聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(1)

若者と希望 1.PNG
アメリカで信心に励む母と心を通わせ、ジョーさん(右)
は今、日本に住む父とも交流を。妻・留美さん(左)
と共に、長男・里玖君へも「信心の歓喜をシェアしたい」と。
ロサンゼルス出身。両親の離婚に伴い少年時代は多くの悩みを。
2006年に入会。今年で来日10年目を迎える。
32歳。古市勇翔支部、男子部部長。


グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(1)

 家族をつなぐ力、ここに。

 大阪市城東区 ジョー・ケマナイ

 父になったLA(ロサンゼルス)育ちの日系人

 ”種のるつぼ”ロサンゼルス(LA)で生れた。父は日本人とロシア人
のハーフ(ダブルとも呼称)、母は日本生まれの韓国人。
離婚後、母は朝から晩まで働き、姉とジョーを育てた。幼い頃はベビー
シッターに預けられ、小学校の1年間は里親の家で過ごしたこともある。

 LAは、地域ごとに多数を占める人種が異なり、治安は道一本を隔て、
天と地ほど違った。市内で転居を繰り返すたび、付き合う友人も変わる。
小学生の頃はヒスパニック(中南米出身者)と、中学ではアジア系の
仲間と、高校は「クールな白人たち」の中へ。

 ギャングの子どもとけんかに明け暮れもすれば、リッチな白人仲間と
ホームパーティーにも興じた。人種間の格差や、目に見えない差別を、
肌で感じて育った。

強がっていたが、心の中はいつも”空っぽ”。母のことも憎かった。
「もっと一緒にいて、愛してほしかった」

 高校を卒業すると、アメリカ社会では自立することを求められる。
運送会社で朝から晩まで働いた。クタクタに疲れ、ようやく自分を
見つめる。

”俺は何のために生きているのか……”。ルーツを求め日本へ。
禅など瞑想を試すも、答えは見つからなかった。

 その後、LAに戻り、カラテ道場の師範から仏法の話を聞く。母は友人の
勧めで、以前からSGIに入会していたが、自分は一編の題目も唱えたこと
がない。

母の居ない日、そっと御本尊の前に座った。喜びが内側からあふれてきて、
気付けば6時間、唱題を続けていた。祈るうちに、母の顔が浮かぶ。
信心根本に仕事に励み、経済革命を成し遂げ、一家を守ってくれた母。

 ”これまで、ママがどれだけ苦労してきたか……”憎しみが感謝に
変わった。2006年(平成18年)、21歳で入会。
学校に通い、努力を重ね、救急隊員となった。

 だが、母の苦労が本当に分かったのは、再び来日してから。
08年、もっと信心を学びたいと、”常勝関西”の地へ。当初、日本語が
話せなかった。

フィリピン人、中国人、ネパール人と共に、ホテルで清掃の仕事を。
生活は困窮し、パンと蜂蜜だけで数週間、飢えをしのいだこともあった。

最後は信心しきった者が必ず勝つーーー男子部の先輩と日本語で学んだ
池田先生の指導が、心の支えに。そして思った。
”ママも祈り抜いて、強い心で、俺たちを育ててくれたんだ”

 必死に働き、5年後、英会話講師の職に就く。知り合った外国人に
弘教も果たす。仏法対話の場に同席したのが妻・留美さん=白ゆり長=
だった。

 今、何かにつけて、ジョーは息子をハグする。(抱き締める)
それは、「生まれてきてくれた息子への感謝を表す」習慣であり、
「自分を生んでくれた母や父の存在を感じる」瞬間でもある。

 第2につづく『聖教新聞 2017/02/26(日)』

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世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(1)

ルー イージュンさん 1.PNG
蓄電池の素材開発に取り組むルー イージュンさん


世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(1)

 香港SGI ルー イージュンさん

 再生可能エネルギーで人類に貢献

 オンライン学際ジャーナルに論文が掲載

深遠な仏法の生命観に感動


 香港中文大学工学部の准教授として、2013年から「再生可能エネルギー」
を蓄える電池の開発に取り組んでいます。石油や石炭など、資源に
限りがある化石燃料に対し、太陽光や風力などの自然エネルギーは、
消費しても短期間で回復するため、「再生可能エネルギー」と呼ばれます。

