聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(1)

名誉市民 1.PNG
絢爛たるルネサンス芸術の粋を集めたヴェッキオ宮殿の五百人広間
で、名誉市民称号の授与式は挙行された。写真の右の壁面の巨大な
レスコ画は、フィレンツェとピサの攻防を描いたもの


 イタリア・ルネサンス発祥の地から人間精神の開花への貢献たたえ

 フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(1)

授与の辞 信念の対話の力で人々を結ぶ
池田博士こそ平和建設の師匠

700年の歴史を誇るヴェッキオ宮殿で授与式 SGI派遣団が出席

【フィレンツェ11日】イタリアの花の都・フィレンツェ市から、池田大作
先生に「名誉市民」の称号が贈られた。人間精神の開花と平和建設への
多大な貢献をたたえたもの。授与式は11日(現地時間)、同市庁舎である
ヴェッキオ宮殿の「五百人広間」で盛大に挙行され、
イタリアSGI(創価学会インターナショナル)の代表ら600人が出席。
SGIイタリア派遣団の池田博正SGI副会長に証書が手渡された。
席上、祝福に駆け付けたノーベル平和賞受賞者のベティ・ウィリアムズ
博士、イタリアのルイス・グイド・カルリ大学のアントニオ・ラ・スピーナ
教授があいさつした。

 完成から700年を経た今も、フィレンツェ行政の中心地となっている
ヴェッキオ宮殿。その「五百人広間」に、ひときわ輝く彫像があった。
その名は「勝利」。巨匠ミケランジェロの作品である。

 そして、広間の両側壁には、ピサとシエナでの合戦を描いた巨大な
フレスコ画。16世紀の宮廷画家ヴァザーリらの手によるもので、
フィレンツェの隆盛を決定づけた”勝利”を今に伝える。

 世界に名だたる芸術家や詩人らが駆け、人間精神の夜明けを開いた
フィレンツェ。この地に、新たな名前が刻まれることになった。
「池田大作」。

 事前にイタリアの全国紙などで予告記事が報じられたこともあってか、
授与式当日には、隣接するシニョリーア広場に、地元市民やSGIメンバー
をはじめ約4000人が集い、広場に設置された特大のモニターを、
固唾をのんで見守っていた。

名誉市民 イタリア 3.PNG
ヴェッキオ宮殿に隣接するシニョリーア広場のモニターで、式典
を見守る市民ら。授与式の模様は地元メディアでも報道された

名誉市民 イタリア 2.PNG
ナルデッラ市長(右端)から池田SGI副会長(中央)に名誉市民の
証書と市のバッジが。左端からラ・スピーナ教授、ビーティ市議会
議長。右から2人目がベティ・ウィリアムズ博士



 フィオリーノ金貨、平和の印章、名誉市民
 3つの受賞は市の歴史初


 開会前、そのモニターに映し出されていたのは、小説『人間革命』
の主題「一人の人間革命における偉大な人間革命は、やがて一国の
宿命の転換をも可能にする」である。

 その言葉に深くうなずく人、その言葉を手帳に記す人……。
民衆文化の新しき幕上げを感じさせる情景が広がっていた、

 池田先生は、ここフィレンツェ市に1981年、92年、94年と3回
訪れている。94年には、市内で開催された東京富士美術館所蔵の
「日本美術の名宝展」に出席し、文化交流に尽くした。

また、この訪問の折の先生との原点を胸に、フィレンツェの友はこれまで、
核兵器廃絶の展示や講演会など、市民の意識啓発の取り組みを展開。
良き市民として、社会に信頼を広げてきた。

 フィレンツェ市から先生には、これまで文化と平和への献身に対し、
フィオリーノ金貨(92年)平和の印章(2007年)が授与されている

 そして今回の「名誉市民」称号の授与。「そこには特別な意義が
あります」と語るのは、発議者のアンドレア・プリエーゼ市議会議員。
「池田博士をわが市に迎えることが議会の満場一致で決まったことです。
このことは、これまでの受賞者の中でも珍しいことなのです」

 式典はフィレンツェ市の歌で厳かに開幕。カテリーナ・ビーティ市議会
議長が授与決定に至った経緯を紹介し、来賓のルイス・グイド・カルリ
大学のアントニオ・ラ・スピーナ教授、ノーベル平和賞受賞者の
ベティ・ウィリアムズ博士が祝福の言葉を寄せた。

 続いてダリオ・ナルデッラ市長が授与の辞で、先生の平和への貢献を
たたえ「池田博士の名は、永遠にフィレンツェ史に残ります」と
高らかに宣言。その場で市長と議長が名誉市民の証書にサインし、市長から
代理の池田SGI副会長に手渡されると、参加者は立ち上がり、万雷の拍手
を送った。

