聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)

パンジュワニさん 4.PNG
人種や平等をテーマに、インドの高校生たちを
啓発するワークショップで(パンジュワニさんは右端)


世界の体験プラザ
 子供の人権守る・教育コンサルタントとして活躍

 
 インド創価学会 マンシ・アルン・パンジュワニ

 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)

 「競争」よりも「共感」を育む

 池田先生は、創価大学を創立された当時から今日まで一貫して、「人格
を形成」し、「平和への知性」を与え、「社会への貢献」を教える
「人間愛の教育」こそが最も必要だということを訴えてこられました。

 12年、私は中米コスタリカにある国連平和大学の「平和教育」修士課程
に進学することができました。しかも、インド人としては同大学史上
初めて、全学費免除の奨学生に選ばれたのです。

 帰国後は、インドの複数の州やアフリカのウガンダにある教育機関で、
平和構築のためにフリーランスのコンサルタントとして働き始めました。
取り組んだのは、「競争」よりも「共感」という視点で学生のリーダー
シップを育む訓練です。

 15年、日本を訪れて念願だった広宣流布大聖堂での誓願勤行会に参加
しました。池田先生はお一人で、世界中の何百万という人々を励まして
こられたのだと実感し、一人の人間が持つ無限の可能性に、あらためて
、気付かされました。

 また、この折に広島平和記念資料館も訪問し、核兵器の悲惨さに平和へ
の決意をさらに深くしました。

 16年、再び訪日するに当たり、池田先生に勝利のご報告をしょうと決意。
安定した長期プロジェクトに参画できるよう、祈りながら努力しました。

 すると、日本に出発する前日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)から、
インドの五つの州の教育カリキュラムを再構築する仕事を引き受けてもら
えないかと依頼されたのです。

 本年、そのプロジェクトを無事に終え、現在は、ノーベル平和賞を受賞
したカイラシュ・サティアーティ氏のNGOで子どもの人権を守る教育
カリキュラムを構築しています。

 勝利の結果は、これだけではありません。

 弟の入院をきっかけに、姉弟の温かい愛情を取り戻すこともできました。
さらに母もうつを乗り越え、自分の人生を力強く歩みだしました。

 思えば、私は父の病気によって仏法に巡り会い、母の病気によって信心
を強めることができたのです。難と戦い、宿命転換することができました。

 明年の大聖堂完成5周年を次の目標に、平和・文化・教育のためにさらに
力を尽くしていくとともに、女子部のリーダーとして、担当する全同志の
幸福と成長を祈り、走り抜いていく決意です。

パンジュワニさん 5.PNG
インド「value creation」誌


 おわり 『聖教新聞 2017/04/24(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)
 
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世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)

パンジュワニさん 1.PNG
フリーランスの教育コンサルタントとして数
多くの機関や団体と平和教育を推進している


世界の体験プラザ
 子供の人権守る・教育コンサルタントとして活躍

 
 インド創価学会 マンシ・アルン・パンジュワニ

 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)

創価の世界の真心の暖かさ

 
 幼い頃の私は、両親や友達と衝突を繰り返し、成績も最悪で、
追試を受けなければ進級すらおぼつかない劣等生でした。
将来の夢を尋ねられると、悪びれもせず「世界を変えること」と大見え
切りながら、勉強は後回しにしていたのです。

 そんな時、父にすい臓がんが見つかり、「余命3ヶ月」の宣告を
受けました。父の病苦を乗り越えようと、一家でインド創価学会に入会
しました。2002年のことでした。

 SGIの同志たちは、それこそ父と面識のない人までが、時間をこじ開け
るようにして、懸命に題目を送ってくれました。創価の世界のあまりの
暖かさに、私は感動で胸がいっぱいになりました。

 私は、せめて両親の喜ぶ姿が見たいと願っていました。すると、未来部
の担当者が「そのためには勉学でベストを尽くそう」と励ましてくれま
した。

 日々、勤行・唱題を重ね、池田先生が未来部の友に贈った『青春対話』
を同志と研さんしつつ、勉学に猛然と挑戦しました。両親は、娘が大きく
変わったことをとても喜び、私を誇りに思ってくれるようになりました。

 アメリカ創価大学(SUA)が「貢献的人生を生きゆく世界市民の確固た
る潮流を築く」との理念を掲げていることを知り、私は受験を決意して
さらに勉強に打ち込みました。