 メリットは、資源枯渇の心配がないだけではありません。二酸化炭素
(CO2)が発生しないため、環境に優しいこと。また、設備の規模が
小さく、電力消費地で発電できるため、送電ロスが少ないことも
挙げられます。

 半面、発電量が少なく、季節や時間、気候に左右されやすいことが大きな
課題です。この不安定な電力を、安定的に供給できるようにするのが、
大容量の蓄電池なのです。

 現在、私が研究を進めているのは「リチウム硫黄フロー電池」。
バナジウムを使った従来の「レドックスフロー電池」を改良したものです。

さまざまに試行錯誤を重ね、陽極にリチウム、陰極に硫黄と炭素の化合物を
配置したところ、バナジウムでは50〜60アンペア時/リットルだった電池の
容量が、294までアップしたのです。

 この成果が高く評価され、14年7月に香港政府から「傑出した青年研究賞
」を受賞。11月には、世界的な学術誌「ネイチャー」の関連誌で、
オンライン学際ジャーナル「ネイチャーコミュニケーション」に、私たちの
論文が掲載されました。さらに翌年1月には香港中文大学から「傑出した
教育賞」を受賞したのです。

香港中文大学.PNG
香港中文大学の理工学研究棟


 信仰と学業を両立してこそ

 私は台湾・新北市の出身です。家族で最初にこの仏法を始めたのは
母でした。私が高校生の時、母方の叔父が亡くなり、落ち込んでいたところ
、親戚から台湾SGI(創価学会インターナショナル)の信仰を勧められた
のです。

やがて確信を深めた母が、題目のすごさを語ってくれたことは、よく覚えて
います。理系が得意だった私は、03年、台湾の名門・精華大学工学部に入学
。学内の先輩からSGIの活動に誘われましたが、信仰の必要性を感じず、
断り続けていました。

 半年が過ぎても連絡をくれる先輩に、”そこまで言うのなら、一度だけ
参加してから拒否しょう”と、会合に出席。そこで語られる深遠な生命観と、
理路整然とした哲学性に驚き、先入観で一方的に拒否していたことを
悔みました。

 以後、積極的にSGIの活動に参加。 自分が関わった人が幸せになるこ
とは、自分の幸せ以上にうれしいことを実感できるようになりました。

 当初、大学の成績は普通レベルでしたが、SGIの活動が忙しくなった
3年次、”信仰を理由に成績が下がってはいけない”と頑張った結果、
学部でトップに上昇。この経験が、信仰と学業は必ず両立できるという
自信になりました。

 07年、首席で卒業の見込みが立ち、教授から海外留学を勧められました。
タクシー運転手の父と、専業主婦の母、学生の姉と妹のわが家は、到底、
留学費用を負担できる経済状況ではないと思いつつも、挑戦。

何と、アメリカ屈指の名門マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院に
合格できたのです。しかし、年間5万ドル(600万円以上)の学費に加え、
生活費が必要と知り、途方に暮れました。

 題目を上げ抜き、卒業まで1カ月半となったある日、MITの教授との
面接の結果、研究室の助手に採用されることが決定。学費は奨学金で
全額免除、さらに毎月、十分過ぎるほどの生活費まで支給されることに
なったのです。

 第2につづく 『 聖教新聞 2016/07/11(月)』

 まとめ
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信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(2)

和田さん 2.PNG
「これから先、苦労があっても『乗り越えてやる!』
と思える自分になれました」と次男・大介さん


私が帰る場所はどんな時も御本尊の前でした

「期待に応えたい。そう思える相手がたくさんいて幸せ」


 感謝の題目を


〈また、勝負の時には、断じて勝つと心を定めて、獅子の吼えるが
ごとく、阿修羅の猛るがごとく、大宇宙を揺り動かさんばかりに
祈り抜くんです。そして、喜びの夕べには「本当にありがとうござい
ました!」と、深い感謝の題目を捧げることです〉