 証書には、長年にわたって人間主義を掲げ、文化交流や文明間の対話に
取り組んできた先生への称賛がつづられている。

 池田先生の謝辞を池田SGI副会長が代読。その中で先生は、青年たちと
共に、ここフィレンツェから、人間主義の花園を未来へ咲き薫らせて
いきいたいとの決意を伝えた。

 授与式の模様はイタリアの国営放送などでテレビ放映された。

イタリア フィレンツェ.PNG
授与式当日のミケランジェ広場から、朝焼けのフィレンツェ市街とアルノ
川を望む。鐘楼が立つ中央の建物が、式典会場のヴェッキオ宮殿


 第2につづく 『聖教新聞 2017/03/13(月)』

 まとめ
フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(1)
フィレンツェ市が池田先生を名誉市民に(2)

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グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(2)

若者と希望 2.PNG
 試練の冬を越えて、人生の春を喜ぶ中嶋さん(中)と妹の
古閑恵梨架さん(左)。17歳から10年間、2人で暮らした日々は、
かけがえのない宝。苦しんだ分、人の痛みに寄り添えるように
なれた。父、母、学会の同志、全ての人への感謝を胸に、今、
女子部の友の励ましに徹する。桂川東支部、圏女子部長。


グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(2)

 家族をつなぐ力、ここに。

 残された姉妹が見つけた幸せ

福岡県・桂川町 中嶋麻実さん

 学2年で両親が離婚。高校2年の冬、母が家を出ていった。
毎晩、リビングのソファで帰りを待った。しかし、母は戻らなかった。
妹と2人、コンビニのアルバイトの給料で生活する。

家賃と光熱費を払うと、わずかしか残らない。高校にも通えなくなり、
そのまま退学。妹〈古閑惠梨架さん=副白ゆり長〉に中学を卒業させる
のが、やっとだった。

 毎日が苦しかった。心はすさみ、髪は金髪に、寂しさを紛らわせる
ために、一晩中、友人と遊び回った。だが、身も心も満たされない。
その頃、頻繁に顔を見せる近所のお姉さんがいた。

「菅さんが来ると、真っ暗な家の中がパッと明るくなるんです。
妹は”あの人は妖精だ”って(笑い)」
 
 菅友美さんは創価学会の女子部だった。そして姉妹は信心に励み始める。
毎週月曜の夜は、妹と2人で学会の会合へ。行くだけで喜んでもらえたし、
最後のおじさんの話を聞くと元気が出た。

会合ではいつも、一人のばあちゃんが隣に座ってきた。背筋が曲がって
いると、背中を小突かれる。よそ見をしていると、耳元で「人の目を
見なさい!」とささやかれる。とにかく厳しい。けど、どこか温かい。

 ある人が教えてくれた。「あのばあちゃんは、『2人を私たちの娘だと
思って育てていこう』と言ってるんだ」うれしかった。胸が熱くなった。
”そうだ、私には、学会のお父さん、お母さんがいるんだ!”
いつしか心から寂しさは消えていた。

 悩みは全部、菅さんに相談した。昼夜逆転した生活リズムを正すため、
毎朝7時から一緒に勤行を。真剣に祈ると、好待遇の職が見つかった。
女子部で部長、本部長となり、友に尽くすうちに自分のことでは
悩まなくなった。

だが再び試練がーーー。妹が「気分変調性障害」で働けなくなり、
生活が逼迫。家で暴言を吐き、暴れた。

 家に帰るのも、つらかった。その頃、県外で再婚した母から「こっちに
来ないか」と誘われる。すぐ飛んでいきたかった。けれど、母の幸せを
邪魔するように思え、福岡に残った。

だが、妹の世話に疲れ、心は限界だった。”もう無理……”。
潰れそうな時、決まって菅さんが家に来てくれた。池田先生の指導を
懸命に求めた。「一番苦労した人が一番幸せになる」との言葉を支えに、
祈り抜いた。

 すると、十数年ぶりに再会した父から、「一緒に暮らそう」と
提案される。祖父母が家を用意してくれ、独身の父と3人で住むことに。
引っ越しの夜、とめどなく涙があふれた。
”まさか、こんな日が来るなんて……”

 その後、父は娘に勧められ、信心を始める。妹も病が癒え、結婚して
子どもが生まれた。そして、中嶋さんは今、ようやく見つけた自分の
夢に向かって、働きながら、創価大学の通信教育部で学んでいる。

