聖教新聞 体験談そのほか気になる記事

世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(1)

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家族と共に(中央がシャクソンさん)


世界の体験プラザ 弁護士として故郷に貢献(1)
アメリカSGI シーラ・シャクソンさん

池田先生の哲学で社会を変えたい

 「大丈夫。私には信心がある」

 人種差別との闘いの日々


 は米国の中西部、カンザス州やネブラスカ州で育ちました。
私が生まれた1955年、ローザ・パークスの勇気に端を発した、
あの「バス・ボイコット運動」が起きます。

私の父はロースクール(米国の法科大学院)を首席で卒業しながら、
肌の色を理由に法律家への道を閉ざされていました。

 店に行っても、黒人の子どもにはジュースも売ってもらえない。
近所の白人の子どもたちが通う真新しい学校に、私たち兄妹は
入学を拒否される。

こうした差別を味わうにつれ、自分は無力で劣った存在なのだろうか、
と心が傷つけられました。

 両親は、公民権運動に身を投じ、わが家は活動家たちの拠点になって
いました。しかし公民権運動への脅迫や暴力は絶え間なく、幼い私は
いつ自分が狙われるか、いつ両親が逮捕されてしまうかという恐怖を、
常に感じていたものです。

 けっして裕福ではない中で、両親は子どもたちが少しでも社会の壁を
乗り越えられるようにと、教育費を惜しみませんでした。

 私が高校生の時、両親がブラジルへの留学の機会を与えてくれました。
娘の私がポルトガル語の習得や異文化に慣れずに苦しんでいるのを知った
母は、自分もポルトガル語を習い始めて、ポルトガル語で励ましの手紙を
つづってくれました。

大学卒業後は、奨学金を得て再びブラジルへ留学。おかげで、私は今でも
ポルトガル語を自由に操ることができます。

弁護士として 2.PNG

人間の尊厳を説いた宗教

学を終えて帰国しても、就職の面接では黒人であることを理由に採用を
拒否されました。64年に差別を禁止する公民権法が施工され、そこから
さらに10年が経っても、そんな状況だったのです。

 もう中西部はこりごりだと感じた私は、ニューヨークに移り住みました。
85年、そこでSGIの仏法と出会うのです。
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘(ひろ)めん者は男女はきらふべからず、
皆地涌の菩薩の出現に非(あら)ずんば唱へがたき題目なり」
(御書1360ページ)

 男女はもちろん、あらゆる人間の平等を説いている宗教など、それまで
聞いたことがありませんでした。両親は敬虔なクリスチャンでしたが、
私は一人一人の人間革命によって、世界を平和にしていく方途があるのだと
知って感動しました。

 入会した私は、地区婦人部長として、猛然とニューヨークの広布拡大に
奔走しました。座談会のたびに、わが家には溢れるほど人が集まりました。

 この信仰で得られた何よりの功徳は、自身の尊厳を感じられるように
なったことです。日蓮大聖人は門下の一人に対した、「此の度決定して
無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、
衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり」(同383ページ)
と教えられています。

(今この人生で間違いなく最高の悟りを得ようと思うならば、必ず
衆生に本来具わる妙理を自身の生命の中に見ていくべきである。
衆生に本来具わる妙理とは妙法蓮華経のことである)

 全ての人に具わる”仏の生命”について書かれたこの一節は、
差別の中で刻まれていた、私の無力感や卑屈さを打ち破って
くれました。

 自分を評価する基準を、外側にではなく内側に見いだせたことが、
私の生き方を大きく変えてくれたのです。
その結果、他者に対しても寛容に接することができるようになりました。

 第2につづく 『聖教新聞 2017/01/23(月)』
 
 まとめ
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池田大作先生 四季の励まし 感謝の心で人生は輝く

感謝のこころ 1.PNG
池田大作先生 四季の励まし 感謝の心で人生は輝く

感謝のこころ 2.PNG


 池田大作先生 四の励まし

 感謝の心で人生は輝く


感謝がある人は幸福である。
心には豊かさがあふれ、
喜びに満ち、
生き生きとして明るい。
福徳が輝く。
感謝のない人は不幸である。
いつも、不平と不満、
嫉妬と恨みと愚痴の
暗雲が渦巻いている。
だから、人も離れていく。
わが人生を輝かせゆく源泉は、
報恩感謝の一念にこそあるのだ。