 中学の卒業式直前だけ登校し、大介さんは私立高校へ。ボクシング部
の練習に打ち込んだが、1年生の冬、再び布団から出られなくなる。
不登校になり、退学を決めた。

高校で最後のあいさつを終えた帰り道、母は優しく伝えた、
「やりたいようにやればいいよ」
息子は、ただうなずいた。直後、通信制高校へ。

 2年生の夏。和田さんが唱題していると部屋の戸が開いた。
大介さんが入ってくると唐突に、「お母さんは何になりたかったん?」
と質問してきた。

すでに夫はギャンブルと縁を切っていたが、和田さんの脳裏に、借金に
悩み、弁護士と掛け合った過去が浮かんだ。
「そうやね、弁護士になりたかったかなあ」

 息子の目は、真っすぐに母を見ていた。
「お母さんの、その思い、俺が継いであげる。お母さんの夢をかなえ
るわ」

 そう口にして大介さんが部屋を出ると、和田さんは夫に電話を。
会話は自然と涙声になった。

 08年12月。夫婦は再び涙する。創価大学法学部合格の知らせを
受け取った。39期生として新生活が始まると、息子の弾む声を聞いた。
「学校って、こんなに楽しい所なんや!」
 
 苦悩の中で、夫婦は、いつも感謝の題目を唱えてきた。
突然の試練は、14年の6月、夫・信也さんが心臓発作で急逝する。
副支部長だった夫は亡くなる直前、地区の全ての壮年部員宅を
訪れていた。

珍しく「男の集いやから」と、息子たちと飲みにも出掛けた。

 広布への思いを託し、新たな生へ旅立った。そう思えた和田さんには
「寂しさはあっても悲しみはありませんでした」。
その年、夫の友人2人を入会に導く。葬儀後に交流が深まったから、
”夫の折伏だ”と感じた。

 大介さんは、創大法科大学院の2年生だった。「立ち止まらず、泥くさく
、這ってでも」と、父の姿を胸に、机に向かい続けた。

 本年5月、迎えた司法試験。結果は合格。和田さんはまた一つ、
信仰の確信をつかんだ。「悩み苦しんだとしても、信心をしている限り、
全て、希望を生むドラマになるんですね」


大介さんの話

中学生の頃、学校に行けない後ろめたさがあって、家族すら拒絶して
いました。でも、一番信用していたからこそ、親にはぶっかれたんだと
思います。

 劣等感があった自分が創価大学で変われました。周りに期待をされる
ことなんてないと感じていた自分に、創立者・池田先生や両親がずっと
思いを寄せてくれたんです。

 期待に応えたい。そう思える相手がたくさんいて幸せです。昔は、
人と比べてコンプレックスに縛られていたけど、自分は自分のままで
いいと、今は信じられます。

不登校の原因はさまざまだと思いますが、悩む子には、「君は君のままで
いいんだよ」と言ってあげたい。

 父が亡くなって、母からの電話が増えました。最初は、母を元気づけ
ようとしました。でも、御書をすごく勉強し始めたらしく、御文を拝して、
逆に励まされるようになったんです。

 10代の自分を考えると、今が不思議。絶対にあり得へん。(笑い)。
口で言うばかりではなく、いつも祈ってくれた両親に感謝しかないんです。
頑固すぎるけど、筋の通った母は、本当に唱題する人。

 そのおかげで、想像さえできなかった自分になれました。「法律家」
という立場以前に、まず、困っている人のために行動する人になります。
それが僕の親孝行です。

 おわり (2016年11月19日付)

 『2017年(平成29年)PR版春季号』聖教新聞

 まとめ
信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)
信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(2)

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信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)

和田さん 1.PNG
夫や息子から、信心の素晴らしさを
教えてもらいました」と和田さん


信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)