  おわり

 『聖教新聞 2017/02/26(日)』


 
 麻実さんは「中学2年で両親が離婚。高校2年の冬、母が家を
出ていった。」両親がいない姉妹、麻実さんのわずかなバイト
の収入で妹と暮らす、普通には耐えられない状況。
絶望しかない。
 麻実さんは経済的に学業を続ける余裕がなく、高校を中退せざる
を得なくなる。
そんな彼女を救ったのは同志であり、学会の仲間だった。

 まとめ
グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(1)
グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(2)

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グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(1)

若者と希望 1.PNG
アメリカで信心に励む母と心を通わせ、ジョーさん(右)
は今、日本に住む父とも交流を。妻・留美さん(左)
と共に、長男・里玖君へも「信心の歓喜をシェアしたい」と。
ロサンゼルス出身。両親の離婚に伴い少年時代は多くの悩みを。
2006年に入会。今年で来日10年目を迎える。
32歳。古市勇翔支部、男子部部長。


グローバル ウオッチ 世界を見つめて 若者と希望(1)

 家族をつなぐ力、ここに。

 大阪市城東区 ジョー・ケマナイ

 父になったLA(ロサンゼルス)育ちの日系人

 ”種のるつぼ”ロサンゼルス(LA)で生れた。父は日本人とロシア人
のハーフ(ダブルとも呼称)、母は日本生まれの韓国人。
離婚後、母は朝から晩まで働き、姉とジョーを育てた。幼い頃はベビー
シッターに預けられ、小学校の1年間は里親の家で過ごしたこともある。

 LAは、地域ごとに多数を占める人種が異なり、治安は道一本を隔て、
天と地ほど違った。市内で転居を繰り返すたび、付き合う友人も変わる。
小学生の頃はヒスパニック(中南米出身者)と、中学ではアジア系の
仲間と、高校は「クールな白人たち」の中へ。

 ギャングの子どもとけんかに明け暮れもすれば、リッチな白人仲間と
ホームパーティーにも興じた。人種間の格差や、目に見えない差別を、
肌で感じて育った。

強がっていたが、心の中はいつも”空っぽ”。母のことも憎かった。
「もっと一緒にいて、愛してほしかった」

 高校を卒業すると、アメリカ社会では自立することを求められる。
運送会社で朝から晩まで働いた。クタクタに疲れ、ようやく自分を
見つめる。

”俺は何のために生きているのか……”。ルーツを求め日本へ。
禅など瞑想を試すも、答えは見つからなかった。

 その後、LAに戻り、カラテ道場の師範から仏法の話を聞く。母は友人の
勧めで、以前からSGIに入会していたが、自分は一編の題目も唱えたこと
がない。

母の居ない日、そっと御本尊の前に座った。喜びが内側からあふれてきて、
気付けば6時間、唱題を続けていた。祈るうちに、母の顔が浮かぶ。
信心根本に仕事に励み、経済革命を成し遂げ、一家を守ってくれた母。

 ”これまで、ママがどれだけ苦労してきたか……”憎しみが感謝に
変わった。2006年(平成18年)、21歳で入会。
学校に通い、努力を重ね、救急隊員となった。

 だが、母の苦労が本当に分かったのは、再び来日してから。
08年、もっと信心を学びたいと、”常勝関西”の地へ。当初、日本語が
話せなかった。

フィリピン人、中国人、ネパール人と共に、ホテルで清掃の仕事を。
生活は困窮し、パンと蜂蜜だけで数週間、飢えをしのいだこともあった。

最後は信心しきった者が必ず勝つーーー男子部の先輩と日本語で学んだ
池田先生の指導が、心の支えに。そして思った。
”ママも祈り抜いて、強い心で、俺たちを育ててくれたんだ”

 必死に働き、5年後、英会話講師の職に就く。知り合った外国人に
弘教も果たす。仏法対話の場に同席したのが妻・留美さん=白ゆり長=
だった。

 今、何かにつけて、ジョーは息子をハグする。(抱き締める)
それは、「生まれてきてくれた息子への感謝を表す」習慣であり、
「自分を生んでくれた母や父の存在を感じる」瞬間でもある。

 第2につづく『聖教新聞 2017/02/26(日)』

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世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(2)

 
ルー イージュンさん 2.PNG
母・陳麗琴さん(左)とマサチューセッツ工科大学で


世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(2)

 香港SGI ルー イージュンさん

 再生可能エネルギーで人類に貢献

 オンライン学際ジャーナルに論文が掲載


 苦闘の日々が前進の原動力


 アメリカでは課題と試験に追われ、世界中のエリートとしのぎを
削る日々。そして、それ以上の試練が待ち受けていました。
研究室の”上司”のような博士研究員の存在です。