 父は、宣告された余命を1年半も延ばし、仕事を続けながら日々に
目標を持って、朗らかに人生を楽しみ切りました。自身の病によって、
私たち家族をSGIの仏法へと導き、翌03年に霊山へと旅立ったのです。


パンジュワニさん 2.PNG
ウガンダで教員の指導に当たるパンジュワニさん
(左から2人目)

パンジュワニさん 3.PNG
最愛の家族と共に。
左端がパンジュワニさん


一家和楽”勝利”の笑顔

 唱題で開いた「使命の道」

 その後も、試練の波は次々 と押し寄せました。

 父の死後、母は悲しみからうつの傾向が強くなり、弟は態度が粗暴
になって、家族に完全に心を閉ざしてしまいました。私はSUAへの
合格を勝ち取ったものの、家庭の経済状況を考えて進学を断念せざるを
得なくなったのです。

 すっかり自信を無くし沈み込んでいる私に対し、SGIの同志は”
自身の使命の道が開けるよう、いや増して唱題しょう”と励まして
くれました。

 ニューデリーの大学で学びながら、学会活動にも全力で取り組みま
した。唱題に唱題を重ねていくうちに、歓喜あふれる自分になっていく
のが分かりました。

 大学院では「紛争解決と平和構築」をテーマに修士号を取得。
卒業後は、インドの恵まれない子どもたちに教育支援するNPO「ティーチ
・フォー・インディア」に就職することができました。

 私は感謝の思いを込め、初任給の中からSUAに寄付することにしました。
自分はSUAに行けなかったけれども、そこで学ぶ学生のために、何か
お役に立ちたいという思いからでした。

 ここでは、3年間の経験を積みました。挑発を受ければすぐに暴力に
頼っていた子どもたちが、対話によって問題解決を図っていく姿に、
人は変わっていけるという事実を目の当たりにしました。

 幼い頃に、私自身が経験した劣等感は全て必要なことだったのです。

 2につづく 『聖教新聞 2017/04/24(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(1)
世界の体験プラザ 劣等生から「平和構築」の専門家に(2)

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青年大会から歴史動かせ 北海道の若人が総立ち

青年大会 北海道 1.PNG

青年大会 北海道 2.PNG

「一人の力が世界を変える」をテーマに行われた北海道・三代城創価
青年大会のフィナーレの演目。集いの最後には、戸田北海道青年部長
を中心に、師に届けとばかりに全員で万歳三唱を。
竹岡青年部長、清水総合女子部長らが激励に駆け付けた
(札幌市の真駒内セキスイハイムアイスアリーナで)

 青年大会から歴史動かせ

 北海道の若人が総立ち

 札幌・真駒内で1万人が一堂に

 北の大地に新生の春を告げる北海道の「三代城創価青年大会」が4月30日
、札幌市の真駒内セキスイハイムアイスアリーナで盛大に開催され、
全道から1万人超える友が一堂に集い合った。

 これには池田先生が祝福のメッセージを贈り、広布開拓に励む友の奮闘
に心からの称賛を寄せた。

 また、大会には、北海道の各界から多数の来賓が列席した。席上、来賓
を代表して高橋はるみ道知事、札幌市の秋元克広市長があいさつ。
青年と熱と力がほとばしるステージに喝采を送った。(3面に詳報)

青年大会 北海道 3.PNG


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posted by mity504 at 16:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大会・会合

島津亜矢 岸壁の母 youtube



島津亜矢 岸壁の母.PNG
島津亜矢 岸壁の母 youtube

母は来ました 今日も来た
この岸壁に今日も来た
おどかぬ願いと知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて
………。

島津亜矢さんはこの「岸壁の母」を歌う前に二葉百合子さんに
伺い、許しを得て、了承され、指導も受けたそうです。

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アフリカに広がる地涌の連帯 仏法の人間主義を社会へ

アフリカの友 1.PNG


5.3「創価学会の日」「創価学会 母の日」記念
世界広布新時代 第25回 本部幹部会
SGI春季研修会 聖教新聞配達員大会 から(要旨)