 ○ ○ ○

誰のどのような行いによって
今の自分があるのか。
そのことを深く知り
感謝することで、
自己を最も強く肯定し、
自分自身の存在の基盤を
確立することができる。
自身の基盤を確立することは、
自分自身の大いなる
発展の土台となるのである。
報恩とは、
自身の可能性を最大に開いていく
「人間革命」の挑戦なのだ。

 ○ ○ ○

大文豪ゲーテは言う。
「感謝しなければならぬ人と
出会いながら、
感謝をわすれていることが、
どんなにしばしばだろう」
その通りである。
陰で支えてくれた方々に、
感謝の声を掛けていくことだ。
決して
当たり前と思ってはならない。。
声一つ、言葉一つで、
人間の心は動く。
その心が一切を決める根本だ。

 ○ ○ ○

感謝を忘れず、
報恩に徹すれば、
自ずから
為すべき行動は定まる。
必ず
無限の勇気と智慧が、
滾々(こんこん)と
湧き起こってくるのだ。
感謝の人は光る。
報恩の世界は栄える。


写真
沿道には、池田大作先生の訪問を心待ちにしていた同志の姿が
あった。1988年(昭和63年)2月のシンガポール。
感謝の思いを込めて、先生は車内からシャッターを切った。

 感謝のない人は、自分のために人が何かをしてくれても、
「当たり前」だと思う。この「当たり前」を「ありがとう」の
言葉に置き換えれば、どれだけの人が笑顔になるだろうか。
地域へ、社会へ、笑顔を広げゆく感謝の人でありたい。

 『聖教新聞 2017/02/12(日)』

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世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(2)

世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(2)

 ベネルクスの婦人部


新入会の友 4.PNG
 ベルギー
エルジェベット・ハーシャーニーさん



 全ての努力が報われた

 人生はいったい何のためにあるのだろう。……ずっとそう考えてきました。
何をしても、うまくいかない。いくらやっても空回り。
経済的にも困窮していましたが、最も苦痛だったのは、善意を
裏切られたことでした。

 ある友人に、家や食事、金銭面の世話をしたのですが、その善意に
つけこまれてだまされたのです。疲れ果て、命を絶つ選択肢が浮かんだ頃
だったと思います。親友から仏法の話を聞きました。
7年ほど前のことです。

 親友の信心への確信に圧倒されました。普段の私なら反発するところ
ですが、”それほどまでに言うのなら、何かあるのかもしれない”と、
素直に思いを受け止めることができました。

 題目を真剣にあげました。心身の苦しみが、不思議と和らぎました。
すると、ある日を境に、努力しながらも諦めていたことが、
一つ一つ報われ始めたのです。

とともに、人がどうこうではなく、自分自身が精神的に満たされることで、
周囲の反応に振り回されなくなりました。

 また学会活動に取り組む中、相手を心から尊敬することで、自分自身も
本当に大切にできるようになったと感じます。
友人5人に弘教も実りました。

 現在、福祉関係の仕事に就き、高齢者支援をしています。身体的な
サポートだけでなく、心を通わせられるかどうかが、支援の重要な側面に
なると感じます。

 老いを受け入れられず、感情的になる人や、心を閉ざす人もいます。
信心を始める前は、相手の感情にいたずらに振り回されることも
何度かありました。

 今、心掛けているのは、相手の仏性を見ることです。
唱題を重ねて仕事に取り組むことで、相手の立場に同苦することができ、
感情的な場面でも心を通わせ合えている実感があります。

 以前は、生きていくだけで精いっぱいでした。ですが、今は「自分の
人生を生きている!」という手応えがあります。自分を取りつくろう
ことなく、「人生は素晴らしい」と感じます。

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ルクセンブルク
モニック・フラセルさん


自分を信じられるように

 ヨガのインストラクターをしています。4年ほど前にヨガ仲間から
誘われて、仏法の話を聞きました。以前から仏法に関心がありました。
ルクセンブルクで仏教といえば、チベット仏教を想像します。

