
まさにこれからという時だった。東日本大震災の津波で、造船所は
全滅した。
         ◇
 被災4ヶ月後に工場の一部を稼働させ、翌年には全設備を復興して
みせた。だが河口部の堤防建設の話が持ち上がり、移転を迫られた。
廃業も考えられる事態だったが、鈴木さんは迷わず移転を決断した。
津波に奪われた2人の従業員の顔が浮んだからだ。

 震災直後、線香をあげに行くと、遺された家族から聞かされた。
「会社のこれからが楽しみだって言っていた」。
遺影の前で正座したまま泣いた。

 石巻で立ち上がってこそ意味がある。己にそう言い聞かせたものの、
手探りの土地探しは難航した。巨額の資金調達にも不安が募る。
船が上架できない夢を見た。

ようやく喉を通った食事は、味がしない。しおれる心を、題目で
奮い立たせる日々だった。
          
 不屈の祈りは、「母がくれた1年」の上に脈打つ。病弱の母は入退院
を繰り返し、やがて意識が戻らず寝たきりになった。
当時25歳の鈴木さんは、母のためを思って信心を始めた。

小説『人間革命』で師弟の真髄を学び、題目の威力を自力でつかんだ。
母を見舞い、耳元で題目を毎週聞かせた。

 結婚前夜、「俺、幸せになっから」と、人工呼吸器につながれた母に
妻を紹介した。母は息子の成長を見届けるかのように、春夏秋冬を
経て鼓動を止めた。

 母がいれば、会社再建に汗する今の自分はどう見えるだろう。
鈴木さんは退路を断ち、題目をひたすらに積み上げた。
           ◇
 工場移転の重圧にあえいだ苦闘は、極限の中に宿る「師弟の底力」
を教えてくれた。

 池田先生は被災地の友を、「苦楽を分かち合う共選の同志」と呼んだ。
言葉の奥をすくい取ると、弟子の痛みをわが痛みに変えるという慈愛が
あった。

それが逆境の扉を開け放つ力になった。だから全身で叫んだ。
 負けてたまるか……。

 おととし、約2万1000平方メートルの県有地を見つけた。
「池田先生に応える一念に、諸天が感応してくれた」。国と市の補助金
を活用した。

 落成式はこの6月、約180人が集った。新工場は船台3基を新設し、
大型クレーンを構える。船長70メートル級の対応が可能になった。
鈴木さんは「水産の街・石巻の復興に少しでも貢献したい」と皆に
誓った。
           ◇
 自分一人ではたどり着けなかった再出発。「運の良さと偶然が味方
した。人だったり、政策だったり」。かつて怒鳴られた取引先も力を
貸してくれた。

福運のある人生を歩むことがどれほど大切か。「夫(そ)れ運きはまり
ぬれば兵法もいらず・果報つきぬれば所従もしたがはず」(御書1192
ページ)。入会した日に教わった一節をかみしめる。

 石巻の造船の火は不屈であり、強靭だ。高揚感が漂う中、鈴木さんは
気を引き締める。「これからです。創業90年の節目。大きな使命を感じる」

   おわり 『聖教新聞・2017/08/01(火)』


posted by mity504 at 17:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰体験
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