 アフリカに広がる地涌の連帯
仏法の人間主義を社会へ

 活動報告
トーゴSGI イダ・ボドス・アジェビ議長

 一、トーゴ共和国は、かつて池田先生が長編詩で「西アフリカの真珠」
と讃えてくださった通り、広大な自然に囲まれた、とても美しい国です。

 女性は皆、働き者で、気さくで親切です。男性は、そんな女性の
おかげで少しのんびりしてます。私は、23人きょうだいの大家族の中で
育ちました。姉の一人が看護師だったこともあり、幼い頃から医療に
関心を持ちました。

 中でも出産後、満足に治療を受けられず、時には命まで落としてしまう、
お母さんたちの存在を知ったことは心に深く突き刺さりました。
大きくなったら、こうした人たちの力になりたいと、懸命に勉学に
励みました。

 高校を卒業後、1968年に国の奨学金を得て、セネガル共和国のダカール
大学医学部に進学。その後、さらにフランスの大学院でも学びました。
 
 そんな78年に、一人目の男の子を授かりました。しかし、相手の男性
とは未来を共有することができず、一人で子育てする道を選びました。
生計のために医療施設で働き、やがて博士論文の執筆も手付かずに
なりました。

 午前6時に息子を託児所に預け、午後8時に迎えに行く毎日を過ごして
いたある日、託児所の所長が私をSGIの座談会に誘ってくれました。

 メンバーの暖かな雰囲気、力強い題目の音声に心から感動し、私は
すぐに実践することを決意しました。80年6月に御本尊を受持。
題目を唱え抜く中で論文の執筆も順調に進み、夢であった医学博士となる
ことができました(拍手)。

 一緒の時期に信心を始めた夫と出会えたことも、私の最高の功徳です。
81年10月に結婚し、82年には共にトーゴに帰国。私は産婦人科医として、
首都・ロメの大学病院に勤務しながら、トーゴ広布への第一歩を
踏み出しました。

当時、国内に同士は一人もいませんでしたが、一人また一人と仏法を
語り抜きました。


アフリカの友 2.PNG
アジェビさんが開設した「ミョウレンクリ
ニック」。今も院長として、出産前の診断、
分娩、婦人科の手術などに携わる(ロメで)


 良き市民として

 一、少しずつ、題目を実践する人が増えてきた頃、ロンドンから
2人のメンバーが移住し、84年4月1日、初めて座談会を開くことが
できました。

この時に集った20人からトーゴ広布の歯車は、ゆっこりと回転を始め
ました。

 もっと座談会を充実させたい。もっと御書を学びたい。この情熱の
ままに、車で国境を越え、隣国のガーナSGIの同志のもとに向かった
こともありました。

 そして85年8月、トーゴにも待望の地区が結成されました。(拍手)
私は地区部長として、同志の激励に奔走しました。伝統宗教の信仰者、
キリスト教徒、イスラム教徒が大多数の中、私たちは良き市民として
の行動を貫き、団結して、あらゆる困難に挑みました。

 この頃、私にも宿業の嵐が襲ってきました。3人目の息子を死産で
失ったのです。

 医師として、広布のリーダーとして、皆の前では毅然と振る舞おうと
心掛けました。しかし、家に帰ると毎晩、悲しみに押しつぶされそう
でした。

 ただただ御本尊の前に座り、時間を忘れて唱題しました。その中で、
医師である前に、広布のリーダーである前に、一人の人間として、
この悲しみを乗り越えることが、私と亡き息子の宿命転換だと
気付きました。

徹して御書を学び、一日一日を懸命に戦い抜きました。92年、トーゴに
支部が誕生した時の喜びは生涯、忘れられません。


アフリカの友 3.PNG
「トーゴ平和会館」開館式の参加者が喜びのカメラに。
同式典には、各界の来賓も参加し、「トーゴSGIによる
平和のためのあらゆる運動を、私は支援します」などの
声が寄せられた(昨年3月、首都ロメ郊外で)


 医療で祖国に貢献

一、さらに99年、私の仕事にも転機が訪れました。母と子の幸福を
目指す私の医療に賛同してくれる人が現われ、ロメに産婦人科病院を
開設することができたのです(拍手)。

 病院の名前は、皆が妙法蓮華の当体であるとの意義を込め、「ミョウ
レンクリニック」と名付けました。診察では、私自身が深い悲しみを
経験した分、どんなささいな兆候も決して見逃すことなく、常に不安な
お母さんに寄り添う医療を心掛けました。