 何日も徹夜して作ったリポートも、彼は一目見ただけで、「読む必要
ない。やり直せ」と一言。こんなことが何度も続き、完全に自信を
失いました。

唱題する気力さえなくし、電話で泣きながら母に訴えました。
そこで思い出したのは、精華大学で学ぶ中、SGIの活動で培った”負けじ
魂”です。

 「そうだ。たとえ今すぐに勝てなくても、自分に負けけなければ、必ず
開ける時がくる」。涙を拭い、再び御本尊の前に座り、何度でもリポート
を書き直す、と決意を固めました。

 やがて、知らず知らずのうちに実力が付いたのでしょう。科学分野では
最高峰の「米国科学会誌(IACS)」はじめ、3誌で”影響力のある論文”
に選ばれたのです。

また、大学側から受けたインタビューがMITのホームページに掲載。
科学技術専門の大手電子新聞でも紹介されました。

 12年、晴れてMITの博士号(PH.D.)を取得。将来への展望も開けました。
大学で第1級の研究者になり、人類に貢献できる研究・開発をすること
です。その舞台が香港でした。

 来年で、台湾にいる家族と離れて10年になります。父は昨年、病魔と
闘った末、亡くなりましたが、誰よりも私の勝利を喜んでくれました。

私は華陽リーダーとして、支部副婦人部長の母、女子部副本部長で
大学講師の姉、女子部副部長で地理情報技師の妹と共に、これからも
信仰の実証を示していく決意です。

香港 黎明聖報 紙.PNG
香港「黎明聖報」紙

 
 おわり『聖教新聞 2016/07/11(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(1)
世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(2)



 読後で思うこと
 誰もが毎日行動する前に知らず知らずのうちに考えて、行動してます。
そして、例えば、サラリーマンであれば、今夜は飲み会に付き合うか否か、
主婦であれば、買い物に行こうか行くまいか、彼女、彼氏の誘いをOKか
拒否か等々決断の連続です。

ルー イージュンさんの場合、もし、母親がこの信心に入信していなか
ったら、彼女が大学生時代、半年が過ぎても連絡をくれる先輩の誘いを
最後まで拒否していたら、彼女自身が学会活動をしていなかったら、
SGIの活動で培った体験がなかったら、
海外留学試験にパスしていなかったら、研究室の”上司”のような
博士研究員の過酷な試練に負けていたら、
現在の彼女の栄光の立場はなかったでしょう。

この信心は困った時は同志に相談できるし、助けてくれるし、もし、相談
相手が回答できなかったら、学会には巨大な組織がです。

職業も全版にわたりいろんな先輩がいます。それぞれに知識の深い人がいますので、相談に
乗れます。あらゆる状況を乗り越える力を、目的に向かって持続する力を
指導してくれます。

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世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(1)

ルー イージュンさん 1.PNG
蓄電池の素材開発に取り組むルー イージュンさん


世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(1)

 香港SGI ルー イージュンさん

 再生可能エネルギーで人類に貢献

 オンライン学際ジャーナルに論文が掲載

深遠な仏法の生命観に感動


 香港中文大学工学部の准教授として、2013年から「再生可能エネルギー」
を蓄える電池の開発に取り組んでいます。石油や石炭など、資源に
限りがある化石燃料に対し、太陽光や風力などの自然エネルギーは、
消費しても短期間で回復するため、「再生可能エネルギー」と呼ばれます。

 メリットは、資源枯渇の心配がないだけではありません。二酸化炭素
(CO2)が発生しないため、環境に優しいこと。また、設備の規模が
小さく、電力消費地で発電できるため、送電ロスが少ないことも
挙げられます。

 半面、発電量が少なく、季節や時間、気候に左右されやすいことが大きな
課題です。この不安定な電力を、安定的に供給できるようにするのが、
大容量の蓄電池なのです。

 現在、私が研究を進めているのは「リチウム硫黄フロー電池」。
バナジウムを使った従来の「レドックスフロー電池」を改良したものです。

さまざまに試行錯誤を重ね、陽極にリチウム、陰極に硫黄と炭素の化合物を
配置したところ、バナジウムでは50〜60アンペア時/リットルだった電池の
容量が、294までアップしたのです。

 この成果が高く評価され、14年7月に香港政府から「傑出した青年研究賞
」を受賞。11月には、世界的な学術誌「ネイチャー」の関連誌で、
オンライン学際ジャーナル「ネイチャーコミュニケーション」に、私たちの
論文が掲載されました。さらに翌年1月には香港中文大学から「傑出した
教育賞」を受賞したのです。

香港中文大学.PNG
香港中文大学の理工学研究棟


 信仰と学業を両立してこそ

 私は台湾・新北市の出身です。家族で最初にこの仏法を始めたのは
母でした。私が高校生の時、母方の叔父が亡くなり、落ち込んでいたところ
、親戚から台湾SGI(創価学会インターナショナル)の信仰を勧められた
のです。