私が帰る場所はどんな時も御本尊の前でした

「期待に応えたい。そう思える相手がたくさんいて幸せ」


【京都府木津川市】和田真由美さん(55)=木津創価支部、地区副婦人
部長=が仕事から帰宅し、一人暮らしの部屋に明かりをともす。
かつて2階に引きこもった次男・大介さん(27)=東京都八王子市在住、
学生部員=のことで、頭を悩ませた日々が懐かしい。
夫の遺影を見つめ、御本尊の前に座ると経机に置いた指導を読む。
〈お題目を唱える時には、どういう気持ちで御本尊に向かえば
いいのでしょうか〉。SGIのメンバーからの質問に池田先生が答えていく
(小説『新・人間革命』第11巻「開墾」の章)。
師匠の言葉に、これまでの経験が折り重なる……。


必ず創価大学に

〈苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕(かいな)に
身を投げ出し、すがりつくように、「御本尊様!」と言って、
無心にぶつかっていけばいいんです。
御本尊は、なんでも聞いてくださる。思いのたけを打ち明けるように
、唱題を重ねていくんです〉
(以下、太字部分は小説からの抜粋)

2002年(平成14年)、和田さんは朝と昼の食事をわが子の部屋の前に置き、
出勤していた。中学生になった大介さんが引きこもりに。
登校する中高生を見ると悲しみが込み上げた。

 当時、夫・信也さんはギャンブルを繰り返し、借金が膨らんでいた。
”もう私には、夫を変えられない”。苦悩から諦めへと心が移ろう。
和田さんは投げやりになり、帰宅は遅く、出来合いの品を食卓に並べる
ようになった。

 そんな中で起きた息子の不登校。自身を見つめ直すのが唱題の時間
だった。”人のために役立つ人に”と子育てに励んできた。貫いてきた
祈りは、悩みの意味を変えた。
”いつか、この悩みも、誰かの希望になるはず”と。

 わが子の未来の飛躍を信じ、紙に記した。「必ず創価大学に」と。
季節は過ぎ、息子の肩まで伸びた髪が1年以上の時を感じさせた。
夕食に顔を出すようになり、少しずつ変化の兆しが表れた。
ある夜のこと。突然、大介さんが食卓のおかずを壁に投げつけた。

 感情を爆発させた息子は、それまで閉ざしていた心の内を初めて
さらけ出す。「お母さんは、俺の心配よりも、人がどう見てるかを
気にしてるんや!」

リビングが静まりかえる。言い争いは続かなかった。大介さんが階段を
駆け上がる音を、母はじっとしたまま、聞いた。

 反省を唱題に込めるうち、気が付いた。”いつしか、今の大介を、
心の片隅で否定していなかっただろうか”。祈りが深まるにつれ、
姿勢が変わっていった。

”あの子にしかできない生き方があるんだ”和田さんにとって、「悩みを
避けたり、心が追い詰められたりしても、私が帰る場所は、どんな時も、
御本尊の前でした」。

 第2につづく

 『2017年(平成29年)PR版春季号』聖教新聞

 まとめ
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信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(2)

中富さん 2.PNG
仕事を終えると常に同志の輪の中に飛び込み、信
心の喜びを語り合う。学会は年齢や職業の差異を
超えた人間共和の世界だ(中央が中富さん)


信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(2)

 地域貢献の使命に生きる

”報恩の心”で広布拡大の実証を

 2男1女は創価の学びやから雄飛


 持つと強く

 
 窮状にもたじろがなかった弘美さんには、忘れられない”青春の原点”
がある。東京都品川区で生まれ、英語を身に付けた弘美さんは、学会
本部の職員となり、当時の海外局に配属。英語版機関紙である
「セイキョウ・タイムズ」の編集に携わった。