 そうした積み重ねが評判を呼び、国内全土から妊婦が集まるように
なりました。

 今では助産師の研修の受け入れ、国立病院との提携などを通して、
私の培ってきた経験が、わが国の医療技術の向上に役立っています。

 さらに、病院の評判を聞き付けた国営テレビ局から、番組の
医療相談コーナーへの出演を依頼されました。
視聴者からの相談に、診察室と同じように真心を込めて答えていた
ところ、これが好評を得てレギュラー番組になりました。

今では毎週水曜日と金曜日の朝の30分、司会者と2人で出演。
視聴者からは、”イダお母さん”の愛称で呼ばれています。

 現在、この番組は、コートジボワール、カメルーン、ブルキナファソ
、等々、アフリカのフランス語圏の7ヵ国をはじめ、ヨーロッパや
アメリカ、アジアでも衛星放送されるようになりました。(拍手)

 私の知識が世界中のお母さんの安心に生かせることに、大きな喜びと
功徳を感じています。

 一、トーゴSGIも発展を続け、現在は1総合本部・13本部の陣容となり
ました。

 昨年3月には、待望の「トーゴ平和会館」が完成(拍手)。
政府関係者など多くの来賓や隣国の同志を招き、盛大に開館式を
行いました。

 近隣の方々は当初、なじみの薄い仏教の施設を不審げに眺めていま
したが、喜々として集う幸福そうなメンバーの姿に理解を深め、
今では会館があることを町の誇りにしてくださっています。

 開館から1年、今までの倍以上の勢いで折伏も実り、35年前、一人に
語ることから始まった広布の拡大は、2700人を超える地涌の陣列へと
広がりました(拍手)。

 池田先生が呼び掛けてくださった「アフリカの世紀」は今、厳然と
幕が開きました。

 アフリカの幸福のために、正義のために、人々は日蓮大聖人の仏法を
待ち望んでいると確信しています。池田先生の人間主義の哲学のもとに、
さらに多くの青年を糾合し、必ずや私たちの手で、幸福と平和の新時代
を築いていきます(拍手)。

  『聖教新聞 2017/04/24(月)』


 いちから組織を作っていく、すごいな!こんなすごい人でも
誰かが折伏しなければ、仏法に縁することはなかった。
人の人生は縁することによって、変わっていく。
彼女はまさに「地涌の菩薩」だ。

 この「(愛称)イダお母さん」に「あっぱれ!」で賞

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posted by mity504 at 16:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 創価学会・ニュース

信仰体験 母ありて 86歳の現役美容師(2)

母ありて 2.PNG
ルビー美容室には、高橋さん(左)の明るい
笑顔とおしゃべりの花が咲く


信仰体験 母ありて 86歳の現役美容師(2)

 第16回 59年越しで夫が入会
語らいの花 さらに

 86歳の現役美容師

【東京都八王子市】”ルビーさん”の愛称で親しまれる高橋トワさん
(86)=新世紀支部、地区副婦人部長=は、美容師になって約70年。
一人で営む「ルビー美容室」で、今もはさみを握る。

 常連客の多くは70代、80代の高齢者。「お客さまが、やめさせて
くれないの。”あなたじゃなきゃ駄目。まだまだ元気なんだから”
って。そうよね。目も見える。指も動く。はさみを握ったら自由自在。
一番動くのは口かしら(笑い)」

 18歳で親戚の店に勤め、修行を。終戦間もない当時は暖房もない。
冬になると、手は霜焼け、足はひび割れ。火鉢で暖を取りながら、
カットしていた。1958年(昭和33年)に自分の店をオープン。

店名の由来を尋ねると、「準備が忙しく、当時付けていたルビーの
指輪を見て、”これでいいや”つて。そんな名前で、まさか60年近くも
続くとはねえ」。

 61年、常連客から仏法の話を聞き、創価学会に入会。長男の非行、
夫のリストラを乗り越え、信心の確信をつかむ。「唱題すると、”さあ、
やるぞ”っていう気持ちになれる。お客さまからも、『いつも一生懸命
で、すごいね』って」

 そんな高橋さんには、長年の悩みがあった。結婚して59年間、夫・
義一さん(85)=壮年部員=が信心に無理解だった。会合にいこうと
して、強く反対されたことも。自宅で唱題できず、同志の家に通い、
題目を唱えた。