やがて確信を深めた母が、題目のすごさを語ってくれたことは、よく覚えて
います。理系が得意だった私は、03年、台湾の名門・精華大学工学部に入学
。学内の先輩からSGIの活動に誘われましたが、信仰の必要性を感じず、
断り続けていました。

 半年が過ぎても連絡をくれる先輩に、”そこまで言うのなら、一度だけ
参加してから拒否しょう”と、会合に出席。そこで語られる深遠な生命観と、
理路整然とした哲学性に驚き、先入観で一方的に拒否していたことを
悔みました。

 以後、積極的にSGIの活動に参加。 自分が関わった人が幸せになるこ
とは、自分の幸せ以上にうれしいことを実感できるようになりました。

 当初、大学の成績は普通レベルでしたが、SGIの活動が忙しくなった
3年次、”信仰を理由に成績が下がってはいけない”と頑張った結果、
学部でトップに上昇。この経験が、信仰と学業は必ず両立できるという
自信になりました。

 07年、首席で卒業の見込みが立ち、教授から海外留学を勧められました。
タクシー運転手の父と、専業主婦の母、学生の姉と妹のわが家は、到底、
留学費用を負担できる経済状況ではないと思いつつも、挑戦。

何と、アメリカ屈指の名門マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院に
合格できたのです。しかし、年間5万ドル(600万円以上)の学費に加え、
生活費が必要と知り、途方に暮れました。

 題目を上げ抜き、卒業まで1カ月半となったある日、MITの教授との
面接の結果、研究室の助手に採用されることが決定。学費は奨学金で
全額免除、さらに毎月、十分過ぎるほどの生活費まで支給されることに
なったのです。

 第2につづく 『 聖教新聞 2016/07/11(月)』

 まとめ
世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(1)
世界の体験プラザ 香港中文大学で蓄電池の研究・開発に励む准教授(2)


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信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(2)

和田さん 2.PNG
「これから先、苦労があっても『乗り越えてやる!』
と思える自分になれました」と次男・大介さん


私が帰る場所はどんな時も御本尊の前でした

「期待に応えたい。そう思える相手がたくさんいて幸せ」


 感謝の題目を


〈また、勝負の時には、断じて勝つと心を定めて、獅子の吼えるが
ごとく、阿修羅の猛るがごとく、大宇宙を揺り動かさんばかりに
祈り抜くんです。そして、喜びの夕べには「本当にありがとうござい
ました!」と、深い感謝の題目を捧げることです〉

 中学の卒業式直前だけ登校し、大介さんは私立高校へ。ボクシング部
の練習に打ち込んだが、1年生の冬、再び布団から出られなくなる。
不登校になり、退学を決めた。

高校で最後のあいさつを終えた帰り道、母は優しく伝えた、
「やりたいようにやればいいよ」
息子は、ただうなずいた。直後、通信制高校へ。

 2年生の夏。和田さんが唱題していると部屋の戸が開いた。
大介さんが入ってくると唐突に、「お母さんは何になりたかったん?」
と質問してきた。

すでに夫はギャンブルと縁を切っていたが、和田さんの脳裏に、借金に
悩み、弁護士と掛け合った過去が浮かんだ。
「そうやね、弁護士になりたかったかなあ」

 息子の目は、真っすぐに母を見ていた。
「お母さんの、その思い、俺が継いであげる。お母さんの夢をかなえ
るわ」

 そう口にして大介さんが部屋を出ると、和田さんは夫に電話を。
会話は自然と涙声になった。

 08年12月。夫婦は再び涙する。創価大学法学部合格の知らせを
受け取った。39期生として新生活が始まると、息子の弾む声を聞いた。
「学校って、こんなに楽しい所なんや!」
 
 苦悩の中で、夫婦は、いつも感謝の題目を唱えてきた。
突然の試練は、14年の6月、夫・信也さんが心臓発作で急逝する。
副支部長だった夫は亡くなる直前、地区の全ての壮年部員宅を
訪れていた。

珍しく「男の集いやから」と、息子たちと飲みにも出掛けた。

 広布への思いを託し、新たな生へ旅立った。そう思えた和田さんには
「寂しさはあっても悲しみはありませんでした」。
その年、夫の友人2人を入会に導く。葬儀後に交流が深まったから、
”夫の折伏だ”と感じた。