私も仏教にそのような印象を持っていましたが、SGIは、そうした
イメージとは大きく異なっていました。

 座談会に出席すると、これまで感じたことのないような解放感があり、
気づけば、仏法の目的や実践について話し込んでいました。
おそらく、私はとんちんかんな質問ばかりしていたと思うのですが、
皆さんが誠実に耳を傾けてくれていたことを覚えています。

実際に題目を唱えてみると、心の中に平和と安穏を感じるように
なりました。実は今まで、目標を立てて仕事をするということが、私には
とても難しかったのです。

 朝晩の勤行の時に目標を祈り定めることで、やっと自分の意思で物事を
決断できるようになれました。教室では約50人にヨガを教え、別の学校で
調理師としても働いています。

 たくさんの功徳を頂きましたが、一番の変化は、自分を信じることが
できるようになったことです。

 恥ずかしがり屋で、人前で話すのが苦手だった自分が、今は堂々と
皆の前で話しています。昔の自分からは想像できません。
先日、地区の先輩に「最初は会合に来ても後ろに隠れてばかりいたわよね」
と言われ、そのことに気付きました。
 
 そうした私の変化を見て、めいも信心を始めました。
題目を根本に、周囲の人たちの力になっていきたいと思います。

新入会の友 5.PNG
ルクセンブルクSGIの座談会。
多様な国籍の友が祈りを合わせる

  
 『聖教新聞 2017/02/05(日)』

 おわり

 まとめ
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世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(1)

ベネルクスの友.PNG
欧州随一の国際都市ブリュッセルで、仲良く友情を
広げるベルギーの友


新入会の友1.PNG
オランダ レオナルダ・ファン・アイクさん


アムステルダム.PNG
オランダの首都アムステルダム。
田園の川沿いを風車が彩る


世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(1)


 新入会のSGIメンバーを紹介する本企画。今回は、欧州北西部に
位置するベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)
の婦人部員に、信心を始めて得た実感を聞いた。

 ベネルクスの婦人部

オランダ レオナルダ・ファン・アイクさん

この道を歩みたかった


 昨年5月8日に入会しました。この日は私の新しい誕生日です。
シャンパンを開けてお祝いしました。初めて仏法の話を聞いたのは、
一昨年の11月です。
紹介者であるイワミさん夫婦は、小説『人間革命』を勧めてくれました。

 初代会長の牧口先生、第2代会長の戸田先生が、軍国主義に抗して
投獄されながらも、毅然と信念を貫かれたことを知り、SGIの正しさを
確信しました。

 私は「正しい教えを信仰したい」という願いをもっていました。
日蓮大聖人と学会の歴史を学ぶほどに、”これで自分は
正しい道を歩んでいける”との、安堵がこみ上げてきます。

 もう一つ、SGIに正しさを感じる点があります。それは、活動の中心が
「行動」だということです。祈って終わりではない。

 私は45年間、セラピストとして心のケアに携わってきました。
今ではヒーリング(癒し)プログラムの際も、心の中で題目を唱えながら
施術し、セラピーが終わった後も患者のことを祈り続けます。

忙しい時は移動中も題目を唱えます。そして、相手が元気を取り戻すまで
寄り添います。

 自分のことだけでなく、周囲に励ましを送り続けるSGIの実践を見て、
すぐに正しい信仰だと分かりました。

 初めて耳にした、朗々たる題目の音律!あの感動は忘れられません。
すぐにでも御本尊を頂きたかったのですが、まずは仏壇だけを安置し、
勤行・唱題を練習しました。

 それから4週間ほどたった時のことです。いつものように一人で
唱題をしていると、感極まってしまい、涙がとめどなくあふれてきました。
この信心を生涯続けていきたいと、感謝と決意がこみ上げました。

 題目を唱えることに違和感や抵抗感は一切ありませんでした。
何に向かって、何を唱えるか、、、その選択が大切だと聞き、
感銘を受けたことを覚えています。

 もともと私には、”誰かのために生きたい””平和に貢献したい”
という考えが強くありました。仏法を語り広げることで、身近な人の
人生を手助けし、そこから平和と幸福を広げられている実感があります。