「お客さまにヘアスプレーを届けてくる」と言って、会合に行った
こともある。

 ”夫が信心する日は来ないかも……”。何度も諦めそうになったが、
「昔、『必ず夫と一家和楽の信心の家庭を築きます』って、みんなの
前で宣言したのよ」。以来、ずっと祈り続けてきた。

 2014年(平成26年)の年末、義一さんが「たこつぼ型心筋症」で
倒れる。高橋さんは懸命に題目を唱えた。心肺停止から意識が戻ると、
医師からは「奇跡的な回復」と、病室で義一さんは、「俺は生き返った
んだなあ」とポツリ。

 翌年の夏、一時退院で帰宅。夫が寝ているベッドの横で、唱題して
いると、義一さんも小声で「南無妙法蓮華経」と唱えていた。
「お父さん、一緒に信心しよう」。高橋さんが語ると、義一さんは「
そうだな」と、静かにうなずいた。

 入会は、8月24日。地区の同志に囲まれ、いつになく笑顔の義一さん。
”こんな日が来るなんて”振り返れば、多くの苦難を越えてきた。
10年前、高橋さん自身、脊柱管狭窄症の手術を受け、昨年は胃潰瘍が
見つかった。

「仕事をやめて、ゆっくりしょうかなと思うんだけど、題目はすごいね。
元気とやる気が湧いてくるのよ」今でも、新規の顧客が増えている。
「お客さまから紹介されて、去年から95歳のご婦人も来てくださってい
て」。来店客と話し込み、「最近はカットよりも、おしゃべりの方が
長いね」。

 ”居心地がいい”と評判なのは、高橋さんの人柄が愛されている証拠。
毎日、近隣の人が集まるルビー美容室は、地域の憩いの場になっている。

 定休日には、入院生活を続ける義一さんを見舞い、買い物や掃除、
学会活動に歩き回る。「池田先生の『友情は人生の花』って言葉が
大好きなの。語りたい人がたくさんいるから、まだまだ看板は下ろし
ませんよ」

 今日も、”ルビーさん”の笑顔が、キラキラと輝いている。

 おわり

  『聖教新聞 2017/04/12(水)』

 まとめ
信仰体験 母ありて「耐えてなんぼの人生ですよ」(1)
信仰体験 母ありて 86歳の現役美容師(2)

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信仰体験 母ありて「耐えてなんぼの人生ですよ」(1)

母ありて 1.PNG


信仰体験 母ありて「耐えてなんぼの人生ですよ」(1)

 第16回 広島県尾道市 佐藤富貴子さん

 デニムのオーバーオールに赤いジャンパー姿。「いつもこんな感じ。
スカートなんかはいたら島中の話題になる」。とにかく明るい。
佐藤富貴子さん(71)=沼南支部、地区副婦人部長=の案内で、
瀬戸内海に浮かぶ百島を巡った。「頼もしい後輩」と紹介してくれた
のは島の消防団。
昨春まで佐藤さんも一員だった。

「消防のふき姉さん」で通る。30年務めた。尾道市初の女性消防団員
だった。分団長の重圧から円形脱毛症になったが、任期中の火災と
災害はゼロ。島の安全に力を注いだ。

 普段着の赤いジャンバーは、「カープの赤。消防団の赤。それから
信心に燃えてる赤」と、ちゃめっ気たっぷり。笑顔の艶に感心すると、
「潮風と苦労でこの顔になったんですけど」。

 百島の生まれ。20歳で島を離れ、都会の光と影を知る。41歳で大阪
から夫婦で帰郷し、古びた雑貨店を営む母と暮らした。

 当時、島には学会への無理解があった。出合う誰もが下を向いた。
”無冠の友”の佐藤さんは、本紙の切り抜きを手にあいさつした。
受け取ってくれる手はどこにもなかった。母には「忍耐の二字を
背負っていきなさい」と言われた。

 辛抱強さは母親譲り。「忍辱を行ずるは瞋恚(しんい)の病を除く
なり」(御書755ページ)。人との関りを渇望する日々は、師弟の
距離を縮めた日々でもあった。「とにかく池田先生の指導をかみ締めて
生きてきた。耐えてなんぼの人生ですよ」

 婦人消防隊に入ったことが、地域密着の糸口となる。「地獄のような
訓練」を受けた7年目、婦人消防隊の県代表として全国大会に出場した。

 忘れられないのは島の応援団がバス2台で横浜まで来てくれたこと。
「ますます島の人を守りたい気持ちが強くなった」。女性消防隊は
島の誇りとなり、指揮者の大役を果たした佐藤さんは一躍、人気者に
なった。