 大介さんは、創大法科大学院の2年生だった。「立ち止まらず、泥くさく
、這ってでも」と、父の姿を胸に、机に向かい続けた。

 本年5月、迎えた司法試験。結果は合格。和田さんはまた一つ、
信仰の確信をつかんだ。「悩み苦しんだとしても、信心をしている限り、
全て、希望を生むドラマになるんですね」


大介さんの話

中学生の頃、学校に行けない後ろめたさがあって、家族すら拒絶して
いました。でも、一番信用していたからこそ、親にはぶっかれたんだと
思います。

 劣等感があった自分が創価大学で変われました。周りに期待をされる
ことなんてないと感じていた自分に、創立者・池田先生や両親がずっと
思いを寄せてくれたんです。

 期待に応えたい。そう思える相手がたくさんいて幸せです。昔は、
人と比べてコンプレックスに縛られていたけど、自分は自分のままで
いいと、今は信じられます。

不登校の原因はさまざまだと思いますが、悩む子には、「君は君のままで
いいんだよ」と言ってあげたい。

 父が亡くなって、母からの電話が増えました。最初は、母を元気づけ
ようとしました。でも、御書をすごく勉強し始めたらしく、御文を拝して、
逆に励まされるようになったんです。

 10代の自分を考えると、今が不思議。絶対にあり得へん。(笑い)。
口で言うばかりではなく、いつも祈ってくれた両親に感謝しかないんです。
頑固すぎるけど、筋の通った母は、本当に唱題する人。

 そのおかげで、想像さえできなかった自分になれました。「法律家」
という立場以前に、まず、困っている人のために行動する人になります。
それが僕の親孝行です。

 おわり (2016年11月19日付)

 『2017年(平成29年)PR版春季号』聖教新聞

 まとめ
信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)
信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(2)

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信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)

和田さん 1.PNG
夫や息子から、信心の素晴らしさを
教えてもらいました」と和田さん


信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)

私が帰る場所はどんな時も御本尊の前でした

「期待に応えたい。そう思える相手がたくさんいて幸せ」


【京都府木津川市】和田真由美さん(55)=木津創価支部、地区副婦人
部長=が仕事から帰宅し、一人暮らしの部屋に明かりをともす。
かつて2階に引きこもった次男・大介さん(27)=東京都八王子市在住、
学生部員=のことで、頭を悩ませた日々が懐かしい。
夫の遺影を見つめ、御本尊の前に座ると経机に置いた指導を読む。
〈お題目を唱える時には、どういう気持ちで御本尊に向かえば
いいのでしょうか〉。SGIのメンバーからの質問に池田先生が答えていく
(小説『新・人間革命』第11巻「開墾」の章)。
師匠の言葉に、これまでの経験が折り重なる……。


必ず創価大学に

〈苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕(かいな)に
身を投げ出し、すがりつくように、「御本尊様!」と言って、
無心にぶつかっていけばいいんです。
御本尊は、なんでも聞いてくださる。思いのたけを打ち明けるように
、唱題を重ねていくんです〉
(以下、太字部分は小説からの抜粋)

2002年(平成14年)、和田さんは朝と昼の食事をわが子の部屋の前に置き、
出勤していた。中学生になった大介さんが引きこもりに。
登校する中高生を見ると悲しみが込み上げた。

 当時、夫・信也さんはギャンブルを繰り返し、借金が膨らんでいた。
”もう私には、夫を変えられない”。苦悩から諦めへと心が移ろう。
和田さんは投げやりになり、帰宅は遅く、出来合いの品を食卓に並べる
ようになった。

 そんな中で起きた息子の不登校。自身を見つめ直すのが唱題の時間
だった。”人のために役立つ人に”と子育てに励んできた。貫いてきた
祈りは、悩みの意味を変えた。
”いつか、この悩みも、誰かの希望になるはず”と。

 わが子の未来の飛躍を信じ、紙に記した。「必ず創価大学に」と。
季節は過ぎ、息子の肩まで伸びた髪が1年以上の時を感じさせた。
夕食に顔を出すようになり、少しずつ変化の兆しが表れた。
ある夜のこと。突然、大介さんが食卓のおかずを壁に投げつけた。

 感情を爆発させた息子は、それまで閉ざしていた心の内を初めて
さらけ出す。「お母さんは、俺の心配よりも、人がどう見てるかを
気にしてるんや!」

リビングが静まりかえる。言い争いは続かなかった。大介さんが階段を
駆け上がる音を、母はじっとしたまま、聞いた。

 反省を唱題に込めるうち、気が付いた。”いつしか、今の大介を、
心の片隅で否定していなかっただろうか”。祈りが深まるにつれ、
姿勢が変わっていった。

”あの子にしかできない生き方があるんだ”和田さんにとって、「悩みを
避けたり、心が追い詰められたりしても、私が帰る場所は、どんな時も、
御本尊の前でした」。

 第2につづく

 『2017年(平成29年)PR版春季号』聖教新聞

 まとめ
信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(1)
信仰体験 次男が不登校を乗り越え、司法試験に合格(2)