 弘美さんの母は56年(昭和31年)の入会。一方、父は信心に猛反対
だった。弘美さんが26歳の時、その母が心筋梗塞で急逝し、弘美さんは
悲しみのふちに沈んだ。

 そんなある日、池田先生との出会いが。寂しげな弘美さんのたたずま
いを見て、「泣いちゃいけないよ。強く生きるんだよ」包み込むように
励ましてくれた。

「あの瞬間、私は”もっと強くなろう”と決めました。どんなにつらい
ことがあっても、先生の弟子として、絶対に泣かない、耐え抜いて
みせると、心に誓ったのです」

 縁あって中富さんと結婚し、歯科医院開業の76年、北九州の地へ。
以来、仕事で多忙な夫を支えながら婦人部の活動に励み、さらに
九州国際部の後進の指導にも当たってきた。

 そんな両親の姿を見て育った2男1女は、そろって創価高校を卒業し、
後継の人材に成長、長男・満城さん(40)=北九州市小倉北区、到津
支部、壮年部員=は九州大学歯学部、東京医科歯科大学大学院で学び、
現在は九州歯科大学で講師を務めている。

 長女・明美さん(38)は創大からマレーシアのプトラ大学大学院へ。
現地の男性と家庭を持ち、マレーシア広布の使命に生きる。

次男・伸幸さん(32)=東京都立川市在住、男子部ニューリーダー=
は、アメリカ創価大学を経て創大工学部大学院の修士課程を修了。
現在は博士課程で研究にいそしんでいる。

中富さんは語る。
「私たち家庭が自身の使命を自覚し、こうして最高に価値ある人生を
歩めるのも、全て池田先生と学会のおかげです。
その恩返しのためにもさらに地域に尽くしながら、家内と共に、
広布拡大の勝利の実証を示していきます」

中冨さん 3.PNG
励まし、支え合いながら広布の使命に生きる
中冨さん夫妻


 おわり 『聖教新聞 2017/01/10(火)』

  まとめ
 信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(1)
 信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(2)

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posted by mity504 at 15:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰体験

何のため信心するのだろうか、その目的は

 何のため信心するのだろうか、その目的は

信心の目的

「学会の永遠の五指針」

 1、一家和楽の信心
 2、幸福をつかむ信心
 3、難を乗り越える信心
 4、健康長寿の信心
 5、絶体勝利の信心


 これが信心する目的になります。
この指針を目指して、学会員は地域社会で困難に屈せず、
希望を胸に勝ち抜いていくための信心持続の指標です。

 創価学会は何も隠し事はしていません。むしろ、
知ってもらいたいがために行動しています。

新会員の友のために―創価学会入門 定価500円

新会員の友のために―創価学会入門、目次



創価学会の歴史、小説「人間革命」
 第2代会長が悪法”治安維持法”で逮捕され、獄中で過ごされ、
出獄されたのが、終戦の年、7月だった。

そして、戸田先生が一人立ち再建された「創価学会」の歴史。
第1代会長「牧口常三郎」先生は獄死されました。
学会の歴史は日本の歴史でもある。

学会が日本の再建に貢献した業績は大きい。


新・人間革命 (第1巻) (聖教ワイド文庫 (011))

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信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(1)

中富さん 1.PNG
 日々、歯科医療の最前線に立つ中富さん。「健康寿命の観
点から、今、歯の健康維持の大切さが見直されています」


信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(1)

 地域貢献の使命に生きる

”報恩の心”で広布拡大の実証を

【北九州市小倉北区】1976年(昭和51年)に歯科医院を開業し、昨年春
に40年の節目を迎えた中富俊介さん(70)=到津支部、総県副総合長、
九州副ドクター部長。
地域住民の健康増進に寄与するとともに、九州ドクター部発展に
尽力してきた功績により、5年前に「広布文化賞」を授与された。
その中富さんの妻・弘美さん(71)=総県副婦人部長、九州国際部
女性部長=もまた、昨年11月、国際部結成当初からの貢献によって、
同じく広布文化賞の栄誉に輝き、夫婦で喜びを分かち合った。
広布の旅路を共に歩んできた二人は、今、確かな信仰の実証を
示している。


漢方医の教え

 学生時代、中富さんは医学を学びながら、一人、考えを巡らせていた。
人間の生と死をどう捉えるか。そして、自身の人生を悔いなく生きるには
どうすればいいのか。

 当時、父が持病で漢方薬を服用しており、それを処方していた漢方医が、
今は亡き長野兼熊さんだった。薬を受け取りに行った日、中富さんは
学会員の長野さんから仏法の生命論を教わった。