 勤行の御祈念文に「世界の平和と一切衆生の幸福のために」
とありますが、広宣流布は、私の人生のそもそもの目的に合致して
いるのです。

「この信心で、あなたの可能性や長所を無限に伸ばしていける」と
紹介者から教わりましたが、日々、その通りだなと感じます。
これを見てください。私の「仏法ノート」です。

「kousen-rufu(広宣流布)」、「seikyo shimbun(聖教新聞)」、
「juryo-hon(寿量品)」、「sokahan(創価班)」……。

 活動で分からない言葉が出てくると、ノートに書いておいて後で
質問します。私の患者の名前や、友人の願いなども書きとどめています。
縁する全ての人の平和と幸福を祈り、行動できることが喜びです。

 2につづく 『聖教新聞 2017/02/05(日)』

 まとめ
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世界広布と新入会の友 今なら言える”人生は素晴らしい”と(2)

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信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(2)

91歳で元気 2.PNG
長女の文子さんと2人暮らし


91歳で元気 3.PNG
心に響いた本紙の言葉を
書きとどめることが日課


信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(2)

「題目は打ち出の小づちじゃけえ」


 ●小宇宙

題目をあげりゃあ、宇宙全体が力を貸してくれるんよ。
恐ろしい物は無いなるわいね。雨も風も、それこそ雪も加勢してくれる。
みんな南無妙法蓮華経の当体じゃけえ。

その力を借りて努力しんさい。棚からぼた餅じゃあ、つまらんで。
わたしゃあ太陽が、ことのほか好きなんじゃ。自分だけを照らしてくれる
気がするけえね。

「ありがとう」言うて手を振って、食器じゃろうが、何じゃろうが
干すんよ。最後は、わしが物干し竿にぶら下がろうか思うてから。
それぐらい太陽が好きなんよ。

 とにかく題目あげてみんさい。宇宙を感じて涙が出るけえ。
じゃけえ人間は「小宇宙」いうんよ。


 ●魔との攻防

寒くなったら、布団から出にくいわね。無理に起こす者もおらんし、
寝ときゃあええ。でもの、そう思った時には、もう魔が入っとる。
魔いうのは、題目をあげささん力のことなんよ。

 わたしゃあサスペンスが好きでのお。いつも2人の自分が言い合い
するんよ。「こりゃあ見たのお」「見んさいや」
「ほいでも題目あげにゃあ」「まあええじゃないか。今日ぐらい」。

仏と魔とは背中あわせ。魔の陣地に引っ張られたら、なかなか
元には戻らんけえの。

 持続が肝心よ。「今日あげたけえ、明日は題目を休んでええ」じゃあ、
魔が命をそそのかすで。


 ●祈りの構え

題目あげんと、一日損した気分になる。題目は素晴らしいよ。
何にでも効く薬よ。それを信じんさいや。同じ題目でも、間違うた
題目あげたらいけん。「この願いは無理かもしれませんが、
何とか……」。

それじゃあ御本尊様から「知ったこっちゃない」と
言われるんがオチよ。腹を決めて「こうします」いう、かなえるような
姿勢で祈らにゃあ。

「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」
(御書234ページ)。忘れんさんな。わしらは、題目をあげるために
生まれてきたんじゃけえの。


 ●願い生まれし

 宿業いうもんは、たちが悪い。願って生まれたことを忘れるんじゃけえ。
病気じゃろうが、何じゃろうが、他人のもんじゃない。
御書にちゃんとあるじゃないですか。

そりゃあ凡夫じゃけえ、疑うわいね。わしは苦しいたびに、池田先生の
本を読みよる。ほいで応用問題を解くように「何でですか」言いながら、
御本尊様に題目あげよる。

 引いたらいけん。引いたら宿業が雪崩をうってやってくるけん。
宿業ちゅうのは、逃げたら10のもんが3倍にも4倍にも膨れ上がるんよ。
文句言わんと向き合うたら、10が5に減るんじゃけえ。