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信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(2)

中富さん 2.PNG
仕事を終えると常に同志の輪の中に飛び込み、信
心の喜びを語り合う。学会は年齢や職業の差異を
超えた人間共和の世界だ(中央が中富さん)


信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(2)

 地域貢献の使命に生きる

”報恩の心”で広布拡大の実証を

 2男1女は創価の学びやから雄飛


 持つと強く

 
 窮状にもたじろがなかった弘美さんには、忘れられない”青春の原点”
がある。東京都品川区で生まれ、英語を身に付けた弘美さんは、学会
本部の職員となり、当時の海外局に配属。英語版機関紙である
「セイキョウ・タイムズ」の編集に携わった。

 弘美さんの母は56年(昭和31年)の入会。一方、父は信心に猛反対
だった。弘美さんが26歳の時、その母が心筋梗塞で急逝し、弘美さんは
悲しみのふちに沈んだ。

 そんなある日、池田先生との出会いが。寂しげな弘美さんのたたずま
いを見て、「泣いちゃいけないよ。強く生きるんだよ」包み込むように
励ましてくれた。

「あの瞬間、私は”もっと強くなろう”と決めました。どんなにつらい
ことがあっても、先生の弟子として、絶対に泣かない、耐え抜いて
みせると、心に誓ったのです」

 縁あって中富さんと結婚し、歯科医院開業の76年、北九州の地へ。
以来、仕事で多忙な夫を支えながら婦人部の活動に励み、さらに
九州国際部の後進の指導にも当たってきた。

 そんな両親の姿を見て育った2男1女は、そろって創価高校を卒業し、
後継の人材に成長、長男・満城さん(40)=北九州市小倉北区、到津
支部、壮年部員=は九州大学歯学部、東京医科歯科大学大学院で学び、
現在は九州歯科大学で講師を務めている。

 長女・明美さん(38)は創大からマレーシアのプトラ大学大学院へ。
現地の男性と家庭を持ち、マレーシア広布の使命に生きる。

次男・伸幸さん(32)=東京都立川市在住、男子部ニューリーダー=
は、アメリカ創価大学を経て創大工学部大学院の修士課程を修了。
現在は博士課程で研究にいそしんでいる。

中富さんは語る。
「私たち家庭が自身の使命を自覚し、こうして最高に価値ある人生を
歩めるのも、全て池田先生と学会のおかげです。
その恩返しのためにもさらに地域に尽くしながら、家内と共に、
広布拡大の勝利の実証を示していきます」

中冨さん 3.PNG
励まし、支え合いながら広布の使命に生きる
中冨さん夫妻


 おわり 『聖教新聞 2017/01/10(火)』

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何のため信心するのだろうか、その目的は

 何のため信心するのだろうか、その目的は

信心の目的

「学会の永遠の五指針」

 1、一家和楽の信心
 2、幸福をつかむ信心
 3、難を乗り越える信心
 4、健康長寿の信心
 5、絶体勝利の信心


 これが信心する目的になります。
この指針を目指して、学会員は地域社会で困難に屈せず、
希望を胸に勝ち抜いていくための信心持続の指標です。

 創価学会は何も隠し事はしていません。むしろ、
知ってもらいたいがために行動しています。

新会員の友のために―創価学会入門 定価500円

新会員の友のために―創価学会入門、目次



創価学会の歴史、小説「人間革命」
 第2代会長が悪法”治安維持法”で逮捕され、獄中で過ごされ、
出獄されたのが、終戦の年、7月だった。

そして、戸田先生が一人立ち再建された「創価学会」の歴史。
第1代会長「牧口常三郎」先生は獄死されました。
学会の歴史は日本の歴史でもある。

学会が日本の再建に貢献した業績は大きい。


新・人間革命 (第1巻) (聖教ワイド文庫 (011))

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信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(1)

中富さん 1.PNG
 日々、歯科医療の最前線に立つ中富さん。「健康寿命の観
点から、今、歯の健康維持の大切さが見直されています」


信仰体験 北九州市で歯科医院を開業して40年(1)

 地域貢献の使命に生きる

”報恩の心”で広布拡大の実証を

【北九州市小倉北区】1976年(昭和51年)に歯科医院を開業し、昨年春
に40年の節目を迎えた中富俊介さん(70)=到津支部、総県副総合長、
九州副ドクター部長。
地域住民の健康増進に寄与するとともに、九州ドクター部発展に
尽力してきた功績により、5年前に「広布文化賞」を授与された。
その中富さんの妻・弘美さん(71)=総県副婦人部長、九州国際部
女性部長=もまた、昨年11月、国際部結成当初からの貢献によって、
同じく広布文化賞の栄誉に輝き、夫婦で喜びを分かち合った。
広布の旅路を共に歩んできた二人は、今、確かな信仰の実証を
示している。