探し求めていた答えを示され、驚きと喜びで胸が高鳴ったが、信仰の道へ
一歩を踏み出す勇気がなかった。

 その時、「あんた、迷っているでしょう?」と、長野さんの妻・トヨノ
さんが身を乗り出した。

「若いんだから、腹を決めてやりなさい。いいも悪いも、やってみなけ
りゃあ分からんよ。青年に大事なのは勇気たい」

確信みなぎる一声に背中を押され、68年、中富さんは22歳で創価学会に
入会した。勉学と学会活動の両立に挑み、翌69年3月、先輩に連れられ
九州幹部会に参加。池田先生の烈々たる指導に触れ、深い感動に包まれた。

「先生のお姿を遠目に見ながら、涙が止めどなくあふれてですね。”ああ、
この方が自分の師匠だ、どんなことがあっても、生涯、つききっていこう”
と心に決めました」

信仰への理解が浅い父との間には、埋めがたい溝ができていたが、”親を
大切に。目の前の人を大切に”との学会指導を学び、唱題に励むうち、
中富さんの心に変化が芽生えた。

”自分を生み、育ててくれた両親を、もっと大切にしよう。もっと
長生きしてもらおう”……心の底から湧いてきた感謝と尊敬の思いを
胸に秘め、中富さんは父と向き合った。

「お父さん、そろそろ創価学会に入ろうや」父の幸せを願う、万感こもった
その言葉を待ち受けていたかのように、普段から口数の少ない父が一言、
「おう」と返した。

 一足先に信心を始めた母に続き、父が入会したのは75年。中富さんが
仏法に巡り合って以来、7年越しの対話が結実した。


 題目しかない

 中富さんは歯科大学時代の学友と共に、北九州市を訪問した池田先生
から、2度にわたって激励を受けている。その折、先生は「人格を磨く」
「地域に貢献」「学会活動の闘志に」との指針を示し、「そこにしか
本当の人生の幸福も勝利もない」と語った。

 師の言葉を胸奥に刻み、中富さんは仕事、地域貢献、学会活動と、
全てに一歩も引かずに挑戦してきた。

 町内会では30年以上にわたって副会長を務め、町会対抗運動会では
毎回、応援団長に。また小倉歯科医師会では理事、副会長を歴任し、
同業者の連帯を図りつつ歯の健康の啓発運動に尽力。

 理事会や講習会で率先して実務を担う姿に接し、ある歯科医が
「中富さんの姿を通して、私は創価学会に対する認識を改めました」
と声を掛けてきた。

「微力ながら私が地域で頑張ってきたことで、周囲の人が少しでも
学会への理解を深めてもらえるなら、これほどの喜びはありません。
また、それこそが師匠・池田先生への報恩の道に通じると
信じていますから」

 そんな中富さんが人生最大の試練に直面したのは90年。
あるトラブルに巻き込まれ、多額の負債を背負うことになったのだ。
歯科医として一定の収入があったとはいえ、それだけでは到底、
返済が追い付かず、歯科医院の売却さえ考えるほど窮地に立たされた。

 だが、そんな嵐の渦中にあっても、妻の弘美さんんは泰然自若
としていた。「お父さん、題目よ、題目しかないよ!」

 そう言って、自ら、御本尊の前でひたぶるに祈り続けていた。
中富さんもまた、妻の一言に闘志を燃やし、いまだかってない勢いで、
唱題に励んだ。

 結局、歯科医院の売却には至らなかったが、保険の解約など万策を
尽くし、その上で、20年以上の歳月をかけて完済。
自身の責任を果たし終えた。

「人生、いつ何が起こるか分からない。でも何があっても学会から
離れず、信心を貫いていくならば、乗り越えられない苦難はありません。
自身の体験を語りながら、私は今、一人一人、同志に励ましを
送っています」