 NHKのドラマ撮影が島で行われた時、歓迎の花束を手渡す「ミス百島」
を誰にするかという話になった。愛嬌の良さから当時、五十路の
佐藤さんに白羽の矢が立った。

「気分はもう映画女優」と、まんざらでもなかったが、タスキの文字を
「ブス百島」と読み違えた人がいた。笑いの渦に包まれながら、「島の
人と私の笑顔が一致したな」と感じた。

 行動力は折り紙付き。分団長の2年間、尾道市の管理で消防車と救急車
の設置を、島の役員と実現した。粘り強く交渉した訳は、「百島には
境涯革命させてもらった恩があるから」。

 退任後は、信号もコンビニもない島で、「何でも屋みたいなことを
してます」。母から継いだ雑貨店を構えながら、高齢者を診療所や
墓参りに連れて行き食事やごみ捨てまで担う。

地域貢献の信条は?「人の喜ぶことなら何でもするだけ」島の人は宝物。
「ふきちゃんとおったら、元気が出てええわ」の声が何よりの幸せだ。

 今では、島の大半の人が本紙の購読者となった。母が残した言葉を思う。
「宿業は私で断ち切るから、富貴子は幸せになりなさい……」

   つづく

 『聖教新聞 2017/04/12(水)』

 まとめ
信仰体験 母ありて「耐えてなんぼの人生ですよ」(1)
信仰体験 母ありて 86歳の現役美容師(2)

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進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(2)

ステージ4 2.PNG
同志と共に学会活動に励むことができる
幸せな時(右から2人目が藤原さん)


信仰体験 進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(2)

 生きるよろこび 「もう一度、頂いた命」
使命果たし抜く

 9ヵ月間続いた血尿、胃の毛細血管出血…

度重なる病に屈せず


 負けたくない


〈点滴と飲み薬による抗がん剤治療。その副作用は容赦なく
藤原さんの体をむしばみ続けた。
 まるで真っ暗な闇の中を、さまよっているような感覚だった。
一条の光を探し出すように、懸命に唱題は続けられた。
藤原さんは、祈るほどに生命力が湧き上がるのを感じた〉


 唱題すると言っても、初めのうちは、呼吸が苦しくて、なかなか
言葉が出ません。声にならない声で祈っていると、池田先生の顔が
浮かぶんです。

”先生にこれまで教えていただいたことを今、実践しなくてどうするの。
何のために、今まで信心してきたの”って。

 強く込めた思いがあります。”元気になってもう一度、広布のために
、先生と一緒に、同志の皆さんと一緒に戦いたい。使命を果たさせて
ください”。それは私の誓願でした。

 5分、10分、1時間。少しずつ、題目の時間が長くなっていきました。
「南無妙法蓮華経は獅子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」
(御書1124ページ)。この御文を生命に刻み付けるように、御本尊様に
向かい続けました。

 治療が終わりに近づいた頃、夫から「がん」であることを教えられ
ました。

 もちろんショックでした。「余命」まで告げられていたなんて。
でも、私はまだ生きている。ここで負けたらあかん。そう思えたんです。
功徳でした。

 弱い生命では、「がん」の告知を受け止めきれなかった。
祈って祈って、心が強くなっていたからこそ、病に立ち向かおうと、
生命が呼応したのだと思います。

 1年、2年……5年が経過しても、医師からは「藤原さんの場合は、
7年まで様子をみましょう」と。

 再発。常にその恐怖と隣り合わせでした。でも、何があっても負けたく
はなかった。”だって私には、まだ果たさなければいけない誓いがあるん
やから”と。

そして、ついに、再発せず、治療から7年を迎えることができたのです。


日常に感謝

 〈09年9月、突然、血尿が。病院で詳しく検査したが、原因は分からな
かった。ワインのような血尿は9ヵ月もの間、続いた。
 4年後の13年には、胃の毛細血管から出血。血液検査の結果、赤血球数、
血液素量の値は、通常の三分の一程しかなかった〉


 まだまだ試練の山があったんですね。でも、不思議です。もう一度、
乗り越えよう!そう決めて祈った瞬間から、飛び上がりたくなるように、
生命が躍動するのが分かるんです。