智慧があるじゃないですか。御本尊様から頂く知恵が。
それで解決すりゃあええじゃない。ピンチをチャンスに変えていくんよ。
題目あげ抜きゃあ、何から、かんから、ええあんばいに丸う収まるん
じゃけえ。

わしは息が続く限り、信心の話をして歩くけんね。功徳を山ほど、
もらうんじゃ。

 まあ、ようしゃべったのお。まこと今日はええ天気じゃ。このお日さん
塩漬けにして取っておきたいわ。

 おわり

 まとめ
信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(1)
信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(2)

 『聖教新聞 2017/01/31(火)』

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信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(1)

91歳で元気 1.PNG


信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(1)

「題目は打ち出の小づちじゃけえ」

信仰体験 心の長者は91歳【広島市安佐北区】「痛いも、からいも、酸いも、引っ張り出そうかいね」
そう前置きして、新宅ミスヱさん(91)=白木支部、支部副婦人部長=
は、歩みを話してくれた。

広島県の小さな島に19歳で嫁いだ。5人の子を産んだが、島の流儀に
なじめなかった。身内から「役に立たん」といびられ、泣いた。
子どもを連れて帰郷しようと、港で船を待つ間、悩んだ。

わが子が父親の愛情を知らずに育っていいものか。踏みとどまった。
夫と、船に砂利を積んで運ぶ仕事を始めた。うまくいかず、
みそ汁のみそも買えない暮らしになった。貧しさにあえぎ、いろんな
宗教をつついてみた。

陸の運送業に活路を求めた。その頃、信心の話を聞く。1962年(昭和37年)
、創価学会に入会すると、毎日「ゲタがちびるほど」学会活動に歩いた。
人生の土台が固まった気がして、ようやく胸を張れた。
倒産を2度味わっても、めげたりしない。

「見とってみい。この倍の会社にしちゃる」。支えは、池田先生と交わした
握手(75年)。「頑張ってください」と声を掛けられた思い出だけで、
耐えに耐えた。

泥から這い上がったその手で土木会社を築き、子に継いだ。
もう一つ、大きな山を越えなければならなかった。4年前、67歳の長男を
病で亡くす。

新宅さんは息子の息が切れるまで、題目を聞かせた。張り裂けそうな思いで
、葬儀の導師を自ら務めた。

 人生に起こる全てを、「生まれた時の約束ごと」と受けとめる。
親より先に子が旅立つことは、身の置き場がないほど悲しく、つらい。
それでも「もう題目しかないけえ」と、祈りを途切らせはしなかった。

新宅さんの語る言葉の端々に、信心への覚悟がにじむ。
「こがな幸せがくるとは思わんかった」と、張りのある声で言い切る。
宿命を丸ごと宝に変えてみせた”心の長者”に、共鳴する人は多いだろう。
 (天)


 ●信心の味

 題目は打ち出の小づちじゃけえ。頭で思うただけで、宝物が出るんよ。
買い物に行くじゃろ。家帰って「しもうた!卵買うの忘れた」言うてのお。
ほしたら玄関がピンポーンと鳴るんよ。開けたら近所の人が卵を箱で
持っとった。

こがな不思議なことが続くんよ。座談会の帰りに「シイタケ食べたい」
言やあ、玄関に干しシイタケがドサッと置いてあるし、粕汁が飲みたい
思うたら、「粕汁こしらえたけえ食べんさい」言うて縁側に来てじゃし。

欲しい時に欲しい物がスイスイ飛んでくる。それが功徳なんよ。
みんな、打ち出の小づちを持っとるんじゃけどのお。振らんけえ、宝も
功徳も出んのんよ。振ってみんさい。信心の味を占めたら、やめられんけえ。


 ●宝の受け方

 池田先生の言われる通りに、信心すりゃあええ。題目あげても幸せになれん、
いうのは、大うそよ。朝晩、勤行しよるじゃろ。寿量品に「雨曼陀羅華
(うまんだらけ)」ってあろうが。宝物が毎日、天から降ってきよるんよ。

じゃけど、みんなよう受け取らんのよ。前掛け広げて受けるんじゃあ
ないで。題目あげて、受ける器をつくっとかにゃあ。
私は欲深いけえね。降り注ぐもんを全部受けるで。見てみんさい。
この正月も、子と孫がみんなお年玉くれたんじゃけえ。

