大会・会合 - 聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

青年大会から歴史動かせ 北海道の若人が総立ち

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「一人の力が世界を変える」をテーマに行われた北海道・三代城創価
青年大会のフィナーレの演目。集いの最後には、戸田北海道青年部長
を中心に、師に届けとばかりに全員で万歳三唱を。
竹岡青年部長、清水総合女子部長らが激励に駆け付けた
(札幌市の真駒内セキスイハイムアイスアリーナで)

 青年大会から歴史動かせ

 北海道の若人が総立ち

 札幌・真駒内で1万人が一堂に

 北の大地に新生の春を告げる北海道の「三代城創価青年大会」が4月30日
、札幌市の真駒内セキスイハイムアイスアリーナで盛大に開催され、
全道から1万人超える友が一堂に集い合った。

 これには池田先生が祝福のメッセージを贈り、広布開拓に励む友の奮闘
に心からの称賛を寄せた。

 また、大会には、北海道の各界から多数の来賓が列席した。席上、来賓
を代表して高橋はるみ道知事、札幌市の秋元克広市長があいさつ。
青年と熱と力がほとばしるステージに喝采を送った。(3面に詳報)

青年大会 北海道 3.PNG


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『炎の東京大会』60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ(1)


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世界広布の本陣・東京。はるかには、
富士の雄姿が映える。さあ、”感激の同志”
のスクラムで、師弟凱歌を轟かせよう


『炎の東京大会』60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ(1)

 歴史をひもとく時、しばしば民衆勢力を排除しようとする権力の
抑圧がある、立正安国へ進んできた創価学会にもまた、幾多の迫害が
あった。60年前の1957年(昭和32年)7月、権力の魔性が学会に牙を
剥いた「大阪事件」。弾圧を堂々と勝ち越えた一つの大きな転機が
「炎の東京大会」である。

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「東京大会」から5日後の7月17日、
大阪拘置所を出獄した池田先生


 降りしきる雨をものともせず、東京、埼玉、神奈川、千葉などから、
続々と同志が詰め掛けていた。

 1957年(昭和32年)7月12日の夜、東京・台東区の蔵前の国技館は、
2万人の学会員で埋め尽くされた。会場の外にも、傘を差した2万人の
友が、怒りに震えていた。

 この日は当初、戸田先生の一般講義が行われる予定だった。
それが中止となり、急きょ、「東京大会」が開催されたのである。

 同年7月3日、池田先生が3ヶ月前の参院選(大阪地方区の補欠選挙)
に関する事実無根の容疑で、不当逮捕された。

 戦後、躍進した「創価学会」という民衆勢力の台頭を恐れた、権力に
よる卑劣な迫害であった。

 これを徹底的に糾弾し、学会の正義を宣言したのが、「東京大会」
である。


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戸田先生は「東京大会」で、権力の魔性との大闘争を
宣言した(1957年7月12日、蔵前の国技館で)


 戸田先生は大会の席上、質問会を行った。

 理解と納得が、前進の力を生む。疑問やしこりを抱えたままでは、
空転に陥るからだ。

 学会本部の対応が手ぬるいと訴える友もいた。今後、どう対策を
取るのかを尋ねる人もいた。

 一つ一つの質問に、戸田先生は明快に答えつつ、烈々と宣言した。
「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから
何も怖くない」

「おめおめと、負けてたまるものか!」

 恩師の獅子吼に、同志は呼応した。破邪顕正の炎は、ここ東京から、
全国へと一気に広がっていったのである。

 塚原孝雄さん(東京・荒川総区、副支部長)は、雨の中、場外の整理
役員に就いていた。

 「集ってくる方々の表情が、怒りに満ちていたことを覚えています」

 場外にいた友は、館内の話を聞くことはできなかった。それでも、
その場から離れようとしない。

 大会が終わると、場外の友は、会場から出てくる参加者に、誰彼
かまわず声を掛け、内容を聞いて回っていた。同志のいちずな姿勢に
塚原さんの心は”断じて魔に負けてなるものか”と奮い立った。