宿命に立ち向かうには、広布の戦いに徹するしかない。この一心でした。
あの「がん」を乗り越えたんや。絶対に大丈夫。そう言い聞かせて。

 緊急の手術が行われ、輸血によって、一命を取り留めることができ
ました。「もう少し遅かったら、取り返しがつかなかったかもしれない」
。医者の言葉を聞いた時、”勝った!”と心の中で叫びました。

「がん」が分かった時、余命3ヶ月と言われた私です。ここまで、命を
永らえることができました。だから、”おまけのような人生”って
思っているの(笑い)。ありがたい、おまけです。

もう一度、頂いた命。今度は使命を果たしていかなあかん。
そう決意する毎日です。

 毎朝、勤行する時、”今日も御本尊様の前に座らせていただくことが
できました”と感謝。ふさぎ込んでしまいそうな私に、
”負けない人生を”と励まし続けてくださった。
池田先生と奥様に感謝。そこから私の一日は始まります。

「藤原さん、いつも元気やねー」と言ってくださる同志の皆さんと
笑い合える日々。そんな日常も、当たり前じゃないんですよね。
ありがたい一日一日です。

 縁する人、皆さんの幸せのために祈り、広布の対話に動いていくこと。
これが私に与えられた使命だと思っています。

 だから、私が頂いた人生、命が燃え尽きるまで、もっともっと
輝かせていかないと!

 『聖教新聞 2017/04/09(日)』

 おわり

 まとめ
進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(1)
進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(2)

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進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(1)


ステージ4 1.PNG
「試練のおかげで信心を深めることができました」。
病を機に一家で6世帯の弘教を(左から夫・隆さん、
次女・未江さん、藤原さん、長女・一乃さんと孫・
一心君、長女の夫・聡さん)


信仰体験 進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(1)

 生きるよろこび 「もう一度、頂いた命」
使命果たし抜く

 9ヵ月間続いた血尿、胃の毛細血管出血…

度重なる病に屈せず


【大阪市旭区】肝転移の胃がん、9ヵ月間続いた血尿、胃の毛細血管
からの出血……。藤原裕香さん(66)=旭南支部、支部副婦人部長
(白ゆり長兼任)=は、次々と襲い来る病魔に苦しめられながらも、
諦めることなく祈り続けた。
 それは「誓願の題目」だった。今、思う。「降りかかった宿命との
闘いは、大切なことを教えてくれた」と……。


 題目がある!

〈2000年)(平成12年)3月末。藤原さんは、突然の体調不良に見舞われ
た。病院で精密検査を重ねた結果、すぐに入院するよう、医師から
告げられる。
 夫・隆さん(66)=壮年部員=は、医師から妻の病状を知らされていた。
 進行性の胃がんで、肝臓にも転移しており、「余命は3ヶ月」という
ことを。家族は「告知しない」と決めた。
 5月中旬、手術で胃の3分の2、腫瘍を含む肝臓の一部と、胆のうを摘出。
周辺のリンパ節も切除された〉  


 手術の前日。自宅では、私のために、夫と娘たち〈長女・谷崎一乃さん
(39)=婦人部グループ長、次女・未江さん=女子部副本部長〉で、
ずっと題目を送ってくれていたと聞いて、胸がいっぱいになりました。
それまで学会活動に消極的だった家族が、真剣に祈ってくれたんです。

 まさか自分が「がん」だとは、思いもしなかったので、手術を終える
と、胸をなで下ろしました。でも、ここからでした。本当の闘いは。

 食事をしても、薬を飲んでも、吐いてしまう。2ヶ月で12キロ、
体重が落ちました。今思えば、抗がん剤の副作用でした。

 体は重苦しい。”頑張ろう”という心まで奪われるようで、何をする
にも力が出ない。いつまで、こんな苦しい思いをせなあかんの……。
ただ、ぼうぜんと病室の天井を見つめていました。

 退院後も、7週間にわたり、抗がん剤治療は続きました。支えてもらわ
ないと、一人で立ち上がることもできません。

 申し訳なさ不甲斐なさ。つらい。苦しい。この気持ちを分かっては
もらえない。そう思い込み、家族にあたったこともありました。

 ある日、未江が、いつになく真剣な表情で励ましてくれたんです。
「題目あげたら元気になるのと違うの?お母さんはいつも、そうしてたよ
。一緒に唱題しよう!」

 思わず息をのむ程、はっとさせられました。そうや。私には、御本尊が
ある。信心がある!