漢方医の教え

 学生時代、中富さんは医学を学びながら、一人、考えを巡らせていた。
人間の生と死をどう捉えるか。そして、自身の人生を悔いなく生きるには
どうすればいいのか。

 当時、父が持病で漢方薬を服用しており、それを処方していた漢方医が、
今は亡き長野兼熊さんだった。薬を受け取りに行った日、中富さんは
学会員の長野さんから仏法の生命論を教わった。

探し求めていた答えを示され、驚きと喜びで胸が高鳴ったが、信仰の道へ
一歩を踏み出す勇気がなかった。

 その時、「あんた、迷っているでしょう?」と、長野さんの妻・トヨノ
さんが身を乗り出した。

「若いんだから、腹を決めてやりなさい。いいも悪いも、やってみなけ
りゃあ分からんよ。青年に大事なのは勇気たい」

確信みなぎる一声に背中を押され、68年、中富さんは22歳で創価学会に
入会した。勉学と学会活動の両立に挑み、翌69年3月、先輩に連れられ
九州幹部会に参加。池田先生の烈々たる指導に触れ、深い感動に包まれた。

「先生のお姿を遠目に見ながら、涙が止めどなくあふれてですね。”ああ、
この方が自分の師匠だ、どんなことがあっても、生涯、つききっていこう”
と心に決めました」

信仰への理解が浅い父との間には、埋めがたい溝ができていたが、”親を
大切に。目の前の人を大切に”との学会指導を学び、唱題に励むうち、
中富さんの心に変化が芽生えた。

”自分を生み、育ててくれた両親を、もっと大切にしよう。もっと
長生きしてもらおう”……心の底から湧いてきた感謝と尊敬の思いを
胸に秘め、中富さんは父と向き合った。

「お父さん、そろそろ創価学会に入ろうや」父の幸せを願う、万感こもった
その言葉を待ち受けていたかのように、普段から口数の少ない父が一言、
「おう」と返した。

 一足先に信心を始めた母に続き、父が入会したのは75年。中富さんが
仏法に巡り合って以来、7年越しの対話が結実した。


 題目しかない

 中富さんは歯科大学時代の学友と共に、北九州市を訪問した池田先生
から、2度にわたって激励を受けている。その折、先生は「人格を磨く」
「地域に貢献」「学会活動の闘志に」との指針を示し、「そこにしか
本当の人生の幸福も勝利もない」と語った。

 師の言葉を胸奥に刻み、中富さんは仕事、地域貢献、学会活動と、
全てに一歩も引かずに挑戦してきた。

 町内会では30年以上にわたって副会長を務め、町会対抗運動会では
毎回、応援団長に。また小倉歯科医師会では理事、副会長を歴任し、
同業者の連帯を図りつつ歯の健康の啓発運動に尽力。

 理事会や講習会で率先して実務を担う姿に接し、ある歯科医が
「中富さんの姿を通して、私は創価学会に対する認識を改めました」
と声を掛けてきた。

「微力ながら私が地域で頑張ってきたことで、周囲の人が少しでも
学会への理解を深めてもらえるなら、これほどの喜びはありません。
また、それこそが師匠・池田先生への報恩の道に通じると
信じていますから」

 そんな中富さんが人生最大の試練に直面したのは90年。
あるトラブルに巻き込まれ、多額の負債を背負うことになったのだ。
歯科医として一定の収入があったとはいえ、それだけでは到底、
返済が追い付かず、歯科医院の売却さえ考えるほど窮地に立たされた。

 だが、そんな嵐の渦中にあっても、妻の弘美さんんは泰然自若
としていた。「お父さん、題目よ、題目しかないよ!」

 そう言って、自ら、御本尊の前でひたぶるに祈り続けていた。
中富さんもまた、妻の一言に闘志を燃やし、いまだかってない勢いで、
唱題に励んだ。

 結局、歯科医院の売却には至らなかったが、保険の解約など万策を
尽くし、その上で、20年以上の歳月をかけて完済。
自身の責任を果たし終えた。

「人生、いつ何が起こるか分からない。でも何があっても学会から
離れず、信心を貫いていくならば、乗り越えられない苦難はありません。
自身の体験を語りながら、私は今、一人一人、同志に励ましを
送っています」

 第二つづく 『聖教新聞 2017/01/10(火)』

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