 その後、池田先生が荒川で指揮を執った57年8月の「夏季ブロック指導」
で、自身も弘教を実らせたことは、黄金の思い出だ。

 83歳の今も、広布の情熱を燃え上がらせ、意気揚々と対話に歩く。

 「荒川の底力を発揮し、新たな『荒川凱歌の歴史』を築きます」と
力を込めた。末広良安さん(東京・北総区、区主事)は、録音係を
務めた。

 53年(同23年)の入会。先輩から「池田室長(当時)は、すごい人だ」
と何度も聞いてきた。


 その室長が無実の罪で投獄された。「館内には”絶体に池田室長を
取り返すんだ”との怒りが充満していました」
 
 戸田先生の叫びに、末広さんの胸は震えた。その響きに、おごり
高ぶった権力への激しい怒りと同時に、どこまでも弟子を思う深い
慈愛を感じたからだ。

 「”同志を守り、師に応えゆく弟子に成長していこう”と決意
しました」

 「東京大会」の感動を胸に、末広さんは北区を懸けてきた。広布の
”北極星”と輝く天地に、「喜び多き万歳を」と誓う。

……「東京大会」終了後、戸田先生は大阪地検へ乗り込んだ。同行した
友に体を支えられながら、地検の階段を上がる。そして、検事正に
会うや、猛然と抗議した。

 「私の逮捕が狙いなら、今すぐ私を逮捕しなさい」一方で、池田先生へ
の取り調べは過酷を極めていた。検事は、「罪を認めなければ、学会
本部を手入れし、戸田会長を逮捕する」と恫喝した。

 恩師の身を案じ、呻吟の果てに、池田先生は裁判で事実を証明する
ことを決断。逮捕から4年半の時を経て、「無罪」判決が出された。

 衰弱する体を押して、師は弟子を守ろうとした。

 弟子は師匠のために身を賭して戦い抜き、「勝利」によって、学会の
正義を満天下に示したのである。


     ◆◇◆

 東京上野平和講堂に、「東京大会」を顕彰する碑がある。池田先生は、
碑文につづっている。
 「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」

 「師弟凱歌の旭日を元初の朝(あした)に示さんは 本陣・東京の使命
なり」

 これこそ、「世界広布の本陣・東京」の永遠不滅の魂である。

 つぎにつづく

 【聖教新聞 2017/06/21(水)】

 まとめ
『炎の東京大会』60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ(1)
『炎の東京大会』60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ(2)



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『炎の東京大会』60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ(2)

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「東京大会」に続々と集結する参加者
約4万人の友が集った


『炎の東京大会』60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ(2)

 勝負決した正義の獅子吼

 大会に参加して 台東区婦人部主事 湯川 藤江さん

 「東京大会」の当時、私は入会3年の女子部員。
その頃、池田先生が戸田先生から薫陶を受けた”戸田大学”の講義を、
共に受けさせていただく機会がありました。

 戸田先生の真正面に池田先生。お二人が話し始めると空気が一変
します。私たちは邪魔にならないよう心掛けました。

 池田先生は姿勢を正され、メモは取られず、「ハイッ! ハイッ!」
と、戸田先生をじっと見て返事される。”師匠の全てを吸収するぞ”
という気迫がみなぎっていました。

 空気はビリビリして、咳を必死にこらえたのを覚えています。
師弟の峻厳さを目の当たりにした思いがしました。

 池田先生が逮捕されたと聞いて、”早く出てきてください”と
祈りに祈りました。誰の目から見ても無実は明らかなんですから。
先生に万が一でも何かあったら、これからどうなってしまうのか……。

 先生の逮捕が学会にとって一番の痛手になる。だから狙われていたの
だと思います。戸田先生は弁護士に憤慨しておられました。

 ”即刻だせ!そうじゃないと大の体はダメになる”。尋常な怒りでは
ありません。親以上の心です。


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横暴な権力への怒りが燃えた「東京大会」。「7・12」は
「総東京婦人部 幸福・勝利の日」「総東京青年部の日」
である