 分かっていたつもりだったのに……娘が気付かせてくれた。
ここから、題目闘争が始まりました。

 『聖教新聞 2017/04/09(日)』

 第2につづく

 まとめ
進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(1)
進行性の胃がん(ステージ4、余命3ヶ月と告知)(2)

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posted by mity504 at 14:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 病気・闘病体験

都民とともに「東京改革」公明党

 都民とともに「東京改革」公明党

 都民とともに「東京改革」……。
都議会公明党と小池知事率いるファーストの会は3月13日、
首都・東京が抱える様々な課題をのりこえ、希望ある未来を開くために
力を合わせていくことで一致。
都議会において共同で進める政策について合意するとともに、今夏の
都議選において相互に推薦することも発表し、「新しい東京」の構築を
めざしてスタートを切りました。

東京改革 1.PNG
小池知事(前列中央)とともに「東京改革」を進める

東京改革 2.PNG
都政改革推進プロジェクトチームのメンバー

前列左から 大松あきら(現)北区 けいの信一(新)荒川区 
中島よしお(現)北多摩3区 高倉良生(現)中野区
2列目左から 斎藤やすひろ(現)目黒区 長橋けい一(現)豊島区 
うすい浩一(新)中山信行(現)足立区 
3列目左から 古城まさお(新)新宿区 谷村たかひこ(現)北多摩1区 
伊藤こういち(現)品川区 こいそ善彦(現)町田市 藤井一(現)大田区 
遠藤守(現)大田区 加藤まさゆき(現)墨田区
細田いさむ(新)江東区
4列目左から 小林けんじ(現)練馬区 のがみ純子(現)葛飾区 
栗林のり子(現)世田谷区 まつば多美子(現)杉並区 上野和彦(現)江戸川区 
たちばな正剛(現)板橋区 東村くにひろ(現)八王子市

 小池都知事
「都政の頭脳として公明党に期待」

  応援メッセージ

 公明党が議会改革の先頭に立ち、都民の視点で議員報酬削減などの
「身を切る改革」を実現したことは、都議会史に残る大きな業績です。
公明党には、現場第一の「抜群の行動力」と「生活者目線の政策を
立案し、実現する力」があります。

だから、私は公明党に「都政の頭脳」として活躍していただくことを
期待しています。
「都民ファースト」の私たちと「生活者ファースト」の公明党が
”車の両輪”となって力を合わせ、血の通った新しい都政を都民と
一緒につくっていきましょう!


 都議会公明党と「都民ファーストの会」の政策合意

 都議会公明党と「都民ファーストの会」は、共通する政策目標である
「新しい東京」の構築に向けて、協力して政策実現に取り組むことを
確認し、10分野35項目について合意した。(以下、抜粋・要約)


 東京改革
・都民優先の政策を都政の基本に据える
・情報公開を今後も徹底して進める
・都民目線に照らして不自然、不合理、不経済な
 行政慣行を見直す

 東京オリンピック・パラリンピック
・経費節減に不断の努力を行う
・被災地の復興と共にある大会であることを名実ともに
標榜する
 防災・減災対策
・大地震と大水害の双方に備える施策や電線類の地中化を推進
安全・安心のまちづくり
・都市インフラの計画的な設備更新と長寿化を推進する
少子社会対策・子育て支援
・安心して生み、育てられる東京をめざした施策を推進
高齢社会対策
・医療と介護の連携強化や、高齢者の社会参加の促進、
認知症の予防策強化など
福祉先進都市
・障害の特性に応じた合理的な配慮の充実、貧困の連鎖を
断ち切る施策の充実を図る
 環境・エネルギー先進都市
・世界をリードするスマートエネルギー都市の実現をめざす
 人づくりの教育
・経済力の差を補完する政策を展開し、教育を受ける権利、
教育を選ぶ自由を具体的に保障する

  (Tokyo komei 2017 春 号外)

  まとめ
 都政 改革の先頭走る都議会公明党
 2  教育負担の軽減  私立高校授業料を実質無償化
 3、  人にやさしい街づくり 2020年東京五輪へ環境を整備
 都民とともに「東京改革」公明党

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posted by mity504 at 17:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 公明党
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