 第二つづく 『聖教新聞 2017/01/10(火)』

  まとめ
 信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(1)
 信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(2)

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世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(2)

キューバなかま.PNG
 キューバ創価学会の同志ら(最後列の右端で高くVサインを上げる
インファンテさん。前から2列目、右から3人目がモラレスさん)


世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(2)

目標を達成する力は自分の中にある

永く愛される音楽を残したい

 キューバ創価学会 アレハンドロ・インファンテさん

 キューバ創価学会の一員となって活動する中で、男子部の先輩から
学んだのは「師弟」という生き方だった。

 「私のギターの師がディアスさんであるように、キューバにも」
師弟の関係というものはあります。けれど、師匠の誓願を弟子が
”わが誓願”として生き抜くという創価の師弟観は、キューバの文化には
ないものでした。

 師匠への求道心を燃やし、池田先生の成し遂げてきた偉業を知るにつれ、
インファンテさん自身の生きる意味と目標が大きく変わっていった。
「池田先生が、キューバ社会に仏法への信頼と共感を開いてくださったお
かげで、今の私の幸せがあります。自分の仕事と生き方を通して、
そのご恩に報いていきたい。シンプルにそれだけなのです」

 16年4月、キューバ創価学会男子部長の任命を受ける。入会に導いて
くれたモラレスさんは女子部長だ。

 今までのように”遊び”に付き合わなくなったことで、インファンテさん
の信仰をあまり快く思っていなかったリーダーのディアスさんも、
今では何かあると一緒に唱題をするほど理解を深めているという。

 「キューバの男子部は、月に2回集まっています。1回は池田先生の
指導などの研さんをし、もう1回は青年部の親睦を深めるイベントをしたり
、社会貢献の活動をしたりします。人材グループの創価班も結成され
ました。」

 師の心をわが心として”一人立つ”男子部をキューバの天地に拡大
したい。それが目下の祈りであり、日々の挑戦課題だ。

「ミュージシャンとしての目標はと問われれば、時代や流行を超越し、
永く愛されるような音楽を残すこと。そして、何より池田先生の弟子と
して、この世界をより良い世界に変えていくことに貢献したいのです」

 おわり 『聖教新聞 2017/01/01(日)』

ハバナカリブ海 .PNG
カリブ海最大の都市ハバナ


 まとめ
世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(1)
世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(2)

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世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(1)

キューバ屈指のバンド 1.PNG
情熱的なギター演奏で観客を魅了する


世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(1)

目標を達成する力は自分の中にある

永く愛される音楽を残したい

 キューバ創価学会 アレハンドロ・インファンテさん

運命的なギターとの出会い


 キューバの音楽シーンで今、不動の人気を誇るバンドが「クバ・リブレ
(自由なキューバ)」だ。結成は2000年。ロックやレゲエ、ラップ、
キューバ音楽などを融合させた自由で新しい世界観は、キューバの
若い世代から圧倒的な支持を受けている。

 アレハンドロ・インファンテさんは08年からこの「クバ・リブレ」に
迎えられ、ギタリストと音楽ディレクターを務めている。1987年、首都
ハバナの生まれ。「未婚の母」であった母親は働きに出て家計を支え、
叔母が愛情豊かに彼を育ててくれた。

90年代、まだキューバ全体が経済的に苦しい中、母親は彼に絵を
習わせてくれた。

 絵が好きになり、工芸系の高校に進学していたインファンテさんが、
友人から一本のアコースティックギターをもらったのは17歳の時だった。
近所のおじさんに手ほどきを受けながら、次第に音楽にのめりこんでいく。

とりわけ魅了されたのがロック。「神様」といわれたギタリストの
ジミ・ヘンドリックスにすっかり心酔した。

 高校卒業後、本格的にミュージシャンへの道を歩み始める。
エレキギターを教わりたいと思っていた2007年、人を介して紹介されたのが、
まだ大ブレークする前の「クバ・リブレ」を率いていたカルロス・
ディアスさんだったのだ。
クバ・リブレ.PNG
「クバ・リブレ」のメンバーたち(右から3人目が
インファンテさん。左から4人目がディアスさん)