 「東京大会」の前日、”蔵前の国技館に集まれ”と連絡が。電話も
少なく、隣の隣の家から呼び出してもらうような時代です。
電報での連絡も多かった。

 7月12日は、午後から雨が降り続いていました。浅草橋から会場の
国技館まで、水たまりがいっぱい。

 その日まで、私は国技館を見たことがありませんでした。周囲に
テレビはなく、相撲はラジオでしたから。人だかりを追ううちに
会場につきました。

 交差点を曲がると、歓声が「ワーツ!」。国技館が揺れているよう
でした。

 戸田先生は体調を崩されていましたが、この日はとてもお元気でした。

 壇上で”(池田先生を)早く出せ!”と一喝。戸田先生の正義の
獅子吼によって、勝負が決したのだと思います。

 「そうだー!」「行くぞー!」と、会場の参加者の気迫もすさまじ
かった。全員で大阪に乗り込むような勢いでした。

 17日に池田先生は釈放されますが、裁判はずっと続きます。
大阪への移動は夜行列車の時もありました。全ての行事を終えてから、
先生は列車に乗られる。

 でも先生はいつも、朗らかなんです。「これから大阪に行くんだよ」
って。

 時間がたてばたつほど、あの時の思い出は深く、重みを感じます。

 おわり 【聖教新聞 2017/06/21(水)】

 まとめ
『炎の東京大会』60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ(1)
『炎の東京大会』60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ(2)


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不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(1)


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赤レンガの壁と緑のドーム屋根が特徴的な
中之島の「大阪市中央公会堂」。
数々の関西広布の節目を飾る舞台となってきた。


 師弟こそ仏法の真髄なり
不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(1)

信心しきったものが必ず勝つ


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「大阪大会」であいさつに立つ池田先生。”信心しきったもの
が必ず勝つ”との師子吼は、関西の不敗の誓いとなった。
(1957年7月17日、中之島の大阪市中央公会堂で)



きょう7月17日は、1957年(昭和32年)に中之島の大阪市中央公会堂で
「大阪大会」が行われた日である。この時の”戦いは負けたらあかん”
との「関西魂」は今、世界に輝き広がる。

ここでは、「不敗の原点『大阪大会』60周年記念特集」として、関西
婦人部の代表の証言を交え、その精神を確認する。

 大阪市の関西池田記念会館に「師弟常勝之碑」がある。碑文は、
「大阪大会」50周年の2007年(平成19年)7月、池田先生が関西の共に
贈ったものだ。

その冒頭は「師弟こそ 仏法の真髄にして 最極の魂の結合なり」と。
創価学会は、「師弟」という深い人間の絆で結ばれた団体である。
ここに、権力の不当な弾圧にも屈しない強さの源泉がある。

 60年前、権力に魔性が牙を向いた。「大阪事件」に、関西は負けな
かった。師と共に迫害を堂々と勝ち越えた。関西の友が満天下に示した
のは、「師弟」の底力にほかならない。

 1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は事実無根の冤罪で、不当逮捕
された。発端は、3ヶ月前の参院選(大阪地方区の補欠選挙)にさか
のぼる。一部の会員が起こした選挙違反を、池田先生に強引に結び付けた
のである。

 この逮捕までに、警察と検察は、学会員に威圧的な取り調べを行った。
 
 当時、女子部班長だった林智栄子さん(関西婦人部総主事)。参院選
から数日後、刑事が自宅に来た。戸別訪問の容疑だという。
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林智栄子さん
 連日、朝から晩までの取り調べ。刑事は「誰の指示で動いた!」
問い詰めた。戸別訪問などしていない林さんは、否認し続けた。

 
 その後、取り調べは大阪地方検察庁へ移った。そこでは、複数の検事
に取り囲まれた。

ある時には、検事が池田先生の写真を手に、「知ってるやろ」と
恐ろしい剣幕で詰め寄ってきた。
 その激しさは、林さんの頭をもうろうとさせ、”私、悪いことしたん
やろか”と錯覚させるほどだった。

「罪もない人を陥れようとする。権力の怖さを心の底から感じまあした」
池田先生が不当逮捕されたのは、この取り調べから一ヶ月半ほど後の
こと。

「先生の逮捕を聞いた時は”私の取り調べでさえ、あれだけ問い詰められ
たのに、どれほど先生は責められてしまうのか”と不安で仕方ありません
でした」

池田先生は逮捕から5日後の1957年(昭和32年)7月8日、大阪拘置所に
移監された。

 この日、検事は2人がかりで夕食も取らせず、深夜まで取り調べを続
けた。

 9日、検事は「罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を
逮捕する」と恫喝した。

 すでに恩師の体は衰弱しており、逮捕は生命の危険にも結び付きか
ねない状況だった。

 獄中で一人、煩悶を続けた先生は、恩師の身を案じ、法廷で真実を
証明することを決断したのである。

      ◇

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「大阪大会」60週年を記念して行われた「関西勝利大会」。
今再びの常勝の大行進を誓いあった。(10日、同公会堂で)