 次につづく

 まとめ
信仰体験 ブラボーわが人生 第26回 心の長者は91歳(1)
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『聖教新聞 2017/01/31(火)』

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中国の名門・蘇州大学に発足 池田大作中日友好思想研究会

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蘇州大学の敬文書院に誕生した「池田大作中日友好
思想研究会」。教職員、学生らが記念のカメラに


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中国の名門・蘇州大学に発足 池田大作中日友好思想研究会

羅教授 先駆者の哲学を学び広げたい

”池田文庫”も開設


 中国東部・江蘇省に立つ蘇州大学の敬文書院に、「池田大作中日友好
思想研究会」が発足した。創立117年の歴史を誇り、約5万人の英才が
学ぶ蘇州大学は、国家重点大学に指定される、中国最高峰の総合大学の
一つである。

 2001年には、中国の学術界に与えた影響と東西文明の交流促進への
貢献をたたえ、池田大作先生に「名誉教授」称号を授与している。
敬文書院は、香港の慈善事業家であった朱敬文氏の理念を実践する
全寮制の学びやで、有意の人材を国内外へ輩出し続けている。

同院の院長を務める羅時進教授は、日本での滞在経験もあり、かねて
池田先生の平和運動に深い共感を寄せてきた。

池田先生の調和と共生の哲学と、周恩来総理をはじめ先人が築いてきた
中日友好の歴史を、未来を担う青年たちに伝え、継承していきたいとの
強い思いから、研究会の設立に至った。

池田大作中日友好 3.PNG
共に中日友好の未来を見つめて 開設式では学生たちが
和やかに(蘇州大学で)


蘇州大学のキャンパス.PNG
蘇州大学のキャンパス


 4日に行われた開設式では、初めに羅教授があいさつ。池田先生の
「中日国交正常化提言」(1968年)に触れ、「池田先生は中日の友誼の
使者であり、国交正常化以前の”氷を砕く旅”の先駆者でありました」
と紹介した。

また、歴代の指導者らと重ねてきた友誼の交流に言及し、「私たちには
池田先生が提唱されてきた両国友好の思想を、民間レベルで一段と
広めていく義務があります」と力を込めた。

さらに、参加した学生たちに向け、複雑化する時代にあって調和と共生の
哲学を育むために、イギリスの歴史家トインビー博士をはじめ、世界の
識者と池田先生との対談集を読み深めていってほしいと呼びかけた。

この日、同院に「池田大作文庫」も設置された。

 『聖教新聞 2017/01/31(火)』

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信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

緑内障と闘う2.PNG
地区総会で、一人娘の輝彰(あきら)さんがピアノ演奏。
田澤さん一家の笑顔は、地域の希望でもある
(左から田澤さん、長女・輝彰さん、妻・登代子さん)


信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

悩みも苦しみも朗らかに
 乗り越えて


師匠と共に生きる幸せ

失明の恐怖に


 田澤さんが所属する「品質保証部」は、品質保証の仕組みづくりや、
適切な運営のチェック、改善提案などを行う部署。いわば、安心安全を
掲げる食品メーカーの生命線。

しかも、田澤さんが管理職になった頃から、とりわけ重責を担うよう
になる。02年、食品偽装問題が次々と発覚。食品業界は窮地に陥る。
問題のないメーカーまで、消費者からの厳しい目にさらされた。

 田澤さんも、その対策に追われた。会社は、社内の品質保証体制を
強化するため、11年、「内部統制課」を新設。田澤さんが課長に
抜てきされ、グループ会社も含めた全ての従業員に分かりやすい、
社内表示基準の策定などを手掛けることになった。

 しかし、またしても、目の病が、、、。課長就任を目前にした同年3月、
今度は、左目に緑内障が発症。網膜剥離を起こした後の緑内障は、
手術成功の確率が低くなる。

 失明の恐怖が再び、心に重くのしかかった。「さすがに、もう
ダメだ、、、」。立ち上がる気力さえなかった。くじけかけた心を
持ち上げ、ありのままの真情を、SGI会長への手紙に記した。