毀誉褒貶に流されない人生

 インファンテさんが参画した数年後、「クバ・リブレ」は全国区の
人気バンドになる。人気に比例してお金も入ってきた。

「どんどん生活も乱れ、退廃的な生き方になりました。でもロック
ミュージシャンはそれでこそカッコイイと思っていたので、何の
疑問も抱かなかったのです」 

 アルコール、夜通しのパーティー、異性問題……。”スターはこれが
当たり前”という意識だった。08年に結婚していた妻とも破局した。

 
 そんな彼に日蓮大聖人の仏法を教えてくれたのは、バンドのボーカルを
務めるマルガリータ・モラレスさんだった。

「最初は、題目を唱えるという行為が不可解に思えました。でも、
実際に唱題をしてみて、心が晴れ、自分に対する感じ方が全く変わって
いったことは不思議としか言いようがありませんでした。
そこから真剣に仏法について研さんしたい、と思うようになったのです。」

 毀誉褒貶に侵されない生き方こそ、賢人であると示された大聖人の
「四条金吾殿御返事(八風抄)」(御書1150ページ)を学び、これまでの
生き方を猛省した。

「自分の目標を達成していく力は、自分の中にある。このことを理解して、
”過激さ”に溺れる道から離れることができました」

 第2につづく

 『聖教新聞 2017/01/01(日)』

まとめ
世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(1)
世界の体験プラザ キューバ屈指のバンドで活躍(2)

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posted by mity504 at 16:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ

世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(2)

弁護士として 3.PNG
ネブラスカ州立議事堂前で地区のメンバーと
(2列目左から2人目がシャクソンさん)


世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(2)
アメリカSGI シーラ・シャクソンさん

池田先生の哲学で社会を変えたい

 「大丈夫。私には信心んがある」

自身の「仏性」を信じ抜くこと

 としての私の願いは、息子たちに良質な教育を受けさせることでした。
しかし、希望していた国連インターナショナルスクールは、学費が高く、
信心する以前の私は、はじめから諦めていました。

 それでも、わが子を、平和に貢献する世界市民に育てたい。私は
「絶対に大丈夫。広布の戦いによって、あらゆる味方と福運を必ず
呼び寄せてみせる」という確信で御本尊に祈り抜きました。

やがて、思いも寄よらぬ形で祈りがかないました。夫が同校の職員に
採用され、規約により、子どもたちは全員、無償で入学を許可された
のです。その後、長男はアメリカ創価大学を卒業。
4人の子ども全員が大学を卒業して、意義ある職業に就いています。

 私自身も2000年に45歳でロースクールに入学し、父が果たせなかった
弁護士という夢を実現しました。現在は故郷のネブラスカ州の法律事務所
で理事という立場で働いています。
人種、性別、国籍や年齢に関係なく、弁護士の公平な審査に努めています。

 米国の法曹界には、まだまだ人種差別の空気が色濃く、悔しい思いを
したことは一度や二度ではありません。

 だからこそ、私は仏法者として、どんな立場の人にも敬意をもって
接していこうと心掛けてきました。

 人生は、試練との戦いです。信心を貫く中で、結局、全ての行き詰まり
は自身の「仏性」が信じられないという一点から生じているのだと
実感でいるようになりました。

逆境の日々もまた、人生の一部ならば、勇敢に誇り高く、生き抜いて
いくべきだと思います。池田先生は小説『人間革命』第10巻「一念」
の章に、妙法には無限の力があることを記されています。
私は壁にぶつかるたびに、原点に立ち返る思いで読み返してきました。

 先般、アイオワ州とネブラスカ州地域の婦人部長の任命を受けました。
端から端まで約1300キロの広大な地域です。
誰もが輝ける人生を歩める社会を目指して、これからも妙法の種を
まき続けていきます。

 おわり 『聖教新聞 2017/01/23(月)』

 まとめ
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posted by mity504 at 15:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の体験プラザ
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