57年7月17日の正午過ぎ、池田先生は大阪拘置所から出所。多くの再びの
関西の同志が歓喜して出迎えた。先生はつづっている。
「私の投獄を、わがことのように心配し、悲しみ、憤った、関西の
同志たち。私は、その真心への感謝を、絶対に一生涯忘れることは
ないだろう」

 午後6時、場内と場外合わせて約2万人の友が集まり、中之島の
大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開会した。

 しばらくすると、空を厚い雲が覆い始めた。横暴な権力に対する
諸天の怒りであるかのごとく、豪雨が地面をたたき、空には雷鳴が
轟いた。

 場外のスピーカーの声は、雨の音でかき消された。だが、誰一人と
して、帰ろうとする人はいない。

 仕事を終えて駆け付けた林さん。ずぶ濡れになりながら、堂島川を
挟んで公会堂の対岸にあった大阪地検の建物を睨みながら、固く誓った。

 ”負けたから、こんな悔しい思いをした。戦いは負けたらあかん。
一生かけても、この仇は討つ”

 その燃えるような気迫は、60年が過ぎた今も赤々と。林さんは
力を込めた。

 「”仇討ち”とは、個人的な復讐などではありません。”師と共に”
との心で、広布拡大に挑むこと。それが、関西の関西たるゆえんであり、
池田先生が教えてくださった精神です」。
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栗原明子さん
 栗原明子さん(関西婦人部総主事)は当時、女子部部隊長を務めていた。

 ある日、いてもたってもいられず、警察署などを回った。すると、
偶然、署の前に一台のジープ型の車が止まった。その直後、先生の姿が
見えた。

 目が合った。「元気?」と先生から声が。「元気です!」と栗原さん。

 今から取り調べが待っているにもかかわらず、一人を大切にする、
いつもの「常勝将軍」の雄姿が、そこにはあった。

 「いついかなる時も、先生は変わらない。先生のお姿を拝見し、”権力
の魔性などに断じて負けてなるものか”と深く誓いました」

 もう一つ、栗原さんには忘れられないことがある。

 池田先生の逮捕以来、旧関西本部には、頻繁に戸田先生から電話が
かかってきた、ある時の電話の後、応対していた壮年が受話器を持った
まま、号泣する姿を、栗原さんは見かけた。

 壮年が涙したのは、戸田先生が「代われるものなら、わしが代わって
やりたい。あそこは入った者でないと分からないんだ」と語ったからで
ある。

 師の恩は山よりも高く、海よりも深い……どこまでも弟子を思う師の
慈愛を、栗原さんが深く知った瞬間だった。

 「大阪大会」には、場内で参加。終了後、池田先生は「一緒においで」
と栗原さんをはじめ、居合わせた友に声を掛けた。

 先生の後ろにつき、公会堂の階段を上がった。先生は窓を開けると、
場外の友に手を振った。

 沸き上がる歓声と拍手は、しばしの間、鳴りやまなかった。

「池田先生と関西の絆は、どのような障魔が競い起ころうとも、断ち切る
ことなどできない。そのことを確認した光景でした」

 「大阪大会」で、池田先生は師子吼した。

 ”最後は、信心しきったものが必ず勝つ”

 この宣言は今、人生を切り開き、人間革命の勝利劇をつづりゆく”
常勝の指針”として、関西の同志の心に受け継がれている。

 次回につづく 『聖教新聞 2017/07/17(月)』

創価学会の3代会長がいかに権力と戦ってきたのか、という
厳然たる事実の歴史です。
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動画・youtube
3代会長の権力との戦いと勝利の栄冠

 まとめ 
不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(1)
不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(2)


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不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(2)

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大阪市中央公会堂の前で、関西婦人部の代表が
師弟共戦を誓って(4日)。池田先生は「常勝の母」
たちへの万感の思いを詠んでいる。「常勝の 
大関西の 婦人部に 幸福 燦たれ 諸仏も護れと」


  師弟こそ仏法の真髄なり

 不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(2)