「苦しいですが、頑張ります」手術は無事に終わったが、結果は1カ月を
経ないと分からない。術後の視界は、真っ白に濁り、何も見えなかった。
そんな時、SGI会長からの励ましの伝言が届く。

”先生が勝利を待ってくださっている。絶対に治してみせる!”
心に赤々と闘魂が燃えた。見えない御本尊に向かい、題目を唱え続けた。
2週間が過ぎた頃、白濁していた視界に、一筋の文字が黒く浮かぶ。

「南無妙法蓮華経」勝った!御本尊が見える!視力の低下は最小限に
抑えられ、3か月後、職場復帰を果たす。以来5年間、優秀な部下たちに
支えられ、課長職を全うし、現在は一管理職として部署をもり立てる。

 この先また、病に侵されるかもしれない。いつ失明するか分からない。
だが、「もう何も恐れません。今は、家族や部下など、周りへの
感謝しかないんです」と。

 悩みも苦しみも全て乗り越え、田澤さんは今、師匠と共に生きる幸せを
実感している。

 おわり 『聖教新聞 2016/10/27(木)』

まとめ
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

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信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)

緑内障と闘う1.PNG
田澤さんの出勤は朝早い。左手に白杖、かばんを
たすき掛けにして、さっそうと会社に向かう


信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)

悩みも苦しみも朗らかに
 乗り越えて


師匠と共に生きる幸せ


【兵庫県宝塚市】田澤彰浩さん(56)=宝塚旭日支部、副本部長=
の右目は、ほぼ視力を失っている。左目も極めて視野が狭く、出歩くには
白杖が必要だ。40歳を目前にしての緑内障の発症。

”もう働けない……”と何度、失意に暮れたことか。だが、全ての困難を
乗り越え、今も大手食品メーカーで、「品質保証」の重要な仕事を
担っている。


トップを走れ

 入社当初は、誰もが認める「ダメ社員」だった。大学の農学部を卒業し、
品質管理など理系の仕事を希望していたのに、配属先は営業部。
地獄のような毎日だった。

ストレスは体に表れ、持病のぜんそくやアトピー性皮膚炎が悪化。
顔は黒い斑点と湿疹だらけ。肝炎も患い、慢性的な頭痛と倦怠感に
苛まれた。

当然、営業成績は振るわない。”どうせ、結婚も出世もできない”と、
心は諦めと嘆きばかり。「あの頃は、”笑う”ことさえ忘れていました」
対照的に隣の席で、いつも笑顔で、はつらつと仕事をこなす同僚がいた。

聞くと、創価学会員だという。本部幹部会の中継行事に誘われた。
”どんな人でも、絶対に、幸せになれる力を持っている。だから、
負けてはいけない!”

池田SGI会長の力強い声に、心が温かくなる気がした。ユーモアを
交えたスピーチに引き込まれ、何年かぶりに、心の底から笑っていた。
”この人に付いていこう”。1990年(平成2年)に入会。

人生が一変する。生命力があふれ、毎日が楽しくなった。次第に病状も
回復。信仰の確信を深め、さらに学会活動に励むと、職場も「品質保証部」
へ移動。

妻の登代子さん=地区副婦人部長=との結婚も決まり、順風満帆だった
95年1月17日、阪神・淡路大震災に見舞われた。
当時、住んでいた西宮市も甚大な被害だった。

約一カ月間、地元・西宮文化会館で寝泊まりし、救援活動に奔走する。
同年9月には、男子部の本部長に。 家を失い、生活に困窮するメンバーに
懸命に寄り添い、励まし続けた。無我夢中だった。

共に泣き、共に祈り、共に立ち上がり、折伏にも挑んだ。
忘れもしない1年後の5月19日。戦い切って迎えた創価西宮県男子部の会合に
SGI会長が和歌を贈ってくれたのだ。

「悩みをも また苦しみも 乗り越えて 朗らか選手と トップを走れや」
。この歌は、田澤さんの”不屈の魂”の源となった。

会社のお荷物

学会の圏男子部長だった2000年、突然、目がかすみ始めた。
症状は一向に治まらず、近くの眼科を受診する。「緑内障」、、、
右目の視神経が異常を来し、元には戻らない。