「関西の友の真心を一生涯、忘れない」



 「大阪大会」の公判は、逮捕から4年半、84回に及んだ。この間、
池田先生は23回、法廷の場に立った。

 先生は裁判に出廷する前日、当日、翌日と可能な限り、関西の友
に会い、励ましを送り続けた。手づくりで、関西広布を一段と伸展さ
せていったのである。

57年10月18日の初公判の日の夜には、神戸で友を激励。翌19日には、
京都の宇治方面を訪れている。

 61年(同36年)9月22日の午前には、第二室戸台風で被災した西淀
川区に足を運んだ。午後からは大阪地裁で、先生自らが検事への
証人尋問に臨んだ。

 検察が起訴した刑事事件の有罪率は当時、「99%」を超えた。
起訴されてしまえば、無罪は”不可能”といえた。

 さらに、「大阪事件」を担当した弁護士は、「有罪は覚悟してほしい
」という弱腰だった。その中で、62年(同37年)1月25日、先生に
「無罪」判決が出たのである。
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峯山益子さん
峯山益子さん(関西婦人部総主事)は、この日のことが忘れられない。

 高校卒業後、図書館で働き始めた。53年(同28年)12月、「常勝の
母」と慕われた矢追久子さん(故人)の勧めで信心を始めた。

 翌年、先生が矢追さんの家を訪問。そこで、師との初めての出会いを
刻んだ。

 図書館で勤務していることを伝えると、先生から「御書は持っている?
と聞かれた。この時、まだ持っていなかった。

 「その場で、先生は御書を学ぶ大切さを教えて下さいました」

以来、御書の研さんに励んだ。職場には、学会を嫌う人がいた。週刊誌
などに学会の批判記事が掲載されると、その雑誌が必ず机の上に
置かれていた。

「でも、全く気になりませんでした。”すべて御書の通りだ”って思って
いましたから。『大阪事件』が起こった時、信心が揺らがなかったのも、
御書を研さんしていたおかげです」

 61年、峯山さんは結婚。その直後、肋膜炎を患った。「自宅療養を
していましたが、先生が無罪を勝ち取られた日、母と一緒に旧関西本部
へ向かいました」

 無罪判決が出た後、先生は旧関西本部へ。「大法興隆所願成就」の
関西常住のご本尊の前に端座し、感謝の祈りをささげた。

 そして、その場にいた峯山さんの病気平癒を祈り、「大丈夫たよ」と
励ましを送った。

 「先生の慈愛は、今も心から離れることはありません。生涯、師恩に
報いる人生を歩んでいきます」

 裁判を勝利で終えた直後も、先生は「一人の励まし」に徹した。
広宣流布は、この「一人の励まし」から始まることを、関西の友に
改めて示したのである。

       ◇

 「大阪事件」の本質とは、何であったか。

 それは、飛躍的な発展を遂げている学会に対して、自分たちを脅かす
勢力になると恐れた権力による卑劣な弾圧であった。

 池田先生は、小説『新・人間革命』第5巻「獅子」の章でつづっている。

 「社会の主役、国家の主役は民衆です。その民衆を虐げ、苦しめ、
人権を踏みにじる魔性の権力とは、断固戦わなければならない。それが
学会の使命であると、私は宣言しておきます」

 民衆の側に立ち、正義の旗を掲げ続ける……。

 そのことを、先生が自らの身をもって示した「大阪事件」とその勝利。
不滅の「正義の原点」に刻まれた師の精神は、世界広布の明日を
照らし続ける。


   取材後記

 取材の折、栗原さん、峯山さん、林さんが、同じ言葉を口にした。
「関西を『常勝関西』にしてくださったのは、池田先生です」
「関西が『世界のカンサイ』になったのは、池田先生のおかげです」
「関西に『凱歌の夜明け』を告げてくださったのは、池田先生です」

 あふれ出る師への感謝。今も燃える師への誓願。こうした無数の
「関西の母」たちありて、
 池田先生は、関西婦人部をたたえている。

「どんな深い闇も、底抜けに明るい笑顔で打ち破ってくれる関西の
母たちこそ、世界第一の『常勝の太陽』なのである」

  おわり 『聖教新聞 2017/07/17(月)』

創価学会の3代会長がいかに権力と戦ってきたのか、という
厳然たる事実の歴史です。
3代会長.PNG

動画・youtube
3代会長の権力との戦いと勝利の栄冠

 まとめ 
不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(1)
不敗の原点「大阪大会」60周年記念特集(2)


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