このままでは失明する。医師の説明にがくぜんとした。「病気も心配
でしたが、男子部の活動ができないことの方が申し訳なかった」
手術し、失明だけは食い止めたが、右目の視力をほぼ失った。

治療のため、仕事も休まざるを得ず、職場に戻っても、視力障害により、
できる仕事は限られた。「田澤なんて、会社のお荷物や!」。
そんな心ない言葉も耳にした。

社会で実証を示せないことが情けなかった。”俺に何の価値があるのか、、、”
。心の支えになったのは、同志の励まし。「真面目に学会活動して
きたんだから、必ず意味がある。今は自分を磨く時なんだ」

歯を食いしばり、仕事に向かった。唱題を重ね、病状が安定すると、
学会活動にも励んだ。だが01年1月、今度は、見えていた左目が網膜剥離に。
手術で失明は免れたものの、左目の視野も大幅に狭くなった。

その後は再び、自宅で療養生活。そんなある日、会社から突然の電話が。
どういうわけか、「夫婦で来てほしい」とのこと。”ついにクビか”
と覚悟する。ところが、上司の言葉は意外なものだった。

「田澤さんには、これまでの経験を生かして、さらに会社に貢献してほしい。
ハンディについては、会社がフォローします」
親身に考え、自分を必要としてくれる上司の思いに涙が出た。

「絶対に恩返しをしたい!」。以前から勧められていた管理職試験に
挑むことに。だが、参考書を読むにも、大きなルーペを使い、かっての
何倍もの時間がかかった。登代子さんに代わりに読んでもらい、
夫婦二人三脚で勉強した。

試験は見事に合格。02年4月、ついに管理職に昇格した。

次につづく
『聖教新聞 2016/10/27(木)』

まとめ
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(1)
信仰体験 緑内障と闘う 大手食品メーカーの管理職(2)

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posted by mity504 at 17:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 病気・闘病体験

梅花咲く 2017/01/22(日)晴、午後2時頃 鶴嶺



梅花咲く 2017/01/22(日)晴、午後2時頃 鶴嶺
赤橋のたもとから小出川の上流にそって、左手に「湘南バイパス」
があり、右手の遊歩道沿いに、ただいま、紅白の梅が満開です。

動画で撮りました。梅は種々の花が春に向かって咲きはじめる、
「魁(さきがけ)」の花だそうです。
梅は香りもいいですね。


聖教新聞 名字の言
 厳しい寒さが続くが、都内の公園では、梅のつぼみがほころび始めた。
どの花にも先駆けて咲くことから、梅は「百花の魁(さきがけ)」
とも呼ばれる。

▼「明治六大教育家」の一人である新島襄(じょう)は梅を愛した
ことでも知られる。彼が詠んだ漢詩に「真理は寒梅のごとし あえて
逆境や苦難に挑み、乗り越えていく心を、彼は「敢為(かんい)の精神」
と呼んだ▼

「敢為」は、「敢(あえて)て為(な)す」「敢(いさん)で為(な)す」
と読む。私たちが日々、読誦する勤行にも「勇猛精進」とある。
この「勇」こそ「敢(いさん)で為(な)す」と同じ意味に当たる。

あえて苦労を求め、堂々と勝ち越えていく。そして再び、新たな挑戦を
開始する、、、。この地道な鍛えの連続が”人間革命の道”だ。

▼戸田先生は「信心も、平坦な道ばかりを、ゆっくりと歩いていては、
何も変わらない」と。今日の学会の発展は、創価の三代会長と草創の
同志の忍耐と勇気によって、切り開かれた。

世界広布新時代の今、私たちは”新たな開拓者”との自覚に立ちたい▼
「百花の魁」には、”すぐれた人物などが輩出する時期の先駆を
なすこと”との意味もある。

自身の最高峰を目指し、あえて挑戦を開始する。その勇気の一人から、
百花繚乱の人材城の建設は始まる。(嶺)

(聖教新聞 名字の言 2017(平成29年)/01/23<月>)

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